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惑いの白 癒しの紅
 
 
 
1「深夜の訪問者」
 
 
「どうなさったんです?」
 可南子の当惑しきった様子に、乃梨子は自嘲気味に笑った。
「ゴメンね、急に…こんな時間に押しかけてきて…」
 ここは可南子の家の玄関。時間は日付の変わる少し前。
「電話くらい下されば良かったのに」
「ゴメン、本当にゴメン…でも、私…他に行く所が無くて…ここしか思いつかなくて…ごめん、迷惑だったね。ゴメンね」
 振り返ろうとした乃梨子の肩を掴む可南子。
「とりあえず入ってください。そこでじっとされているのも迷惑ですが、このまま帰られるのも、何かあったときに後味が悪いです」
 可南子はそれ以上何も言わずに乃梨子の手を引いた。
 自分の部屋に、乃梨子を導く。
「この部屋に、リリアンの人間を入れるのは初めてです」
 言外に“祐巳さますら、まだだったのに”と言っている。
「ゴメンね、可南子さん」
「さっきから謝ってばかりですね。この時間に突然人の家にやってきたことなら、一度謝れば充分です。遅く尋ねてきたことが悪いと思っているのなら、さっさと用件を話してくれません?」
「ごめん」
 乃梨子はまた、そう言っていた。
「また、謝っていますね。謝るという行為は、自己満足に過ぎません。本当に謝意を示したいのなら、具体的な行動を示していただけませんか?」
 似てるな、と乃梨子は思った。
 薔薇の館で祥子さまと口げんかしたとき、仲裁しようとした志摩子さんに対して言い放った祥子さまの言葉。
 今の可南子はその時の祥子さまそっくりだ。
「何も聞かないで…一晩泊めてくれないかな」
「連休の一日目ですし、明日は学校もおやすみですわね…。構いませんけど、母は出張で出ていますから、なんのおもてなしもできませんよ?」
「うん…」
「見たところ、荷物は何もないみたいですけれど、パジャマとか着替えもないんですか?」
 乃梨子は、ようやく自分の姿に気付いたかのように両手を交互に見つめる。
「…あ」
 溜息をつく可南子。肩をすくめ、呆れた口調を隠そうともせずに言う。
「パジャマやトレーナーくらいは貸してもいいですけれど、多分サイズは合いませんよ?」
「うん。ありがとう。それは構わないから」
 可南子はタオルを差し出す。
「え?」
 当惑する乃梨子。
「何? これ」
 可南子は押しつけるようにタオルを手渡す。
「気付いていないんですか?」
 眉をひそめ、続ける。
「乃梨子さん、早く涙を拭いて」
 ようやく乃梨子は、自分が泣いていることに気付いたのだった。
 
 お風呂を使うと、ようやく乃梨子は落ち着いたようだった。
「何か飲む?」
 ダイニングキッチンのテーブルに座り、可南子が尋ねた。
「薔薇の館にあるものならだいたいあるわ。あとは冷蔵庫にあるものを適当に」
「…ありがとう」
 可南子の反対側に座る乃梨子。
 結局、二人とも紅茶を選ぶ。風呂上がりには不適当な気もするけれど、長話をするためにはいい選択。
「礼はいいわ。それより理由が聞きたいのだけど。二つの理由が」
「二つ?」
「一つはここに来た理由。もう一つは…」
 可南子は自分の飲んでいたカップを置く。
「何故瞳子さんの所ではなく、ここに来たんですか? 乃梨子さんは、私よりも瞳子さんと親しいと思っていましたが。それに、瞳子さんの家のほうがもてなしは豪華だと思います」
「別に、遊びに来たわけじゃないし…」
 乃梨子は可南子の顔を見上げた。
「それに…瞳子はリリアンの出身だから…」
「私たちは、外様仲間ですか?」
 可南子の口調が、やや面白がっているものに変わる。
「リリアンの外からではないと、判らない世界がある?」
 乃梨子はその問にうなずく。
「リリアンが外からどう見えているか。瞳子には判らないだろうから」
「リリアン…というよりスール制度のことですね」
「ええ」
「白薔薇さまと何かあったの?」
 乃梨子は一瞬言いよどむが、思い直したように口を開いた。
「例え話…いいかな?」
「どうぞ」
「もし、可南子が、祐巳さまに求められたらどうする?」
「身体を…ですか?」
 あくまでも冷静な可南子の口調に乃梨子は救われていた。ここで可南子が動揺しては、話が続かない。
 少し、可南子は考えた。
「もし、お姉さまがそれなりの雰囲気をまとっていらしたなら、私は拒めない…いえ、拒まないかもしれません」
 言いながら、やや苦笑する。
「ですが、あり得ませんわ。お姉さまに限って」
 その言葉の裏の意味を、乃梨子は聞き逃さない。
「他の人なら、あり得るの?」
「あるでしょうね」
 キッパリと可南子は言った。
「噂なら、いくらでも聞くことができますし。噂レベルではない、信用できる話として聞いたこともあります。なにより、乃梨子さんは知ってるのでしょう? 先代の白薔薇さまの話は」
「質問を変えるわ」
「どうぞ」
「もし、可南子が祐巳さまに求められたらどうする?」
「それでは先ほどと…」
 その言葉を乃梨子は遮って続ける。
「そして、祥子さまと祐巳さまの間に関係があったことを貴方が知っているとしたら?」
 無言。可南子は何も答えない。
 ややあって、
「ああ…。そういうことだったんですか」
「例え話よ、これは」
「白薔薇さまは、先代の白薔薇さまとそのような関係だったと…」
「例え話だっていったでしょうっ!」
「では私も例え話を」
 可南子はカップを取り上げた。
「貴方の好きな人同士が結婚しました。貴方はどうします?」
「え…?」
「二人とも、貴方が大好きな人。でも、決して結ばれてはいけない相手。男とは血が繋がっていて、女にはその手の趣味はない。だけど、貴方は二人が大好き」
「それって…」
「例え話ですよ、これは」
 カップの残りを飲み干すと言葉を続ける。
「ですから、例え話になんてなんの意味もありません。例え話である限り、どんなシチュエーションでも作り上げることができますから」
「じゃあ今のは、ただの例え話なの?」
「違います。といったところで、それが正しいのかどうかなんて、乃梨子さんには判らないことでしょう?」
「それはそうだけど…」
「例え話では、何も判りません。それを知った上での戯れ言でなら、お付き合いいたしますわよ?」
「戯れ言ね…」
 大きく伸びをするように、乃梨子はテーブルに突っ伏した。
 その手に握ったままのカップに、紅茶のお代わりを注ぐ可南子。
 乃梨子は可南子の行為に慌てるけれど、注がれている間はその体勢から動けない。
「乃梨子さん、そのまま」
 可南子は妙な笑い方をすると、小さな瓶を取り出し、中身を数滴紅茶の中に垂らした。
「なに?」
「ブランデーを少し」
「え?」
「お母さんは、お酒だけは欠かしたことがないんです」
「いいの?」
「未成年が、と言う意味ならノーコメントですけれど、母のブランデー、と言う意味なら娘の私が許します」
 可南子はそう言いながら自分の紅茶の中にもブランデーを入れる。その量を見て、乃梨子の眉がひそめられる。
「そんなに入れて大丈夫?」
「慣れてますから」
 一口のみ、微かに顔をしかめる可南子。
(入れすぎたな) 
 乃梨子はそう思ったが口には出さない。案の定、可南子はそのまま飲み続けている。間違えたことを認めたくないのだろう。
 多分、「可愛くない」と言われるタイプだ、可南子は。そして自分も。その辺が、瞳子と自分たち二人の違いだと思っている。
 リリアン生え抜きと高校入学組の違いなのか、それとも瞳子と自分たち二人の人間性の違いなのか。少なくとも、今の山百合会には「可愛くない」と称されるようなタイプはいないな、と乃梨子は考える。
 考えていると、紅茶の量が増えた。
「可南子?」
 可南子がブランデーを足している。
「明日は学校もおやすみですから」
「ちょ…、そういう問題じゃなくて」
「飲まないと泊めません」
「…可南子、酔ってるんじゃない?」
「まさか。私は酔ってません」
「酔ってるわよ」
「お酒を飲んでいないのに、どうして酔うわけがあるんですか?」
「ブランデーは?」
「これは紅茶の味付け用です。料理酒みたいなものですよ?」
「料理酒だって立派なアルコールよ」
「……」
 紅茶を飲み干す可南子。
「可南子、飲み過ぎ!」
 止めようと手を伸ばす乃梨子の手を可南子は掴み返した。
「乃梨子さんは、白薔薇さまに迫られて、それを拒絶したんですか」
 前置きもなく、可南子は核心をついた問を発した。
「酔っぱらいにそんなこと、言われたくないけれど?」
 精一杯、可南子を睨みつける乃梨子。
「違う、とか、嘘だ、とは言わないんですね」
「……違うわ、可南子の思っているようなことはなかった…」
「何を今さら…」
 可南子は紅茶のカップを置いた。酔ったためか興奮しているのか、頬が赤い。
「乃梨子さん、何故拒んだのです? 乃梨子さんは、志摩子さまのことが好きだと思っていましたけど」
「好きだよっ!」
 思わず叫んでしまった乃梨子に、可南子の目が丸く開かれる。
 真正面から乃梨子の愛の告白を聞いてしまったことになり、可南子は少し慌てていた。
(私に言っているわけじゃないわ)
 そう理性は言っているが、鼓動が少し早くなっているのもまた事実。
「好きに決まってるじゃないっ!」
「…そんな正面から言わないでください」
 可南子はクスリと笑って見せた。
「勘違いしそうになりますわ」
 やや頬の赤らみが増したように、乃梨子には思えた。
 やや潤んだ可南子の瞳から視線を外して、乃梨子は言う。
「私たちは、二人とも中学校は普通の学校だったでしょ…だから、リリアンの風習に浸っていた訳じゃないわ…。そんな人間が、女の人を好きになったら…普通悩むわよ」
「うふふ…悩む必要があります?」
 可南子は乃梨子の手を取った。
「好きになったら、好きだと言えばいいじゃないですか」
「可南子…貴方酔ってるでしょう」
「さっきから同じ事ばかり。その酔っている人間に相談を持ちかけているのは誰ですか?」
「それは…」
「最初から相談なんかしていないでしょう、乃梨子さんは」
 可南子は笑っていた。
「自分の中で決まっている結論を支持して欲しいだけじゃないですか」
 図星だった。可南子の言葉は乃梨子のやりたいことを的確に当てていた。
「でもその結論を乃梨子さんは自分から言おうとしない」
「私は…」
「いいですよ、言わなくても」
 これで何度目か、可南子は乃梨子の言葉を遮る。
「想像はつきますもの」
 手を取られていた乃梨子は、可南子の手を握り返す。
 ゆっくりと、二人は顔を近づけた。
 
 
 震動に気づき、可南子は携帯を手に取る。
「お姉さまからメールですわ。用件の見当はつきますけど」
「祐巳さまから? メール?」
「こんな時間ですもの。メールで相手が起きてるかどうかを確認した方がよいでしょう? 起きていれば応対できるし、寝ていれば応答しないので向こうにも判ります」
「あ、そうか…」
 可南子は携帯を置くと、電話をかけ始めた。
「はい。可南子です。なんでしょうか? お姉さま。……はい。乃梨子さんはうちにいます。はい、判りました。いえ、今はまだ…。はい、白薔薇さまには心配なされないようにとお伝え下さい。おやすみなさい、お姉さま」
 受話器を置くと、可南子は肩をすくめる。
「乃梨子さん。白薔薇さまが貴方のことを探していたわよ。どうやら、お姉さまに頼んでうちに電話したみたい。あの様子だと、瞳子さんの所には由乃さまから連絡してもらっているでしょうね」
 そう言うと、可南子は電話機を操作し始める。
「音を止めて、留守電をセットしているのよ。これで誰が電話をかけてきても無視できるわ」
「寝る支度?」
「いいえ。明日の朝一で白薔薇さまの電話なんて、受けたくないから。お姉さまとは何があっても携帯の番号は他の人に教えない約束をしてあるから、これで安心よ。それとも、乃梨子さんは一晩眠ったらまた白薔薇さまの所に戻れる?」
 乃梨子は、自分の気持ちをじっくりと見つめた。
 駄目だ。少なくとも、明日の朝になって「はい、それじゃあ」とあっさり顔を合わせることなどできそうにもない。
 時間が足りない、今は。そして明日の朝も、顔を合わせたくはない。
「ううん。戻れそうにない」
「だったら、そうすればいいわ。誤解であろうと真実であろうと、時間を空けて、落ち着いてから考えた方がいいの。急いで回りを断罪してから勘違いに気付いても、後の祭りですものね。でも、落ち着いたら絶対に話し合って。私みたいに、取り返しがつかなくなる寸前まで勘違いしたままでいるのも馬鹿馬鹿しいですから」
「可南子…」
「…。今のは口が滑っただけよ、忘れて」
「…うん」
 
 
 翌朝、乃梨子は可南子の声で目が覚めた。
「…………お引き取り下さい」
 玄関のドアの向こうの誰かと口論している。
 誰かは判らないが、可南子はとても冷静だ。
「乃梨子さんはまだ寝ています」
 玄関の向こうにいる人は、小さな声で話しているらしく、乃梨子の所までその言葉は聞こえてこない。
「そうだとしても、今は、この家の客です」
 枕元の時計を見る。
 朝の七時。
 昨日の相当な夜更かしを考えると、布団に入ってからまだ数時間しか経っていないはずだ。
「確かに貴方の妹ですが、私のクラスメートでもあります。本当に申し訳ありませんが、乃梨子さんに時間を与えてあげてください」
(貴方の妹?)
 ということは、今玄関の前に立っているのは志摩子さん?
「はい。お願いします。お姉さま。本当に申し訳ありません」
 祐巳さまもいるらしい。
「乃梨子! いるんでしょう!」
(志摩子さん!?)
 初めて聞く、白薔薇さまの大声。
「志摩子さん、駄目だって。今は帰ろうよ」
 祐巳さまの声もする。
「いい加減にしてください。白薔薇さまともあろう御方が、近所迷惑も顧みることができないのですか?」
 可南子が静かに、辛辣に言った。
「…はい、お姉さま。確かに言い過ぎました。すみません、白薔薇さま、でも、今は乃梨子さんをそっとしておいて欲しいという気持ちは変わりません」
 戻ってきた可南子と目が合う。
「起きていたんですか、乃梨子さん」
「可南子の声で目が覚めたの」
「その前のドアチャイムでは目が覚めなかったのですか?」
「…気付かなかった……可南子、今来てたのは」
「次に学校に行くまでは山百合会のメンバーのことは全部忘れる。昨夜、そう約束したはずですよ」
「う、うん。でも考えてみたら可南子だって今は…」
「私は、乃梨子さんのクラスメートです」
「親友って事にしようよ」
「え…」
 きょとんとした顔で、次いで頬を赤らめる可南子。
「乃梨子さんがそうおっしゃるなら」
「じゃうそうしましょう。ところで、もう朝だよね…
「昨日寝た時間を考えれば、まだまだ寝たりないのですけれど、二度寝します?」
「行儀悪いわよね…」
「ええ。でも…」
「うん。休日の特権よ。おやすみなさい」
 言うが早いか、乃梨子は布団を被って横になる。
 可南子もそれに従おうとして気付いた。ドアチャイムで起こされたとき、ついいつもの習慣で自分の布団は畳んでしまっている。
 もう一度敷き直すのも億劫だ。
「…乃梨子さん、失礼しますよ」
 乃梨子の横にもぞもぞと入る。
「おやすみなさい」
 
 
 −続−
 
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