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赤ちゃんと三人
 
 
 柏木は、行きつけのカフェに向けてハンドルを切った。
「すまないね、瞳子。いつもつきあわせて」
 助手席には、お人形のようにちょこんと座った瞳子がいる。
「まったくですわ。優お兄様もガールフレンドの一人も作らなければ、柏木のおばさまも安心できませんわよ」
「僕は、今のところ、瞳子がドライブにつきあってくれるなら、それで満足だけどね」
 瞳子は、赤く染まった頬を隠すようにぷいと横を向く。
「瞳子は、優お兄様みたいな優柔不断な御方をボーイフレンドにする気など、こざいませんわ!」
「あっはっは。これは手痛いな」
 どこまで本気で言っているのかわからない言葉を放ちながら、柏木は車を止めた。
「さて、ここが最近僕のお気に入りの…」
 手を伸ばし、大仰に建物を紹介しようとした柏木の動きが止まる。
「え゛?」
 柏木にはまるで似合わない、押し殺したような呻きに、瞳子は柏木の視線を追う。
「え゛?」
 やっぱりお嬢様には似合わない、蛙を潰したような呻き。
「…優お兄さま…この方は…」
「いや…僕も今、初めて会うんだよ」
 後部座席では、赤ん坊がすやすやと眠っていた。
 オープンカーの後部座席でずっと眠っていたのだから、たいしたものである。けれども、今は赤ん坊を褒めている場合ではない。
「家を出るときにはいなかった。それは間違いない」
「…さっきのお店に入ったときも、いませんでしたわ」
「…ということは、僕たちがお店にいた間か」
「捨て子ですの? なんて酷いことを…」
「いや、それにしては、置き手紙の一つもないし…。もしかして、間違えたんだろうか?」
「何をですの?」
「車だよ。僕の車と自分の車を勘違いして載せたのかも知れない。そしてトイレか何かに行っている隙に、僕たちがこの子に気付かないで出発してしまったんだ」
 二人が先ほどまでいたのは、郊外型のショッピングセンター。子供を連れた若夫婦がいてもおかしくはないし、人の多さと車の量を考えれば、間違えることも十分にあり得ることだ。
「でしたら、すぐに戻らないと」
「ああ。仮に本当に捨て子だとしても、まだ近くに本当の親がいるかも知れないからね」
「すぐに戻りましょう、お兄さま」
「ああ」
 
 
 それらしき姿はない。
「警察に届けようか…」
「そうですわね」
「電話するより、直接近くの警察に届けた方が早いかな」
 二人とも認めたくはないが、松平、柏木の名前を出せば警察の動きがかなり早くなるのも事実だった。
「ええ。この子の親を捜すことが先決…」
 瞳子の言葉に反応したわけでもないだろうが、赤ん坊が泣き出した。
 慌てて抱きかかえる柏木だが、さすがの柏木にも子育てどころか子守の経験すらない。
「えっと…、ど、どうすればいいんだい、瞳子」
 女の子、と言う理由だけで振られても、瞳子にだって経験はない。
「え、ええ…えっと…」
 とにかく、柏木から赤ん坊を受け取る瞳子。
「え、えーと…ほら、泣きやんで下さいまし。ほーら、ほーら」
 揺りかごのように揺らしてみても効果はない。
 いよいよ困った所で、突然赤ん坊がきゃっきゃっと笑い出した。
「?」
 瞳子の縦ロールに手を伸ばしては、キャッキャッと笑っている。
 色々なモノに気に入られる縦ロールではある。
「なんだか瞳子に懐いてしまったみたいだね。悪いけれど、しばらくの間、瞳子が面倒を見ていてもらえるかな」
 そう言われても、実際問題として、瞳子が抱き上げることで泣きやんでいるのだがら、下ろすわけにはいかない。
「仕方ないですわね」
 こう答えるしかない。
 けれども、こんな所を誰かに見られたら、いや、まったく知らない人なら別にいいのだろうけれども、リリアンの生徒にでも見られたら……
 いや、同級生に見られたら…。
 明日のクラスの話題はこの場で決定してしまう。
 それだけはなんとしても避けたい。
「あら、瞳子。こんなところで」
「ごきげんよう、瞳子さん」
 けれども非情な、背後からの声。
 避けたいものには確実に出会ってしまうのが人生というもので。
 しかも、よりによって、乃梨子と可南子。
 なんでこの二人がこの場所に、そのうえ二人でいるのか。
 いや、ショッピングセンターだから、いてもおかしくはないのだけれど。
「の、乃梨子さん、可南子さん。…ごきげんよう」
 振り向いた瞳子の腕に抱かれた赤ん坊に、目を丸くする二人。
「ああ、瞳子のクラスメートかな。ごきげんよう」
 乃梨子は、柏木の顔を凝視する。
 どこかで見た覚えがあるのに思い出せない。
 可南子は柏木と瞳子の顔を見比べていた。
 柏木は、可南子の顔に思い当たる節があるようで、じっと見つめている。
「まさか…」
「可南子さん。若夫婦なんて言ったら本気で怒りますわよ」
「いえ。確かその御方は、花寺前生徒会長の柏木優さま?」
 可南子の顔を無遠慮に見つめていた柏木が、ようやくポンと手を叩いて頷く。
「あ、思い出した。君はあの時の…。お久しぶりだね」
「お知り合いでしたの?」
 瞳子が二人を見比べる。
 確かに柏木と可南子、接点があるとはとうてい思えない。
「ええ。少し前に、尾行したことがあるわ」
「は?」
 唖然とした顔の瞳子、そして乃梨子。
 少しの間、沈黙が五人を包む。
「と、とにかく、こちらは、元花寺生徒会長にして、瞳子の親戚の優お兄さまですわ」
「あ、初めまして。私、瞳子さんのクラスメートの二条乃梨子と言います。お噂はかねがね…」
「僕の方は初めましてじゃないけれどね」
「え?」
「花寺の文化祭で一度会っているよ」
「ええ?」
 乃梨子にはまったく覚えがない。
「えっ…と、ごめんなさい。私、覚えてないみたいで」
「ああ、それは仕方がないよ。あの時の僕はこんな格好ではなかったからね」
「格好…ですか?」
「僕はパンダの着ぐるみを着ていた」
「あ!! あれが…」
「思い出してくれたみたいだね」
 可南子に引き続いて乃梨子までが、瞳子の知らない柏木の話を知っている。
 瞳子はどうも面白くない。
「…優お兄さまは、色々な所でご活躍なさってますのね」
「おや? 嬉しいな、瞳子がヤキモチを妬いてくれるのかい?」
「誰がそんなものを妬くんですの! 勘違いも甚だしいですわ!」
 赤ん坊の存在をうっかり忘れて叫ぶ瞳子。
 泣き出す赤ん坊。
「あー、ごめんさない。よしよし、泣かないで〜」 
「瞳子さん、オムツは?」
「え? なんですって?」
 要領を得ない返事に、可南子は手を伸ばしてオムツをチェックする。
「やっぱり。オムツを替えないといけませんわ。この子のお母さんやお父さんはどこです? それとも、瞳子さんが預かっているんですか?」
 柏木が経過を手短に説明する。
「…仕方ありませんね。中で紙おむつを買ってきますから、とりあえずはあやしていて下さいね」
 返事を待たずにとっとと歩き始める可南子。
「可南子さん、凄い…」
「…うん、次子ちゃんの世話、結構手伝っていたみたいだから」
 二人は一瞬見送ると、何とか赤ん坊をあやし始める。
「しかし、オムツの交換なんてどうするんだ? 瞳子はやり方を知っているのかい?」
 柏木の質問に二人は顔を見合わせる。知っているどころか、全くの未経験である。
「瞳子は…わかりませんわ。そうだ、乃梨子さんはどうですの?」
「無茶言わないで。私だって全然わからないわよ」
「そうすると、あの子一人に全部お任せになってしまうな…悪いけれど」
「優お兄さまも、ご存じの訳ありませんわよね」
「オムツを替えている所を見たことはあるけれどね。僕が換えたことはないよ」
「それならば、申し訳ありませんけれど、可南子さんを手伝ってあげて下さいまし。見たことがあるだけでも、私たちよりはマシですわ」
 目を閉じて、腕を組み、柏木は首を傾げる。
「う…ん。頑張って思い出してみるよ。でも、見たと言っても、あの頃は僕も小さかったからなぁ」
 乃梨子が全くの好奇心で尋ねた。
「どのくらい昔なんですか?」
「うん…僕が覚えているのは、瞳子がオムツを替えられていた所だから…」
「思い出さないで下さいましーーーーー!!!!!」
 満面を朱に染めて抗議する瞳子。
 瞳子の叫びでさらに泣き出す赤ん坊。
 三人がそろそろパニックになりかけた所で、可南子が戻ってきた。
「車のシート、お借りしますね」
 テキパキと作業を始める可南子。乃梨子と瞳子はその作業を興味深そうに見守っている。
「あ、男の子」 
 つい、乃梨子が呟いて、瞳子が呆れたように呟く。
「乃梨子さん…」
「あはは…。あれ? 可南子?」
「…可南子さん、動きが止まっていますわ?」
 二人は、突然動きを止めた可南子の顔を背後から覗き込む。
 真っ赤になった可南子の顔がそこに。
「可南子さん?」
「どうしたの?」
 二人に振り向いた可南子は明らかに混乱している。
「こ、この、この子、お、お、男の子!!」
「ええ。見ればわかりますわ」
「駄目、無理!! 無理だから!!」
 わたわたと、その場から逃げようとする可南子を押しとどめる二人。
「どうしたのよ、可南子さん!」
「可南子さん、オムツを換えられるのは貴方しかいないんですのよ!!」
「無理! 無理だから!!!」
 二人は必死で可南子を押さえつけ、可南子は赤ん坊から一歩でも遠くへ離れようともがく。
「男の子なんて、見たこと無いわよ!!」
 可南子の絶叫に、乃梨子と瞳子が被せる。
「赤ん坊なんだから気にしないで!」
「赤ん坊相手に恥ずかしがらないで下さいます!?」
 そこへ伸びてきた手が、瞳子と可南子が押しつけ合おうとしているオムツを奪う。
「何やってんだか、あんた達は」
 声の主に、乃梨子は「あ」と声を立てる。
 一緒に来ておいて、というか、ここまで車に乗せてもらっていてすっかり忘れていた。
 乃梨子と可南子は、このショッピングセンターまで菫子さんの車に乗せてもらってきていたのだ。
 菫子さんには菫子さんの用事があるというので別行動をしていたのだけれど、どうやらこちらの様子に気付いて慌ててやってきたらしい。
「まったく…。きょうびのお嬢様は、オムツの一つも換えられないのかい。保育の授業とか、そういうのがあるんじゃなかったのかい?」
「だって…次子ちゃんは女の子ですから…」
 消沈している可南子の言葉を、菫子さんは笑い飛ばす。
「あってもなくてもかわんないようなこんなちっちゃいのなんか、気にする方がどうかしてるよ」
 あけすけな物言いに瞳子は唖然と菫子さんを見る。
 瞳子の視線に気付いた乃梨子は、慌てて、
「あ、こちら菫子さん。前に話したことがあるでしょう? 私の大家兼大叔母兼保護者よ」
「ごきげんよう。松平瞳子と申します」
 乃梨子の大叔母が元リリアンだと聞いていた瞳子は、リリアン風の挨拶。
「はい、ごきげんよう。ああ、貴方が瞳子ちゃんね。噂は色々聞いてるよ」
 噂。瞳子の目がじろっと乃梨子を見る。
 そうか、松平か。懐かしいわね。などと小さな声で呟きながら、テキパキとオムツを換える菫子さん。
「ほら、これで大丈夫。女三人と大の男が、赤ん坊の世話一つ満足にできないなんて、みっともないったりゃ、ありゃしない」
 反論できない三人。
「申し訳ありません」
 代表する形で頭を下げる柏木。
「ですが、助かりました」
 そのままざっと状況を説明し、親が見つかるか警察に届けるまで面倒を見るのを手伝って欲しい、と申し出る。
「…赤ん坊を放っておくのも目覚めが悪いしね…」
 承諾する菫子さん。
 
 菫子さんのおかげ、というわけでもないだろうけれど、その後すぐに本当の両親が現れた。
 柏木の予想通り、捨てられていたわけではなく間違えていたらしい。
 確かめてみると、夫婦の車は柏木の車に似ていた。お父さんの方がかなりの車好きで、独身時代から貯めに貯めたお金でようやく買った車らしい。だけど、お父さんの車は家族に使われてしまう運命だから。
 
 いつもマイペースの柏木と、さすがの年の功な菫子さんは別として、三人は疲労困憊だった。実際に世話をしたのがほとんど菫子さんだったとしても、気の使い方は尋常ではなかったのだ。
 柏木の提案で、一同はお茶を飲んでいる。
 こんな美男子に誘われるなんて、何年ぶりかしら、と言う菫子さんに、桁が違うでしょっ、と突っ込んだ乃梨子は、
「リコがよく寝言で呟く人の名前って確か…しま…」
「ごめんなさい。大叔母様。大叔母様は今でも大変魅力的です」
 一瞬にして敗北。
 一方可南子は次子相手の経験がまったく役に立たなかったこと。
 瞳子は最初懐かれただけで後はなんの役にも立たなかったこと。
 三人三様で意気消沈して紅茶なりコーラなりをすすっていたのだけれども、柏木の不用意な言葉で復活してしまう。
「お疲れのようだね。だけど、君たちもいい予行演習になったんじゃないかな?」
「予行演習?」
「君たちだって、将来は誰かのお嫁さんになるんだろう?」
 顔を見合わせる三人。
「なるの?」
「なるんですか?」
「なりますの?」
 何故かこういうときだけ一致する答えに、柏木は当惑し、菫子さんはにっこり笑う。
「…三人とも、まぎれもないリリアンッ子だね」
 
 
 
 
 
あとがき
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