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 それは確信だ。
 それは絶対だ。
 その金属片を受け取るかどうかは判らない。
 けれど、受け取ってくれたのなら、私たちは、世界で一番合う二人だと。
 だから、私は彼女を選んだのだ。
 
 
―――育てる準備をはじめましょう―――
 
 
 許容するのは簡単で。
 目をそらされることにも、腫れ物扱いにも、許容さえすればなんてことはなかった。
 自分の世界には、令ちゃんと、家族と、ほんの少しの友達と、その他大勢というカテゴリーしかなかったから。
 けれど。
 突然現れたその人は真っ直ぐに私を見ていて。
 もう一つのカテゴリーを、私の中に作り出してしまったのだ。
 
<2. 自由な心、制限付きの身体。>
 
「ふーん。本当、話どおりの可憐な美少女、って感じね」
 そう言って、学園一美しいタイのカタチをしているというその人は、つまらなさ気に息を吐いた。
 珍しいものと面白いものが何よりも大好き、というその人のことは令ちゃんから聞いていた。そのたびに、ろくでもない人なのではないか、と考えていたのだけれど。
 なかなかどうして、これでいて隙の無い所謂『理想の上級生』というヤツだった。
 だから、この人も、由乃から離れていくのだろうな、とおぼろげながら考えていた。
 出来た人間というのは、普通の人たちからすれば聖人君子のように見えるけれど、どこか普通でない人間に対しては時折血が通ってはいないのだろうかと思うほど冷酷になる。
 それ自体はどうということもない。人間は集団で生きる動物だから、異分子を排除するのは当然だ。異分子の身内だとか、それ自体を気にしない、どこかお節介な人間、又はある意味故障している人間くらいが、由乃のような異分子に構いたがる。
 ましてや心臓に疾患を持っているなんて、異分子の中の異分子と称したって過言ではないだろう。
 そう。離れていくのなら、それでよかった。
 今までどおり、遠目から見られ、大好きな令ちゃんが傍にいて、それだけで。
 だけれど――。
「ああ、ちょっと令。この部の活動予定表を回収してきて頂戴。手違いがあったらしくて、こちらに届いていなかったのよ」
 そう言って、江利子さま――今まで、由乃についての感想を漏らしていた人だ――が、令ちゃんをここから追い出した。体のいい雑用を押し付けて。
 何故そういうことをするのか。そう思って江利子さまを見ていると、こちらを見て、にやりと笑った。
「……さて。それじゃお話でもしましょうか、由乃ちゃん」
 どういう? 由乃の境遇をもう一度聞いて、同情でもしてくれるのだろうか。
「ああ、そうだ。お茶いれないとね。紅茶でいいかしら? ミルクとお砂糖は、いる?」
「……はい」
 本当はミルクだけでよかったけど、別に主張するほどのものでもなかったから言わなかった。
 何の話を始めようというのか。
 うわべだけの心配の言葉なら、突っぱねてしまおうかとも考える。
 そう考えながら、傍目にも無駄のない動きでお茶の用意をする背中を眺める。
 やがて、準備が終わり、おいしそうに淹れられた紅茶のカップが由乃の目の前に置かれた。
「はい。 ……それでね、由乃ちゃん。早速だけど貴女、猫被っているでしょ」
「――っ!」
 ちょうど紅茶を口に含んだところでいきなり言われて、噴出しそうになってしまった。
 何とかそれを押さえて、江利子さまを睨む。
「おお、怖い怖い。やっぱり貴女、猫かぶりねぇ。今の睨み、本当に可憐な子なら出来ないわよ?」
 ……この人、何様だ?
 いやさ黄薔薇さまだってことくらい判るが、それにしたって。
「…お言葉ですが。そんなことを言われて怒らない人なんて、いないと思います」
「あら。猫被っている、って思ったのは令の話を聞いていたからよ? いつも我侭言っているんだって?」
 ……令ちゃん、後でシバく。
「それでもね、可愛いんだ、って言ってるのよ令ったら。全く、姉が目の前にいるのにそんなこと言うなんて、非常識な子だと思わない?」
「何言っているんですかっ。令ちゃんは本当のことを言っただけですっ! あの人は嘘がなかなかつけないんですからっ」
 …って、あ。
 思わず本音が出てしまった。しかも今まで何とか押さえてきた呼称まで、躊躇もせずに口に出してしまった。
 江利子さまを見ると、くすくすと隠そうともせずに笑っている。
「ふふっ。令ちゃん、ね。ホント、仲いいのね。妬けちゃうわ」
「……何が、言いたいんです?」
 もう、本性が知られてしまっては猫を被る意味なんて無い。
 だから、今まで必死に取り繕っていた表情を捨てて、敵意百パーセントの顔で見る。
「そうよ、その顔。ヴェール越しの表情じゃなくて、本当の顔が見てみたかったのよ。 …でもま、今日のところはここまでかしらね。身体に障るといけないものね」
 にっこり、と笑って、江利子さまは言う。
 その顔が、腹が立つほどに綺麗で。
 由乃のなか、どこか深いところに突き刺さった。
 その刺さったモノは、家に帰ってからも中々抜けずに、今でもまだ、どこかに刺さり続けている。
 それからだ。
 江利子さまが、由乃と二人きりになるとそういう、挑発めいた言葉でいつも怒らせる。
 怒る由乃と、笑う江利子さま。
 まさに、由乃にとって彼女は天敵となっていった。
 ただ。今まで由乃にとって、敵とカテゴライズされればそれはイコール不快な存在、というものだった。それなのに、江利子さまといるとき、会話しているとき、怒らされたときだって、一度だって不快だと思わなかったのだ。それが、由乃は不思議だった。
「それってさ、所謂『ケンカ友達』、ってヤツじゃない?」
 しばらくして。
 秋。由乃にとっての初めての体育祭が終わった頃。
 由乃の手術だとか色々あった末に得た友人は、由乃の話を聞いて、そう結論付けた。
「ケンカ友達? …まさか、そんなこと…」
 それは、もっとこう、長い長い関係の末にそう落ち着くようなものではないか。少なくとも由乃はそう考えていた。しかし、無意識に確信をつくことが上手い友人は、どこか不思議そうな顔をして由乃に言ったのだ。
「んー、でもさぁ、そうとしか思えないんだな、由乃さんの話を聞いていると。本音を言い合う関係、っていうのとも違うと思うんだけどね。なんだろ、例えば私と由乃さんの関係の確かめ方がね、こういう風に話したり、休みに遊んだりすることだったりするのに対して、由乃さんと江利子さまの関係の確かめ方がそういうケンカ腰のやりとりなんだと思うな。そういうのが確立されたから、二人の関係はきっと『ケンカ友達』になっちゃうんだよ」
「確かめ方、か……。つまり、祐巳さんと祥子さまの絆の確かめ方がタイを直してもらうことのようなもの、かな?」
「う、うん、まあ、そういうことだと思うよ。 …うわ。客観的に言われるともの凄い恥ずかしいね、これ」
 若干赤い顔をして照れている祐巳さんはともかく、今の話を聞いて、どことなくしこりの残っていた心が軽くなった気がする。
 ああ、そうか。
 本音の言えない関係が、自分にはつまらなかったから。
 あんなにも、ストレートに(手段としては絡め手が多いが)接してくるあの人を、嫌いきれなかったのか。
 理解した。理解して尚――、あの人が憎らしくてたまらない。
 いつのまにか、軽々と、由乃の中に居場所を作ってしまったあの人が。
 秋も深く。
 あの人から、叩きつけられた『挑戦状』が、もうすぐ期限を迎えようとしていた。
 ただふらふらと、まるで夢遊病のように銀杏並木を歩いていく。
 『妹』を見せろ、か。
 当てもなく、かといって、ただやり過ごすためだけに代役を立てるなどと、そんなことも出来ずに、ただ漫然と過ごしていた。
 考える。
 『由乃』というピースにはまる、最適なピースは一体どんな人間なのか。
 そう考えると、自分の世界はいかに狭いものだったのかと思い知る。
 たとえ、心臓の疾患という制限があったとしても、この世界の狭さは異常だ。自分と、令ちゃんと、家族と、ほんの少しの友人たち。
 自分が、そうであればいいと思っていたとしても、いまはそれが忌まわしい。
 こんな狭い世界の中に、ぴったりとはまる人間がいるとは思えない。
 しかし、今から世界を広げることが出来るとも思えない。
 無理、なのか。
 そう考えた途端、江利子さまの明らかに嘲笑した声と、見下ろすような視線が急速に思い出された。
 …いや、まだ、終わっていない。
 そう、諦めるなんて、由乃らしくない。
 考えろ。はまる人間がいないなら、はまった人間を探せばいいのだ。
 自分の心を把握しろ。身体が制限付きだったから、自分に埋没することはきっと、誰よりも上手いはずなんだから。
 何故、焦っていたにもかかわらず、行動範囲を広げようとはしなかったのか。
 何故、視点を広げていたにもかかわらず、目に入る下級生がどうしても見つけられなかったのか。
「……っと、危ないっ」
 考え事をして歩いていたら、道に小石があったのに気付くのが遅れた。
 たん、と軽くステップを踏むように避けていく。
 それにしても、こういうのが灯台下暗し、ってやつなのかもしれない。
 考え事ばかりでは、現実の小石に気付かず、躓いてしまう。これからはもっと、自分の周りに注意しつつ思考に耽らないと。
「――、まさか」
 そう、灯台下暗し。
 もしかしたら自分は、もう既に自分にふさわしい相手を見つけてしまったから、広い視点を持ち始めてもふさわしい下級生が見つからなかったのではないか?
 それなら、納得できる。
 だって、もう必要じゃないのだ。必要じゃないものを探そうとするほど、由乃の精神は余裕の塊では出来ていない。しかも今回は場合が場合だ。急を要するものであるし。
「でも。そうだとすると、あの子しかいないわよね」
 勝気な瞳と、特徴的過ぎるあの髪型が思い出された。
 ついでに、何かと衝突していたやりとりも。
 ……違う可能性は、大いにある。というよりも、自分があの子と合うとは思えない。
 あの憎らしい、いちいちこちらに噛み付く態度を思い出すと、どうしても反発心がくるのだ。
 しかし。
 改めて考えると、下手に上品ぶってくるよりはいいのではないか。
 自慢ではないが、由乃の猫かぶりはわりと完璧だ。見知らぬ相手になら、上品で可憐な女学生を演じきれる自信がある。
 でも、それは自分を隠すことだ。
 自分の素顔を晒すことの気持ちよさは、祐巳さんと知り合ってから、身にしみて判っている。
 晒さないことの空虚さも。自分をさらけ出して、理解してもらえることこそが嬉しいのだ。
 だから、噛みつかれていることも、むしろ喜ばしいことなのかもしれない。
 ……そこまで、考えると。
 あの子は、まるで、由乃とそっくりなのかもしれない。
 多分あの子が祐巳さんとのやりとりにおいて終始ペースを乱されっぱなしなのは、自分が素顔だってことを自覚していないからだろう。
 由乃の世界は閉鎖的だった。だから、素顔が見られても、むしろ嬉しかったのを覚えている。
 でも、彼女の世界はもっと広いだろう。それに、由乃は自分で素顔を晒したのにたいして、彼女は不意打ちだ。
 不意打ちでは本当に驚く。そして相手が憎らしくて、でも嫌いになりきれないんだ。
 ああ、その感覚。
 言葉にしたら、どうしようもなく、理解できた。
 ついでに、どうしてあの子に反発するのかも、嫌ってほど理解できた。
 
 それは。1年前の由乃と江利子さまと同じ関係で。
 彼女は。1年前の由乃と同じようにこちらに挑みかかっていたのだ。
 
 足を、止めた。
 視線の先には、マリア像があって、こちらを見つめていた。
 いつのまにかここにやってきていたのか。
 でも、ちょうどいいかもしれない。
 心が決まったことを、自覚させてくれたのだから。
 それでも。
 その前に、やっておきたいことがあった。
「……何の用ですか」
 目の前に、長い髪と背の高い女の子がこちらを見つめ…いや、これは睨んでいるな、おお怖い。
「ちょっとね。話したいことがあるのよ、可南子ちゃん」
「そうですか。では早くお願いします。私も暇ではないので」
「大丈夫、すぐ済むわ。ただ、ちょっとした頼みごと…いや、忠告をしにきただけだから」
「忠告…ですか」
 きっと、由乃の行動が発端で、ちょっとした大騒ぎになる。
 だから。
 その前に。
「いいこと、細川可南子。これから少ししたら、ここは少し騒がしくなる。そのとき、何があっても、祐巳さんを傷つけないと誓いなさい」
「…………は?」
「判らない? どうしてかは言わないし言う義理も無いけど、とにかくちょっとした騒ぎがあると思うわ。けれど、どんなことになっても、祐巳さんを、傷つけたり、泣かせたりしないこと。いいわね」
「……どうして、私に」
「貴女には前科があるからよ。違う? 祐巳さんは何故か知らないけど、プラスマイナスに関わらず自分に多大な影響を与える人に関わりたがる傾向があるからね。あんなに執拗に貴女と関わりたがるからには、何かあったと見るのが妥当よ」
「……」
「図星でしょう? だからまあ、忠告。まあ、もしこの忠告をまもれなかったら……」
「まもれなかったら?」
「全身全霊をかけて、貴女をとっちめるからね」
 それだけを告げて、その場から去った。
 言いたいことは言った。これ以上は、必要なかった。
 この忠告を無視できるほど、馬鹿な子ではないことは判っているつもりだし、由乃のやることが原因になって、彼女たちも上手くいけばいい。そのための土壌作りも実は兼ねているのだ。
 もう、やることは決めた。
 ならばあとは真っ直ぐ走り抜けるだけ。
 さあ、行こう。
 心だけが自由で、走れなかったあの頃。
 今はもう、制限付きだった身体の制限は取り払われた。
 そのときには出来なかった、全力疾走。
 勝負のためではなく、自分のために、走る。
 それが出来る、今の自分が、堪らなく大好きだ--―。
「……ちょっと、いいかしら」
 何故だかぼんやりと薔薇の館を眺めているあの子を、呼ぶ。
「由乃さま? …私に御用でしょうか?」
 振り向いたその顔は、今から由乃がどういった内容を話すのかなんて検討もついてない。
 驚きに満ちた顔と、その後の憎らしい顔が、由乃の頭の中に浮かんだ。
 
 けれど、大丈夫。
 私たちは上手くいく。
 上手くいくように、してみせるんだから。
 そう、彼女は、私の妹になる。
 それは、絶対。
 
 さあ、あの子と由乃の、真剣勝負の始まりだ。
→To last story “PROMISE“
 
 
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