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 それは。きっと運命だとか、そんな綺麗なものではなく。
 だけど、ありふれたものなんかでは決して無い。
 そう。彼女という親友を得たのは、私、支倉令の人生の中で大きい意味を持つのだろう――。
 
 
―――あなたの、名を呼ぶ。―――
 
 
 九月。リリアン女学園高等部は慌しい空気で充満していた。
 秋は行事が沢山用意されている。その準備でどこも忙しい。
 それはクラス、部活動、委員会。どこも同じではあるけれど、ここ、高等部の生徒会である山百合会の会議室である薔薇の館は連日そんな空気が漂っていた。
 
 色々な行事に対して、様々な書類があり、それぞれに対応する形式だってまるでとはいわないけれど、異なってしまうのはどうしようもない。
 令は、そういった書類作業はあまり得意ではなく。だからどうしても作業がもたつきがちだった。
 
「令。ここの部分、間違っているわよ」
 と、案の定、細かい部分ではあるが間違いを指摘されてしまう。
 
「あ、すみません、お姉さま」
「いいのよ、令はこういったことは不慣れだものね」
 
 そういってフォローしてくださるのは令のお姉さまである鳥居江利子さま。そういう、なんというか飴と鞭を使い分けるような態度が非常に上手い。きっと他人を操る術に長けているのではないだろうか、なんて考えてしまうのは少し失礼かもしれない。
 
「令ちゃんは良くやってくれているけれど。少しばかり慌てんぼなところがあるわね。もっと確認作業をきちっとしないとね」
 
 こんな風に、紅薔薇さまに言われるのも、何だか慣れてしまった。確かに令は、細かい作業などでもたまに気を抜いて小さなミスをすることが多かった。デスクワークよりも竹刀を振り回す作業のほうが、なんぼかマシだ。無心で出来る単純作業だし。
 と、そんな風に思っているうちに、何だかお疲れさまな空気で満ちていた。どうも、今日はみなさんキリの良いところまで進んでしまったらしい。
 
「じゃあ、令ちゃんの仕事が終わったら、今日はおしまいにしましょうか」
「えぇ。それじゃ祥子、お茶入れてくれる?」
「はい、お姉さま」
 
 そんな、紅薔薇さまの鶴の一声で今日はお開きになった。本来ならば一年である令はお茶を入れるのであるが、当の自分が遅れているためその役目は同級生である小笠原祥子さんに回ってしまったらしい。いや、大体いつも一緒に作業はしているのだけど。
 令は、自分だけが遅れているため少し居た堪れないような気分になりながら仕事を進めた。
 
 
「はい、令さん。紅茶でよかったかしら」
 
 ようやく仕事が一区切りついて、安堵のため息をついていると、祥子さんがティーカップを持って隣にやってきていた。
 
「うん。ごめんなさいね、祥子さん。準備手伝えなくて」
「いいのよ、気にしないで」
 
 そういって、カップを置くと自分の席に戻る祥子さん。
 その優雅、としか言えない後姿を見ながら、令は自分とは大違いだな、と思った。
 ベリーショートの髪型のせいでもあるだろうが、一見美少年といった風貌の令と違って、祥子さんの長い黒髪に整った目鼻立ちは、「超」がつくほどの美少女然としている。家柄も立派であるということだし、お嬢様、なんて言葉は彼女のためにある言葉だと思う。
 
「それじゃ、私はこれで」
 
 何故か一息つく余裕もなく立ち上がった、白薔薇のつぼみである佐藤聖さまを見て、令はもっとゆっくりしていけばいいのに、と思ったが。
 
「そう。気をつけなさいね、聖。事故なんかに合わないように」
「お姉さま。いくらなんでもそれは過保護でしょう」
 
 なんて、既に了承しきっている白薔薇さまをみてしまったら、そういう気持ちも引っ込んだ。そういえば、聖さまはトゲトゲしいところがあって、どこか付き合いにくい先輩なのだった。
 キィ、と音を立てて会議室の扉が閉じると、白薔薇さまが紅薔薇のつぼみである水野蓉子さまに話しかけているのが見えた。
 
「で、どうなの蓉子ちゃん。近頃の聖は」
「ええ。彼女と接触する機会というか理由というか、そういったものが無いからか、でしょうか。特に変わったことはないと思いますが」
「そう。確かにあの独特にピリピリした雰囲気が感じられないわね。でも――」
 
 会話の内容は分からないけれど。聖さまに関することだろうとは思う。しかし令はそういった、学校内の噂だとかそういったことには疎いほうだし、さして興味もなかった。だから、言っている意味がよく理解できないのかもしれない。
 と、そんなことを思って紅茶を啜っていると。
 
「聖はね、今とある一年生にご執心なの。それが少し危なっかしいらしくてね、それが心配なのよ、蓉子と白薔薇さまは」
 江利子さまがまるで令の心を読んでいたかのように説明を加えてくれた。
 
「お、お姉さま。どうして」
 考えていることが分かったんですか、と言おうとしたら。
 
「令はね、単純だから。真っ直ぐなのもいいけれど、少し顔に出やすいのは直したほうがいいかもしれないわね」
 
 さすが。令の気質を理解している。さすがお姉さまだ、と令は思う。少なくとも自分の顔色を読めるのなんて、従姉妹くらいだったから。
 そんな風に、のんびりとしていたら。ふと、その姿が目に止まった。
 
 何かを真剣に白薔薇さまと話し込んでいる蓉子さまを、じっと、縋るように、でもどこか不満そうに。
 見つめている、祥子さんを。
 どうしてか、令は自分でも分からない。分からないけれど、どこかその表情が気になって、その日の集まりがお開きになって、家に帰っても。その顔がずっと頭のなかに浮かんでいた。
 
 
 それは、予感だったのか。
 それとも、どこかで見たことがあったからか。
 とにかく、そんな風にしか、後になっては考えられない出来事があったのだ。
 
 
「祥子」
 
 いつものとおり、仕事を終えて。
 薔薇さまたちは全員用事があるらしく早くにお帰りになり、薔薇の館には薔薇のつぼみとその妹だけになり、しばらく経った時。
 蓉子さまが、いささかキツい口調で祥子さんの名前を呼んだ。
 
「なんでしょう、お姉さま」
 
 祥子さんも度胸が据わっているのか。少しも動じた様子がなく、むしろ少し不機嫌そうな声で答えていた。自分なら、江利子さまにあんな声を出されたらすぐ、オロオロしてしまうのだろうと思う。
 
「あなた。何が言いたいの」
「え?」
 
 祥子さんは、あからさまに何が何だか分からない、という顔をした。それをみて、さらに蓉子さまの顔が険しくなる。令は、自分が当事者ではないというのに、なんだか自分に向けられているかと思ってしまい、ハラハラとその様子を見つめていた。
 
「いつもいつも。この間も、今日だって。何か言いたげに、私のほうをみているでしょう。だからよ。あなた、何か私に言いたいことがあるんじゃなくて?」
 
 凄い、と思った。話をしているのに、隣の祥子さんの様子に気付いていたんだ。さすが蓉子さま。聖さま曰く、「おせっかいの世話焼き」というのは伊達ではないらしい。一つのことだけではなく、周りにまできちんとアンテナを広げられるなんて。
 
「……別に。そんなこと、ありません」
 
 微妙に目を伏せて、祥子さんは言う。でも、それでは意味が無いような気がする。だって、何かある、って令でもわかる。それが蓉子さまなら何をかいわんや、だ。
 
「嘘おっしゃい。 …あなた、それで隠しているつもり? いい、言いたいことがあるのなら、はっきり言いなさい。そうしなければ、分からない。あなたの考えていることなんて、あなたの頭の中にしかないのだから」
「ッ…!」
 
 ぎ、と唇を固く結んで、祥子さんは俯く。次第に大きくなる蓉子さまの声が恐ろしく思えて、江利子さまを見ると、ワクワクした顔で事の成り行きを見守っていた。
 
「お、お姉さまっ。止めなくてもいいんですかっ」
「あら、どうして? これは彼女等の問題よ。それに珍しいじゃない、蓉子が声を荒げるなんて」
 
 そうだった。江利子さまはそういったお人だった。大体令を妹にしたのだって、男みたいな見た目の自分が珍しいから、という理由からだった。つまりこういった滅多に無い出来事なんて大好物なのだ。
 ならば、と駄目元で聖さまを見ると、少し意外そうな、でもやっぱり「面倒くさい」という表情が張り付いていた。どうも動くに動けない場の雰囲気に辟易しているらしい。
 
「……って……! お……ま……っ!」
 小声で、でも当人にとっては精一杯なのか。必死の表情で祥子さんは訴えていた。でも、そんな声、聞こえるはずもない。
 
「聞こえないっ! はっきり、言いなさい!」
 もう殆ど叫び声ともいえるその声を聴いた瞬間。
 
「……っ」
「祥子っ!」
 
 ガチャ、バタバタバタ、と彼女らしくない物音を立てて、祥子さんは出て行ってしまった。
 
「あーあ、行っちゃった。蓉子があんまり怖くするからよ? どうするのよ」
「本当。あんま面倒くさいことしないでよね。ま、面倒くさいことはいずれ起こるとは思ってたけど」
 
 江利子さまと聖さまは矢継ぎ早に蓉子さまに畳み掛ける。まるであなたが悪いのよ、と言わんばかりに。
 
「…何。私が悪者だと言うの?」
「別に。ただ、もっと言い様があるんじゃないかしら、と思っただけよ」
「だって。分からないのよ。祥子は令ちゃんみたく表にださないもの。江利子にはこの気持ち、分かって?」
 
 …つまり、あれか。令は江利子さまだけでなく、蓉子さまにまで分かりやすいと思われているのか。何だか落ち込んでしまう。これからはポーカーフェイスの練習をしたほうがいいかもしれない。
 
「それはあなたが分かろうとしていないからでしょう。いい? 気になって、好きで、一緒にいたいって思っても。相手を理解しようと努力しなければ、近づくなんてできないんじゃない?」
「しているわよ。それでも、分からないの。だって、あの子は……」
「分からない、ね。蓉子らしくないわね。分かるまでとことん追求するのがあなたでしょうに」
 
 江利子さまと蓉子さまの言い合い。それこそ珍しいものだった。江利子さまは、何でも出来るから。それに、何でも飄々と受け流す人だったから。多分自覚していないに違いない。
 でも、そうなると祥子さんが気になってくる。蓉子さまは江利子さまがいる。多分、落ち着いてくれると思う。きっと、次にはもっと冷静に話し合えるはずだ。
 だけど、今の祥子さんには――。
 そう思ったら、いてもたってもいられない。突然立ち上がった令を、江利子さまと蓉子さまは不思議そうに見ていた。
 
「――祥子さんのところに行ってきます」
「ええ。よろしく頼むわね令。祥子ちゃんを慰めてやって」
 
 令が立ち上がった理由を悟ると、江利子さまは笑顔で送り出してくれた。
 いつもつまらなさそうで、面白いことに目が無くて、それでも友人思いな。そんなお姉さまはやはり凄く魅力的な人だと思いながら、令は薔薇の館の階段を、ギシギシと軋ませながら降りていった。
 
 
 祥子さんを見つけた。
 そこは、古い温室。しばらく前から使われなくなったけれど、手入れしている人がいるとかで、取り壊されずにいる場所だった。
 そこに、佇んで。夕日が差すその場所に悲しげな顔でいる祥子さんは、今にも消えてしまいそうだった。
 
「……祥子さん」
「……令さんなの。よく、ここが分かったわね」
 
 そう。祥子さんの普段の行動パターンから予想したなら、ここにいるなんてわからないだろう。
 …少なくとも、表向きの姿を見ている人には。しかし令は知っていた。祥子さんは、時折ここを訪れていたのだ。一人で、誰にも見つからないように、こっそりと。だが、それは言わなくてもいいことだ。大事なことは、今の祥子さんを見つけられたこと。
 
「……あのさ。何と言えばいいのか、上手く伝えられないけど。その、気にしないで。あんまり気にしすぎると、よくない。気持ちばかりが、マイナスに向かっちゃうから」
 
 それは、病弱な従姉妹にも、自分にも、言い続けた言葉。どちらかが落ち込んだときに、どうしても考えてしまう悪い考えを追い出すときに使っている、令の切り札。自分は、あまり精神的に強くないことを、令は自覚していたから。だから、悪いことは考えないで、強くいようとしているのだ。
 
「……気にするわ。だって、私はこんな人間だもの。外見は良くても、内では決して良くないことばかり考えるような、汚い人間。だから、お姉さまにも……」
「大丈夫よ。きっと大丈夫。だって、蓉子さまが祥子さんを嫌っているわけないじゃない」
「そんなことっ! ……何故、あなたに分かるの。あなただって、私の考えていることを知れば、軽蔑するに決まっているもの」
 
 祥子さんは、まるで自分を悪者にしたがっているようだった。自分以外に、悪いものがいないと思って、そんな、本人曰く、「良くない」ものを溜め込んでいる。
 その、言いたいことを我慢したような、全てを内に押し込めたような態度には、表情には、覚えがあった。少し昔の従姉妹と同じ。そして、この前の祥子さんと同じ顔。
 それは、良くないよ、祥子さん。
 だから。深い考えなんて何もなかった。だけど、このままじゃいけないと思って。
 
「祥子」
 そう、口に出した。幸いにも、するっと口から出てくれた。
 
「な――、何、いきなり、呼び捨てなんてっ。そんな風に呼んでいいのは、お姉さま方だけよ!」
「祥子」
「いい、かげんにしてっ! やめて、って言っているじゃない!」
「祥子」
「やめてと言っているのが――!」
「それで、いいんだよ」
 
 叫び声。凛とした、良く通るその声が大きく響くのは、確かに迫力だった。けれど、令にとって、恐ろしいものではなかったし、今はそんな風に怯えている場合ではなかったから。
 
「は――?」
「それでいいんだよ、悪いものは溜め込んじゃいけない。定期的に体から出さないと。そう。言いたい事があるんなら、遠慮なく言えばいいんだ。今、私に怒ったように」
 
 ようやく分かった。あの時、彼女の表情が気になったのは、どこか遠慮がちになった時の従姉妹と同じ顔だったからなんだ。言いたい事をいつも言っていたのに。令にだけは、遠慮なんかしなかったのに。でも、あの子も考えていたのだろう。いつも負担をかけているのかって。
 
 だから伝えたんだ。言っていいんだよ、って。怒っても、悪口でも、わがままでも。
 言わないままで溜め込んでしまっては、体に負担がかかるから。
 例え本人に向かってではなくても。とにかく、口に出してしまいなさい、って。
 
「蓉子さまに言って、嫌われたくないってことは、あなたは蓉子さまのことが好きということ。だからきっと、蓉子さまはそれを聞いたって、嫌わない。でも、あなたがそんなに不安なら、私が、蓉子さまの代わりに聞いてあげる。…ううん、違うな。いくらでも、『予行練習』に付き合ってあげる」
「……予行、練習」
「ええ。身代わりでも、犠牲でも、なんでもいいけれど。とにかく、あなたがその言葉を『良くない』と思っているのなら、体に溜めてはいけない。心は一番大事だから。心の健康が損なわれてしまうから」
 
「でも、それじゃ。令…さんが」
「私なら平気よ。我侭も、理不尽な罵倒も慣れてる。そんじょそこらの暴言じゃ、私はめげないから。 …ね、『祥子』」
 
 そう。令はめげないから。単純だから。例え落ち込んでも、大丈夫だ、気にしない、って言ってしまえば、明日には元通りに戻るのだから。
 
「……ひどいわね。私、そんなに口が悪いわけではなくてよ」
 
 毒気が抜けたのだろうか。苦笑しながら、祥子さんは穏やかに言った。
 
「そう? さっきはかなり、迫力ある怒鳴り声だったよ」
「…それは動揺していたからよ。 …でも、そうね。確かにあなたの言うとおりだわ。溜め込むのって、良くないわよね」
 
 さっきの儚げな雰囲気も、恐ろしい怒り顔も、もうそこにはなくって。いつもの、優雅な笑顔がここにあった。漂う空気も、いつもの彼女だ。
 
「でも。せっかくの申し出だけれど、遠慮するわ。きっと大丈夫……そうね、お姉さまなら許してくれるわ」
「うん」
 
 それじゃ、戻りましょうか。まずは謝らないとね。なんて会話をしながら、祥子さんと一緒に温室から出た。祥子さんは強い。やっぱり、芯が一本筋通っているのだろう。少し会話しただけで、元通り。令の単純さゆえのそれとは、違う気がした。
 
 
「それで? 結局祥子さんはなんて考えてたの?」
 
 薔薇の館に戻りながら、令はそのことを考えていたのだ。けれど、自分とはあんまりにも違う彼女の思考回路から、答えは出なくて。結局本人に尋ねてしまった。
 
「…蒸し返すわね。いいわ、教えてあげる。 ……私、白薔薇さまに嫉妬していたのよ。お姉さまと沢山お話しているのだもの」
「え」
「なあに、その顔は。 …やっぱり。呆れられると思ったわ」
 
 意外だったから。なんて、口が裂けてもいえない。別に、不思議ではないかもしれないけれど。なんていうか、彼女がそんなことを口に出したのが、ひどく意外に思えたのだ。
 
「あ、いや別に、呆れてなんて。ただなんていうか祥子さんがね、」
「いいわ」
「は?」
 
 いいわ。何の意味でそんなことをいったのか。何も言い訳しなくてもいい、って意味?
 それとも、他に何か?
 
「『祥子』でいいわ。ここまでみっともないところを見せてしまってはね。 …ね、『令』」
「あ――」
 
 それは、きっと。外見が優雅なくせに、親しい人たちにはどこか不器用になってしまう彼女からの、精一杯の友情の示し方。そして、自分に踏み込んでもいい、っていうサインのようなものなのだろう。なぜだか、令にはそれがわかった。
 
「うん、わかった。 ――これからもよろしくね、『祥子』」
 
 きっと。長く、ゆっくりと。この関係は、続いていくに違いないから。
 確信めいた感情が、令の中に息づいていた。
 
 
 余談ではあるが。
 結局、真相を話したとき、蓉子さまは呆れるのだか照れているのだかよく分からない態度で祥子を抱きしめていた、とか(江利子さま談)。
 
 
 
あとがき
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