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惑いの白 癒しの紅
 
 
 
4「朝の訪問者」
 
 何となく感じる息苦しさで、乃梨子は目を覚ました。
「??」
 目の前にパジャマがあった。
 少しはだけた向こう側に、白い肌と胸の谷間が見える。
 慌てて視線を逸らすと、今度は長い黒髪が見える。
 そこでようやく意識がはっきりとしてきた。
(そうだ…可南子さんの家に泊まって…)
 そうすると、今目の前に見えているのは可南子さん。
 頭を動かそうとしたが、どうやら可南子さんにしっかりと抱えられているらしい。
(どうして……?)
 確か昨夜は間違いなく一人で寝た。可南子さんとは別の布団だった。ここまでは間違いない。
 朝方一度目が覚めて……。
 そういえば二度寝に入ったとき、可南子さんが同じ布団に入ってきたような気がする。
「ユウちゃん…」
 可南子の呟きに、肩をびくりと振るわせる乃梨子。
(ユウちゃんって誰? …そんなことより、当面のこの事態、どうしよう…)
 ふと、目だけで回りを見渡すと、昨夜は気付かなかった物が見えた。
 大きなぬいぐるみだ。それもタヌキの。
 胸に名札が貼ってある。
「ユウ」
(あ、ユウってあのタヌキの名前なんだ…って、私とタヌキ間違えてるのか…失礼な、私は祐巳さまじゃないんだから…)
 それでも正体がわかれば気が楽になる。ぬいぐるみと寝ぼけて間違えているだけなら、あとからいくらでも笑い話になる。
 乃梨子はやや強引に可南子の腕をふりほどくとも、身体を抜いた。
 時計を見るともうお昼。
「可南子さん、起きて。もうこんな時間だよ」
「…? 乃梨子さん?」
 一瞬、可南子さんも寝ぼけていたが、すぐに思い出したようだった。
「あ、乃梨子さん?」
 ガバッと起きて、まじまじと乃梨子を見つめる。その視線が自分とユウの間を往復しているのに気付き、乃梨子はクスッと笑った。
「可南子さん、どうかしたの?」
「あ、いえ。別に…あの…」
 少し言い淀んで、思い切ってなにか言いかけて、やっぱり黙り込む。
「どうしたの? なにか変よ?」
「別に…」
 怒ったようにも見える、可南子さんの拗ねた顔。
 乃梨子は思わず笑みをこぼしていた。
「可南子さん、可愛いね」
「何を言うんですか、突然」
「赤くなってるよ」
「なってません」
「なってるよ」
「しつこいですよ、乃梨子さん」
「ぬいぐるみと一緒に寝るのは可愛いと思うよ」
 真っ赤になって乃梨子を睨みつける可南子。けれど、怒ったような表情はすぐに消えて、恥ずかしそうな顔だけが残る。
「誰にも言わないでくださいよ…お姉さまにも」
「そうなの?」
「似合わないじゃないですか、私がぬいぐるみと寝てるなんて…」
「案外、そうは思われてないかもね。特に山百合会の人たちには」
「私は、無愛想で暗くて、口の悪い嫌な女ですもの」
「だったら祐巳さまが貴方を妹にするわけないじゃない」
「え?」
「祐巳さまが、嫌な人を妹にすると思う? そんなこと、誰が信じる? 祐巳さまの妹になった時点で、細川可南子は実はいい人って事になってるのよ」
「なんですか、それは」
「リリアンのスール制度は、私たち外様にはうかがい知れない奥深さがあるの。だから、受け入れるしかないこともあるし、訳わかんなくなるときもある」
「それはそうだけど」
 可南子さんがやぶにらみの目で乃梨子を見ている。まるで、コンタクトを入れ忘れた人みたいに。
「たった一晩で、乃梨子さんとても変わったみたい」
「長い一晩だったし…それに一人じゃなかったから…一人だったら、多分またいじいじと悩み続けていたんじゃないかな…。今回は、そばに可南子さんがいてくれたし」
「私は何もしていないわ」
「だから良かったの。考える時間をくれたから。志摩子さんや、みんなから離れて考える時間を」
「それは乃梨子さん自身の力よ」
「でもお礼が言いたいから。ありがとう、可南子さん」
「だから…」
 言いかけて、可南子さんは言葉を飲み込んだ。そして諦めたように、次いで自然に、笑ってみせる。
「そうね。お礼の言葉、ありがたく戴いておくわ」
「可南子さんは素直な方が可愛いと思うよ」
「乃梨子さん、まだ寝ぼけているんですか」
 呆れたように笑う可南子さん。
「そうかもしれない」
 クスクス笑う乃梨子。
「お腹減ったよ、可南子さん。朝ご飯はどうするの?」
「もう、お昼ご飯ですよ。もう、準備をするのも億劫ね…。近くのファミレスでも行きません?」
「うん」
 二人は手早く着替えようとしたけれど、お互いの姿をよくよく見た結果、シャワーを浴びることにした。
 やっぱり、無茶苦茶な寝方をしたことがよくわかるご面相と寝癖だったから。
「着替えくらい持ってくれば良かった…」
「下着は新品ですけど、服はサイズ違いしかないから…」
 かなりだぶついたシャツを無理矢理着込んだ乃梨子の姿。まあ、そういうファッションだと強弁すれば見えないこともない、程度の姿になっている。
「贅沢は言わないよ。突然押しかけてきたのは私なんだから」
「言われても困りますし」
「そりゃそうだ」
 二人がファミレスの見える交差点まで来たとき、可南子さんが咄嗟に乃梨子の前に移動する。
「可南子さん?」
 唐突な動きに戸惑いながら乃梨子が見たのは、ファミレスの道路向かいに立っている志摩子さん。
 志摩子さんもこちらに気付き、歩き出そうとしている。
「乃梨子さん、もう志摩子様に会えますか?」
 乃梨子の沈黙。その答を、可南子さんは何も言わずに待ってくれている。
「大丈夫。大丈夫だから、可南子さん」
「私は、乃梨子さんの味方ですから」
「ありがとう」
 志摩子さんが近づいてくる。
 乃梨子は、可南子さんの背後から離れ、その横に並んだ。
 近づき、並び、通り過ぎる。
「え?」
 しかし、通り過ぎきろうとしたとき、志摩子さんが呟いた。
「乃梨子、明日は学校で会いましょうね」
「…志摩子さん?」
 違うと言えば、あまりにも朝の様子と違いすぎる志摩子さんに、乃梨子は驚いて声をかける。
「明日ね、乃梨子。可南子ちゃん、面倒かけるわね」
「志摩子さま?」
「それじゃあ、ごきげんよう」
 軽い、とも見える足取りで遠ざかっていく志摩子さんの姿に、乃梨子は可南子さんと顔を見合わせた。
「白薔薇さまは白薔薇さまで、何か吹っ切れたみたいですね」
「うん…」
 乃梨子は可南子さんの言葉で、一人の卒業生を思い出した。
 志摩子さんとの関係にひびが入りそうになったのも、修復できそうなのも、全て同じ一人、その人のせい。
 そう思うと何となく嫌な気分。けれども、さすが志摩子さんの選んだ人だ、と思うと何故か誇らしい。
 こんな思いをあとしばらくの間、もしかすると卒業まで、いや、さらには一生引きずるのも、それはそれでいいかもしれない。
 乃梨子は、楽になった気分でそう考えていた。
 
 
「やっぱりここだったね」
「ごきげんよう、乃梨子」
 銀杏の中の桜。たった一本の桜の木。その下に、志摩子さんが立っている。
 乃梨子は、そう信じて学校へ来た。
 桜の木が近づいて人影が見えたとき、乃梨子の足は自然と早足になり、そして駈けだしている。
「ごきげんよう、志摩子さん」
 志摩子さんに並ぶように、木の下に立つ乃梨子。
「志摩子さん…ごめん。私、馬鹿だった。一人で勝手に暴走して、馬鹿なこと言って困らせて、本当、私が馬鹿だった。ごめん…」
「待って乃梨子、私にも言わせて」
 志摩子さんは、聖さまと再会した話を乃梨子に聞かせた。
「…だから、乃梨子は気にする事じゃない。悪いのは、お姉さま」
「え…志摩子さん?」
「いいの。私がそう決めたのだから」
「でも…」
「今の私は、お姉さまと乃梨子なら、乃梨子を選びたいから」
 両手を乃梨子の方に伸ばす。
「私は乃梨子なら、両手で抱きしめることができるから」
 包み込まれるようにされて、乃梨子は志摩子さんの身体の暖かみを感じた。
「志摩子さん…」
 乃梨子は目を閉じて、ただ志摩子さんの温かみだけを身体に感じていた。
「本当にいいの? 聖さまのこと」
「お姉さまだから…」
「え?」
 わからない。
 お姉さまだから、好きなんじゃないの?
 お姉さまだから、大切にしたいんじゃないの?
 乃梨子の無言の問に、志摩子さんがにっこりと笑う。
「私、聖さまをお姉さまにしてから初めて、わがままを言わせてもらうことにしたの。今は、お姉さまよりも乃梨子を大切にさせて欲しいって」
 それは、聖さまをぞんざいにするという意味ではない。乃梨子にもそれはわかっていた。
 それでも、乃梨子は言わずにはいられない。
「でも…それじゃあ…」
「みんなそうやって、姉から妹へと、繋いでいくの。姉は妹を導くものだから。私はそれを忘れて、お姉さまに甘えていたの。そばにいなくても甘えることができる、私たちはそんな関係だったから」
 
 
 銀杏並木の中、白薔薇姉妹の姿はマリア様のように美しい。
 祐巳は満足げにうなずいた。
「…じゃあ、そろそろ行こうか、可南子」
「はい」
 祐巳は可南子に声をかけ、歩き始めた。
「志摩子さんと乃梨子ちゃんなら、またすぐに元に戻ることができるよ」
「ええ。志摩子さまなら、乃梨子さんをしっかりとお導きになるのでしょうね」
「…かーなーこ?」
 可南子に抱きつく祐巳。
「お姉さま? 突然何を?」
「ん? 可南子がなんだか寂しそうだったから」
「寂しくなんてありません」
「乃梨子ちゃんを志摩子さんに取られて、嫉妬してる?」
「どうして私が」
 慌てる可南子に、祐巳は笑う。
「初めて志摩子が乃梨子ちゃんと出会った頃、私と由乃も今の可南子みたいに思ってたから」
 祐巳は振り向いた。遠くに二人が見える。
「どうして、私たちじゃ駄目なんだろ。志摩子さんの支えになれないんだろう…てね」
「お姉さま…」
 可南子も祐巳の視線を追い、二人を見た。
「私にはお姉さまがいます」
「瞳子ちゃんもね。勿論乃梨子ちゃんも」
「どうしてそこで瞳子さんの名前が出てくるんですか」
「仲良くしなきゃ」
「それは、私の勝手です」
「うん。もちろんそうだけど、二人は仲良しさんに見えるよ」
「お姉さまは希望的観測が多すぎますッ」
「だってその方が、楽しいよ?」
 じゃれ合うような言い争いを続けながら、二人はその場を去っていった。
 
 
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あとがき
 
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