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祐巳さんと可南子ちゃん
 
「ライバル潜入!」
 
 
 
 その日、由乃が薔薇の館へ入ろうとすると、見知らぬ生徒が館の前に立っていた。
 だぶだぶの大きな制服を見ると、新入生らしい。
「何してるの?」
 新入生は、近づいてきた由乃に気付かなかったようで、ビクッと身をすくめると由乃のほうに慌てて向き直る。
 大きな眼鏡と、驚くほど長い髪。髪の毛はやや茶色がかっているが、この程度なら生まれつきといえる範囲だろう。
「薔薇の館の見学かな?」
 山百合会の噂を聞いた新入生が密かに見学に来るのは珍しいことではない。だいたいが遠巻きに見守るだけなのだけれど、中にはこんな大胆な子もいるだろう。
「良かったら中に入ってみる? まだ私しか来ていないけれど」
「え、えっと…三年生の方ですか?」
「そうよ」
「もしかして…黄薔薇さまですか?」
「当たり、私が黄薔薇さま、島津由乃よ。貴方は?」
「は、はい。私は、ほそ…、細見優佳といいます」
「優佳ちゃんか。どう? 中に入ってみる?」
「いいんですか?」
「勿論。リリアンの生徒はみんな山百合会関係者だもの」
「はい、喜んで」
「じゃあ中に」
 優佳ちゃんを中に招き入れようとした由乃に声がかけられる。
「ごきげんよう、お姉さま。その御方は?」
 瞳子だった。
「ごきげんよう、瞳子。この子は優佳ちゃん。新入生よ」
 首を傾げる瞳子。
「こんな新入生、いましたでしょうか? マリア祭の日には見かけませんでしたわ」
「瞳子、新入生が何人いると思ってるの?」
「こう見えても瞳子は人の顔を覚えるのが得意なんです。人の顔の特徴を捉えるのは女優には必要ですもの」
「ああ、おメダイの日は、私風邪を引いてしまって…」
「あらそうでしたの」
 マリア祭の日をおメダイの日、と言い直したことで、瞳子の疑惑はころりと晴れた。そもそもマリア祭=おメダイの日という発想は内部の人間だけのものだ。無関係な人間ではその発想は出てこない。
「ごきげんよう」
 瞳子と時間を合わせたかのように、志摩子さんと乃梨子ちゃんが姿を見せる。
「ちょうどいいわね。これで白薔薇黄薔薇そろい踏みよ、優佳ちゃん」
 
 
 所変わって、細川家。
 その日の朝のこと………
「ない。ないわ。お母さん。どこかに間違えてない?」
「知らないわ。第一、可南子の制服なんて触ってないもの。クリーニングにだって自分で出しに行ったんじゃない」
「それはそうなんだけど…」
 制服がない。
 可南子の制服がどこにも見あたらないのだ。替えの制服はクリーニング中である。
「どうしよう。これじゃあお姉さまに会えない」
 学校へ行けないことはどうでもいいらしい。
「私服で登校するわけにはいかないの?」
「そんなの駄目に決まっているじゃない」
 仕方なく私服に着替える可南子。
「どうするの?」
「クリーニング屋さんに訳を話して、昨日出した制服を返してもらってくるわ」
「まだ置いているかしら?」
「出したのは昨日の夜だから、今の内なら多分ギリギリで」
「こんなに朝早く開いてるかしら?」
「お店の前で、店員さんが出勤してくるのを待つわ」
 急いで家を出る可南子。
 可南子は急いでいたため見落としていた。
 いつも制服を掛けておくハンガーに、一枚の紙が貼られていたことを。
 
“ ちょっと制服借ります    夕子 ”
 
 
 戻って、リリアン。薔薇の館。
 優佳、もとい夕子は乃梨子の煎れたお茶を飲んでいた。
「後はどんな方がいらっしゃるんですか?」
「あとは、祐巳さまと可南子。紅薔薇さまの福沢祐巳さまと、紅薔薇のつぼみ、細川可南子さん」
「どんな方なんですか?」
「そうね…」
 由乃が少し考える。
「悪く言えば能天気、よく言えば素直。だけど、締めるべき所はきちんと締める。庶民派の薔薇さまね」
「祐巳さまは、山百合会の中では異端ですけれども、それが最大の長所でもありますね」
 瞳子が由乃の言葉を引き継ぐと、乃梨子もうなずいた。
「ええ。先代の祥子さまとは全く違った方向性の方です」
「でも、祥子さまと同じくらい、いいえ、それ以上に魅力的よ、祐巳さんは」
 志摩子が話を閉じた。
「では、細川可南子さんというのは…」
 わくわくと、一同の答を待つ夕子。
「のっぽね」
「のっぽですわ」
「のっぽだよね、志摩子さん」
 のっぽ三連発に歯を食いしばる夕子。
「あ、あの…」
 さすがに志摩子が眉をひそめる。
「あの、皆さん、さすがにそれは…」
 夕子は志摩子に目を向けた。
 この中でも一番綺麗な貴方(可南子には劣るけど)なら、可南子の本当の魅力を判ってくれるに違いない。
 信じて答を待つ夕子。
「可南子さんには素敵な渾名があるじゃないですか」
 ああ、と言いながらポンッと手を打つ三人。
「背後霊ね」
「背後霊ですわ」
「背後霊よね、志摩子さん」
「乃梨子、それはお姉さまが…確かにそうだけれど…」
 夕子は拳を握りしめた。
「そ、それは渾名というより悪口では…」
 ああ、と思い出したように叫ぶ由乃。
「そうそう。そう言えば祐麒さんに聞いたことがあるわ。可南子ちゃんが花寺でなんて呼ばれてるか」
 花寺と言えば男子校。男嫌いの可南子とはいえ、その魅力には年頃の男の子達は抗しがたいに違いない。
 それこそ、素敵な女の子の証。
 夕子は期待に胸を膨らませながら耳をそばだてた。
「確か、ハリガネだったよね、瞳子」
「ええ、お姉さま。ハリガネでしたわ」
「ハリガネですよね、志摩子さん」
「ええ、ハリガネだったわ、乃梨子」
 それが女の子に付ける渾名かーーーーーーっ!!!
 崩れ落ちそうになるのを辛うじて堪える夕子。渾名を付けた男にしかるべき天罰をくわえようと夕子は誓った。
「な、なにか他にないんですか?」
「可南子ちゃんに?」
「ああ、一年生には熱烈なファンもいるみたいだけど…」
「ファン?」
 夕子の追求にたじろぐ乃梨子。
「ええ。可南子のことをクールビューティとか言って」
 クールビューティ。それこそ可南子に相応しい言葉。
「クールビューティって…」
 瞳子がにやりと笑う。
「あれはただの無愛想と言い…」
「黙れドリル」
 あ、と口を押さえる夕子。
「いえ、なんでもありません」
「今ドリルって言いましたわね?」
「言ってません」
「いえ、今、確かにドリルって」
「言ってません。ドリルで穴掘って埋まってしまえなんて言ってません」
「増えてますわ!」
「だから言ってませんってば! ドリルで穴掘って埋まる前に良く弾みそうなバネでびよんびよんと運動場十周して来いなんて」
「さらに増えてますわっ!」
 瞳子の抗議を完全に無視して考える夕子。
(そうね。これだけのギャラリー…四人だけど…の前では恥ずかしくて本当のことが言えないのかも…)
「あの、ついでと言ってはなんですけれども、アンケートに答えていただけないでしょうか?」
「アンケート?」
「はい。勿論無記名で。祐巳さまと可南子さまについて、皆様の感じる特徴などを書いてくだされば…」
「まあ、いいけど」
「ではこれを」
 いつの間にか用意されていた紙。
 テーブルに座って書き始める一同。
 回収する夕子。
「では、読ませていただきます」
 部屋の隅で、夕子はそれを読み始めた。
「祐巳さん……耳が弱い。可南子ちゃん……うなじが弱い」
(………? と、とりあえず次を)
「二人とも押しに弱いので、とにかく押し倒しさえすれば後はどうにでもなりそうですわ」
(………!? え、えーと…。次、次ね)
「狸だろうがノッポだろうが、志摩子さんに手を出したら殺す」
(!!! リリアンって一体…)
「祐巳さん……お姉さまが食った。可南子ちゃん……私が食う予定」
(!!!!!!!!!!!)
 夕子は見なかったことにしてアンケートをポケットに隠した。
「リリアン女学園、恐るべし…」
 かちゃり、とビスケット扉が開く。
「ごきげんよう、みんな」
「ごきげんよう、祐巳さん」
「ごきげんよう、紅薔薇さま」
「あれ、お客さん?」
「ええ。一年生で、薔薇の館に興味を持って遊びに来たそうですわ」
「ふーん」
 夕子は祐巳に背を向けたまま、扉の位置を確認する。
 祐巳は唯一、この中では夕子の顔を知っている存在。眼鏡とカツラの変装がばれるとは思わないけれど、用心に越したことはない。
「ん?」
 顔をしかめる祐巳。
「…ねえ、乃梨子ちゃん。今日は可南子おやすみなんだよね?」
「ええ。制服のローテーションをミスって、全部クリーニングに出してしまったらしいですけど」
「制服くらい貸してあげるのに」
「いや、祐巳さま、どう考えてもサイズが合いません」
「ん? …おかしいわ」
 祐巳は辺りを見回すと鼻をくんくん言わせた。
「どうしたの? 祐巳さん」
「…可南子の匂いがする」
 ゾゾーッと総毛立つ夕子。
(アンタ何者ーーーーっ!?)
「そこね」
 夕子を指さす祐巳。
「貴方の身体…いえ、貴方の制服から間違いなく可南子の匂いがするっ!」
「私はただのリリアン一年生、細見優佳と言います」
「…何やってるんですか、細川夕子さん」
「ゆ、夕子さん?」
 名前だけは、聞いていた乃梨子が反復する。そして瞳子も。
「U子さん? オバQのガールフレンドですわ?」
「ドリルは黙ってなさい」
 正体を聞かされた全員が夕子を取り囲むように接近していく。
「いえ。私は細川夕子などと言う元バスケット部員ではありませんよ?」
「…あくまでシラを切るの?」
「なんのことかしら?」
「あ、次子ちゃんが泣いてる!」
 祐巳の指さす方向に振り向く夕子。
「え、どこ、どこ、おしめかな、それともおっぱいが欲しいの?」
「やっぱり夕子さんじゃない」
「う……」
 しかし夕子は負けない。
「馬鹿言わないで。次子って言うのは私の妹の名前よ。ウチは共働きで妹の面倒を私が見ているから、つい反応してしまった訳よ!」
「…妹におっぱいをあげるお姉さまがどこの世界にいますか……って、そこのドリルとおかっぱは妄想しないっ!! って由乃さんまで令さま思い出して浸ってるんじゃないっ! あと志摩子さん、今、『静さま』って呟かなかった!?」
 一気呵成のツッコミに肩で息をする祐巳を、夕子は気の毒そうに見ながらうなずいた。
「…祐巳さんも結構たいへんみたいね」
「そうなの……って、やっぱり夕子さんじゃないっ!」
「今日は帰ります。ごきげんよう」
「可南子の制服まで持ち出して何しに来たんですか、全く」
「母親としては、娘の環境が気になるものなのよ」
「なんで強引にいい話に持っていこうとするかな」
「あら、もう帰るんですの?」
「ええ。さすがに…」
 答えかけて夕子の言葉が止まる。
 この声は…?
「もう少しゆっくりしていきませんの? お・か・あ・さ・ま」
 にっこり笑って可南子登場。
「私は色々とお話ししたいことがたっぷりあるんですけれど?」
「可南子…ごめんね、ちょっと急ぐから」
「お待ちになって」
 肩を掴まれ、振り向く夕子。
 両手を握りしめ、可南子を見上げて潤んだ瞳。
「ごめんなさい。可南子、貴方の気持ちも考えないで、私…私…」
「先輩…」
 表情に当てられて、くらくらと可南子は迷う。
 その隙に夕子は逃げる。
「あ…」
「さすが夕子さん、可南子の弱点見切ってるわ」
「ごめんなさい。お姉さま。夕子先輩がご迷惑を…」
「いや、まあ、そんなに大きな迷惑って訳でもないし…なにこれ?」
 祐巳と可南子は床に落ちていた紙切れに目を止めた。
「…なんですか、これは」
 険しい表情の可南子。
 そう。先ほどのアンケートの回答を、夕子は落としていったのだ。
「可南子、戸締まりチェック」
「はい。蟻の子一匹たりとも出入りできません」
 よし、とうなずいて祐巳は四人に向き直る。
 その隣に並ぶ可南子。
「…乃梨子ちゃん、瞳子ちゃん、志摩子さん、由乃さん…この回答ってなんだろうね?」
「私も是非知りたいですわ」
 にっこり笑った紅薔薇姉妹。
 
 
 数分後、薔薇の館から謎の叫び声が轟いたという。
 
 
 
あとがき
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