「侵略者を撃たないで」
宇宙忍者バルタン星人登場
ウルトラマン第二話「侵略者を撃て」参照
年末に向けて溜まった事務を片づけていると、ずいぶん遅くなってしまった。
「どうする? あと一頑張りすれば終わりそうだけれども」
「別にいいんだけれど、学校に残っていて大丈夫?」
「守衛さんにはきちんと話すわよ。学校の用事なんだから、多少は見逃してくれるわよ」
蓉子さまと聖さまの会話に、江利子さまが口を挟んだ。
「たまにはいいんじゃない? だけどね、正直…」
江利子さまは祐巳達を手のひらで示す。
「みんなお腹が減っているわよ」
タイミング良く、祐巳のお腹から異音。
「あ……」
狙っていたわけでもないんだろうけれど、あまりのタイミングに黄薔薇さまの目が点になる。
あはははと笑い出す白薔薇さま。それに続いて皆が笑い出してしまう。
これではまるで、文化祭翌日の再現だ。
「でも、まあ…この時間ですから、お腹が減っているのは祐巳ちゃんだけじゃなくて、みんな一緒だと思いますよ」
こめかみを押さえて無言でいる祥子さまに替わって、令さまがフォローを入れる。
「そうですね。もうこんな時間ですもの。お腹も空きますわ」
「それじゃあ、パンでも買ってくる?」
「でも購買部はもう…」
「外のコンビニで適当に買ってくればいいわ」
結局、お腹の鳴っていた祐巳がパン当番となった。
残っていても多分、お腹の虫のことでからかわれただろうから、それはそれでいいのだけれど。
信号待ちでふと見上げると、空は星が瞬き始めている。
「祐巳さんは宇宙人を信じる?」
お昼休み、由乃さんが真顔でそう語ってきた。
「おじさん…令ちゃんのお父さんが剣道を教えている生徒でね、星野君って言う子がいるんだけれど。星野君って、科学特捜隊に出入りしているらしいのよ」
科学特捜隊。通称科特隊。祐巳でも名前くらいは聞いたことがある。たしか、世界的な科学調査、研究活動期間の日本支部だ。かなり危険な任務もあるそうで、軍とは別系統の武装をされていると噂もある。
でも、さすがに子供が出入りしているというのは眉唾物だと思う。
「その星野君の言うところによると、先週、埼玉の湖に銀色の巨大な宇宙人が現れて、隕石に乗ってやってきた怪獣と戦って倒してくれたって」
確かに、埼玉のとある湖で怪事件が起こったらしいとは新聞やテレビで言っていた。けれど、まさか、怪獣?
いや、いくらなんでも。
祐巳が絶句していると、由乃さんは笑いながら、
「嫌ね。私だって、そんなことまでは信じてないわよ。だけど、宇宙からやってきた銀色の巨人なんて、面白そうじゃない」
「面白い?」
「うん。宇宙人って、夢があると思わない?」
由乃さんは時代劇マニアの癖に、SFも嫌いではないようだった。
星の瞬きを見ていると、そんな会話を思い出してしまう。
信号が赤になり、祐巳は急いで学校へと戻った。お腹が鳴ったのは確かに祐巳一人だけれども、令さまが言ったように、お腹が減っているのはみんな一緒なのだ。
「遅くなりました」
妙に静かな薔薇の館。
物音一つ、どころか話し声一つ聞こえない。
「お姉さま?」
声をかけながら階段を上がるけれども、返事はない。
何かの悪戯だろうか?
薔薇さま方ならあり得ない話ではない。令さまやお姉さまがそんなことをするとは思えないけれど、薔薇さま方が一旦そうと決めればいくら令さまやお姉さまでも逆らえないような気がする。
「紅薔薇さま? 白薔薇さま? 黄薔薇さま? 令さま? 由乃さん、志摩子さん…」
誰も返事はない。
「どうしたの?」
扉を開けると、皆、普通に座っている。
「なんだ、皆いるじゃありませんか、いったい…」
言いかけて、祐巳はヒッと息を呑んだ。
凍り付いたように動かない一同。いや、一同は彫像のように凝固しているのだ。
「…あの…」
一番近くにいた志摩子さんに触れてみる。
堅い。
まるでマネキンを触っているような感触。
「志摩子さん?」
志摩子さんだけではない。部屋の中にいる者全員が、志摩子さんと同じように凝固しているのだ。
「あ……」
その時、どこからともなく不快なくぐもった笑いが聞こえてくる。
ヴァッファッファファファ……
「な、なに?」
ヴァッファッファファファ……
思わず、本能的に一歩後ずさる祐巳。
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
不気味な笑いが部屋中に響く。
祐巳は咄嗟に階段を走り降りようとする。
足が、宙に浮いた。
……嘘。
狭い場所で急に動いてバランスを崩した祐巳の身体は、宙に浮いていた。
…転んだ?
気付いたときにはもう身体は浮いている。あとは地面に激突するだけ。だけど、そこにあるのは階段。
…ぶつかるッ!!
緊張して固まる身体。ギュッと閉じられる目。
…怪我しちゃうっ!
痛みを予想して緊張。こわばる身体。
………?
おかしい。転んだと感じてからかなりの時間が過ぎたような気がする。
祐巳は恐る恐る目を開いた。
床が見える。
……?
身体が、宙に浮いていた。
転んでいる途中ではない。本当に宙に浮いているのだ。
「え? え?」
「大丈夫ですか?」
祐巳の身体がゆっくりと床に下ろされる。
床に足がつき、聞き覚えのある声の方向に怖々と振り向く。
「お姉さま?」
お姉さまが立ってこちらを見ている。
けれども、その表情はなんだかおかしい。強いて言うならば、寝起きの低血圧状態が一番近いかも知れない。
「大丈夫ですか?」
違う。これはお姉さまじゃない。
祐巳は根拠もなく、ただし非常な確信と共にそう思った。
「はい。大丈夫です」
けれど、問いには答える。少なくとも、祐巳のことを心配してくれていたことに間違いはなさそうだったから。
「どなた…ですか?」
「…私は地球の言葉を話す器官を持っていない。だから、この人間の身体を借りて話している」
「借りてって!!」
「…この人間に危害を加える気はない」
嘘ではない、と祐巳は直感的に思った。そもそも、転んだ自分を、どうやったかはわからないにしろ助けてくれたのだから。
「誰なんですか? …地球の言葉って言いましたよね?」
日本やアジアではなく、「地球」と言った。つまり、今話しているのは「地球」以外の者。
昼間の由乃さんの話をもう一度、祐巳は思い出していた。
「宇宙人…さん?」
「貴方達の言葉で言うならば、そうなります」
「もしかして、埼玉の湖に現れた銀色の巨人さん?」
「…なんのことを言っているのかはわかりませんが、私の事ではないと思います」
「お名前は?」
「我々はバルタン星人」
「バルタン?」
「バルタンです」
「どうして地球に来たの?」
「我々の星が狂った科学者の実験によって滅びてしまったのです。我々は新しい故郷を探しています」
「ふーん。…あ、それが地球なんだ」
頷く祐巳。ではこのバルタン星人さんは移民に来たと言うことだ。
日本は移民には厳しいと聞いているけれど、宇宙からの移民はどうなのだろう?
「…貴方一人ぐらいなら、大丈夫じゃないのかな…」
「宇宙船には、二十億の同胞が休眠状態だ」
「ふーん…って、二十億ッ!!??」
祐巳は少し考えた。
二十億って…二十億って………無理。
「そ、それはちょっと無理だよ…」
「そうだろうな。私もそう思う」
「え?」
バルタン星人は、祥子さまの声で静かに語る。
二十億のほとんどは、バクテリア並みの大きさになって休眠していること。
地球人の存在など気にしていなかったこと。
それでも、念のため先遣隊として自分が選ばれたこと。
本体に先んじることほんの数時間だが、それでも調査は充分だった。
侵略の障害はない。地球人の文明など、バルタン星人にとっては児戯に等しいものだ。
「しかし、私は予想外のものを見つけた」
つー、と流れ出す何か。
「え? お姉さま?」
「これだよ」
バルタン星人は、涙を流したままの祥子さまの声で言う。
「この人間は、別の人間のことを思って涙を流している。我々の侵略で消え去る自分ではなくて、我々の侵略で消え去る別の一人を思って涙を流している」
「お姉さま……」
祐巳にはわかっていた。別の一人というのが誰なのか。
「…この気持ち、我々のほとんどが失っているものだ」
祥子さまがぱたんと椅子に座る。
その背後にぼんやりと、蝉を直立歩行させたような奇怪な姿が見え始める。
「驚くことはない。これが我々バルタン星人の姿だ」
「あ………」
祐巳は自分を押さえつけた。姿形で他人を判断してはいけない。それはきっと、宇宙人も同じ事だと思うから。
「バルタン…星人」
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
ああ、この声はバルタン星人さんの声だったのか。
離れてしまったあとも、祥子さまへの憑依は続いてるようだった。
「今、仲間から連絡があった。人類は我々を拒否した」
「だって…二十億は多すぎるよ」
「そうだ。だが、我々の強硬派は、侵略を実行に移すだろう。地球は明日の夜明けを待たずして、我々バルタン星人のものになる。地球人は滅ぼされるだろう」
「そんなっ!」
「…お前達は火星にいけ。我々のテクノロジーを貸与すれば、我々よりも環境への適応は容易いだろう」
「火星…?」
「そうだ。時間がない。ここにいる者達だけは救ってやる」
「どうして?」
一瞬、バルタン星人が人間のように笑ったような気がした。
「…お前達の心を見た。久しぶりに我々が昔持っていたものを思い出した。それに対する礼だ」
その時、何かに気付いたかのようにバルタン星人が空を見上げた。
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
「そうか…銀色の巨人とは奴のことか……なるほど、地球には既に奴が来ていたのだな」
「どうしたの?」
「地球には守護者がいた。我々の敗北だ」
「敗北……」
もしかして、銀色の巨人というのは本当にいて、地球を守ってくれだのだろうか。バルタン星人の反応を見ていると、祐巳にはそうとしか思えない。
「私もここを去る。この人間の身体は返そう。永久的な障害は何も残らないはずだ」
「どこに行くの?」
「我々は火星に行く。だが、強硬派の残党は諦めないだろう」
「みんなで火星に行けばいいじゃない」
「火星にはスペシウムがある。我々にとっては極めて毒性の高い物質だ。地下にシェルターを作り、そこで制限された生活を送ることになる。強硬派には耐えられないだろう。だが、私は違う。お前達のように悲しむことを思い出してしまった私には、もう侵略はできない」
「一人なの?」
「いや、私にも同志はいる」
「良かった。一人じゃないんだね」
微笑む祐巳に、バルタン星人はたじろいだようにはさみを揺らした。
「人間とは恐ろしいものだな。肉体的にも科学的にも、精神的にも、我らに勝るものは何一つないというのに」
「大丈夫だよ、バルタンさんにも、きっといいことがあるよ」
「バルタンさん…?」
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
ヴァッファッファファファ……
何故か祐巳には、それが愉快な笑い声に聞こえた。
「いつか貴方を、火星に招待したいわ、祐巳」
驚くほどに祥子さまとそっくりな、それが最後のバルタン星人の言葉だった。
「不快なだけです。あこがれの福沢祐巳さまが、ある日突然別の人格に乗っ取られたんですから」
「乗っ取られた……」
今度は祐巳が聞き返す。当の本人には、乗っ取ったという記憶も乗っ取られたという記憶もないのだが。
けれども、乗っ取った宇宙人と会話したことならある。祐巳はそれを思い出していた。
「消えた方の福沢祐巳は私の双子で、宇宙飛行士になって今頃火星に行ってる!」
「は?」
「……そう思って、私と新たな関係を築かない?」
「ふざけないでください」
「大まじめなんだけれど」
だけど、火星の地下に極秘のシェルターを作ったバルタン星人とお友達なんて、可南子ちゃん相手に言えるわけもなく。