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猫は少女と歩いてる
 
 
 
 苦虫を噛みつぶしたような顔の瞳子。
「…どなたですの?」
 言いながら振り向くけれど、だれもいない。
 この数日、ずっと誰かにつきまとわれているような気がして仕方がない。
 いくら振り向いても、いくら意表をついても、いくら辺りを見回しても誰もいないのだ。
「???」
 歩き始めると、やっぱり背後からついてくる気配。
「いい加減にっ!」
 角を曲がった所で、いきなりUターンする。
 相手が痴漢や暴漢、挙げ句の果ては誘拐魔(瞳子はこう見えても松平家の娘)だったら、どうしよう、などという思考は瞳子にはない。
 自分を尾行する鬱陶しい人がいる。ただそれだけ。
 歴代黄薔薇姉妹の清々しいまでの暴走ッぷりは、瞳子にもしっかりと受け継がれていた。
 にゃあ
 固まる瞳子。
「あら……猫?」
 にゃあ
 猫がいた。嬉しそうに、瞳子に向かってちょこんと座っている。
 にゃあ
 瞳子は、首を傾げて猫を見つめた。
 
 
 数日後、瞳子に関する妙な噂がリリアンの一年生を席巻した。
 可南子と乃梨子は、即座にその噂をしている子に他言無用の釘を刺す。
 乃梨子の真摯なお願いと可南子の遠回しな脅し。二つ揃えば逆らう一年生は誰もいない。
 乃梨子と可南子はその日、噂を検証するために早朝登校していた。
「寒いね」
「どうして、私たちが瞳子さんのためにこんな時間から動かなければならないんですか」
「嫌なら帰っていいよ、可南子さん」
 乃梨子はにっこりと笑う。
「別に私一人でも大丈夫だから」
「…今から帰った所で、すぐにまた登校しないと遅刻じゃないですか。第一、来なくていいのなら、昨日の内に言って下さい」
「昨日の内に言ったら、可南子さん本当に来ないじゃない」
「なんですか、それは。酷いじゃないですか、乃梨子さん」
「いいじゃない、別に。共通の友達のためなんだから」
 可南子は黙り込んで瞳子が来るはずの方向に目をやる。
「…誰が友達ですか、誰が」
 小さな呟きに思わず微笑みを漏らす乃梨子。
「あ、来ましたわ」
 なんだかんだ言いつつも、しっかりと見張っていた可南子が瞳子の姿を発見する。
「どれどれ…ああ、私まだ見えない」
「眼鏡でもかけたらどうです?」
「背の高さだと思うけど」
 そう言って乃梨子は可南子が噛みつく前に、
「……あ、見えた」
 二人は瞳子を観察する。
 確かに、噂通り何かと一緒に登校している様子だ。
 問題は、それがなんなのかさっぱりわからないこと。
 瞳子の視線からすると、相手は人間ではない。人間だとすれば身長は二十センチもないことになる。多分それは人間じゃない。
 動物? 最初はそう思ったけれど、いくら目をこらしても何も見えない。
 どう見ても、瞳子は何もない空間に視線を向けているとしか思えない。
 
 毎朝、猫に見送られるようになった。
 だから車は、わざと校門から離れた所で停める。もともと、校門の前まで乗り付けるのは祥子さまに倣ってやめている。
 だけど今は、さらに遠く。そして少し早く。猫が誰にも気付かれないように。
 降りた所で、いつも猫が待っている。
 にゃあ、と一声鳴いて、いつも瞳子の後ろを着いてくる。
 そして校門でさようなら。
 リリアンの中庭には別の猫がいることを瞳子は知っている。もしかしたら猫同士のなわばりのようなものがあるのかもしれない。
「瞳子はこれから学校に行って参りますわ」
 にゃあ
「はい。それではまた明日、ですわ」
 にゃあ
 猫と別れて校門へ。
「瞳子さん、貴方、何をしているの?」
 可南子さんが待っていた。
「ごきげんよう、瞳子」
 そして乃梨子さん。
「あのさ、悪いんだけど…。貴方今、何と話してたの?」
 よりによってこの二人。
 誤魔化し切れそうにないこの二人。
 けれども…
 もしかしたら判ってくれるかもしれないこの二人。
「猫、ですわ」
「猫?」
 二人は顔を見合わせる。
 当然だろう。それは瞳子にも判る。
 もしかしたら、二人にも猫が見えるかもしれない、という淡い期待がなかったと言えば嘘になるけれど、それでもやっぱり見えていなかった。
 見えていない方が正常化もしれない。
 あの日、初めて猫と会ったとき、瞳子は猫の後ろの花を見た。
 猫の身体は半分透けていたのだ。
 何故か瞳子は瞬時に悟った。
 猫の幽霊がそこにいる、と。
 
 薔薇の館一階。隅の物置を整理して、ついこの前から一年生専用部屋として活用されている部屋だ。
 この部屋には二年生はおろか、薔薇さますら一年生の許可無しには絶対に入ってはならない、との不文律がある。
 ほとんど乃梨子と可南子の実力行使で決まったのだが、今のところ表だって反抗してきたのは由乃さまのみ。あとは大筋で認めてもらっている。
 そこで、瞳子はこれまでの経過をゆっくりと話した。
 猫霊と知り合ったこと。なぜか毎日校門まで着いてくること。
 特に害意は感じないし、身体の不調も不運もないこと。
 難しい顔の可南子。瞳子をじっと睨みつけている。
「信じられないのはもっともですけれども、瞳子は嘘などついていませんわ」
「嘘だとは言ってないわ」
「じゃあどうしてそんなに睨みつけるんですの?」
「だって、羨ましいじゃない…」
「え?」
「猫ちゃんが毎朝送ってくれるなんて。一緒に登校できるなんて…。猫ちゃん……」
 ブツブツと自分の世界に入り込んでいく可南子を呆気にとられた目で見守る乃梨子と瞳子。
「可南子さん…猫好きだったんだ…」
「可南子さんは、狸が好きだと思ってましたわ…」
「いや、瞳子、それは狸は狸でも狸違いだと思うよ」
 可南子はガバッと瞳子の肩を掴む。
「瞳子さん、どんな猫なんですか?」
「どんなって…」
「幽霊だって事は死んだ猫ちゃんって事じゃありませんか。幽霊になるということは、なにかこの世に未練があるんです。可哀想じゃないですか」
「…それは考えてなかったですわ。ええ、可南子さんの言うとおり、猫ちゃんは何か未練があるのですわ。でも、どうすれば…」
「わかりませんけど、私たちには見えずに瞳子さんにだけ見えると言うことは、瞳子さんなら未練をはらすことができると言うことでは?」
「生きてた頃の猫ちゃんが何をしていたか、どこにいたか判ればなにか判るかもしれない」
 乃梨子のヒントに、二人は興奮する。
「瞳子さん、イラストを描いてください。貴方がみた猫ちゃんの姿を」
「ええ、喜んで描きますわ」
 丸い輪郭。
 丸い目。
 ヒゲ。
 赤い鼻。
 鈴。
「…これは……」
 絶句する瞳子。
「うん、瞳子、これはどう見てもドラ○もんだよ……」
「つい、癖で…」
 とにかく、悪戦苦闘の末、似顔絵(?)は完成した。
 そして驚いたことに、
「ああ、その猫なら知ってる」
 目撃者は身近にいた。
 というか、たくさんいた。
 リリアンのすぐ近くにあるお屋敷で飼われていた猫らしい。そして、その猫は老衰でつい最近死んでしまったらしい。
 老衰、と聞いてホッとする三人。幸せに飼われていたのだろう。
 放課後、瞳子は可南子と乃梨子を引き連れて飼い主宅へ突撃した。
 飼い主は老婦人で、瞳子の話を聞くと涙ぐみながら喜んでいた。
 死ぬ間際の猫は、窓際の温かい座布団の上で、一日中外を見ていたという。
 きっと、登下校中のリリアンの乙女達をみていたのだろう。そして、瞳子のことが気に入ったに違いない。
 もし良ければ、しばらくの間、つきあってあげて欲しい。
 老婦人の頼みを、瞳子は快く引き受けた。
 翌日、瞳子はいつものように猫と登校した。
 ふと、その気になり、猫の前に座り込む。
「猫さんが満足するまで、瞳子は一緒に歩いてあげますわ」
 突然、猫は瞳子に近づくとジャンプした。
「きゃっ」
 猫の前足が瞳子の縦ロールに触れる。
「いきなり何を…」
 言いかけて、絶句する瞳子。
 猫の姿がさらにうっすらとしたものになり、徐々に消えて行くではないか。
「え……。ちょっと…どうして…」
 縦ロールに触れた猫の前足。
「猫さんの心残りって、私の縦ロールに触りたいって言うことでしたの!?」
 にゃあ
 満足そうな鳴き声と共に、猫は消えてしまった。
 
 その翌日、案の定、猫は現れなかった。
 その日の放課後、顛末を聞いて必死で笑いを堪える乃梨子と可南子を放置すると、瞳子は憮然とした表情で薔薇の館を後にした。
「なに、つまらない顔してるのよ」
「あ、お姉さま」
 由乃さんがいる。
「ああ、ちょうどいいわ、瞳子。ちょっと聞きたいことが」
「なんですの?」
「…貴方、幽霊って信じる?」
「…ええ。一応」
「猫の幽霊でも?」
「まさか、見られたんですの?」
「朝、令ちゃんと登校中にね…。令ちゃんは見えなかったみたいだけど…」
「はあ…」
 瞳子の視界に写るもの。それはゆらゆらと揺れるおさげ。
(…猫さん、お姉さまのおさげも触ってみたいんですのね?)
 にゃあ
 どこからか、そう聞こえてきたような気がした。
 
 
 
あとがき
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