二人で歩いていく
由乃、足下に気を付けて。
そう、なんだか暗いから、この辺り。
うん。私たち、二人だけだね。
怖い? 由乃。
私がついてるよ。
当たり前じゃない、私以外の誰が由乃を守るの?
そうだよ。こんなにわがままなお姫様なんて、私以外の人はみんな逃げ出してしまうから。
くすくす。怒った? でも、由乃のわがままな所も、私は好きだよ?
あれ? どうしたの? もしかして由乃、照れているの?
可愛い。ん? そんなに怒らないでよ、私は正直な気持ちを言っているだけなんだから。
そう、不思議だね。私もそう思うよ。いつもはあんまりこんな事言わないけれど、なんだか言わなきゃいけないような気がして。
うん、大好きだよ、由乃。
うん…。足下がよく見えないね。
ねえ令ちゃん、私たちいつの間に二人きりなのかな。
…別に、怖い訳じゃないけれど…。
でも、令ちゃんは私を守ってくれるのよね。
うん、私を守ってくれるのは令ちゃんだけ。令ちゃんだけに、私を守らせてあげるの。
…なによ、ワガママってどういう意味よ。
令ちゃんのバカ。わがままな所が好きなんて、訳わかんないよ。
バカ…。て、照れてないってば。
可愛いなんて、そんなの今さら言われても……
うん、本当は嬉しい。
なんだか、ここにいると、令ちゃんの言うことを素直に聞くことができるみたい。
うん、私も大好きだよ、令ちゃん。
…由乃、こっちに来て。そう。
由乃の身体、温かいね。御免ね、なんだか寒くて、由乃の身体が温かいから、もう少し抱きしめていてもいいかな?
なんだか寒くなってきた……。
なんだろう。身体の中が寒いよ。由乃に触れている所はこんなに温かいのに…。
令ちゃん、温かいね。
私は温かいよ。令ちゃんが守ってくれている限り。南極だって大丈夫。
寒くなんてないよ。寒くなんてない。
…あ、この感じ、どこかで…
そうだ、これって…
…!!
…!!
御免。由乃、ちょっと離れてくれないかな。
ここからは一人で歩きたいんだ。由乃も、一人で歩いた方がいいよ。
駄目。わがままは駄目。そんなこと言っても、私だって一人きりで歩きたいことだってあるもの。
駄目だってば。私は一人で歩きたいの!
いい加減しつこいよ、由乃! 放してっ。私だって一人で歩きたいときがあるんだっ!
いいから、由乃は向こうに行って! 私から離れて!
どうしたの、令ちゃん、突然。
待って。嫌、一人にしないで。
どうして一緒にいちゃいけないの?
令ちゃん、二人で一緒に行こうよ。
…駄目だよ。令ちゃん、一人で行くなんて。
そうか、令ちゃんも気付いたんだね。ここ。
私も、今思い出したんだ。私は、ここに来たことがあるから。
そうだよ。一番最近来たのは、心臓の手術の時。
あの時、私はここを歩いていたんだよ、一人で。今、突然思い出したの。
そう。あの時は一人で寂しかった。とても寂しくて、とても令ちゃんに会いたくなって、気がついたら、術後の病室でお医者さまの顔を見ながらベッドに横たわっていたの。
だからこの道は…。
令ちゃんにも判ったんだね。
私は、令ちゃんと一緒に歩いていけるなら、怖くないよ。
うん。大丈夫。
二人なら、怖くない。
どうして判ってしまったんだろう。
だけど、判ってしまったらもう駄目だ。由乃を連れて行くわけにはいかない。
由乃はここから帰るの。ここから先は私一人でいいから。
二人一緒になんて帰れるわけないよ。多分それは、許されないだろうから。判るよ。判ってしまうんだよ、何故か。
志摩子や祐巳ちゃんが待ってる。瞳子ちゃんだって、由乃のことをきっと待ってるよ。
だから、由乃は帰らなきゃ駄目なんだ。
お父さんも、お母さんも……。
私は……
いいの。二人ともいなくなるよりも、一人だけでも残ればいいの。
私のお父さんもお母さんも、由乃のことは大切にしてくれるから。
…もし由乃が覚えていたら、祥子にだけはサヨナラって伝えて欲しいな。
そして、江利子さまにも……。
嫌。
絶対に嫌。
私、戻らないから。
戻るとしたら、令ちゃんと一緒じゃないと嫌。
当たり前じゃないの。私が一人で戻ったって、令ちゃんのいない世界になんて戻りたくないっ!
それに、一人だけが戻るとすれば、それは令ちゃんだよ。
私はどうせ、手術が失敗していればここに来てたんだから。
…遅いか早いかの違いだけだもの。戻るなら、令ちゃんだよ。
怒るよ、由乃。
そんなことはもう二度と言わないで。
由乃の手術なんて、私は思い出したくない。成功としたと判っていても、もう思い出したくないんだよ。
自分がどうにかなるんじゃないとか思えるくらい心配だった。
あの時、試合がなかったら、私は私を持て余していたと思う。誤魔化しながらでも自分の注意を向けることのできるものがあったから、私は耐えられたんだ。
…ごめんね
…ごめんね
令ちゃん、私、令ちゃんと一緒にいる。これだけは絶対に譲れない。令ちゃんが私のことを本当に嫌いにならない限り、私は絶対に令ちゃんと一緒にいるよ。
令ちゃんと一緒なら、どこにだって行けるよ。
どこまででも、いつまででも。
うん。私だって…本当は……。
…ああ。
私も由乃と一緒にいる。由乃が嫌って言ってもひっついているからね。
みんな判ってくれるよ。私たちはいつも一緒だって。
祥子も、祐巳ちゃんも、志摩子も、瞳子ちゃんも、江利子さまも。
さあ、行こう。
どこまで続いているか判らないけれど、二人でこの道を歩いていこうよ。
…さま
…!
…姉さま
…い!
…お姉さま!
…令!
お姉さま!
令!
…令ちゃん、誰かが呼んでいるような気がしない?
目を開くと、縦ロールが踊っていた。
けたたましい声を上げて泣き叫んでいる妹がいる。
そして、見覚えのある特徴的なおでこ。
「目が覚めたの?」
初めて聞くような、けれどもふわっと優しい柔らかい声。
「令、由乃ちゃん。私が誰だか判る?」
「…江利子さま?」
令が起きあがろうとして看護婦に止められる。
「まだ起きない方がいいって言われているのよ。精密検査の必要があるの。もっとも、煙を吸っただけで怪我の類はないらしいのだけれどね」
「煙?」
瞳子が普段の態度からは似つかわしくない泣き顔で、由乃の手を取っていた。
えぐえぐとしゃくり上げながら、
「覚えてないんですの?」
実際は「おぼべでなびんでずの゛」と聞こえたのだけれど、言いたいことは判る。
「お姉さまと令さまが、映画館で火事に巻き込まれて…」
思い出した。今日は映画を見に行って…
そうだ、火事が起きて…一旦逃げて…
瞳子の姿が見えないからもう一度探しに戻って、その自分を連れに令まで戻って。
そのまま煙に巻き込まれたのだ。
「万が一のことがあったら瞳子は…瞳子は……」
由乃は思わず瞳子を抱きしめていた。
大丈夫だから。
そんなに泣かないで。
「事故に遭うときまで二人一緒なんて、本当に仲がいいのね、貴方達」
怪我人は0。由乃たちのように煙に巻き込まれて意識を失って救助された人はいたが、誰も大事には至らず、人的被害はないに等しかった。
とにかく、今は安静にしているようにとの指示で、瞳子と江利子は病室の外へと出て行った。江利子の告げた所によると、廊下には祥子、祐巳、志摩子、乃梨子、可南子と勢揃いしているらしい。
江利子を含めて全員、瞳子の泣きながらの電話に慌てて駆けつけてきたという。
どうも、煙を吸っただけと判っていた二人の心配よりも、瞳子のパニックを鎮めるのが一苦労だったようだ。
「ねえ、令ちゃん…」
「どうしたの?」
「なにか、映画館の後にどこかにいたような気がするの」
「ふーん」
「あ、気のない返事」
「そんなことないよ。私もそんな気がしているから」
「令ちゃんも?」
「うん。どうしても、それがどこだったのか思い出せないんだけど」
「私も……。でもね、令ちゃんと一緒にいたような気がするの」
「当たり前じゃない」
「え?」
「由乃がいる所なら、私はどこにでも行くから」
由乃は布団をかぶって、赤い頬を誤魔化すことにした。