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届かないから
 
 
 
 可南子は走っていた。
 この界隈では珍しい者に遭遇したためである。
 チンピラ。
 普段から人嫌いで裏道を歩く癖のある可南子。可南子を見かけたチンピラが声をかけ、可南子は辛辣に応じた。
 普段ならそこまでの世間知らずでもなく、あしらう術は心得ているはずの可南子だったのだが、今日は機嫌が悪かった。
 瞳子に痛い所を突かれてしまったのだ。
「何を期待しているのかは存じませんが、ストーカーを妹にする人がいると思ってますの?」
 判っている。そんなことは判っている。だからこそ、瞳子にだけはそれを突かれたくはなかった。今、もっとも紅薔薇のつぼみの妹に近いと言われている級友には。
 結果として、チンピラは激怒した。そして近くにいた仲間と可南子に乱暴な行為に及ぼうとした。
 足には自信のある可南子は、脱兎のごとく逃げ出した。
 
 しかし、思った以上に男達の足は速かった。
 可南子は追いつめられ、慌てて路地に入り込んでしまい、無理に逃げようとしたあげく足を挫いてしまう。
 下卑た笑い声を上げながら、男の手が可南子のタイを掴んだ。
 男はそのまま可南子に近づき…通り過ぎてブロック塀に顔から激突する。
「あんたら、この辺のモンじゃないだろ」
 可南子のタイを握った男を背後から蹴り飛ばした少年は、花寺の制服を着ていた。
 二人目のチンピラが振り向いた瞬間に、眼鏡をかけた少年の掌底がその顔に直撃する。
「この辺りの連中なら、リリアンに手を出したらどうなるか知ってるはずだからな」
「うん。ウチの武闘派全員に追いかけ回されて狩られる程度なら、運がいいと思った方がいいね」
 少女のような顔の少年が笑う。
「万が一話が伝わって、天下の小笠原グループに睨まれたら、日本全国どこに行っても日陰者だよ」
「しかも小笠原、柏木、松平…つまり、小笠原の本家と分家二巨頭を敵に回すんだものな。そうなったらさすがに同情するよ、俺は。もう海外逃亡しか残ってないもの」
 眼鏡の少年…小林は訳知り顔にうなずいた。
「この街限定なら、花寺全員に狙われるだけでも相当怖いよね。どこから何が飛んでくるかわからないもの。OBも含めたらそれどころか」
 にっこり笑って過激なことを言うのは有栖川。
「小林、アリス。この二人の顔、デジカメで撮っとけよ」
 二人に命じるのは祐麒。
 祐麒は可南子に近づいた。
「大丈夫ですか。僕は花寺の生徒会…」
 助けた相手の顔に気付くと絶句した。
「あ…貴方…確か…細川可南子?」
 可南子は身構えるように手をあげる。
「誰です、どうして私の名前を」
「そりゃあ…柏木の家の前までついて行ったことがあるから…」
 そこでようやく可南子は気付いた。確かに、言われてみれば目の前の男は祐巳にそっくりで、あと二人の男は以前、他ならぬ自分が尾行したことのある相手だ。
「滅多にないことだけど、リリアンには変なファンも多いから、こういう輩も出てくる」
 男達は、小林に因果を言い含められて去っていく所だった。
「あの男達は警察につきだしてください」
「別にいいけど?」
 小林が去ろうとする二人を引き留めた。二人は先ほどのやりとりによほど怯えているのか、指示通りに動いたり止まったりしている。
「それじゃあ、俺とアリスで警察に行くけど? その人はユキチの姉ちゃんの知り合いなんだろ?」
「うん。頼む」
 その背後で可南子が立ち上がろうとしてよろける。
「危ない」
 祐麒の差し出した手を、しかし可南子は払いのける。
「触らないでっ!」
 無理な姿勢で腕を払ったため、可南子は無様に倒れてしまう。
「大丈夫ですか?」
「触らないでと言っているでしょう!」
 噛みつくような激しい拒否に戸惑う祐麒。
(祐巳に男嫌いとは聞いていたけど、ここまでとは…)
「だけど、一人じゃ立つこともできそうにないけれど?」
「男に触れられるくらいなら、這ってでも一人で帰ります」
 祐麒は大袈裟なこれ見よがしの溜息をつくと、様子を見守っていた小林とアリスに声をかける。
「警察に行くのは一人だけにして、一人はリリアンの誰かを連れてきてくれ。…貴方も、リリアンの誰かに手を借りるのは別に構わないんだろ」
「…ええ」
「リリアンの誰かったって…」当惑する小林に祐麒が言う。
「最悪、ウチに電話して祐巳を呼べばいい」
「祐巳さまは…」可南子が抗議の声を上げた。
「判ってる。会いたくないんだろ。それなら祐巳に頼んで他の人に来てもらえばいいさ」
「ユキチ、僕、令さまと祥子さまの電話番号なら知ってるよ」
 アリスの予想外の発言に、祐麒と小林は顔を見合わせる。
「アリス、いつの間に…」
「まあいいや。細かいことはあとだ、小林。それならアリス……祥子さんは祐巳の姉だから…令さんなら、この前の事情も知っているはずだし…。よし、アリス、令さんに連絡してくれ」
「わかった。じゃあ電話して迎えに行ってくるよ」
 
 待っている間、祐麒は缶コーヒーを二つ買った。
「ほら」
 受け取ろうとしない可南子の横に置く。
「コーヒーが嫌いなの?」
「男が嫌いなの」
「ああ、そう。だったら男がリリアンの制服作っていたら、その服も今すぐ脱ぐんだね」
「…っ! …変質者」
「ストーカーに言われたくないよ」
 可南子の突き刺しそうな視線。祐麒は心底うざそうに、それに対して手を払う。
「…もう、祐巳さまを追いかけるのはやめました…あの方は、私の思っているような方ではなかったから…」
「リリアンってのはそんな奴ばっかりかよ」
 祐麒の語気がやや荒くなる。
「貴方も、松平瞳子とか言うやつも、自分の尺度で人を判断して、祐巳を傷つける。その意味じゃあ、祥子さんだって一緒だよ」
「私は、祐巳さまを傷つけるつもりなんてなかった!」
「ああそうだろうさ。自分で勝手に思いこんで勝手に動いていただけだからな」
 祐麒の言葉の刺は可南子の胸をえぐる。それは自分でも自分に対してぶつけたい言葉だったから。
「もし私が祐巳さまを追いかけることをやめていなかったら、あなたはどうしたの?」
「ぶん殴ってでも止める、貴方が男なら。いや、ぶん殴るだけじゃ済まないかもしれない」
「殴ればいいわ。殴られたからってあなたを訴えたり、誰かに助けを求めたりはしないわ。女だから殴らないと言うのなら、屈辱よ」
 祐麒は一瞬拳を握りしめ、すぐに解いた。
「俺が貴方を殴れば、その理由がなんであろうとも、祐巳は多分俺を許さないだろうから…」
 祐麒の答えに可南子は低く笑う。
「私を殴ること自体は、あなたは何とも思わないのね」
「貴方が祐巳の敵なら、何とも思わない。祐巳の敵だから殴る、それだけのことだから」
 可南子は祐麒を見た。その目が、不思議なものを見るように細められる。
「それ、私と同じ考え方じゃないの?」
 可南子はクックッと噛み殺すように笑う。
「同じじゃない、私と。ただ、血を分けた弟だから許されているだけなのね」
「そうだな…同じかもな」
 投げやりにも聞こえる、しかし妙に真実味のある祐麒の言葉に可南子は顔を上げ、
「あなた、祐巳さまのことが好きなの?」
「……。好きだよ」
「汚らわしい」
 可南子は祐麒の一瞬の沈黙の意味を見逃さなかった。
「あなた、祐巳さまの実の弟でしょう。わかるわよ、今のあなたの顔を見れば。男の一番嫌な顔よ。醜い、浅ましい顔、実の弟のあなたが、実の姉を……。なんて汚らわしい」
「だったら女同士はどうなんだよっ!!」
 可南子の低い声を、祐麒の絶叫が遮断した。
 祐麒の言葉の意味を可南子が咀嚼するまで数秒。その間は、可南子を沈黙させるには充分だった。
「…言い過ぎだ。ごめん」
 頭を下げる祐麒。
 祐麒は、可南子の反対側に崩れるように座る。
「知っているんだろ? 祐巳の心の中に誰がいるか…」
「ええ…」
「祐巳の心の中からは、祥子さんが消えることは絶対にないんだろうと思う」
「判っています、そんなこと」
「じゃあ、せめて妹になるんだな。それくらいしかないだろう? 少なくとも、祥子さんが学校にいる間は」
「私が祐巳さまの妹に?」
 明らかな自嘲で、可南子は笑う。
「私が、松平瞳子に勝っている部分などありません…そう、この身長くらいかしら…」
 手の中に顔を埋める可南子。
 泣いているのか、と一瞬祐麒は錯覚したが、可南子の声ははっきりとしていた。
「可愛げもない、無愛想なひょろ長い女…。それが私ですから」
「俺は、祐巳の弟だ」
 祐麒はボソッという。
「俺は、何もしなくてもこのまま一生祐巳の弟だ」
 ゆっくりと、可南子は顔を上げた。祐麒に不審の表情を向ける。
「なあ、俺はなんの苦労も無しに、祐巳の弟でいられるんだ。同じ屋根の下で暮らして、たまには手料理も食べられて…」
 可南子は、不意に微笑った。
「それは、悔しいですね」
「だったら、貴方は妹になれよ」
「あなたと私、どちらが祐巳さまの心から祥子さんを追い出せるか?」
「勝てるかどうか、判らないけどな。祥子さんどころか、貴方相手だって」
 可南子は横に置いたままになっていた缶コーヒーを掴み、プルトップをあけた。
「私がいただきます」
 一気に飲み干す。
 
 
 夜遅く帰ってきた祐麒が、食事を終えて部屋に戻ろうとすると、祐巳がちょうどお風呂に入るために階下へ降りてくる所だった。
「あ、祐麒、ちょっと聞きたいんだけど…」
「なに?」
「私より、頭一つ分高い妹って、変かな?」
 絶句する祐麒。
「なに、変な顔して。そんなに変な質問だった?」
「あ、いや…。うん………。うん。いいと思う。祐巳には似合ってると思うよ」
 祐麒は、缶コーヒーを飲み干した少女の顔を思い出す。
 その顔は、何故か好ましく思えた。
 
 
 
あとがき
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