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惑いの白 癒しの紅
 
 
 
3「昼前の訪問者」
 
 
 ヨーグルトとジャムを混ぜて、そこにシリアルを入れる。ボウルの中でかき混ぜて、食べる。
 グラスに入ったカフェオレ。
 プチトマトの乗った、キューリとレタスの簡単なサラダ。
 普段は朝も和食の志摩子だけれども、別にこれらのものが食べられないわけでもない。逆に、突然訪れた自分にも朝食を振る舞ってくれる祐巳さんに感謝している。
 それでも、朝食を食べることのできる自分が不思議だった。
「可南子は、この時間だとまだ寝てると思うよ? メールで確かめてみようか」
「良ければ、先に可南子ちゃんの家を教えてくれないかしら。祐巳さんにも予定があるでしょう? 場所が判っていれば時間を見計らって訪問するから」
「まだ寝てるかもしれないわよ?」
「携帯なのでしょう? 近くまで行って電話して、起きていればそのままお邪魔するわ。まだ寝ているようなら時間を改めて」
「うん。わかった。それじゃあ着替えてくるね」
 
 
 可南子ちゃんの家は、志摩子の家と比べるとそれほど遠くではない。
「うん。可南子は起きてるみたい」
 祐巳が可南子から来たメールの返事を見て言うと、志摩子さんはホッとする。
 二人とも寝ていたら、どうすればいいのか判らない。時間を潰すとは言ったけれど、この辺りには志摩子さんが時間をつぶせそうな場所は見あたらなかったのだ。
 ドアチャイムを押すと、可南子の声がする。
「可南子、開けて」
「お姉さま…白薔薇さまも一緒なのですね?」
「そうよ、可南子ちゃん。乃梨子が中にいるんでしょう?」
「はい。乃梨子さんは昨日の夜から家に来ています」
「何か乃梨子は言っていた?」
「白薔薇さま…乃梨子さんのことよりそちらが気になりますか?」
 祐巳は、ギョッとした。
 初めて見るような、志摩子さんの顔。
 怒っているのか、それとも恥ずかしがっているのか。あるいは、悲しんでいるのか。
 志摩子さんは意を決したように言葉を続けた。
「何が言いたいの、可南子ちゃん」
「乃梨子さんは傷ついています。それが白薔薇さまだけのせいだとは言いませんが、今はそっとしてあげてください」
「可南子ちゃん。乃梨子はどうしたの?」
「白薔薇さま、今のところはお引き取りください」
「乃梨子は起きているの?」
「乃梨子さんはまだ寝ています」
「私の妹よ。起こして」
「そうだとしても、今は、この家のお客様です」
「貴方がどうして? 乃梨子は私の妹よ」
「確かに貴方の妹ですが、私のクラスメートでもあります。本当に申し訳ありませんが、乃梨子さんに時間を与えてあげてください」
 祐巳は志摩子さんの肩を取った。
「志摩子さん。何があったかは知らないけれど、少し待ってみようよ」
 そしてドアの向こうの可南子に、
「可南子。志摩子さんは私が連れて帰るけれど、乃梨子ちゃんのことは大丈夫なんだよね」
「はい。お願いします。お姉さま。本当に申し訳ありません」
 祐巳の手を振り切るように体を動かす志摩子さん。ドアを殴りつけるように手を伸ばすと、ノブを回す。
「乃梨子! いるんでしょう!」
「志摩子さん、駄目だって。今は帰ろうよ」
 祐巳は志摩子さんを強引にドアから離れさせる。
 その拍子に、志摩子さんの足がドアに辺り、蹴飛ばしたようなけたたましい音を立てる。
「いい加減にしてください。白薔薇さまともあろう御方が、近所迷惑も顧みることができないのですか?」
 可南子の声が響いた。
 どう考えても、この場面では可南子が正論だ。
 けれど、
「可南子っ!」
 祐巳の叱責は、可南子に向けられていた。
「お願い。それ以上言わないで。可南子と志摩子さんの言い争いなんて、見たくないよ」
 そして志摩子さんの肩を持ち、真正面からその視線を捉える。
「志摩子さん、落ち着いて。乃梨子ちゃんのことを心配しているのは志摩子さんだけじゃないよ。可南子だって、私だって、乃梨子ちゃんのことが好きなんだから」
「祐巳さん…」
 肩を落とすように、祐巳さんの体重を預けたままうつむく志摩子さん。
「そうね…私…一人で何やってるのかしら…」
「とりあえず、今は帰ろう」
 祐巳はもう一度ドアに向かい、
「可南子。とりあえず一旦帰るわ。だけど、私の連絡からは逃げないでね。それから、今、志摩子さんに言うべき事がない?」
「…はい、お姉さま。確かに言い過ぎました。すみません、白薔薇さま、でも、今は乃梨子さんをそっとしておいて欲しいという気持ちは変わりません」
「わかった。可南子が乃梨子ちゃんのことを大切にする気持ち。姉とか妹じゃない、友達にしかできないこともあるから……、乃梨子ちゃんのこと、お願いね」
「はい。お姉さま」
 
 
 祐巳さんは、うつむいたままの志摩子の隣に座る。
「はい。これ」
「祐巳さん?」
 祐巳さんの差し出した物に眉をひそめる志摩子。
 可南子ちゃんの家からの帰り道で、志摩子は昨夜の事件の内容を話した。
 朝食の席で話した概略を合わせると、起こった事件のほとんどを祐巳さんに話したことになる。
 少し考えた祐巳さんは志摩子に落ち着くようにいいながら、公園のベンチに座らせた。そして、少し待つように言うとその場を離れ、今戻ってきたところだ。
「缶紅茶。薔薇の館とは比べものにならないけれど、これを飲んでとりあえず落ち着こうよ」
「ごめんなさい、祐巳さん」
「うん。今日の志摩子さん、何か変」
 志摩子は顔を上げる。
 祐巳さんの言葉が意外だった。
「…ごめんなさい。ご迷惑だったかしらね」
「迷惑じゃないよ。いつもの志摩子さんに戻ってくれるなら」
「え…?」
「今の志摩子さんのままだと、駄目になっちゃうよ」
 祐巳さんは缶紅茶を志摩子に握らせた。
「志摩子さん、今乃梨子ちゃんのことしか見えてないよね?」
 口調は疑問、けれども内容は断定。
「それ自体は悪いことじゃないと思う。志摩子さんがそれだけ乃梨子ちゃんのことを想っているって事だから」
「でも、私は乃梨子のことが判らなかったから…」
「ごめん。多分それ、私たちのせいでもあるんだ…」
 自分の分の紅茶を抱え、困ったように笑う祐巳さん。
「乃梨子ちゃんに聞かれたことがあって」
「乃梨子が? 何を?」
「聖さまのこと」
 志摩子の心にさざ波が起きる。
(お姉さまの…こと?)
「お姉さま…そう。祐巳さん達だったの、乃梨子に聖さまのことを教えたのは」
「勘違いしないで欲しいの」
「何を? 乃梨子にあること無いことを吹き込んだことを?」
 志摩子の表情は硬かった。
「違うよ」
 祐巳さんの返事も自然と堅い口調となる。
「私と由乃さんは、本当のことを言っただけ。今でも、それがいけないことだとは思わない」
「何を言ったの。祐巳さんと由乃さんは乃梨子に何を言ったの? お姉さまと私のことを勝手に…」
「そんなことは言ってないよ。ただ、聖さまが男の人より女の人が好きだって言うことだけ」
「どうして? 何故乃梨子にそんなことを言わなきゃならないの?」
「乃梨子ちゃんがどこからか噂を聞き込んできたから、答えたんだよ。それじゃあどうすれば良かったの? 嘘をつけば良かったの?」
「二人がそんなことを言うから…」
「志摩子さんは、乃梨子ちゃんを守るためなら聖さまを否定するの?」
「そんな…。私は、乃梨子の誤解を解きたいの」
「何故その時に解かなかったの?」
 祐巳さんの言葉を、志摩子は怯えるような瞳で聞いていた。
「何故、その時にすぐ、乃梨子ちゃんの誤解を解こうとしなかったの?」
 答える言葉はない。
「志摩子さんがその時、怒っていたからじゃないの?」
「私は乃梨子に…」
「誤魔化さないで、志摩子さん。その時志摩子さんが怒っていたのは、乃梨子ちゃんに対してじゃないはずだよ」
「どうしてそんなことが…」
「判るよ。私にだって、お姉さまも可南子もいるんだから」
「私は…」
 そこで口を閉じる志摩子。祐巳さんは、志摩子の消えた言葉を無視するように続ける。
「志摩子さんは、乃梨子ちゃんに腹を立てたんじゃないよ。聖さまに対して、腹を立てていたんだよ」
「お姉さまに?」
「志摩子さん、聖さまと喧嘩した事なんかないでしょう」
「そんなこと、考えたこともないわ」
「私とお姉さまはあるよ。由乃さんと令さまもね。多分、お姉さまと蓉子さまも。令さまと江利子さまも。そしていずれ、私と可南子、由乃さんと瞳子ちゃんも」
「令さまと由乃さんの喧嘩は、二人のじゃれあいみたいなものよ」
「じゃれあいレベルでも、志摩子さんは聖さまと喧嘩した?」
 祐巳さんは少しの間を空けて、志摩子の返事を待つ。
 沈黙の肯定。
「乃梨子ちゃんは大変なんだよ。志摩子さんの妹とお姉さま、両方を一人でやらなくちゃいけないから。志摩子さんは、乃梨子ちゃんにその両方を期待しているから」
「私が乃梨子に……」
 志摩子は考えていた。確かに、自分は乃梨子に多くを期待しすぎているのだろうか?
 立ち上がる祐巳さん。
「さてと、それじゃあ志摩子さん。今度は交替だよ」
「交替…?」
「今度は志摩子さんが私の用事につきあってよ」
「ええ。わかったわ」
 祐巳さんは志摩子をバスに乗せる。
「これは…リリアン行きのバス?」
「そう。昼間に乗ってみるとなかなか新鮮でしょう?」
 祐巳さんはそう言うけれど、志摩子が昼間に乗るのはこれが初めてではない。
 ロサ・カニーナ…蟹名静さまと一緒に、日曜の昼を薔薇の館で過ごした日……。
 そう、あの時も…無性に哀しくなったとき、そこにお姉さまはいた。
「志摩子さん、ここで降りましょう」
 リリアンから二つ手前のバス停。
「少し歩くね」
 バスから降りながら、祐巳さんの言葉にうなずく志摩子。
 大通りから住宅街へ、志摩子は無言でついていったが、バス停一つ分ほどを歩いた所で、溜まりかねて尋ねる。
「祐巳さん、どこに行くの?」
「今の志摩子さんが…」
 二人にかけられる声。
「祐巳ちゃん、久しぶり」
 聞き覚えのある声に志摩子は、祐巳さんに向けていた顔を声の主に向ける。
 大きな門のある立派な家の前に、二人が立っていた。
 一人は知らない女の人、もう一人は…
「志摩子も、本当に久しぶりだね」
「お姉さま…どうして」
 志摩子の前の白薔薇さま。佐藤聖さまがそこにいた。
「どうしてって、祐巳ちゃんがメールを…」
「ふーん。祐巳ちゃんの機転って訳?」
 もう一人の、眼鏡をかけた、生真面目そうな人が聖さまの後ろから姿を見せた。
「あ、こちら加東景さん。大学のお友達」
「あら、私たち友達だったの? 佐藤さん」
「友達だったの、は非道いよ、景さん」
「利用されているだけのような気がするんだけど。今日だって勝手に泊まって朝帰りだし」
 泊まって、朝帰り、という言葉に志摩子は加東さんをもう一度よく見た。
 雰囲気がなんとなく蓉子さまに似ているような気もする。
 聖さまが好きになれるタイプ。
(この人がお姉さまの…?)
「違うよ、志摩子」
 あっさりと、聖さまは言う。
「景さんは、私のお友達だから」
「どうして…判ったんですか?」
「志摩子の言いたいことが判ったかって?」
 聖さまは笑った。
「そりゃあ、私は志摩子のお姉さまだからね。判るよ」
 無言で、志摩子は聖さまに近づいた。
「志摩子?」
 とん、と頭を預ける志摩子。
「お姉さま…。私、乃梨子に…」
 志摩子は昨夜からの出来事を語っていた。
「そう。乃梨子ちゃんとそんなことが…」
 志摩子の身体を支えるように抱きとめ、聖さまはその言葉をも受け止めていた。
「お姉さまが悪いんです」
「そうみたいだね」
 聖さまはただそれだけを答えると、志摩子の背に左手を回す。
「私の妹だから、そう言う目で見られていたんだね、志摩子も」
「お姉さま」
「ごめんね、志摩子。でも、それが私だから。今さら自分は変えられないし、変えるつもりもない。志摩子たちには迷惑かけるだろうけど」
「お姉さまがそんなだから、私は乃梨子に誤解されて、乃梨子とは私は…」
「うん。私が悪い。謝るよ、志摩子にも、乃梨子ちゃんにも」
「お姉さまが悪いんですっ」
「うん」
 聖さまは肯定を続け、志摩子の弾劾の全てを素直に受け入れていた。
 ただ、言葉を全て受け入れ、うなずいている。
「お姉さまのせいで……」
 志摩子の言葉がようやく止んだ。
「志摩子?」
「ごめんなさい…お姉さま…」
 涙が聖さまの胸元にこぼれている。
「ごめんなさい…」
 志摩子は、頭を聖さまに預けたまま泣いていた。
「わかってます…。お姉さまは何も悪くない。ただ、お姉さまは自分らしくいただけなんです。それが悪いなんて誰にも言えないことくらい、判っているんです…でも、でも…」
 聖さまの左手に力が入る。
「判ってるよ、志摩子…。でも、一つだけ志摩子の判っていないことがあるみたいだね」
「お姉さま?」
「今、私がどれだけ嬉しいか、判る?」
 左手を志摩子の頭に移動させる聖さま。
「由乃ちゃんにつっかられてる江利子や、祥子のキーキー声で文句を言われている蓉子が、実は羨ましかったの」
「私は…いい妹ではなかったのですね…」
「違う。勘違いしちゃ駄目だよ。私には志摩子しかいなかった、それは間違いないことだから。だから、謝るとしたら私。私はいいお姉さまじゃなかったから」
「私のお姉さまは一人しかいません」
 キッパリと、志摩子は答えていた。
「うん。私の妹も一人しかいないよ。でも、志摩子の妹はどうなの?」
 抱きしめていた手を少し緩め、聖さまは志摩子の目を覗き込む。
「…私の妹は、一人しかいません」
「そう。それが判っていれば、大丈夫だから。人の噂なんてどれだけ馬鹿馬鹿しくて、どれだけあっさり消えていくものか……、そんなものは気にするだけ時間の無駄だから」
 もう一度、聖さまは志摩子をしっかりと抱きしめた。
 左手一本で。
 両手で抱きしめられば、もうそこから抜け出すことはできない。いや、抜け出そうと思えなくなるから。
 だから、お姉さまは片手で抱きしめる。
 想いのたけを一本の腕に込めて。
 志摩子は、同じように左手を聖さまの背に回した。
「お姉さま…」
「それでいいんだよ、志摩子」
「お姉さま。お姉さまは私のことを……」
 聖さまはにっこりと笑った。
「そうだね。もし志摩子が望むならね? でも、志摩子は私とは違うでしょ? それに、今の志摩子がそれを望むとしても…」
 聖さまの手に力が入る。
「…その相手は、私じゃないよね?」
 抱きしめていた力が不意に弱まり、聖さまは志摩子から離れた。
「志摩子、私はここまでだよ。あとは、志摩子が自分の意志で決めることだからね」
 一歩、志摩子は前に動いた。けれど、その動きは止まってしまう。
 あと一歩で、もう一度聖さまと触れあえる距離。
 けれども、志摩子はそこで止まった。
「…ありがとう、祐巳さん」
 加東さんと一緒に門前に立っていた祐巳さんに声をかける。
 
 
「そう。それが判っていれば、大丈夫だから。人の噂なんてどれだけ馬鹿馬鹿しくて、どれだけあっさり消えていくものか……、そんなものは気にするだけ時間の無駄だから」
 そう言うと、聖は志摩子をしっかりと抱きしめた。
 左手一本で。
 両手で抱きしめれば、もう離すことはできなくなる。
 だから、片手で。
 愛しい妹だから。
 けれど、自分とは違う女の子だから。
 望めば、手に入ってしまうかもしれないから。
 だから、望まない。
 言葉を交わし、志摩子は祐巳ちゃんと共に去っていく。
 それを見送る自分。
「景さん、見てた?」
 うつむいて、聖は背後に言葉を投げかける。
「見てたとかそう言う問題じゃないでしょ。堂々と目の前でやっといて」
 いつもの加東さんの口調が、今の聖にはありがたい。
「まあまあ、ここは祐巳ちゃんに免じて」
「別に騒いだ訳じゃないから……どうしたの、佐藤さん、顔上げなよ?」
 聖は顔を上げた。
 精一杯の笑い顔。
「さてと、それじゃお昼でも食べに行かない?」
「まだ早いわよ」
「じゃあ、それまで景さんのところで時間潰す」
「あのね…ま、いいけど」
「ついでに慰めてくれると嬉しいな」
「慰めるって、なんで?」
「はは、また、振られちゃったからね、私」
 
 
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