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黄薔薇嵐
 
 
1「胸一杯の曇り空」
 
 
 紅薔薇のつぼみ、細川可南子。
 黄薔薇のつぼみ、松平瞳子。
 白薔薇のつぼみ、二条乃梨子。
 薔薇の館は、新しい薔薇さま達とつぼみたちを迎えて充実していた。
 でも、本当にそう思っているのは周りで見ている生徒たちだけ。
 いや、当人たちも、自分たちはうまくいっていると信じていたのだけれども。
 そう、最初の内だけは…。
 そして周りも気づき始めている。
 
 
 ふう。
 溜息が出てしまった。
 なんとなく気が重い。
 いつもなら昨日くらいには、令ちゃんと気晴らしにどこかへ出かけていたのだと思うと、余計に気が滅入ってくる。
 令ちゃんは、大学でも剣道を続けていて、先輩に稽古をつけてもらうと言って朝から出かけてしまったのだ。
 それでなくても、最近令ちゃんは私を避けてる。ちゃんとした理由があってのことだから、私もそれを無視するわけにはいかない。
 でも、
「由乃。ケジメはちゃんとつけなきゃいけない。私は卒業生だし、由乃は黄薔薇さまとしてやらなきゃならないことがいっぱいある。でもそれだけじゃない。私が卒業しても由乃が大丈夫なのかどうか、きちんと見せて欲しいんだ。これは由乃の従姉妹としてじゃなくて、先代の黄薔薇さまから新しい黄薔薇さまへのお願いだと思って」
 そんな言葉に従って、最近ずっと令ちゃんと会わずに我慢している私も素直だと思う。
 はあ。
 また溜息。
 瞳子のことも気になる。
 私のスールになったのだけれども、未だに祐巳にべったりでいることが多い。まあ、私と祐巳も一緒にいることが多いから、結果的に私の近くにはいるんだけれども。
 私も祐巳が好き。
 瞳子も祐巳が好き。
 それはいい。悪い事じゃないし、そばにいてなおかつ祐巳を嫌いになるのは難しいと思う。
 でも、瞳子にロザリオを渡したのは私、島津由乃であって福沢祐巳ではない。それを瞳子はちゃんと判っているのだろうか、と思ってしまうことも多々あるのだ。
 瞳子のことだから、悪気はないのだと思う。
 ついうっかり暴走してしまうと所は私と似ている。やっぱり瞳子と私は“キャラが被っている”のだ。
 
 
 私と祐巳、可南子ちゃん、瞳子。私と祐巳のクラスが一緒なため、どうしてもこの四人で揃って薔薇の館へ行くことが多くなる。
 その日も、四人で揃って薔薇の館へ向かっていた。
 祐巳と私が話していて、可南子ちゃんはいつものように祐巳の後ろに従うように歩いている。
 瞳子が、歩きながら可南子ちゃんの隣に着いた。私とは反対側。
「ごめん、私トイレ。祐巳、先に行ってて」
「うん。先に行ってるけど、私と可南子はミルクホールに寄っていくから」
 その時は、そのまま祐巳について行く瞳子を見て少しカチンと来たが、残れと言わなかったのは私だ。
 用を足していると、人の声が聞こえた。
 後からトイレに人が入ってくるなど珍しいことではないが、その声が自分の名前を出しているとなると話は別。
 私は息を潜めていた。
「白薔薇さまは素敵ですわね。それに紅薔薇さまもとても可憐で」
 ああ、この類の噂は聞き飽きている。
「でも黄薔薇さまは可哀想」
 可哀想? 私が?
「黄薔薇のつぼみは、去年はずっと紅薔薇のつぼみになろうとしていたという噂はご存じ?」
「ええ。紅薔薇のつぼみの座を可南子さまに奪われて、仕方なく黄薔薇のつぼみになったと聞いていますわ」
 言ってた?
 瞳子が?
 いや、違うよ。それは瞳子の照れ隠しなんだから。
 それに、単なる噂だ。私たちは生徒の注目の的。中には心ない噂の一つや二つある。
「それでも、少しでも紅薔薇さまに近づきたくて、黄薔薇のつぼみになられたのでしょう? 健気な御方ですわ」
「黄薔薇さまはご存じなのかしら。つぼみのお気持ちを」
「さあ。でも、瞳子さまは演劇部のトップスターですもの。その気になれば黄薔薇さまを騙すくらいは…」
 笑い声が響く。ひどいよ、言い過ぎ。そんな言葉も笑い声に混じって聞こえる。
 そうだね。言い過ぎだよ、あなた達。
「あまり大声で騒ぐものではないわ」
 そう言って出て行けたら……。
 でも私は、彼女たちが立ち去るのをただ待っていた。息を潜め、彼女たちに見つからないように。
 
 瞳子と可南子ちゃんが祐巳の妹になろうとしていたことは、山百合会のメンバーに注目している人なら誰もが知っているだろう。
 私は、ミルクホールに向かった。
 ゆっくり歩いていたのだろうか、三人の後ろ姿が見える。
 いつものように楽しげに弾むツインテール、去年よりも堂々として見える黒のワンレングス、はしゃぐように揺れる縦ロール。
 声をかけようとしたとき、別の声が聞こえる。
「ごきげんよう、紅薔薇さま、紅薔薇のつぼみ…」
 ツインテール、ワンレングス、そして縦ロールが横に揺れた。
 …どうして、瞳子が振り向くの?
 遅れて、「黄薔薇のつぼみ」と声がかかる。
「ごきげんよう」
 三人いる所で呼ばれれば、自分の名前でなくても振り向いておかしくない。
 声をかけた一年生は、「黄薔薇さま」の称号が言いづらくてワンテンポ遅れただけかもしれない。
「祐巳さん、まるで妹が二人いるみたいね」
「つぼみ同士の仲がよいと、山百合会も安泰ね」
 祐巳のクラスメートも声をかけている。
 つぼみ同士の仲?
 瞳子…あなた、可南子ちゃんとは仲が悪かったのよね…。
 そうだった。去年も同じ。
 松平瞳子と細川可南子の仲がそれなりにまとまるのは、福沢祐巳が間に入ったときだけだった。なぜなら、二人とも祐巳が大好きだったから。
 私は声をかけることができなくなっていた。
 何故か、私の足は反対を向いていた。
 薔薇の館とは反対の方向へ。
 
 私はその日、薔薇の館へ行くことができなかった。
 
 
 翌日も、部活に出たせいで薔薇の館へ行くのが遅れた。
 それでも昨日黙って帰ったのだから、二日連続はさすがにマズイと思っている。
 ビスケット扉を開けた。
 いつものように、志摩子と乃梨子ちゃんは並んで座っている。
 そして、祐巳と可南子ちゃん、そこには瞳子もいる。
「ごきげんよう」
 私は声をかけた。瞳子がすぐにやってくる。
 私は思わず微笑んだ。
 やっぱりこの子が一番最初に駆け寄ってくれる。
 黄薔薇の妹の座が余ったから、私の妹になったんじゃないんだよね、瞳子。
「紅薔薇さまからです」
 瞳子が手を出した。紅薔薇さま? 祐巳がどうかしたの?
「余り物ですけど、どうぞ」
 一瞬、視界が狭くなった。
「お姉さま?」
 余り物? 紅薔薇さまから?
「あの…お姉さま?」
 祐巳が私の様子に気付いて立ち上がった。
「あれ、余り物は嫌だったのかな…」
 可南子ちゃんがその横に立つ。
「お姉さまの自宅での余り物だそうです、黄薔薇さま。よろしければ召し上がってください。私たちはもうお先に頂いてしまいましたから」
 視界が少し広がった。
 お饅頭。瞳子の手には、紙にのったお饅頭。
 余ったお饅頭か…。
 馬鹿だな、私は。
 
「瞳子」
「なんですか、お姉さま?」
「次の日曜日、デートしない?」
 志摩子と祐巳がこっちを向いた。
 瞳子は何かを思い出すように顔をしかめている。
「ごめんなさい、お姉さま、その日はお母様に用事を言いつかっているんです」
「ああ、そうなの」
「もし、どうしてもとおっしゃるなら、お母様に話を…」
「いいよ、急に言い出したのは私だし」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいって」
「次の機会は…」
「もういいってば!」
 私は叫んでいた。
 あ、失敗だ。瞳子に怒る所じゃない。
「ごめん…瞳子」
「いいんです」
 嫌な沈黙。みんなが私を見ている。
 祐巳が私に向かっていた。
「由乃、今のは」
「祐巳には関係ない事よ」
 咄嗟に祐巳の言葉を封じてしまう。今は、仲裁なんてして欲しくない。
 瞳子がまた、祐巳に近づいてしまうような気がして。
 そうか、私は、こんな人間だったんだ。
「ごめんなさい。部活で疲れちゃったみたい。先に帰るね」
 私は誰の顔も見ずに、薔薇の館から出た。
 
 
 熱が出て、次の日は学校を休んだ。
 久しぶりに令ちゃんが来て、ひよこのタオルで冷やしてくれる。
「由乃、何かあったの?」
「なんでもない」
「本当に? 祐巳ちゃんや志摩子、瞳子ちゃんからも電話があったから、いつものことだから心配ないって言っておいたけど…」
 問いつめられれば、私は泣いてしまうような気がした。
 だから、こちらから問い返す。
「令ちゃんは、江利子さまのことが好き?」
 どうして、という顔になる令ちゃん。令ちゃんの表情ならすぐに判るんだ。
「うん。好きだよ」
「どうして、江利子さまの妹になったの? 黄薔薇のつぼみの妹になりたかったから?」
「いや…」
 令ちゃんはとても懐かしそうな顔になる。令ちゃん、本当に江利子さまのことが好きなんだ…。
「最初はただ、黄薔薇のつぼみに選ばれるなんて光栄だと思った。けれど、江利子さまの妹になってすぐに気付いたの。私は、黄薔薇のつぼみであろうとなんであろうと関係ない、鳥居江利子さまのスールであり続けたいんだって」
「令ちゃん…」
「ん?」
「私も、支倉令のスールでいることができて、とても嬉しかったんだよ」
「同じだよ、由乃。私も島津由乃のスールでいれて嬉しかったんだから」
 駄目だ。やっぱり涙が出てくる。令ちゃんに心配させちゃいけないのに。今は私が、黄薔薇さまなのに。
「瞳子ちゃんのこと?」
 私は首を振った。
「由乃、私はいつでも由乃の味方だし、今の由乃には志摩子や祐巳ちゃんがついてるんだよ」
 私はあの二人にはなれない。でも令ちゃんは違う。令ちゃんは祥子さまと並び立つことができた。
 私は……。
「ゆっくり休むといいよ。そうだ、後で特製スープ作ってくるよ」
「うん」
 それよりここにいて欲しい。令ちゃんにそばにいて欲しい。
 でもそれは駄目。令ちゃんはもう卒業生だから。私は、一人で立たなければならないから。
 
 
 日曜日。
 私は祐巳の家に向かっていた。
 土曜日は一日中寝ていて、体を動かしたくなったのと、これまでのことをちゃんと話さなければならないと思ったから。
 電話もかけずに来たけれども、祐巳が家にいないならそれはそれで構わない。だったら、そのまま志摩子の家に行く。
 私は少し、ハイ気味になっていた。もしかすると、令ちゃんの特製スープのせいかもしれない。とても美味しかったし、元気になったような気もする。さすが令ちゃん。
 
 しかし、その気持ちもすぐに消えた。
 祐巳の家の前に、見覚えのある黒い車が止まっている。
 嫌な予感がして、私は角に姿を隠した。
 玄関から祐巳と可南子ちゃんが姿を見せる。
 そうか、それじゃあこの車は祥子さまの家の…。
 でも。
 車の窓から見えるのは瞳子。
 この車は、小笠原家ではなく松平家のもの。
 瞳子は私との今日のデートを断っている。
 “お母様の用事で”
 そう。そうなんだね、瞳子。
 勘違いじゃなかったんだ。
 私が馬鹿だったんだね。
 そして…
 
 …知っていたんだね、祐巳。
 
 
−続−
 
 
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