ダークSS祭りトップに戻る
 
 
猫の恩返し
 
 
そのとき、乃梨子は猫を拾うか拾うまいか迷っていた。
 黄色いランドセルを背負って、黄色い帽子の下からは無表情で猫を見下ろす彼女は小学3年生。9つだ。最近は掛け算を習って、いくつ分、という考え方に感動した彼女はそのときもその表情を崩さなかった。
 にゃぁ
 猫がなく。母親が今日は雨が降るといっていた。タイフウ、が来ているらしい。それでも彼女は拾って帰ることができなかった。もし、母親にダメだといわれたときにそのこを自分が捨てる自信がなかったのである。彼女は、もしそうなったら、を想定できてしまうあまり、単純に行動することが出来なかった。
 にゃぁ
 にゃぁ
 にゃぁ
 乃梨子は黙ってその場を走り去った。
 
 あの猫のことはクラスでも少し話題に上がっていた。それで、乃梨子は帰りに寄り道をしてクラスの子達が言っていた場所に来ていたのだった。
 「あのこ、誰かが拾ってくれないのかなぁ」
 「みっちゃんはどうなの? 」
 「あたし、猫ダメなの。いつきちゃんは?」
 「猫ってかわいいけど、めんどくさいわ〜」
 そんなことを聞きながら、乃梨子は実は気になってしまっていたのだろうか。家に帰っても、彼女はそわそわして落ち着きがなく、それは珍しいことなので家族は皆心配した。
 次の日、とうとう台風が到来し、町は風と雨で大荒れだった。木が倒れ、その木に自動車が押しつぶされ、大変なことになっていた。乃梨子は心底タイフウを畏れた。そして、心にはあの猫のことしかなかった。学校へは皆で決まった道を通って行かなくてはならないから、帰りに。明日の帰りに見に行こうと思った。別に見に行った所で、何も変わるわけではない。それがうっすら分かってはいたものの、やはり乃梨子は9つだった。
 
 次の日の学校。クラスはタイフウの話題で持ちきりだった。
 「すごくこわかった〜〜。おかぁさんがね、でもね、守ってくれたの」
 「私、タイフウなんて怖くなかったもん」
 「タイフウっておもしろいよね〜」
 「うん、おもしろかった」
 乃梨子は耳に入ってくる言葉を聞き流しながら、ずっと学校が終わるのをまった。算数の時間も、国語の時間も、生活の時間も。給食の時間だってこの日はもうどうでもよかった。
 学校が終わり、乃梨子は急いで終わりの会のあと、あの場所へと駆けていった。
 途中、何度か呼び止められたがそれも無視して一目散に。猫のことで頭がいっぱいだった。あのこ、大丈夫なの? 授業の間の休み時間があるたびに心配になっていったのである。どんどんと、どんどんと。それは恐怖に似ていたことを乃梨子は気付いていなかった。どうしてみんな、タイフウが楽しいの? どうしてみんな、あのこのこと、忘れているの? どうして、あの子が心配でないの? バッタの足をちぎって楽しむ男子を日ごろ非難する彼女たちも、畢竟、変わりはなかった。彼女たちは、純粋だった。きっと楽しかったのだ。タイフウが。でも、それが楽しいと同時に、どういうことなのかを気付いていないのだ。そして、また、乃梨子自身も、どうして、の先に思考は進まず、彼女たちが男子となんら変わりないということにさえ気付いていなかった。乃梨子は走った。それが精一杯の誠実だった。
 
 新聞紙が飛び散るアスファルトの上、小学生が一生懸命にリュックを揺らして走っていた。
 
 乃梨子は、驚愕した。ダンボールの中に猫はいなかった。
 十分いつもの乃梨子なら予想できた話である。乃梨子の不安はどんどんと募っていく。それに比例して、罪悪感が心を埋め尽くしていった。乃梨子は胸の内でゴメン。ゴメン。となんども繰り返した。まだ死んでしまったわけではないけど。
 その言葉が頭をよぎったとたん、ふと驚いた。死ということがどんどんと彼女の思考を埋め尽くしていく。迫り来る津波のように、圧倒的な何かに襲い掛かってこられたような。その前に自分は成す術もなく、それを受け入れるしかないのだろうか。乃梨子は深く恐怖した。哀しみすら飛び越えて、彼女の思考はもはや働いていなかった。見る見る肥大化していく不安、罪悪感、恐怖。彼女はまた、それらを言葉にすることが出来ない分、なおさら畏れた。自分がどう感じているのかさえも分からず、わけのわからないなにかに自らが覆いつくされていくようで、彼女はふとここにいることの不思議さえ想った。彼女は、また駆け出した。
 
 いよいよ、恐怖は彼女を侵食していった。それは彼女が今まで経験したことのない恐怖だった。いくつもの大きなクリスタルが自らの意志とはまったく無関係に動く夢を見たときのように。ちょうど、ラピュタの崩壊のように。言葉に出来ない分、母親に相談もできなかった。彼女は自分のベッドの中に潜り込み、唯、がくがくと震えるしか出来なかった。どうして? 数々の「どうして?」が彼女の頭に氾濫していく。どうしていないの? どうして、いるの? 猫がそこにいない不思議。自分がここにいる不思議。すべてに「〜だから」という理由をつけることは容易い。でも、その「HOW」によってもたらされた答えは乃梨子の不安を拭い去ることは出来なかった。そしてまた、「HOW」ですら答えを見つけられない、どうして。の存在が益々、彼女を追い詰めた。どうして、皆笑っていられるの? 猫、死んじゃったかもしれないんだよ? 死という単語を浮かべるたびに、乃梨子の震えは一段と激しくなった。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 あの時拾っていれば、あの時・・・
 自分が殺したのだ。自分には十分助けてやれるチャンスがあった。どうして、あのとき私は駆け出したのか。どうして、逃げたのだろうか。
 「にゃぁ」
 その声に、乃梨子は激しく一度身を揺さぶり、そして硬直した。
 「にゃぁ」
 確かに聞こえる。この声。
 「にゃぁ」
 「にゃぁ」
 乃梨子は布団をさらに強く掴んで、再び振るえが止まらなかった。
 「どうして、助けてくれなかったの、乃梨子?」
 誰かが我が名を呼んでいる。自らの後ろでなにやら常軌を逸した怪奇が起こっている。
 「ねぇ、乃梨子? どうしてたすけてくれなかったの?」
 どんどんと近づいてくる声。
 己の背中に、軽い何かが上ってくる。音も立てずに、小さい足で。四本の小さい足で。まるで、猫のように。
 ねぇ
 「どうして?」
 
 とうとう、布団の中から聞こえた声に彼女は発狂した。
 彼女は次の日、ベッドの中でニャァ、ニャァと震えて猫の声真似をしながら涙を流している所を発見された。
 
 
 
 
 
ダークSS祭りトップに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送