カミナリさまがみてる
お父さんは仕事の打ち合わせで出かけて、そのまま帰れなくなってしまった。
お母さんは、仕事先から帰れなくなったという近所の人に電話頼まれて、共働きの両親の帰りを待っているはずの幼稚園児の面倒を見に行ってしまった。
確かに、ここにいるのは二人とも高校生。台風の夜に置き去りされたからといっても、怖がったりするような年ではない。
「凄い降ってきたなぁ」
祐麒が窓から外を見て言った。
「今度の台風は激しい雷雨を伴うって、天気予報で言ってたよ」
祐巳は、祐麒の横に並んで窓の外を見る。
慌てて顔をそらす祐麒。
「? 祐麒、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
まさか姉のどアップにどぎまぎして顔をそらしたなどと言えるわけもない。
「風呂、入ってくる」
「うん。私も入るからお湯減らさないでよ」
「わかった」
「……」
そういえば夜に二人っきりなんて久しぶりだ。
祐麒は、浴槽の淵を見ながら考えていた。
「私も入るから」
…なんでそんな台詞を思い出すんだよ、俺。
頭を沈めてみる。
連想が連想を呼んで、姉の裸身が頭に浮かぶ。
頭をさらに沈める。
「ぶあっ」
息が苦しくて浮かび上がった。
…何やってんだ、俺。
これではもう二度と、柏木先輩のことをアブノーマルなどと呼ぶことはできない。
実の姉に恋するのと、同性しか愛せないのと、果たしてどっちがよりアブノーマルか?
…一応、祐巳だって女だし
ブクブクブク。再び沈む祐麒。
…だからなんで俺はそんなこと考えてんだっ。
釈然としない気持ちを残したまま風呂を出る。
「祐巳ーっ、お風呂空いたぞ」
ぱたぱたいう足音からわざと逃げて、台所に入る。
冷蔵庫を開けてジュースを取り出し、居間に座ってテレビをつける。
視聴者の相談を受け付ける形式のバラエティだ。
『弟の子供を妊娠してしまって…』
ブフォッ。
ジュースで少しむせながら、慌ててテレビを消す祐麒。
…なんだ、このタイミングは。
落ち着いたはずの妄想が、再び祐麒の脳裏を侵略する。
必死で気を落ち着けようとしていると、
電話が鳴った。
「はい、福沢ですが。ああ、祥子さん、お久しぶりで…」
「お姉さまなのっ!?」
今の声が浴室まで聞こえるか!?
祐麒の驚愕をよそに、バスタオルを身体に巻いただけの姿で浴室から出てくる祐巳。
「祐巳、その格好」
「いいから受話器渡して」
受話器を受け取ると、飛びつくように話し始める祐巳。
「はい、祐巳です、お姉さま。はい、大丈夫です。今夜は弟と二人だけなんですけど。はい。お姉さまは大丈夫ですか? 私は…」
あっけにとられる祐麒だが、バスタオルから伸びる素足と肩に視線が行くのを止められない。
いや、ここで止めてこそ男。
花寺で培った精神力で視線をベリベリと剥がしていたとき、
「あら?」
バスタオルが落ちた。
止めようとして手を伸ばし、手をすり抜けたバスタオルを織って反射的に祐巳は振り向いた。
背後には祐麒。
祐麒に対して正面、バスタオルを落とした祐巳の姿。
「!?!」
…見るな、俺
無理。
…見ちゃ駄目だ、俺
いや、無理だから。
…目を閉じろ、俺っ!
だから無理だってば。
というか、全部見えた。何もかも。
祐巳の叫び声。
「どうしたの、祐巳! 祐巳!」
何が起こったか判らず、電話の向こうでパニックになる祥子。
どうしていいか判らず、とにかく謝ってその場から走って逃げる祐麒。
部屋に入ると、ベッドに倒れ込む。
裸身が目に焼き付いている。
…見てしまった
…完全に見てしまった
興奮しているのが自分でも判る。
が、やはりそれはまずい。相手は姉だ。
空想の中であろうと、それはさすがに駄目だろう。多分。
煩悩を鎮めていると、ドアの外から祐巳の声がした。
「さっきはゴメンね、祐麒。叫んだりして」
「あ、ああ、まあ、あれは仕方ないよ」
「祐麒が悪い訳じゃないのにね。学校に行ったらちゃんとお姉さまに説明しなきゃ。台風で電話線切れたみたいで、不通なの」
「うん。誤解はされたくないな」
「別に見られても、構わないのにね」
「うん…ん?」
えーと、それは、姉弟だからって事だよな。見られても平気って事だよな。他意はないよな、他意は。そうだよな、祐巳。
外ではついに雷が鳴り始めた。
「カミナリだね」
唐突に言う祐巳。
「覚えてる? ちっちゃいとき、二人ともカミナリ怖くて、一緒に布団の中に入って怖がってたの」
そういえばそんなこともあった。確かに覚えている。祐巳が…もしかしたら自分も泣いていたっけ。
「懐かしいね……おやすみ」
遠ざかる足音。祐巳の部屋のドアの音。
何が言いたかったんだろう?
…一緒に布団…
祐巳の言葉にオーバーラップする裸身。
…え?
連想が妄想を、そしてその流れが止まらない。
ノックもせずにドアを開く。
祐巳がこちらを見ていた。
「…やっぱり」
イタズラっぽく笑う姉に、祐麒は小さく息をのんだ。
「来ると思った」
……祐巳…
祐麒はゆっくりと歩く。
「ほら、ここ」
手を広げる祐巳。
…俺は、夢を見てるのか?
これは紛れもない現実。
愛する人が手を広げて自分を招き入れようとしている。
雷の音が響く。
立ち上がる祐巳。
「さあ、祐麒」
祐巳は祐麒の頭を抱えるように抱きしめた。
風呂上がりの甘い香りが祐麒の鼻腔をくすぐる。
「ゆ…」
「祐麒ったら、まだカミナリが怖いんだね」
え?
「お姉ちゃんがいるから、安心していいよ」
えええっ?
「大丈夫だよ。大きくなってもいろんなものが怖いって言う人はいるよ、令さまなんてね…」
えええええええっ? 俺、カミナリ怖いって思われてるっ!?
あまりの衝撃に祐麒の頭が空白となる。おかげで支倉令の逸話は聞き逃した。
…それじゃあ、ついさっきまでの俺の想いって…
勘違い。それもかなり恥ずかしい。というか、バレたら二度と姉に口をきいてもらえなくなるだろう。
急激に笑いがこみ上げてきた。
自分の馬鹿さと、姉の天然さに。
もうこうなっては笑うほかない。
笑いを堪える震えを勘違いする祐巳。
「もお祐麒、そんなに怖がらなくていいんだよ。しょうがないな。朝まで一緒にいてあげるからさ」
それもいいかな、と思う祐麒。さっきまでの想いはどこかに消し飛んでいた。
翌日、慌てて駆けつけた祥子が見たものは、祐巳の部屋で一緒に眠る姉弟だった。
その後祐麒がどんな目にあったかは、また別の話である。