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この格子が割れるまで
 
 
 檻の中にいる方が心地良い体質なのだと、知ったのは小学生の時だ。
 規律や礼儀にがんじがらめにされることで私は安堵し、自由を与えられることを極端に恐れた。
 好きにしてよいと言われると、たとえ一時間の自習時間だとしても、頭を抱えて叫びたいほどに動揺した。幸い、自由と同じほどに周囲の視線を恐れていた私は、平然とした表情を装った。教師に目をかけられていた私は、このような胸の内など気付かれるはずもなかったが。
 それでも、迫り来る恐怖から逃れることはできなかった。
 厳格だった両親が、中学に上がれば私にもう少し自由を与えようと話し合うのを聞いた時、それは決定的になった。
 だから、私は自らこの場所を選んだのだ。
 
 
 マリア様の檻の中。
 
 
 世間に誇る伝統と格式はもとより、圧倒的に惹かれたのは高等部にある独特の制度だった。
 姉妹という上下関係。
 そして、薔薇と呼ばれる地位。
 ここには、身分差が存在する。
 家柄が必要なのだろうかと思ったが、程無くそれはさほど重視されないと知った。
 薔薇のつぼみと呼ばれる人に目をかけられさえすれば。
 そして、それは私の得意分野に違いなかった。
 
「蓉子」
 紅薔薇さまになった姉は、私の名を居丈高に呼んだ。
「はい、お姉さま」
 まるで尻尾を振る犬のように、私は返事をした。
「本当に、蓉子は風呂敷みたい」
 白薔薇さまが思いついた喩えを、姉はひどく気に入って何度も口にした。
「風呂敷、机を拭きなさい」
「酷い、お姉さま」
 見下されていることを不快とは思わなかった。
 そうすることで自己を保っているのだと知っていた。
 同じだと、姉妹になる前から気付いていたのだ。
 檻の中でしか、生きられない人。
 人を縛ることで、自分をがんじがらめにすることしかできない。
 
 
 檻から出ようとする人たちがいる。
 彼女らを羨ましいとは思わなかった。
 本当に出たいならば、入らなければいいのだ。もしくは乗り越えて消えるべきなのだ。
 格子から手を出し、時に叫んで助けを求め、がちゃがちゃと鍵を揺らすくせに、それ以上のことは何もできない。本当は好んでここにいるくせに、認めようとしない。その姿は哀れだとさえ思った。
 ああここにも哀れな人がいると、彼女を初めて見た時も私は即座に思った。
 人と群れないことをスタイルとし、形式的なグループ行動さえも徹底して嫌い、傷つきやすい人を選んで傷つきやすい言葉を吐いた。
「あなた、いい加減にしたらどうかしら」
 学級委員長だった私は、彼女に告げた。
 深い意味はない、ただルールに従わない人がいることが不便だったからだ。
「へえ、私に興味があるの?」
 彼女は問い返した。
 私の顔を食い入るように見つめながら、濡れた舌を出して自分の唇を舐めた。
 出血しているのかと見まがうほど、赤い舌だった。
「私は興味がある。あなた美人だから」
 伸びてきた細長い指を、私は強く振り払った。
「馬鹿らしい」
「へえ、動揺するんだ」
 再び近付いた彼女の指の感覚が、私の首筋を撫でて消えた。
 こんなふうな稚拙なやり方で檻の格子を揺らす彼女を、私は確かに軽蔑していたというのに。
 
 
「ごきげんよう、蓉子さん」
 マリア像の前で、彼女は礼儀正しく私を呼び止めた。
「佐藤聖。白薔薇のつぼみの妹。よろしく」
「な、名前ぐらい知っているわ」
 声が震えるほどに、私は動揺した。
 なぜ彼女が薔薇の名を欲しがるのか、まるで分からなかった。
「あらそれは光栄。私たちは、特別な仲だものね」
 聖は唇を舐めた。
 あの日と同じように、赤く濡れた舌で。
「中等部で同じクラスだっただけだと思うけれど」
 風呂敷と呼ぶ姉の声を想像しながら、できるだけ柔らかい声を出した。
 それがまるで甘えるような響きを持ち、私は慌てた。
「へえ、私はてっきり」
 聖は指先で自分の首筋を撫でた。とてもゆっくりと。
「あなたは私を好きなのだと思っていたけれど」
「な、何を」
「だから追いかけてきたのに、冷たいね」
 追いかけてきた?
 まさか、私が姉にしたように?
「あなたの物になってあげるよ。そういう人が欲しいんでしょう?」
 聖は片手で制服のタイを外す仕草をした。
「ここで、というわけにはいかないけど、私はいつでもいいよ。何なら今からでも」
 がさり、と音がした。
 私は地面に鞄を落としていた。
「あなたは……つまり、そちら側なの?」
 まるで間抜けな問いだったが、聖は理解したようだった。
「ああ。だから驚いてるの?」
 鞄を持たない手が、ひどく軽かった。
「私はどちらでも可能な体質」
 聖は微笑んだ。
 体質、という実際的な言葉に、私はびくりとした。
「ただ、あなたになら抱かれたい」
 私は何も言えなかった。
 目の前にマリア像があることは、何の意味も持たなかった。
 懇願するようにまとわりついてくる聖の腕を、私は振り払わなかった。
 そして、縛りつけるように彼女を抱いた。
 
 
 姉に呼ばれて、私は薔薇の館にいる。
「聖ちゃんのこと、しばらく放っておいてもいいわよ」
 本気で気遣われていると感じたのは初めてだった。
「あなたの使命感は分かるけれど、ああなってしまっては誰の言葉にも耳を貸さないわ」
 この人は何も分かっていないと思ったが、それは当たり前のことだった。
 私も姉のことなど何も分からない。
 知りもせず近付いた相手のことなど、分かるはずがないのだ。
「周囲が反対すればするほど、燃え上がったりするとも言うじゃない?」
「燃え上がる?」
 私は不意に繰り返してしまった。
「ごめんなさい、不適切な表現だったかしら」
 姉が明らかに顔を赤らめたので、私は驚いた。
 この人は経験がないのだろうか。
 誰かを本当に縛ったり、縛られたりする行為。
 二人だけに降り注ぐ快楽と、終わったあとの静かな幸福。
「恋愛ってそういうものかな、と思ったのだけど」
 恋愛。
 恋愛、なのだろうか。
「とにかく、聖ちゃんと栞さんのことは、しばらく見守りましょう」
 山百合会の仕事に顔を出さないことぐらい大したことではない、と姉は繰り返した。
 そうではない、と私は言えなかった。
 姉が懇願するように私を見つめ続けたので、私は頷いた。
「でも、あなたの友達思いなところ、私は好きよ」
「ありがとうございます」
 薔薇の名は、ひどく色褪せて見えた。
 簡単にこの手に堕ちた、私の新しい妹と同じように。
 姉妹の規律など足枷にもならない、と私は気付いた。先に去る者に、できることなど何もないのだ。
 姉の卒業は目前だった。
 
 
 栞のことを、聖は隠さなかった。
「お御堂で、一目惚れしちゃった」
 悪びれもせずに、顔を赤らめさえした。
 言葉を交わしただけだと言った聖は、許しを乞うように私を見上げた。
 ねえいいでしょう、と甘える声が聞こえた気がした。まるで特別な体位を要求するとき
のように。
「彼女に抱かれたいの?」
 私が訊くと、聖は首を振った。
「抱きたい」
「そう」
 他に言うことはなかった。
 求めている以外の答えを、聖に告げたことなど一度もなかった。
「今まで無理につき合わせて悪かったね」
 聖はあろうことか手を振った。
 バイバイ、と。
「もう、蓉子も自由にしていいよ」
「自由」
 めまいがした。
「ほんとにごめんね」
 腕を回したときの、骨張った背中を思い出した。
 離れられるはずがない、と呪文のように唱えた。
 
 
 姉に言われた通り、私は聖としばらく会わないようにした。
 やがて、栞がシスターになることを知った。偶然ではない。二人を動かすことのできる
何かを、必死になって探し出したのだ。
 真実を告げると、聖は思った以上に動揺し、私を罵倒さえした。
 私はその背中を追いかけるように言った。
「一緒に逃げ出せばいいじゃない」
 聖は立ち止まった。
「栞さんの手を引いて、どこか遠くへ行こう、と言えばいいわ」
 言葉は滝のように溢れ出た。
「自由になりなさい、聖」
「蓉子」
 聖は泣いていた。
 たった一人の味方のような顔をして、私は笑った。
「きっと自由になれるわ」
 聖が脅えているのが分かった。
「自由に」
 分かっていて、私は繰り返した。
 
 
 聖は、自由になどなれない。
 私と同じで、この檻から出ることなどできるはずがない。
 
 
 栞はいなくなった。
 泣きはらした聖を、私は抱きしめた。
 縛るようにではなく、緩くやわらかく腕を回した。
「蓉子」
 抜け殻のような聖は、首を振りながら私にしがみついた。
「抱いても構わないわ」
 どちらでも可能なのは、私も同じだった。
 共にこの場所にいること、重要なのはそれだけだ。
「蓉子」
「私はあなたを離さない」
 それは、恋愛の言葉のように響いた。
 
 
 閉ざされた場所で、長く長く続く、恋愛の言葉のように。
 
 
 
 
 
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