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聖夜
 
 
 
「遅くなるかもしれないから、先に食べてていいわよ」
 あの人は、今日がなんの日かも忘れている。
「戸締まりと火の始末だけはちゃんとしてね」
 私は判ったと返事をする。あの人に悪気がないのは判っているから。
 節々の行事に無関心なのは私も同じだから、こんな時はあの人の血を引いているのがとてもよくわかる。
 行事なんかはどうでもいいのだけれど、それでも、今日は…。
 駄目だ。忘れよう。これは私が選んだ道だから。
 あの人をこんな日にまで一人でいさせたくない。そう思ったから私はここにいるのだ。
 私は出前のメニューをじっと眺めていた。
 まだお昼ご飯だけど、せめてこれくらいの贅沢は許されてもいいと思う。
 ピザ、お寿司、宅配弁当。どれを見てもクリスマスの文字が躍っている。
 クリスマスの夜、多分、私は一人だろうけど。
 
 
「楽しみよね。一体どんな豪華なパーティなのかしら」
「そんなに期待しない方がいいかもよ、由乃。祥子はごくごく内輪のパーティだって言ってたから。山百合会のメンバーだけだって」
「ふーん。そうなの」
「そう。それに小笠原家の正式なパーティになんか呼ばれたら大変だよ」
 令は持っていた箱を微かに揺らす。
「お手製のクッキーなんて、恥ずかしくて持っていけやしない」
「そう? 私は、令ちゃんのクッキーならどこに出しても恥ずかしくないもの」
「ふふ。ありがとう、由乃」
 
 
「祐巳さまはどうなさるのかしら?」
「祐巳さんは必ず来るわ。だって紅薔薇さまのご招待ですもの」
 志摩子は少しを間を空けて続けた。
「その後どうするかは、また別の問題だけれども」
 沈黙が二人を繋ぎ、乃梨子がそれを破る。
「志摩子さんは、祥子さまの家に行ったことがあるの?」
「ええ。一度だけね」
「やっぱり凄いのかな。小笠原家」
「ええ。乃梨子は別荘には一緒に行ったわよね」
「祥子さまの別荘よね。行ったわ」
「あのくらいの別荘が、ちょうど手頃な狭さだと感じられるらしいわよ」
 乃梨子は夏に訪れた小笠原家の別荘を思い出していた。
 実家の三倍以上はあったと思う。それが手頃な狭さだというのだ。
「…お金持ちだね」
「羨ましいの?」
「ううん。お金持ちにはお金持ちの苦労があると思うし、今のところうちが生活に困っている訳じゃないし…」
(お金があっても、志摩子さんがいない生活なんて嫌だし)
「ありがとう、乃梨子」
「え?」
 乃梨子はそこでようやく、自分が(お金があっても…)を口に出してしまっていたことに気付く。
「あ…」
 
 
「いらっしゃい、祐巳」
 祐巳はうっかり、きょろきょろと回りを見渡してしまう。始めてきたわけではないが、今日はクリスマス用の飾り付けもすっかり終えていて、きらびやかなことこの上ない。
「いらっしゃいませ、祐巳さま」
 祥子と一緒に出てきたのは瞳子。親戚兼幼馴染みということで、先着して準備を手伝っていたようだ。
「そんなに緊張しないで。今日は本当に内輪だけのクリスマスパーティなのだから」
「そうですわ。お呼びしたのは山百合会の皆様だけですもの」
 そこへお手伝いさんが、お客さんの到来を告げる。
 通すように祥子が言うと、程なくして志摩子、乃梨子、由乃、令が姿を見せた。
「これで全員揃ったわね」
「メリークリスマス!」
 大声に全員の目が注目すると、サンタの格好をした男が二人、暖炉の陰から現れた。一人は堂々と楽しそうに大きな袋を担いでいるが、もう一人は引きずられるようにして嫌々歩いている。
 祐巳には、その片方にとても見覚えがあった。
「…何してるの、祐麒」
「こいつに無理矢理…」
 よく見ると、もう一人のサンタは柏木である。
「メリークリスマス、祐巳ちゃん」
「は、はあ…メリークリスマス」
「今日のことを知って、無理矢理押しかけてきたんですわ、優お兄様ったら」
 瞳子が呆れたように言う。
「サンタはプレゼントを配ったらすぐに消えて下さいな」
「厳しいな、瞳子は。それじゃあ僕は、プレゼントを配ったあとはユキチと二人っきりでクリスマスを過ごすさ」
「嫌だーーーー」
「祐麒、ゴメン。私たちのクリスマスのために犠牲になって」
「恨むぞ、祐巳!」
 サンタが消えると、何事も無かったかのようにパーティを開始する一同。
「どうしたの、祐巳。浮かない顔で…」
 祥子が、暗い顔の祐巳に近づく。
「あ、いえ」
「考えていることは判るけれど、断った人を無理矢理に連れてくるわけにも行かないでしょう」
「はい。それはそうですけど…」
「祐巳。はっきりしなさい」
 祐巳は顔を上げた。
「あの、お姉さま、私…私…」
「なに、祐巳?」
 優しく、祥子は尋ねた。
「私…ごめんなさい。私、これで失礼します」
 振り返り、その場を去ろうとする祐巳を止めようともしない祥子。
「お待ちになって!」
 瞳子の凛とした声が響いた。
「祐巳さま、お待ちになって下さい」
「…瞳子ちゃん?」
「これを」
 瞳子は、あらかじめ準備させていたらしい紙袋をお手伝いに持ってこさせる。
「祐巳さまなら、必ずこうなると思ってましたから、ケータリング用に料理を少し詰めさせておきました」
「瞳子ちゃん…」
「こ、これは祐巳さまのためなんです! 決して、あんな大女のためなんかじゃありませんことよ! 勘違いしないで下さいまし。どうして私が可南子さんのためなんかに…」
 祐巳はにっこりと笑った。
「ありがとう。瞳子ちゃん」
 
 
「ごめんなさいね、可南子」
 電話の向こうで母が詫びていた。
 どうしても仕事から抜けられないと言う。それは多分嘘ではない。
 私は、母がいなければ進まない仕事のことを思い、それだけ重要な地位にある母のことを誇りに感じていた。
 寂しいなんて言う気はない。
 でも、もし母が早く帰って来れたとき、クリスマスの夜に独りぼっちにさせるなんて、私にはできなかった。
 母が、父を失ってからどれだけ寂しい思いをしていたか、母は何も言わなくても私は知っている。知っているのは私だけ。
 だから、母を寂しがらせることだけは絶対にできない。
 私が寂しいのは構わない。慣れているから。
「私の家でクリスマスパーティをやるのだけれど…」
 紅薔薇さまの言葉を皆まで聞く前に、私は断りを口に出していた。
 母を一人きりにさせたくはない。そうは言わずに、ただ用事があるとだけ言って。
 乃梨子さんがしつこくつきまとい、結局私は本当のことを言う羽目になったが、誰にも言わないようにと釘を刺しておいた。
 今頃、祐巳さま達は祥子さまの自宅でクリスマスパーティの真っ最中だろう。
 それでいい。私はここにいたいのだし、誰かを私につきあわせることもないのだから。
 チャイムの音がした。
 母? いや、そんなはずはない。
 私の名を呼ぶ声。この声は? どうして?
 ドアを開けると、そこには見知った顔。
 紅薔薇のつぼみ。祐巳さまの顔。
「メリークリスマス!」
 あれ。
 どうして、私は泣いているんだろう。
 そうか。人は嬉しくても泣くんだ…。
 
 メリークリスマス、祐巳さま。
 
 
 
あとがき
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