日本人形に出会った。
それは、髪のように芯が一本強くて。それでもあの子と同じようなところが感じられて。
なるほど、これなら大丈夫かもしれない。そう思ったのだ。
白薔薇エンカウント 〜彫像の場合〜
あーあ、と悩みごと一つ。
何も、あんなに怒らなくってもなぁ、と聖は思った。
休日。急に思い立って大学の同級生の加藤さんを誘って出かけたのはいいけれど。
到着したここで、特に行き先は決めていない、って言ったら冷ややかな顔で怒られたのだ。そして買い物をする予定だった加藤さんは一人でさっさと行ってしまった。もちろん、待ち合わせ場所と時間は決めたけれど。
つまらない、退屈、暇が溢れている。
だから遊ぼうと思っていたのに、あそこまで怒られてしまっては聖からは何も言えないではないか。全く、たまのお茶目に付き合ってくれてもいいのに。
確かに行き当たりばったりだったけれど。あんなに怒るとは思わなかったし、なにより、そういう反応を予想できなかった。
そのために、それなりに気持ちも上手く浮き上がらない。
気分転換でもしようかな、と入った喫茶店では。
「すいません、只今席が…。相席でもよろしいですか?」
なるほど。今日はあんまりツイていない日らしい。
出来ればひとりになりたかったけれど、まあいいやと店員さんに了解の意を出して付いていく。
そこで。
日本人形と出会ったのだ。
その席に、女の子が座っていた。
おかっぱのように、切りそろえられた髪が印象的な彼女は、自分の大切なあの子に聞いた彼女だった。
こんなところで会うなんて奇遇だな、なんて思っていた。
「失礼します、っと。 …お邪魔するわね、ここ」
そういって彼女の対面に座ると、彼女は何故だか呆けたように見つめていた。
はて、と思いながら外を眺めていても、こちらをちらちら見てくるし、そういえば彼女とは対面したことがなかったな、と思い出した。知っているのは、一方的だったのだ。
「なーに? 私のこと、気になる?」
向き直った瞬間、目があったので少し意地悪に聞いてみた。
祐巳ちゃんあたりだと慌てながら言い訳するんだけど、目の前の彼女は何故かきょとん、としていた。おそらく面識の無い(彼女にとって)女性に笑いかけられたからだろうな、と想像つく。
それにしても。聞いた話とは随分違うな、と思ったので、聖は確かめようと思った。
「珍しいね」
そう。彼女は、あの子にべったりだ、って聞いたのに今日は一人きり。まあそういうこともあるかもしれないけど、学内で見かけた彼女はいつも二人で歩いていたから、思わずそう口に出してしまったのだ。
「は?」
あの子といないなんて――、と言いかけて、彼女にとって自分は見知らぬ人間なんだと思いなおす。不思議そうにしているから、何か言わないといけないんだけど。
「いやね、君、女子高生でしょ? 君くらいの年頃の女の子ってさ、グループ行動が見に染み付きすぎている子って多いじゃない? だから、一人で行動しているのって珍しいな、って」
口からでまかせ、っていうのも馬鹿にできない。まあ、最後のほうは本音が出てしまったけれど、名前が出ていないからセーフだと思う。聖的には。
彼女は、その言葉を聞いて、眉をよせていた。考え込んでいるのか、不機嫌になったのか。表情から考えが読めないのは不便だな、と思う。まあ雄弁すぎるのも考え物だけど。
「あ、気を悪くしたなら謝るよ。悪い意味で言ってなんかないけど、君がどう思ったかは分からないからね」
フォローを一応しておく。こんな些細な出来事で、嫌われたりしたら悲しいし。やはり、こういうのは第一印象が大事だしね、と聖は自分に言い聞かす。
「いえ、そんなことないです。ああなるほど、と思っていただけですし。そういうあなたは大学生ですか?」
ふむ。受け答えもソツがない。それに、話を長引かせないように質問を重ねている。
なるほどね、目の前の彼女は世渡り上手な人間らしい。あの子や自分とはそこんとこが違うな、と聖は思う。まあ、違うからこそ上手くいったんだろうけど。
「うん。花の女子大生だよん。 …多分、そんなに年は離れていないと思うけどね」
確信的、っていうのだろうか、こういうの。相手のことを知っているのに、相手は自分を知らない、って難しい。もともと、話すこと自体が得意ではないのだ。
でも。
「そうなんですか? 結構大人びて見えるんですけど」
「えー。それじゃ君いくつ?」
「15ですけど」
「私18。三つしか違わないじゃない」
「あれ? もっと上だと思ってました」
「えー? 嘘、ショックー」
例えば年齢のこと。自分の見た目が外からどう見えるかとか、そういったことなんてあまり考えたこともないのにそういった言葉がすらすらと出て行く。
「ふーん。趣味のために、ねぇ。いいねそういうの、かっこいいなぁ」
「あなたはなんでここに?」
「あー、なんていうかな、ぶらり旅? そういった感じ」
「一人ですか?」
「うんにゃ、友達と来た。私に無理やりつき合わせたんだけどね」
今日の出かけた理由。馬鹿馬鹿しくて、他人に言うのが情けなくなるようなことだって何故か口を付いて出た。いくらあの子の大切な子だからって、初対面でこんなことを言えるような性分ではなかったのに。
「あ、あの辺りに住んでるんだ。奇遇だね、私もその辺りに住んでるのだよ」
「それは偶然ですね」
「うんうん、素敵な偶然だね」
住所についてとか、まあ知っていることだけど改めて言葉にすると感じが全く違って思えた。想いを秘めていることと、それを口にすることは全く違うことなのだと、分かるくらいには。
まるで、違う自分がいて、今顔を出したみたいだな、と聖は思った。
比較的、自分は言葉を介さないで人付き合いをしてきたと自分では思っている。
あの子とも、ここまで長く一つの場所で話したことは無いかもしれない。
それは、目の前の彼女の影響なのだろうな、と思う。彼女には、なんていうのだろう、内に秘めている何かを吐き出させてしまうような何かがあると思うのだ。
それが彼女の魅力であり、内に篭りやすい聖やあの子には効果抜群なのだろう。
そんなことを考える。
だから、彼女のそばにいるあの子はあんなにも晴れやかな顔をしていたのだな、と納得した。
悔しさよりも、すがすがしさのほうが上で。
あの子のことを、彼女に託すのが最良だったのだ、と。
気が付けば、待ち合わせに遅れそうな時間だった。
「んじゃ、そろそろ出ようかな。ごめんね、つき合わせちゃってさ」
とっくにコーヒーも飲み終わっていたのにつき合せた彼女に、とりあえず謝罪する。
「いえ。私も楽しかったですし」
そういって微かに笑った顔は、あの子の影響かどこか儚い感じがする。
でも、人にいい影響を与える顔だった。
二人で店の外に出た。体を伸ばすついでに腕時計を見たら、もう急がないと遅刻する時間だった。待ち合わせの時間だからと声をかけ、もう帰る彼女に背中を向ける。
しばらく歩いて、最後にいたずらを思いついた。
なんだろう、少し困らせたくなったのだ。この辺、江利子あたりの影響かもしれない。
振り返ると、何故か彼女もこっちを振り返っていた。
でもま、ちょうどいいやとそのまま考えを実行に移す。
「それじゃ、また機会があったら会いましょうね、二条乃梨子ちゃん」
笑って手を振る。
驚いたような顔をする乃梨子ちゃん。その顔が、にこりと笑みを浮かべた。
まるで、お見通しでしたよ、って笑顔に、聖には思えた。
「ええ。またの機会に。佐藤、聖さん」
やられた。
きっと、聖が乃梨子ちゃんの名前を言った瞬間。無意識では多分、会ったときから。
乃梨子ちゃんには聖のことが分かってしまったのだろう。そういうことは、なさそうでよくあることだから。
「ちょっと。遅いんじゃない、佐藤さん」
待ち合わせ場所についた途端、加藤さんの声で迎えられた。
ごめんごめんと笑いながら謝る。そうすると加藤さんは追及せずあきらめてくれるのだ。
「まあ、いいわ。 …それより、何かいいことでもあったの?」
「へ? 何で?」
「いつにも増してヘラヘラしているじゃない」
「キツイなあ」
それでも、顔色から判断できるなんて、加藤さんは聖の観察に慣れてきているようだ。
「ちょっと、孫とおしゃべりしてきたから」
そういって、空を見上げる。
孫? と不思議そうな言葉が聞こえる。それには後で答えようと思いながら、聖は痛々しいとさえ思える、去年の志摩子を思い出していた。
大丈夫。志摩子には、とても心強い、妹が出来るから。
私よりも上等な、立派な子だから。
彼女がそばにいるときの志摩子の顔を思い出して、聖は顔を綻ばせた。
さっきまで歩いていた道を振り返る。
銀杏並木の中の桜が、幻視できた気がした。