Ka・Me・Ra
夏休み、私はこっそりとアルバイトを始めた。
家の近くの写真館。いつも写している写真達は学校で現像しているが、時々その写真館に出していたりもしたのだ。店主とはもう顔なじみといってもいい位親しい。
写真館には店主が撮影した数々の写真が引き伸ばして展示してある。中でも一番のお気に入りなのは、大輪に咲いた花火の写真。結構前に撮影したのだろう。額縁も古く、写真も少し焼けていた。日付を見ると、もう10数年も前のもの。
何故その写真館にバイトに行くことになったかというと…。夏休み前、フィルムを買いに来た私に店主が誘ったのである。写真の整理と、暗室内での作業。
店主の撮影技術は分かっていたので、私は一にも二にもその話に飛びつく。自分の撮影技術は自分だけのもので、他から指導されて覚えるものではない−私の持論だがその持論を変えてでも店主の技術を知りたかった。
実際バイトを始めてみると、店主の技術などはお目にかかれず暇な時間を過ごしていた。これでは、無駄ではないか…。
自給もそれほど高くなく、メリットといえばたまに聞くカメラの話。知識は私など遠く及ばず、その膨大な知識のほんの少しを教えてくれた。
アルバイトは、夏休み半ばで唐突に終わる。
店主が、亡くなられたのだ−。
その日、いつもと同じ時間に店へ来た私は『休業』の立て札を見て驚いた。店休日は昨日で、今日が休みとは一度も聞いていない。鍵を使って店へ入ると、そこには1人の男性が立っていた。黒いスーツ姿。
喪服だ、とピンときた。そうか、店主が亡くなられたのか…。哀しい、という感情は心の奥でひっそりと凪いだ水面のように私を揺らす。
しばらく前から調子がよくないと気付いていた。店主も、「今日明日かもしれないな」などと笑いながらつぶやいていたが…。
しばらく、黙祷する。男性は、そんな私の姿を見て、
「武嶋蔦子さんですね」
と聞いてきた。男性が私の事を知っているのに少し驚いたが、多分家族だろう。
「はい」
「親父は、昨日息を引きとりました。この写真館で倒れてそのまま…」
「そうですか…ご冥福をお祈りします」
「ありがとう。そう言って頂けると親父も喜ぶでしょう」
「この写真館はどうなるんですか?」
「まだ何も決めていませんが、きっと処分することになるでしょう。家族の中に写真の事を知る者はいませんから」
「そう、ですか…残念です」
男性は、寂しくほほ笑むと、何かを思い出したような顔をする。
「そうだ。数日前に、親父から預かっているものがあります。ちょっと待っていてください」
男性は奥へ行き、小ぶりの箱を持ってきた。
「夏休みが終わったら渡す、と言っていました。自分が渡せなかったら頼む、とも…」
まさか、こんな事になるとは思いもしませんでしたが…。そう言って男性は箱を差し出した。
その箱の中には、1台のカメラが入っていた。
仕事にはカメラの掃除もあり(店主の持つカメラは十数台あったので)、私は丁寧に掃除をしていたが、そのカメラだけは1度も触らせてもらえなかったのだ。
何故、このカメラを?
レンズのカバーを外す。
チャリ…。 ガラスの重なる音。
何とレンズは割れていた−。
「あ…それは、割れているのですね」
「そうみたいです」
前見せてもらった時は割れていなかった。ならば、店主が割ったのだろうか。大事にしていたカメラなのに、何故?
箱の底には1辺の紙切れが入っている。取り出し、赤いインクで書いてあった文字を読む。
『決して、このカメラでは撮影しないこと。それを守ってもらえば、武嶋蔦子にこのカメラを譲ろう』
「な…親父、悪戯でもしたのか?すみません。レンズは取り換えて渡しますから」
「いいえ。このままで結構です。多分、型式が古いのでレンズを探すだけでも時間がかかると思いますよ。撮るなと書かれていますから、レンズをはめる必要もありませんし」
カメラならば家に相当な数があるので、今更古いカメラ1台増えたところで撮影に影響が出る事もない。
男性に頭を下げ、家へと帰る。
後日もらったアルバイト代は少し色が含ませてあった。
レンズが割れていたのを気にしていたのだろう。私にとってはあのカメラが手に入ったことが一番の収穫だったので、アルバイト代のことはあまり考えていなかった。折角なので、そのお金はレンズの修理へと回す。なかなか見つからなかったからもあるのか、結構な値段がついた。アルバイト代はほとんどレンズ代へと消えてしまった。
ここまでお金をかけたならば、やはり撮影してみないと。店主のメモが気になっていたが、それ以上に好奇心が勝った。
そのカメラで花火の写真を撮った−店主はそう言っていたから、私も花火を撮ろうと思い立つ。早速次の土曜日に行われる河川敷での花火大会へと出る事にした。
三脚を持ち、昼過ぎから撮影準備の為に河川敷へと向かう。場所取りは花火の撮影では重要なポイントだった。
河川敷へ向かう途中で、カーブミラーのある場所を通った。
そうだ。
滅多に撮影しない、自分−セルフポートレートにしてみよう。この時何故そんなことを思ったのか後で考えても分からなかった。普段の自分では考えられないこと。
場所も選び、後は花火が始まるのを待つのみ。連絡していた妹も来た。
花火は美しく、いい夏の思い出となった。
なにこの写真。
新学期が始まった。私は朝早くから学園へと向かい、早速写真部の暗室で花火の写真を現像した。うっすらと浮かび上がる写真の画像。
そこに異質なものを見出してしまった。
他の花火の写真は普通に撮れている。ただ、1枚だけの人物の写真−自分の写真はカーブミラーなど写っておらず、そこにはネオン街の中でカメラを構える1人の女性が写っていた。そんなものを撮った覚えなどない。
ヒヤリとしたものを感じ、ライトを点けてよく見てみた。
まさか…
これは自分…
間違いなく、それは自分だった。ただ違っているのは、今とは違う髪の長さ。そして薄く化粧した顔。
暗室の中で、うっすらと汗をかく。じわり…と染み込んできたのは、汗だけではなく、恐怖。何故こんなにも恐怖を覚えるのか。
それは…
写真の自分の後ろに、誰かがいるからだ。
そして気付いてしまった。
その誰か、が誰なのか。
何故そこに写っていたのか。
妹だ。
まさか…まさか。
妹である内藤笙子が、そこにいた。
その手には、短いナイフ。
その視線の先には、カメラを構える私が。
『決して、このカメラでは撮影しないこと。それを守ってもらえば、武嶋蔦子にこのカメラを譲ろう』
思い出す赤い文字、店主の言葉。
何故…何故写してしまったのか。
何故…店主は私にあのカメラを渡したのか。
私はどうしていいか分からず、呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
外では生徒が登校してきたようで、そこかしこで「ごきげんよう」という挨拶が交わされていた。
私1人だけを置き去りにして…。