SS置き場トップに戻る
 
 
 
二人の夜
 
 
 
 事の発端は非常に単純なものだった。
「汚いっ!」
 思わず、由乃はそう叫んでしまっていた。
 まあ、仕方がないと思う。いくら相手が令ちゃんでも、汚いものは汚いと思う。由乃はその辺、正直だ。
 互いの両親が出かけていて、久しぶりの二人きりの夜、令お手製の美味しい夕食。
 たまたまつけていたテレビの内容が何かツボに入ったらしく、口の中にものが入っているにもかかわらず大笑いしてむせてしまった令。
 飛んだご飯粒が手にかかり、思わず由乃が言ったのが冒頭の言葉。
「ごめん、由乃。だけど、汚いはあんまりだよ」
「汚いものは汚いの。ご飯食べながらテレビ見て爆笑するなんて、黄薔薇さまの名前が泣くわ。令ちゃん、なんだかおっさん臭いわよ」
「おっさんはないんじゃない? それじゃあ、由乃は文句ばっかり言ってるから、おばちゃん臭いんだ」
「おっさんよりおばちゃんのほうがマシだもん」
 令は答えず、辺りを沈黙が支配した。
 …言い過ぎたかな? でも、私っていつもこんなものだよね?
 当惑する由乃に、令はほくそ笑みながら何事もなかったかのように話を続ける。
「私は逆の立場だったら、汚いなんて言わないよ」
「え?」
 一瞬、どきっとする由乃。今の言葉、というより今の言葉を口にしたときの令の表情が何か妖しい。
 由乃でも滅多に見たことのないこの表情。そしてこの表情をしたときの令は……。
 由乃は体温が上がった(ような気がした)。
「あの、令ちゃん?」
 そうだ。この表情を初めて見たのは由乃がリリアンに入学した日の夜。
 両家揃ってのお祝いの後、由乃の部屋に二人でいたとき。
 リリアンの制服を着た姿を令にじっくりと見せていたとき。
 二人のファーストキスの思い出の夜。
 二度目は、その翌月のゴールデンウィーク。由乃の両親が出かけ、一人じゃ怖いと言って令に泊まってもらった夜。大きくなってから始めて、一つのベッドで眠った夜。
 そう、この表情は、令が由乃を口説こうとするときにだけ見せる顔。滅多に見せない顔、この表情にだけは由乃も逆らえない。
「私は由乃の飛ばしたものだったら汚いなんて思わないよ」
 熱っぽく、知らない人が見たら本当に熱でも出しているんじゃないかと勘違いしそうに上気した顔。
 潤んだ瞳が少しずつ近づいてくる。。
「駄目っ!」
 思わず、両手を庇うようにあげる由乃。
「何が駄目なの?」
 からかうような言葉を投げかける令。
「ねえ、由乃。何が駄目なの?」
「まだ…ご飯の途中じゃない。ちゃんと食べなきゃ」 
 クスッと令は笑う。由乃の心の中を見透かしたような笑い。
 由乃は、慌ててご飯をかきこんだ。
 食べながら、ちらちらと令のほうに目が行く。いつ見ても、令と目が合う。まるで、令がいつでも自分のほうを見ているように錯覚にとらわれる。
 いつもならば美味しい…だけど今日は全く味がしなくなったご飯を食べ終える。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さま」
 食器を片づけ始める令の横で、手伝う由乃。
「由乃、お風呂はどうする?」
「え?」
「両方の家のを湧かすなんて無駄だから、どっちかに入ればいいよね」
「うん。それじゃあ…」
 由乃の家のお風呂にはシャワーがあるが普通のお風呂。令の家のお風呂にはシャワーがないが檜風呂。
 令は良く由乃の家にシャワーを借りに来るが、その逆は滅多にない。
「せっかくだから、令ちゃんのほうに入ろうかな?」
「うん。わかった、それじゃあ由乃…」
 令がまた、妖しくほくそ笑む。
「一緒に入る?」
 皿を落としそうになり、慌てて掴み直す由乃。
「と、突然何言い出すのよ!」
「冗談だよ、冗談。そんなに慌てなくてもいいじゃない。昔は良く一緒に入っていたんだし」
「む、昔って、小学校の時の話じゃない」
「そうだっけ?」
 クスクスと笑う令。由乃は令のペースにのせられて、耳まで真っ赤になっている。
「もおっ。今夜の令ちゃん、少し変だよ?」
 拗ねたように言う由乃に、令はクスクス笑いを止めずに答える。
「だって、由乃と二人きりの夜なんて久しぶりじゃない。私だって、少しは羽目を外したくなるわよ」
「んー…」
 何となく釈然としない、でも令の言葉が嬉しくて複雑な心境。
「令ちゃんの言うことは嬉しいけど…」
 そう言いかけて絶句した由乃は、目の前に迫った令の顔に驚いていた。
「令ちゃんっ?」
「こうやって、羽目を外してみたくなるの」
 おでこにキス。
「令…」
 由乃は耳までどころか、首から上全部を真っ赤にして息をのむ。
「真っ赤になって可愛いね」
 由乃の頭を抱え、令は耳元で囁く。
「こんなこと、学校でするわけにはいかないし、家でだって、お父さん達の目があるもの」
 くらくらする由乃。
「本当は、いつだって由乃にこんなことしたいんだよ」
 令の囁きと体温、抱きしめられた肌触り。全てが由乃の意識を薄れさせていく。
「令ちゃん…」
 
 
 暖かい布団にくるまった姿で、由乃は目を覚ました。
 令が、心配そうな顔でのぞき込んでいる。
「目が覚めたの? 由乃」
 こくん、とうなずく。
「ごめん。私、調子に乗ってたよ。まさか気絶するなんて思わなかったから…」
「うん。大丈夫だよ。心配させてゴメンね。私、嬉しすぎて気絶したみたい」
「何か欲しいものある? そうだ、何か飲む? 牛乳とか、オレンジジュースとか」
 答を聞かず、令は立ち上がる。
「令ちゃん。オレンジがいい。それから…」
「なに?」
「さっきはゴメンね。令ちゃんが汚いなんて本当は思ってないよ」
「うん。判ってるよ、由乃」
 部屋を出る令。その時、ようやく由乃は自分の寝かされているのが令の部屋だと言うことに気付いた。
 そして、額に当てられているのはひよこのタオル。
 由乃はもう一度、安心して目を閉じたのだった。
 
 
 
 
あとがき
SS置き場トップに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送