人間は環境適応能力に優れた動物だ、って話があるけれど。
きっと、彼女たちにそれは当てはまらないのだろうな、と思う。
ふぅ、なんて。似たような理由でため息をつく親友と後輩には。
―――つぼみたちの雑談から始まる隔世遺伝の発覚―――
「あの、ですね。すこしご相談、というかなんと言うか…まあ、話があるのですが」
なんて、突然白薔薇のつぼみである二条乃梨子ちゃんがのたまった。
おや、と私、島津由乃は思った。
いつもクールで通しているような乃梨子ちゃんが相談事を持ってくるなんて。
これは中々に珍しい。思わず珍獣を見るような目で見てしまったが、乃梨子ちゃんは周りを気遣う様子も無く、祐巳さんに――そう、彼女の台詞は由乃でなく祐巳さんに発せられたものだった――そう尋ねていた。
「話?」
思ったとおり、はてな、と頭に浮かべて聞き返す祐巳さん。
こらこら祐巳さん。私以上に『うわぁ、乃梨子ちゃんが相談だって。珍しい〜』なんて目で見ているわよ。案の定乃梨子ちゃんはその視線の意味に気付いたのか、
「あ、い、いやいいです。よく考えればそんなに大した話でも…」
なんて、辞退するような言葉を発していた。
あーあ、結局お流れかな。面白くなりそうだったのに。
さて、只今の場所はお馴染み薔薇の館。
令ちゃん――おっと、黄薔薇さまは体育会系の部活の活動スケジュールなどの細々した書類を回収しに、紅薔薇さまこと祥子さまは各クラスの要職の皆さんとの打ち合わせ、白薔薇さまこと志摩子さんは委員会の会長会合に出席している。
で、いまここにいるのは、三色の薔薇のつぼみだけだったりするのだ。
特に急ぎの仕事も無く、なんとなく雑談モードに入っていたときの出来事が、冒頭のアレである。
「いいのいいの、大した話でなくても。乃梨子ちゃんが私に何かお話したい、ってことは本当でしょう? それ、とっても嬉しいからさ、話してくれないかな?」
おお。今日の祐巳さんは先輩モードに入っているな。
でもさ、その上目遣いと微笑みは反則ではないのかな? 乃梨子ちゃんだからいいけど、祐巳さんファンの一年生はきっと赤面して倒れるなぁ。
「そ、それじゃあ。えっと、その、何から言おうかな。 …ええと。その、紅薔薇さまは、お綺麗ですよね、その、美人、っていうか」
あ、何の話か知らないが、そのネタ振りはマズイぞ乃梨子ちゃん。
と、私が思ったときには、祐巳さんは早口でまくし立て始めた。
「そうでしょそうでしょ! お姉さまは綺麗で、素敵で、最高で、最強だもん。えへ、乃梨子ちゃんもそう思うんだ。あ、でも駄目だよお姉さまは私のお姉さまなんだから」
いや待て祐巳さん。綺麗素敵最高まではいいけどさ、最強ってなに? 意味分からないから。
あ、でもえへ、は可愛かったわよ。また二人っきりの時見せてね。
「いや、そういうこと違いますから。えっとその、それから志摩子さんも綺麗なんだけど――。ってお二人とも。『け、結局惚気かよ』って言う目で見ないでください」
いや、そりゃ、ねぇ。
綺麗なんだけど――のとこで頬が緩んでたしなぁ。惚気以外の何者でも。
「だから、それが問題なんです」
「問題? いいことじゃない、お姉さまが綺麗なんて」
乃梨子ちゃんはことさら深刻そうにそう言う。
べっつに、大したことでもなさそうだなぁ、なんて思い始めていた。
けれど。
「あー、なるほど、なんとなく乃梨子ちゃんの言いたいことわかった」
祐巳さんがそう言う。
何? 今のって、そんなに大した話に発展するの?
ところで祐巳さん。うーん、って腕組みしているけどなんか上手いこと組めてないから。微妙に間抜けよ。
「由乃さんには――分からないよね、この気持ち」
何よ。私だけが仲間はずれだって言うの?
しかもそれじゃあ令ちゃんが綺麗じゃないみたいじゃない。
いや、そりゃまあ、綺麗ってかカッコいい、のが合うけれど。
「そうじゃなくて。きっと、見慣れていない、ってこと。そうだよね、乃梨子ちゃん?」
「あ、はい、そうです」
見慣れていないって。
ああそういえば乃梨子ちゃんってばたまに志摩子さんの顔みてぼんやりしてるときあったっけ。
つまり。
「乃梨子ちゃんは志摩子さんについ見惚れてしまう、と」
「ええ。それがいつまでも続くので。だから祐巳さまはどんな風にこの、症状、から抜け出したのかな、と思いました次第でございます」
恥ずかしいのか早口でヘンな言葉遣いになってるよ乃梨子ちゃん。
うーん、それでも表情が変わらないから面白いなぁ。顔は赤いけど。
「うーん、でもそれじゃ、私じゃ力になれないかな」
それはそうでしょう。
だって現在進行形で祐巳さんは祥子さま病にかかっているもんなぁ。
あ、そういう区分で言うなら乃梨子ちゃんは志摩子さん病なのか。…大丈夫か、今年のつぼみ。
「あ、なら、二人で考えよっか。ずばり、『美貌に負けない私に変身大作戦』!」
「いや、その作戦名はいりません」
「…そう。そうだね」
あらら。祐巳さん、すっかり落ち込んじゃって。そういえば夏にもこんなことあったっけ。
乃梨子ちゃんってそういう突っ込み早いわねぇ。
「ま、それ自体はいいですね。どうしましょう祐巳さま」
「うーん、祥子さまを見て見とれないようにする、なんて難しいかな」
「志摩子さんも綺麗ですから、無理かもしれません」
うーん、って悩む二人。
ぶっちゃけ他人から見ればくだらないことこの上ないんだけど。
というより、乃梨子ちゃん、呼び方が志摩子さんになってるから。私たちだけだからいいけど。
「あのさ、祐巳さん、乃梨子ちゃん」
お茶を二杯飲んでもまとまらない話し合いに業を煮やした私。
とっておきの秘策だ、ってある案を教えてあげた。
祐巳さんは「なるほど」って感じで、乃梨子ちゃんは不安そうに、その案にうなずいた。
で、しばらく後。
薔薇さまたちが帰ってきた薔薇の館では、とんでもない事態になった。
「はぁ…祥子、志摩子。そんなに気を落とさないで。何かの冗談でしょうし」
令ちゃんが必死に二人を慰めている。
でもムダよ、きっと。お二人さんにはその声は聞こえてないみたい。
「祐巳が…祐巳が…祐巳が…」
「うう…乃梨子ぉ…ひっく…」
祥子さまと志摩子さんが茫然自失、って感じで(というか、志摩子さんは泣いてるけど)床にそれぞれの妹の名前をつぶやいている。
…二人とも妹に依存しているなぁ。
なんでこんなことになったかって?
それは、二人には、「見たらぼんやりしちゃうなら、見なければいいじゃない」と言ったのだ。
で、それを実行しきった二人は、揃って仲良くお帰りになったのでした。
いや、乃梨子ちゃんは終始迷った感が体中から溢れていたけどね。
…いや、面白いわー、この人たち。
「由乃ぉ…見てないで手伝ってよ」
令ちゃん、そんな声ださないで。
そんな声出されたら、考えがまとまらないじゃない。
そう、これからどうしたら、もっと面白いことになるかしら? なんて私は考えているのだ。
なにしろ皆素直だから。これほど上手く言いくるめられる人たちなんて、他にいないんじゃないかしら?
「うーん」
「由乃。何だかお姉さまみたいな顔するのやめて」
その日。陽が沈むまで薔薇様の悲しみの声が薔薇の館に響いていたとか、いないとか。
ふん。あの人に似てる、なんていう令ちゃんが悪いんだからっ。