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ANGELS DON'T KILL
 
 
 
 志摩子さんが卒業する。
 私はそれを強迫観念の如く、何度も心中で反芻した。
 刻む込むように、深く。その悲しみは、考えるだけでリアルになった。
 
 志摩子さんが卒業する。
 決して離れたくないのに。離したくないのに、どうして。
 
 どうか消えないで、私のマリアさま――。
 
 
 
 
 冬も終わりに近づいた三月。刺すような冷たさは午後の空気にも健在で、朔風が体温を奪っていく。
 私は、志摩子さんと帰り道を共にすることなく、一人で歩いていた。当然だ。もうすぐ卒業を控えた三年生が、この時期学校に来ているはずもない。
 気だるかった。今まで感じたこともないほど、無力感で満たされていた。
 どうして私は、こんなにも後ろ向きにしか物事を捉えられないのだろう。以前はもっと、前向きに生きていけたはずだ。
 はぁ、とため息をつくと、白い靄が目の前に広がった。志摩子さんがそばからいなくなる。それは当然で必然、分かりきっていたことなのに。
 
 思い起こせば、昨年の十月頃からだ。卒業の二文字を思い出しては、憂鬱な気分に浸るようになったのは。
 離れるのは、辛かった。しかし受け入れなければいけないと分かっていても、その気持ちは愛しむ気持ちに反比例して膨らんでいく。これだけ志摩子さんを愛してしまったから、その分彼女を離したくないと願うのだ。
 逆説を唱えれば、志摩子さんを手に入れたかったのだ、私は。彼女の中の一番を奪い取り、そして私は一番あの人のそばにいる。誰よりも。
 それは私の、最後の、痛切な願いだった。私にとって志摩子さんは一番だったし、彼女以外なら何だって捨てられる。だと言うのに、その一番大切な人がいなくなってしまうのだ。
 どうにかすれば会えるなんて言葉は、慰めにもならない。私は決して、彼女の一番を奪えなかったのだから。
 
 銀杏並木を歩きながら、私は考察する。どうしたら、一番を簒奪できるのか。
 一瞬、私の脳裏を暴力的なシーンが過ぎった。
 ……駄目だ。私は相当にキテいるらしい。私はバス停で無為な時を流しながら、さっきのイメージを回顧する。紅い、あのシーン。
 
 誰かが、「愛しているから殺せるんだ」と言った。馬鹿げた発言だ。誰が信じるものか。
 結局、私を満たすのは諦念と未練だ。誰にだって、私を救うことができない。否、志摩子さんならできるかも知れないけれど。
 
 ゴーッ、と重たい音を経てて過ぎ行く車たち。
 私はその中に身を投じればどのようになるのだろうかと、また紅いイメージを描いていた。
 
 
 
 自室に入り、制服から着替えてからも、私はあのイメージを払拭できないでいた。
 私は不意に、過去に聞いた話を思い出す。赤子の精神が成人の身体を乗っ取れば、殺人を繰り返すという話だ。
 人は誰しも、破壊衝動を持っている。殺人衝動もまたしかり、それは理性で押さえつけているに過ぎない。それが出来なくなることは、退行という名の逃避である。
 私は今、現実から逃げているのだ。いつまでも離れてくれない、あの紅いイメージに。心の中で妖しく光る、鋭利な――。
 
「……っ!」
 
 イメージが進むたび、心は軋む。大丈夫、そう感じるということは、私の精神はまだ正常なのだ。
 手は彷徨うように、机の引き出しを開ける。そこにあるのは手芸用のナイフ。馬鹿げている。これじゃ人は殺せない。本当に何もかも、馬鹿げている。
 私は部屋の電気を消すと、ゆっくりとベッドに身を沈めた。眠りは全てを消してくれる。悲しさも、孤独も、狂気ですらも。
 
 
 
 卒業式は、明日に控えている。
 夜闇のヴェールに包まれたお聖堂の中、私は佇立していた。蒼い月の下、志摩子さんを待っている。今朝方電話した時、彼女は確かに来ると言ったのだ。今まで彼女が約束を破ったことはない。彼女はここに来る。無防備にも。
 ステンドグラスの向こうで、月が嗤っている。冷たい、どこまでも闇に落とすような空気の中、そして光る刃――。
 私はいつしかその刃を、仏像でも眺めるかのように愛玩していた。私の心は歪んでしまったけれど、これには直線と曲線の美が在るのだ。
 痛みを想像する。酷く醜い、紅いイメージだ。鮮烈に、もっとリアルに、私は想像しなければいけない。
 歪んだ表情を夢想すると、私の顔は愉悦を湛えた。どうかしている。そんな正常な意見が出てきたとしても、もう手遅れだろうけど。
 
 ギシリと重たい音を立て、お聖堂の扉は開く。そして私は、飛び出しナイフを。
 なんてことだ。私は緊張している。美しい刀身を持ったナイフの切っ先は、私のちっぽけな度胸の所為で震えているのだ。
 
「乃梨子……?」
 
 天使の声が聞こえる。待ちわびていた声に無常の喜びを感じ、また地に落ちるような絶望すらも感じていた。
 志摩子さんは、どんな気持ちでここに来たのだろう? 彼女は私の誘いに、何の疑いも持たず「学校に忍び込むのは気が進まないけれど」と言って了承したのだ。しかしまさか、ロマンチックなお別れの挨拶の為だなんて思っていないだろうか?
 だとしたらこれは飛んだ笑い話であり、そして冷たくも儚いトラジディだ。……いいだろう、ロマンチックに泡沫夢幻の物語を終わらせようじゃないか。
 
「志摩子さん」
 
 私は感情をかみ殺した声でそう呼び、振り返る。志摩子さんは私の手元を見て、見ていて笑ってしまうぐらい表情を一転させた。
 まるで祐巳さまみたい。そう言えばあの人はどのような形で妹と分かれるのだろうか、と考えるとおかしくて仕方なかった。
 
「……そんな物騒なものを持って、何をするつもりなの?」
「何をするって、雰囲気で分からないかな」
 
 これだから、鈍感な姉は。きっと脳内物質の行き来に滞りが出てたのはその鈍さの所為だよ、志摩子さん。私の強さと弱さを知っている癖に、離れようとするから。
 刀身が煌く。鮮やかな蒼き月を、憂愁に閉じ込めている。
 震える切っ先に自嘲を覚えながら、私はナイフを志摩子さんへと向ける。宣言しよう。私の次の行為は、意思表明であり、私の覚悟だ。彼女がどういう反応をしようと、私たちの関係は終わる。
 
「志摩子さん、志摩子さん……」
 
 呟き、歩み寄る。月と星の明かりで出来た道は、志摩子さんへと続いている。確かな終わりへと、続いている。
 志摩子さんは逃げるどころか、二三歩私に歩み寄った。残念だ、こんなロマンチックな場所で追いかけっこをして、姉妹最期の戯れができないではないか。
 冷静になりなさい、とその唇が言った気がする。私は無視して、言う。
 
「志摩子さんを、ちょうだい」
 
 その瞬間、ナイフが煌いた。幻想的な光で出来た冷たい空気の下、志摩子さんの喉元に向かって。
 
「のり、こ……?」
 
 血は、出なかった。
 当たり前だ。そのナイフの切っ先はただ宙を切り、志摩子さんの顎下辺りでプルプルと震えているのだから。
 
「乃梨子!」
 
 どこにこんな力があったのか、と言うほど強い力で、志摩子さんは私の手からナイフを奪い取った。
 これでいい、全てシナリオ通りだ。私を壊した責任、取って貰おうじゃないか。
 
「殺して」
「……何を言っているの」
「志摩子さん、私を、殺して」
 
 さあ、さあ、さあ――!
 
 この繽紛と降り注ぐ星明かりの下その全璧る美貌をもったかんばせに愁眉を浮かべ蒼白い光を受けた刀身を私の胸ないしは首へと突き立てこの不浄な精神を詳らかに切開したのち審美し俎上から降ろせばそのに染まりゆく身体から搾り出される喧しい絶叫に貴女は愁殺してくれさえすれば私の卑近な魂は天にも上る気持ちで地獄へとち業火に焼かれながらマリアの糞ったれを魘魅し貴女は罪を背負い私を寛恕するだろうが当然神の逆鱗へと触れた私たちにいや貴女に道はなく教誨され妄執にわれていたその脳髄は脆化しやがて私と同じ暗い光を観さえすればこの脳漿は沸騰し気の世界の陰翳に触れた貴女は蒼氓を攪拌することこそ滄海の一粟であったと忸怩し屍蝋となった私に貴女は連綿とした悲しみの中で挙措を失い張り巡らされた堡塁のような精神が瓦解した所でこの永訣の意味をこの粉飾された世界の瞋恚を理解した貴女は涵養した神聖を捨て魅せられていた邯鄲に感歎し簡単に終焉を見出すことこそが私たちの物語の獲麟なのだからさあ早くその玲瓏たる刃で気のったピエロのようにキャハハハとケララとアハハハハとゲゲラと酷く高尚に哄笑する私に裁きを下し奈落に堕ちさえすれば天国にしか行けない貴女の辿り着く地だって楽園になるのだからさあ殺してコロて頃してKOROSHITE殺してコロして頃してKOROSHITE殺せコロせ頃せKOROSEせコロセ殺せコロセせコロせコロセ殺せ!!
 
「さあ!」
 
 聖母マリアに見守られながら。天を月が穿つように、その刃で私の胸を穿て。そして咎人となり、私と同じところに堕ちてくればいいんだ。
 震える切っ先。私はここまで志摩子さんを追い詰めたことが憎く、自身が追い込まれたこともまた憎く、この世界が許せない。そして私は、この世界にいることを許されていない。
 
「志摩子さん、早く」
 
 貴女が、壊した妹だ。早く楽にさせて欲しい。
 ――切っ先、震える、切っ先。
 志摩子さんは覚悟を決めたように、刃で弧を描く。――自らの、首へと向かって。
 
「志摩子さんっ!?」
 
 サクリと開く切創。さっきまであれほど血を渇望していたというのに、一気に血の気が引いた。
 
「……大丈夫よ」
 
 白い肢体に、鮮血が伝う。
 ――ああ、確かに。確かにこれは致命傷じゃない。動脈は外れているし、血の量だって大したことはない。
 
「この意味が解かる?」
 
 志摩子さんは、痛みと悲しみに表情を歪めて言った。
 
「あなたはね、こういうことをしろと言ったのよ。大好きな人を、傷つけろって。殺せって」
 
 次に創られた慈しみの表情に、私は鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた。
 ――嗚呼、結局。
 彼女は、私を救ってしまうのだ。壊れた心でさえも修繕して、瀕死の理性に息を吹き込んで。
 
「……ずるいよ、志摩子さん」
「ずるいのは、乃梨子の方でしょう?」
 
 冷たい音を立て、ナイフが床面に転がる。私は乾いた泣き声で、彼女の胸に縋る。
 これ以上、彼女に流血させたくない。私は何も考えられなくなった頭で傷口に舌を這わすと、志摩子さんは逃げるどころか私を抱きとめた。
 
「離れたくない」
 
 私は唇を鮮血で濡らしながら、彼女に懇願した。
 
「それはあなただけだと、思っていて?」
 
 夜闇の中の微笑みは、何故だか嫣然と見えて私はもう一度唇を寄せる。彼女の、少し青くなっている唇に。
 マリアよ――。
 私は背中越しに、心中で叫びを上げる。今、この時に限ることだけれど、私は確かに奪い取った。この清い血にまみれた接吻で、貴女の元から。
 
 床に転がる、少しばかりの血がついたナイフ。
 その刀身に映り込んだ蒼い月は、私たちを見下ろすかのように、まだ嗤っている。
 
 
 
 
 
 
 
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