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 暗い世界。周りに手を伸ばしても、その手すら見えない。
 それだけではなく。そこは壁に囲まれて、私は出ることすら出来ない。
 だけど。ある日、光が差し込む。それは、この世界が開かれた、その証。
 扉を開けたのは――。
 
―――世界ノ扉ヲ開ク鍵―――
 
 ぼんやりした頭で、可南子は周りを見渡した。
 そこは、よく見慣れた風景で。さっき感じた、そう、自分が知らない場所にいたような感覚は、夢なのだと理解した。
 体を起こして、頬にかかった髪を払う。この長い髪は、こういうとき、少し邪魔に感じることがある。だけど、それはこのときだけだから、本気で切ろうなんて思ったことはない。
 胡乱な頭で時計を確認する。いつもより早い起床、どこかでまだ興奮を引きずっているのかもしれない、と可南子は思った。自分はどちらかというと、予測の範疇内で生きる人間だから。あまり、不測の事態、なんてものに遭遇したことがないのだ。
 その、なんていうか。少し前までは。
 次々と騒動を持ち込み、そしてそのたびに慌てるだろうその人を思い浮かべる。
 起き上がって、身支度を整える際に鏡を見た可南子は驚いた。
 自分でも、希少だといえる表情が顔に張り付いていたから。
「――。私、子供みたい」
 それは、初めての遠足に行く朝。今にも走り出しそうな、そわそわと落ち着きの無い顔。
 ――それは。笑顔、という。
 
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 校門。無邪気な、希望を信じて疑わない箱入りのお嬢様たちが爽やかに通り抜けていく。
 可南子は、いつものとおり、その声を気にも掛けずに歩いていく。
 別に、彼女たちを軽視してはいないけれど。可南子には、それを視認する余裕が無かっただけの話だ。だって、遥かに大事なことが、あるのだから。
 マリア様のお庭に差し掛かる。習慣とは恐ろしいものだ、ここに来たら手を合わせるようになっていた。外部受験組の可南子はもちろんクリスチャンではないため、しばらくは、というより人目が無ければいつもスルーしていたのだが。
 目を閉じて。真摯に願うその姿を見てしまってから。そして、その人がそれを習慣になさっていると気付いたから。それを追う様に、自分の習慣にしてしまったのだ。
 最も。「一日を正しく過ごせますように」なんて、願ってはいないのだけど。
 だって――。
 
「ごきげんよう、可南子ちゃん」
 
 その声を聞いたら。その姿を見ていれば。
 誰だって、正しく過ごせてしまうに決まっているから。
 
「ごきげんよう、祐巳さま」
 振り返って、挨拶を返す。
 すると、祐巳さまは、ん? と不思議そうな顔をして、それから何かに気付いたように、膨れた顔をした。 …怒っているつもりなのだろうけど、申し訳ないことに可愛らしいとしか思えない。
「可南子ちゃん。あのね、…いいたいことがあります」
「はい? 何でしょう、祐巳さま」
 こほん、と咳払い――実際にしたわけでなくて、振りだけだ――をしてから、祐巳さまはこうおっしゃった。
 
「その、祐巳さま、という呼び方はどうかしら。可南子ちゃんは私の妹なのだから、けじめをつけて、ちゃんと『お姉さま』と呼びなさい」
 
「――っ」
 時が止まった。もちろん可南子の錯覚だ。
 そういう風に、上から言うことは滅多に無い人だけど。そんな風に振舞うのは、大抵自分に言うことを聞かせる為だ、ということを可南子はそれなりに長い付き合いで理解していた。
 だから、少し反撃をしてみることにする。というより、自分だけが言われることではないと気付いたのだ。
「そういうことでしたら祐巳さま。私のことはどうか『可南子』と呼び捨ててください。その他大勢と同じ呼び方だなんて、私は嫌です」
「うっ」
 今度は祐巳さまが固まった。
 そして、どこかを見つめたかと思うと、うーんと唸りだし、今度は顔を赤くする。
 きっと、可南子のことを呼び捨てる自分を想像して、恥ずかしくなった、といったところだろう。
 しばらくそうしていたが、やがてばっと顔をこちらに向けた。なにかを決めたような顔だ。可南子は何だか、妙な予感がした。この表情に覚えがあったから。
「じゃ、じゃあ、可南子ちゃんからね。はいっ、どうぞ!」
「い、いえ、祐巳さまから」
「いやいや、そんな遠慮しなくていいから。はいっ」
「祐巳さまこそ遠慮なさらないでください。どうぞ」
「うう、可南子ちゃんの頑固者。こういうときは年功序列だよ」
「頑固は祐巳さまではないですか。それにこういうのに年齢は関係ないでしょう」
 やっぱり。こんなやりとりになっている。
 あんな顔の祐巳さまは、どこかピントのズレた要求をしてくるのだ。
 そういったやりとりに振り回されるのは嫌いではないけれど。それがわりとしょっちゅうなのは勘弁してほしいところなのに。
 内心でため息をついていると、言葉を止めた祐巳さまが、考え事をしていた。
 ああ、今回は二度目があるのだな、と半ば諦観していると。
 
「じゃあ、こうしよう。せーの、で二人同時に言おう。うん、それがいいよ」
 
 また、とんでもないことを。
 祐巳さまは、のたまった。
「同時、って」
「だって可南子ちゃん、恥ずかしいから言ってくれないのよね。私も改めて言うのは恥ずかしいもの。だったら二人一緒に言えば、恥ずかしいのも半分ずつじゃない?」
 いや、まあ。確かに理屈ならそうなるかもしれないけれど。
 だけど、二人同時に、なんて。それは、逆にもっと恥ずかしいことになるんじゃないのだろうか。
 そんなことを可南子は考えていたのだけれど。祐巳さまは既に実行モードに入ってしまっている。これはもうどんなに喚いたって、考えを変えないのに違いなかった。
「じゃぁ、いくよ? …せーのっ」
 ああ、もう駄目だ。可南子は心を決めた。
 特に、理由なんて無い。ただ、恥ずかしいというより、自分がそれを、祐巳さまの妹を名乗ってしまって本当にいいのか、と思ってしまっていただけだ。多分、無意識に。
 だけど。それは。
 
「お姉さまっ」
「可南子っ」
 
 一瞬。ぴたりと止まって、それから二人で笑いあう。
 ああ。いいんだ、って。
 その笑顔をみて。そんな心配、必要なかったんだ、って気が付いた。
 だから。
「……お姉、さま」
「なぁに、可南子?」
「…お姉さま」
「可南子…」
「お姉さま」
「ふふふ。はい、可南子」
 何だか、急に力が抜けて。今まで遠慮した分だけ、祐巳さまをお姉さまと呼んでいた。
 きっと祐巳さまは気が付いただろう、可南子の気持ちに。いつもは鈍感なくせに、こんなときは嫌に鋭い、そんな方だから。
 だから、安心させてくれる笑顔で、こちらをみつめている。
 
「それじゃ、行こうか。遅刻しちゃうよ、可南子」
「はい。行きましょう、お姉さま」
 祐巳さまの後に続いて、歩き出す。
 可南子は、無意識に、胸に手を伸ばした。
 じゃり、冷たい金属の手触りがする。
 
――世界が暗闇に包まれていた。
  でも、出口は、光はそこにある。
  最初は、扉だけを教えてくれた。
  一時期は、自分はそれを信じなくなったけれど。
  それでも扉の向こうから、声を掛け続けてくれた。
  そして昨日。扉を開けて、光を与えてくれたのだ。
 
 そこに掛けられているものを、ぎゅ、と握り締めた。
 昨日もらった、確かな絆の証。
 
――扉を開けた、その鍵は。
 
 それは。
 ロザリオのカタチをしていた。
 
 
あとがき
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