乃梨子は侵略者?
「人を呪えば穴二つと言いますが、瞳子さんの場合、穴二つは簡単に掘れそうですわね、そのドリルで」
「あーら、可南子さん。私がいくら掘ってもあなたを埋めるのは難しいですわね。いくら私でも、二メートル以上は掘れませんわ」
「わ、私の身長は二メートルもありませんっ」
「瞳子だってドリルなんて持っていませんわっ!」
また始まった…。
祐巳が乃梨子を見る。
乃梨子は仕方ない、と言うように立ち上がり、二人の間に入る。
「ちょっと、二人とも止めなさい。可南子の身長は四捨五入すれば二メートル、瞳子の頭はシルエットだけがドリル。それでいいわね!」
二人の剣呑な視線が乃梨子に向けられる。
「文句はなし。これ以上喧嘩するなら、本気で怒るよ」
乃梨子は一歩も退かない。
「わかりました。それではここは乃梨子さんに免じて…」
「瞳子が悪いんじゃありませんわ。だけど、ここは乃梨子さんのお顔を立てて…」
そそくさと椅子に座る二人。
「前々から不思議に思っていましたの」
「確かに…乃梨子さんの声には不思議な力があります」
山百合会の、いや、この二人を知っている者ならば誰もが目を疑う光景。
私服姿の瞳子と可南子が向かい合ってお茶を飲み、なにやら密談をしているのである。
フリフリのドレスのようなワンピースを着た瞳子と、シンプルかつシックなスタイルで黒ずくめの可南子。衣装だけでも好対照、というより別世界の住人だ。
「そこで、松平家の総力を挙げて二条乃梨子の過去を調査してみました」
「過去…?」
「ご安心下さい。可南子さんの過去を調べるつもりなど毛頭ございませんわ。瞳子は、今現在のあなたに勝ちたいだけですから」
「調べられて困ることはありませんが、一応感謝していると言っておきましょう」
二人は、同時に注文の品に手をやる。
「それで、今日報告を受けることになっていますの」
「ここでですか?」
可南子は辺りを見回した。なんの変哲もない、ただの喫茶店である。
「なるほど、こういうなんでもない場所のほうが却って人目を引かずに済むというわけですね」
「そういうことですわ」
時間を潰すまでもなく、一人の少女が二人の前に姿を見せた。
目印の品を持っていたため、間違いはない。
瞳子が招くと、少女はためらいがちに席に着いた。
少女は、中学時代の乃梨子のクラスメートだと名乗った。
その少女の語った内容は、二人にとっては信じられない内容のものだった。
二条乃梨子がリリアンへ来た理由、それは……
クラスメートを片っ端から食べて、飽きたから。
ちなみに先輩後輩も言うに及ばす、可愛い子は軒並み味見済み。
あり得ない。
それが二人の最初の感想だった。
確かにリリアンにはそんなタイプの子は多い。
男嫌いと言うならば、誰あろう細川可南子はその筆頭であるし、同性愛者というならば、奇しくも乃梨子の姉の姉、かつての白薔薇さま佐藤聖がいる。
だが、聞いた話とそれとはちょっと違う。
聖さまは女子が好きと公言していたし、それは今でも変わらないが、別に辺り一面食い散らかしていたわけではないし、可愛い子と見れば手当たり次第に手を出すわけではない…多分。
しかし、話に聞く中学時代の乃梨子はかなりのやり手だったらしい。
「今の乃梨子さんからは信じられませんわね。第一、二人や三人ならいざ知らず、それだけのお相手を口説くだけでも大変だと思いますが…」
瞳子のもっともな疑問に、少女は答えた。
乃梨子の特殊能力、それは相手を屈服させる声。
乃梨子の声と口調には、屈服せざるを得ない何かがあると。これは屈服した(食われた)女性全てに一致する証言なのだ。
「屈服口調…瞳子さん。それが本当だとすれば、私たちが乃梨子さんにいつも従わされるのも納得がいきます」
「冷静ね、可南子さん…」
「いえ、私なりに信じられない点がありますので、口調の点はまだしも、回りの女の子を食っちゃった、というのは信用できません」
「信じられない点?」
可南子は大きく、わざとらしく溜息をついた。
「まだおわかりになりませんの?」
首を傾げる瞳子。
「祥子さま、令さま、志摩子さま、由乃さま、祐巳さま、自分で言うのもなんですけれど私、そして言いたくはないですけど瞳子さん。今の薔薇の館には、いわゆる平均以上の姿の持ち主が集まっていると思いますが?」
「あ…」
瞳子はうなずいた。
「そうね、誰一人として乃梨子さんに食われた様子はない…」
「今の話が本当だとして、誰にも手を出さずに我慢できる人だとは思えませんから」
少女は、可南子の言う点については自分も不思議だという。
ついては、二人に会わせたい人があるので付いてきて欲しいという。乃梨子の過去を自分よりもよく知っている人がいるというのだ。
「行きましょう、可南子さん。毒食らわば皿まで、と申しますでしょう?」
「毒なんですか、これ」
二人は少女に従って、とあるマンションに着いた。
ここに住んでいる人だと少女は言う。
ある一室の前に立ち、少女はインターホンを鳴らす。
ドアが開く直前、可南子は表札を見た。
「…二条…ええっ?」
後ろから押され、二人は乃梨子の家の中に押しやられる。
「いらっしゃい、可南子、瞳子」
乃梨子がにっこり笑って立っていた。
少女が閉められたドアの向こうから声をかける。
「乃梨子様、私、言われた通りにやりました。ご褒美のご連絡、お待ちしておりますからっ」
可南子と瞳子は乃梨子を睨みつけた。
「あなた、そういう人だったのね…」
「見損ないましたわ、乃梨子さん」
「上級生にストーカーする人とか、クラスメートを探偵使って調査するような人に言われたくない」
乃梨子はシラッと告げると、部屋の中に入る。
「言っておくけど、ウチのドアは特製だから、中からでも鍵がないと開かないようになってるよ。逃げられないからね。それに菫子さんは今日は帰ってこないから。明日までは三人きりよ」
二人は顔を見合わせた。
「瞳子さん…今は一時休戦ですよね」
「ここを無事に脱出するまではそう言うことにしておいた方がいいですわ…」
「なにブツブツ言ってるの」
乃梨子は二人を招き入れると飲み物を出す。
「あの子から話は聞いたと思うから、単刀直入に言うわね」
勝てると思ってたのよね……
そう、乃梨子は語り始めた。
リリアンに来たとき、回りの生徒の質を見て、これはイケる、ここは天国だ、最高の猟場だ、と喜んだのは事実。
でも、それはとても甘かった…。
取りあえず、様子を見るために普通の生徒の振りをしている内に、志摩子さんと仲良くなってしまい、あんな事件が起きた。
仏像好きは本当だし、志摩子さんとの友情も嘘ではない。だから、それはいい。
ところが数週間して、本性を発揮しようと思った所で大変なことに気付いた。
「返り討ちにあったのよ…」
「返り討ち?」
「って…白薔薇さまですか?」
まず言葉で相手を絡め、その後関係を持って、色々な意味で相手の意志をこちらのモノにする。それが常套手段だったのに…。
まず、屈服口調は「蓉子さまに劣る」と言われ、どうして自分の正体に気付いたのかと聞くと「江利子さまが人を陥れようとするときに比べれば…」と鼻で笑われ、挙げ句の果てには最後の手段も「聖さま以下」と白けられ、逆襲される。
「さ、最後の手段って…」
「聖さま直伝と言うことはやはり志摩子さま…」
二人は目の前の乃梨子よりも志摩子の恐ろしさに震え始めた。
「それで、私は完全に志摩子さんの軍門に下ったわけ。まあ後悔はしてないわ。私が甘かったのは事実だし…聖さま直伝の…(略)…は…(略)…だったし」
真っ赤になる可南子と瞳子。
「だけど、それだけじゃ終わらなかったのよ」
「まだ何かあるんですか?」
尋ねる可南子。乃梨子に対する恐怖心は既に消えている。
「悔しいじゃない。だから、志摩子さんは無理でもせめて他の人は…、と思ったのよ」
瞳子は嫌な予感がしていた。まさか…
「まさか、他の四人も全く同じ反応をするとはね…」
予感の的中で、瞳子の縦ロールが逆立つ。
「他の四人って…ゆ、祐巳さまも!?」
「ああ、そうね。祐巳さまと由乃さまは張り切ってたわよ。妹に伝えなきゃいけないからって」
再び震え始めた二人。
「と、瞳子さん…ご存じでしたか? この話」
「ま、まさかこんな話…祥子お姉さまが…祐巳さまが…」
立ち上がる乃梨子。
「そういうわけで、どうせ貴方達、祐巳さまか由乃さまにされてしまうわけだから、ここは久しぶりに私に楽しませてくれないかな?」
「な、何を…」
逃げようとして立ち上がれない二人。
「さっきの飲み物にクスリいれといたから、動けないよ」
「あ、ああ、あの、乃梨子さん?」
「大丈夫、大丈夫、別に私、貴方達を後々までどうこうしようなんて思ってないから、どうせいつかは由乃さまや祐巳さまに奪われちゃうんだし…」
二日後の薔薇の館。
「乃梨子さん。瞳子、お弁当作ってきたんですけど」
「瞳子さんは引っ込んでいてください。乃梨子さん、お茶が入りましたわ」
「可南子さんこそ邪魔ですわ」
「えっと…二人とも気持ちは嬉しいんだけど…」
その三人を横目で見つめる別の三人。
「乃梨子ちゃん、食べちゃったみたいだね」
「うん。どうする、祐巳さん?」
「それは…志摩子さんまかせだよね。どう思う?」
「お仕置きね、うふふ…」
志摩子の笑いは、少々危険だった。