祐巳さんと可南子ちゃん
「寂しいひざ」
薔薇の館は今日も静か。
静かすぎる。
静か、というより、緊張感が漂っているといったほうがいいかもしれない。
乃梨子は入った瞬間、そう思った。
由乃と志摩子が並んでお茶を飲んでいる。
そして、その反対側に可南子が一人でうつむいて座っている。
瞳子は演劇部に顔を出してから来ると言っていた。
つまり、残るは祐巳のみ。
「ごきげんよう、お姉さま、由乃さま」
「ごきげんよう」
由乃は乃梨子の無言の問に答える。
「祐巳なら、花寺に行ったわよ。向こうの生徒会とちょっとした打ち合わせね」
「お一人でですか?」
「生徒会じゃないけれど、真美さんが一緒に行ったわよ。取材がてら。本当は祐巳が真美さんにつきあっているような感じね」
新聞部のネタ不足は深刻のようだ。
祐巳が花寺へ行ったとすれば、可南子が一人で残っているのも仕方ない。花寺は男ばかり。可南子に言わせれば魔窟にも等しい場所だ。例え祐巳と一緒でも、簡単にはいきたくない場所だろう。
「まあ、花寺には実の弟である祐麒くんが睨みをきかせているし、何も心配することはないけどね」
由乃はわざと大きい声で可南子に聞こえるように言う。
可南子の心配を少しでも減らそうとしていくれているのだろうか。
可南子はうつむいたままだ。
「ごきげんよう、皆様」
瞳子が姿を見せた。
突然立ち上がる可南子。
「可南子さん?」
慌てる瞳子をがばっと捕まえる。
「何をなさるんですの?」
そのまま自分の椅子まで連行。
瞳子を膝の上に抱っこすると、背後から抱きしめたままくつろぐ体勢になる。
…おい。
乃梨子が突っ込もうとしたとき、
「アンタ何やってんのよっ!」
由乃が凄い剣幕で叫んだ。
「瞳子を下ろしなさい! アタシだってまだ抱っこなんてしたこと無いんだから!」
…怒る所はそこですか、由乃さま…
可南子は聞く耳持たずと言うように瞳子を抱きしめている。
「か、可南子さん、おやめになって…、いったい何のつもりで…」
真っ赤になって暴れる瞳子。
うん、抱きかかえられてじたばたしている瞳子もなかなか可愛く見えるよ。
乃梨子は妙な事を発見していた。
つかつかと歩み寄る由乃。
引っぺがすように瞳子を取り戻す。
「お姉さま〜〜」
「よしよし、怖かったね、瞳子。もう大丈夫」
…もしかして…いつも膝の上に乗っている祐巳さまがいないから…
…身代わり?
乃梨子は辺りを見回して考えた。
確かにこの場にいるメンバーでもっとも体型が祐巳に似ているのは瞳子だ。
そして二番目は…
いつの間にか可南子が乃梨子の背後に回っていた。
「嫌ーーーーーーっ!」
抱きかかえられる乃梨子。
「いいじゃありませんか、乃梨子さん」
可南子が耳元で囁く。
「膝が寂しくて仕方ないんです」
「そんな理由で人を拉致するなー。お姉さま、助けてーー」
志摩子はニコニコしている。
「まあ、お姉さまを思い出すわ」
お姉さまのお姉さまって…佐藤聖ってどんな人だったんですか! 誰でも構わず抱きつくような人だったんすかーーーー(半分当たっている)
乃梨子の心の叫びも虚しく、可南子の膝の上に乗せられてしまう。
「可南子ーーー」
「私を置いて花寺に行ってしまうお姉さまが悪いんです」
「だからって私は関係ない!」
「花寺は仏教。仏教と言えば仏像。仏像と言えば乃梨子さん」
「私は純粋に仏像が好きなだけーー!」
「趣味には代償が必要です」
「こんな代償は嫌」
「諦めてください」
それでももがく乃梨子に、可南子はボソッと言い放つ。
「じたばたしている乃梨子さんを捕まえておくのも、なんだか楽しいですね」
とどめに由乃。
「乃梨子ちゃん。友達っていうのはね、損な役回りを引き受けるためにいるのよ?」
…黄薔薇さま、とても美しい言葉だとは思いますが、それは絶対にこの状況で使う言葉ではないと思います……
あきらめの境地に入る乃梨子。それを悟ったのか、可南子は乃梨子の位置を変えて楽な体勢になる。
乃梨子も抵抗をやめて楽な姿勢を取った。
背中に可南子の体温を感じる。
心地よい温さ。
可南子の人付き合いの悪さは今も変わっていないが、少なくとも一年の時の可南子は絶対にこんな事をしなかっただろう。
そう思うと、これはこれでいいのかもしれないと思えてきた。
可南子の両手が、乃梨子の胸元で組み合わされる。乃梨子はごく自然に、可南子の手に自分の手を重ねていた。
とんとん。
誰かが肩を叩く。
…薫子さん? もう朝?
違う。一瞬の寝ぼけが消えると、ここは薔薇の館。
そうだ。可南子に抱きかかえられて眠っていたのだ。
肩を叩く手の主を見る。
「乃梨子。ちょっと替わってみない?」
「え?」
「白薔薇さま?」
驚いたのは可南子のほうで、乃梨子は絶句している。
「だって、あんまり乃梨子が気持ちよさそうだから」
「えっと…お姉さまが言うのなら私は…」
乃梨子は可南子を見上げた。
「…どうぞ、白薔薇さま」
その後ろでは黄薔薇姉妹が
「瞳子、そんな可南子ちゃんの膝の上って気持ちいいの?」
「正直言って…少し…」
由乃さまが可南子のほうに向き直った。
「…志摩子、後で替わって」
「黄薔薇さままで?」
「ただいま。可南子、疲れたか…ら…」
異様な光景に立ち止まる祐巳。
「…何してるの?」
輪になってじゃんけんをしている乃梨子、瞳子、志摩子、由乃。
そして諦めきった表情で、少し頬を染めて座っている可南子。
「可南子ちゃんのお膝に座る権利じゃんけん」
由乃はあっさりそう言った。
辺りを見回す祐巳。可南子と目が合い、全てを理解し始めて…
「あなた達、馬鹿なことはおやめなさい!」
先代紅薔薇さま、小笠原祥子直伝のカミナリが薔薇の館に落ちた。
その翌日。
「ごきげんよう、可南子」
乃梨子が薔薇の館にやってくると、可南子が一人座っていた。
膝の上に何かある。
近づくとそれは白い布。
刺繍された字で、
「福沢祐巳専用席」
薔薇の館は今日も平和。