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赤と青
 
 
 志摩子さんが、綺麗なビンに入ったこれまた綺麗なキャンディを持ってきた。
 一つにビンには赤いキャンディ。
 もう一つには青いキャンディ。
 どうしたのかと聞いてみると、「夢に天使が現れて、目を覚ますと枕元にこれが置いてあった」と言う。
 志摩子さん以外の誰かが言うと、かなり拙い状況になっていたような気もするけれど、志摩子さんの口から「天使」という事が飛び出すのはなんだか自然で。信心深い志摩子さんの所にだったら、天使の団体旅行客が訪れてもいいくらいだと、祐巳は思ったのだった。
「なんだか、美味しそうっていうより、綺麗なキャンディね」
「うん。食べ物じゃなくて、飾りみたい」
 由乃さんの言葉に祐巳が賛成すると、志摩子さんはウフフと笑いながら、
「そうね。でもね、これは、ただのキャンディじゃないの。そう言ったらどうする?」
 うーん。天使がくれた、と言うのが本当なら、確かに普通のキャンディの訳がないとは思うけれど。とりあえず祐巳は当たり障りのない返事をすることに決めた。
「普通じゃないとしたら、どんなキャンディなの?」
 志摩子さんが答えようとすると、令さまとお姉さまがやってきた。そして間を置かずに、一年生トリオも。
 そして何故か、蔦子さんまで。
「あ、私がお呼びしたの。記念も兼ねた証拠写真を撮ってもらおうと思って」
 記念? 証拠? なんだかよくわからないけれど、志摩子さんには志摩子さんの考えがある様子。
 なんの話なのかと尋ねる令さまに、由乃さんがかいつまんで説明。
「天使、ねえ…」
 リリアンといえども、天使の存在を、しかも夢枕に現れる天使の存在を即座に信じる人はあまり多くない。
 令さまは、それはそれでロマンティックな話だとは思っても、現実だと言われるとやや引くタイプ。
「黄薔薇さまは、天使の存在を否定なさるのですか?」
「ううん。否定じゃないよ。ただ、私はまだ見たことないから。それだけのこと」
 志摩子さんの問いにも、あっさりと答える黄薔薇さま。
「いるとは思ってるよ…現に、ウチにもいたからね…」
 この辺りは小声で、近くにいた祐巳にしか聞こえなかったのだけれど。
「ああ、…幼稚舎の頃の由乃…まるで天使みたいに可愛かったなぁ…。まあ、今は今で別の可愛らしさなんだけどね…」
 それはちょっとアブない人です、黄薔薇さま。
 なんとなく別世界へ解脱しつつある黄薔薇さまを放っておいて、今度はお姉さまが、
「天使がお授けになったキャンディなんて、素敵ね」
「ええ。とても素敵な天使様でしたわ」
 ふと見ると、乃梨子ちゃんの目が潤んでいる。
 ああ、あれはもう典型的な、
「志摩子さん。志摩子さんのそのイメージ、とても素敵だよ」な乃梨子ちゃん。
 その一方で瞳子ちゃんと可南子ちゃんは…
「またデンパ発してるよ、あの人は」と困った顔で見ている。
「でも、普通じゃないってどういう事なのかしら? 祝福でも受けているというの?」
 お姉さまの問いに、志摩子さんが首を傾げる。
「あら、紅薔薇さまったら、祐巳さんと同じ事を聞かれるのですね。さすが姉妹ですわ」
 乃梨子ちゃんが「あ? 夢がねーな、おめーは。志摩子さんの夢壊す気か? 好感度高いからってチョーシくれんなよ、ゴルァ!」な目で祐巳を密かに睨んでいる。
 すーっ、と、視線を遮るように身体の位置を変える可南子ちゃん。
「乃梨子さん、ちょっとお話が?」
「まあ、可南子さん。ちょうど瞳子も乃梨子さんとお話しがしたい所ですわ」
「では、三人で」
 ズルズルと引きずられていく乃梨子ちゃん。
 閉じた扉の向こうからとてつもない怒号と打撃音が聞こえてきたような気が。そのうえ…
 “超高度からのスカイフック!”
 “ドリルミサイル!!”
 “御仏の慈悲は悪党どもには無用!”
 なんて聞こえたような気がするけれど、祐巳は気にしないことにした。
 怖いから。
「そうね。説明するよりも食べてもらった方が早いかも」
 赤いキャンディ十数粒を取り出す志摩子さん。一粒一粒が小さいから、それだけの数でも一息で口の中に放り込めそうだ。
「由乃さん、これ、食べてみてくれる?」
 ん? と一瞬不審そうな顔になるけれど、まさか志摩子さんが身体に悪いものを食べさせるわけがない。
 そうとわかっていれば、由乃さんはこういう事に尻込みする性格じゃない。由乃さんはどちらかというと、いや、完璧にチャレンジャーだ。
 祐巳の予想通り、由乃さんはつかつかと歩み寄るとキャンディを受け取り、ためらわずに口の中に放り込んだ。
「…うん…甘くて美味しい。しつこくないけどとっても甘くて、上品な味ね。これはなきゃ…!?」
「由乃!」
 令さまが叫んだのも無理はない。由乃さんの身体が、みるみるうちに縮んでいるのだ。
「志摩子、一体何を食べさせたの!!」
 令さまとお姉さまが慌てて駆け寄るけれど、志摩子さんは平然としている。
「大丈夫です。小さくなっただけですから。それに、すぐに戻りますよ」
「小さくって…」
「れいたん?」
 さっきまで由乃さんがいた所に立っているのは、ダブダブの制服に身を包んだ可愛らしい子。
「どちたの、れいたん?」
 え…これってもしかして…。
 祐巳の逡巡を見透かしたように、令さまが呟く。
「…由乃?」
 聞きとがめるお姉さま。
「令、何を言って…」
 お姉さまの視線がじっと子供に向けられる。
 そう言えば、令さまとお姉さまはずっとリリアンにいたから、昔からのお知り合い。
 小さい頃の由乃さんを、お姉さまも知っているのかも知れない。
「貴方…由乃ちゃん?」
「…」
 きょとんとした顔で、回りを見ている小さな由乃さん。
 確かに、令さまの言葉通りとても可愛らしい。つぶらな瞳で辺りを見回す姿は、天使の絵画から抜け出してきたようにも見える。
「よちのだよ?」
 しかも舌足らず。
 無言で近づく令さま。有無を言わさず由乃さんを抱き上げて、じっと見る。
「…右の脇腹にほくろがある。…やっぱり由乃だ」
 とりあえず、令さまがそんな場所のほくろの位置を知っている不思議には突っ込まないことにする祐巳。
「れいたん、よちのの服は〜?」
 そうだ。小さくなった由乃さんは、当然服もみんな脱げている。
「ちょっと待ってね」
 由乃さんの制服をとりあえず被せて、令さまはせっせと安全ピンで各所を留める。
「はい、応急処置だけど、これで大丈夫」
「うん」
 安心したように、令さまにしがみつく由乃さん。
「れいたん、だいちゅき」
「ああ、由乃、私も大好きだよ!」
 令さまは由乃さんを膝に置いて、楽しそうに語り始めた。
 いえ、楽しそうだし、可愛らしいとは思うんですけれども、令さま、この状況に適応しすぎです。
「志摩子さん、由乃さん、どうなるの?」
「大丈夫。赤いキャンディは若返りだけど、青いキャンディは逆に年を取るの。同じ数だけ青いキャンディを食べれば元に戻るわ」
 だったら安心。けれど、安心すると試したくなるのも人情で。
「志摩子さん、私もそれ、食べてみたいんだけど…」
「いいわよ」
 そこへ戻ってきたのが一年生トリオ。
 ゼエゼエ言いながら帰ってくる三人。扉の向こうで何があったのやら。
「…な、なかなかやりますわね、乃梨子さん。二人がかりの攻撃をあそこまで防ぎきるとは…」
「ふ…、伊達に外部受験じゃないわよ。瞳子も外部の荒波に揉まれてみることね」
「いえ、外部でも乃梨子さんほどの強者は滅多にいませんよ」
 何があった貴方達。
「お疲れのようね。甘いキャンディでもいかが?」
 あくまでにっこり笑ったままの志摩子さん。
「あ、キャンディ。いただきますぅ」
 喜んで真っ先に駆け寄ったのは瞳子ちゃん。祐巳が止める間もなく、二、三粒を口に放り込んでしまう。
「ん? …どうかしましたか? 祐巳さま」
「あ、あの、瞳子ちゃん、それ…」
「どうしましたの?」
 その時、乃梨子ちゃんと可南子ちゃんがミニ由乃さんに気付いた。
「黄薔薇さま。その子は…」
「なんだか、由乃さまに似ていますね」
「あたち、よちのだよ」
 驚く二人に説明する令さま。
「ええっ!!」
 さらに驚いたのは、二人の後で話を聞いていた瞳子ちゃん。
「と、瞳子、若返るんですの?」
 …数分経っても、変化した様子はない。
「どうして瞳子ちゃんには効果がないのかな?」
「祐巳、よく見なさい」
 お姉さまが瞳子ちゃんの横に立つ。
「瞳子ちゃんは、中学生の時からほとんど変化がないわ。というより中学生からあまり成長していないの」
 うう、と痛い所を突かれたようによろめく瞳子ちゃん。
「た、確かに、瞳子は体重も身長もこの二年ほどはまったく成長していませんけれども…酷いですわ、紅薔薇さま」
「違うわ瞳子ちゃん。今の貴方、明らかに若返って小さくなった部分があるのよ」
「え?」
 首を傾げる祐巳。特に何も変わった所は……あ。あった。
 ドリル…もとい、縦ロールが縮んでいるような気がする。
「瞳子ちゃんが中学校時代から成長した部分。それは、ここ」
 縦ロールを手に取るお姉さま。
「この縦ロールだけは、年齢と共に大きくなってきたのよね」
 しみじみと語るお姉さまと、必死で笑いを堪えている可南子ちゃんと乃梨子ちゃん。
「…ということは、それは本当に効力のあるものなんですね」
 可南子ちゃんの問いに、瞳子ちゃんと由乃さんに元に戻るキャンディを渡していた志摩子さんは頷く。
「あの…私にも少し試させていただけませんか?」
「ええ。どうぞ。可南子ちゃん」
 可南子ちゃんが三粒を飲む。
「これは一粒でだいたい一年らしいから」
「それじゃあ三年…あ、ああっ…」
 みるみる縮んでいく可南子ちゃん。制服の中にストンと落ち込むように姿が見えなくなってしまう。
「可南子ちゃん?」
「あ、大丈夫です」
 ダブダブになった制服を身体に巻き付けながら、可南子ちゃんは嬉しそうに辺りを見回していた。
「この目の高さ、なんだか新鮮です」
 見たところ、身長が百五十センチもない。
 驚きを隠せない一同。
 三年前と言うことは…中一。
「可南子ちゃん…中一の時、そんな背だったんだ…」
「…三年で約三十センチ伸びたことになりますね…凄いわ」
 乃梨子ちゃんの言葉に、可南子ちゃんは溜息を一つ。
「勘違いしないで下さい、乃梨子さん。私は今、一粒当たりの若返る時間を間違えただけですから」
 ん? なんだか可南子ちゃんの言うことが…
 祐巳が悩んでいる内に、
「中三の春までは、この身長でしたわ」
「ああ、そうなの、ごめん、可南……って、一年で三十センチかいっ!! 一日一ミリのペースですかっ!!」
 乃梨子ちゃんのツッコミにも、あくまでクールに返す。
「当時みんなに言われたわ…。細川家には“打出の小槌”があるに違いないって」
 一寸法師ですか、可南子ちゃん。
 皆が元に戻った所で、志摩子さんは乃梨子ちゃんを手招く。
「乃梨子、お願いがあるのだけれど…?」
 小首を傾げて上目遣い。
 うわ、志摩子さん、それは乃梨子ちゃんに対してはお願いじゃなくて命令、しかも最上級最優先最緊急の命令だよ。
 祐巳の呟きは誰の耳にも入らず、乃梨子ちゃんは吸い寄せられるように志摩子さんに近づいていく。
「なに? 志摩子さん。志摩子さんのお願いだったら、なんでも聞くよ?」
「うふふ、ありがとう、乃梨子。とっても嬉しいわ…。それじゃあ」
 ざらり、とキャンディを取り出す志摩子さん。
「これを飲んで、若返ってみてくれないかしら? しばらくの間でよいのだけれど」
 若返る。
 しばらくの間。
「…志摩子さん。幼い乃梨子ちゃんをお持ち帰りする気ね!」
「ロ、白薔薇さま、それは!」
 瞳子ちゃんが必要以上に慌てているような気もするけれど、それはそれ。
 志摩子さんの指しだした手をじっと見ていた乃梨子ちゃんが、気まずそうに口を開く。
「あの…志摩子さん?」
「なに? 乃梨子?」
「これ、一粒で約一年ですよね?」
「ええ。さっきまでの人体実験で確信したわ」
 ああ、それで由乃さん達にキャンディを…って、
「人体実験!!」
 みんなの叫びも耳に入らないで、二人の世界を続けている白薔薇姉妹。
「志摩子さん、これ、十六粒あるような…」
「ええ、十六粒あるわよ」
 志摩子さんの顔をじっと見る乃梨子ちゃん。
「…志摩子さん、私、十六歳だよ?」
「知っているわよ」
「あの…」
「乃梨子、こんな事を頼めるのは貴方しかいないのよ…」
「えっと…でも、私がこのキャンディを十六粒飲んだら…」
「受精卵にまで戻るわ」
「やっぱり…。あの…志摩子さん」
「あのね、乃梨子…」
 志摩子さんが乃梨子ちゃんの手を取って、椅子に座らせる。
「良く聞いて欲しいの。もし乃梨子が受精卵に戻ったら…」
 にっこりと、志摩子さんは微笑んだ。
「私が、産んであげる」
「え゛?」
「私がね、乃梨子を産んであげるの」
「そ、それって…」
「ええ。処女懐妊。マリア様と同じよ」
 確かに志摩子さんは信心深い人だけれど。
 そんな野望を持っていたなんて……。
「だけど、どんな子が産まれるかわからない。乃梨子さえ望むなら、私が乃梨子を育ててあげるから」
 乃梨子ちゃんも呆れ……てない。
 それどころか、嬉しそうに志摩子さんの手まで握りしめていた。
「志摩子さんがお母さん……」
 なんだか目が泳いでる。どう見てもトリップしてる、妄想してるよ…。
「志摩子、それはさすがに…」
「ちょっと無茶な話だと思うよ…」
 お姉さまと令さまはさすがに止めにかかるけれど。
「紅薔薇さま、黄薔薇さま。これが成功すれば、祐巳さんと由乃さんにも同じ事ができますわ」
 ピタッと止まる二人。
 祐巳は嫌な予感がしてその場から離れようとする。
 一瞬遅く、お姉さまの手が肩に。
 ふと見ると、由乃さんも同じように令さまに捕まっている。
「それはいい考えね。志摩子」
「本当ね。祥子の言うとおりだよ」
「…瞳子ちゃん? 可南子ちゃん…?」
 助けを求めて瞳子ちゃんと可南子ちゃんを見ると、なにやら相談している。
「…仕方ありませんわね」
「ええ、祐巳さまのためですもの」
 つかつかと歩き始めた二人は、お姉さまに捕まった祐巳を通りすぎる。
「え? 可南子ちゃん? 瞳子ちゃん?」
 二人はそのまま志摩子さんへ。
「ごめんなさい、白薔薇さま!」
「祐巳さまのためですから!」
 瞳子ちゃんが志摩子さんに飛びつき、可南子ちゃんが志摩子さんの手をはたく。
 志摩子さんの手を離れて飛んでいくキャンディのビン。
 一つは窓の外へ。もう一つは壁にぶつかって床に。
「あ…」
「何するのよ! 二人とも!」
 一瞬呆気にとられていた乃梨子ちゃんが、慌てて二人に向かって叫ぶ。
「正気に戻ってくださいまし、乃梨子さん!」
「さすがに受精卵は無茶よ!」
 二人の正論を乃梨子ちゃんは真っ向無視。
「…言ったはずよ。御仏の慈悲は、私と志摩子さんの間を邪魔する者には無用!」
 乃梨子ちゃん、さっきと微妙に違うから。
「乃梨子さんこそ、今度こそスカイフックで鎖骨を砕かれたいと?」
「瞳子のドリルミサイル、次は二連発で行きますわよ?」
 三大怪獣の激闘が始まりそうな気配に祐巳が身をすくめていると、何故か外から異様な鳴き声。
 何事かと窓へ駆け寄ってみると、
「あ、ゴロンタ」
「ランチ?」
「メリーさん?」
 それにしてはなんだか大きい。
 よく見ると、猫の横には青いキャンディのビン。
「…ゴロンタ…食べたのね」
 見ている内に大きくなっていく猫。
「え、えーと、何粒食べたんだろう?」
「百粒はあったと思うわ…」
「猫って…百歳まで生きるんですか?」
「いや、無理」
「大変、早く赤いのを食べさせないと」
「ええ、そうね」
 全員が妄想から脱出して、ゴロンタ救出を考え始めている。
 とにかく良かった、と祐巳は思った。あとはゴロンタを助けるだけ…
 メキメキメキメキメキメキメキ
 ガリガリガリガリガリ
 ボキッガキッバキッメキッ
 物騒な音。
「…えーと…これは……」
「メリーさんって、猫じゃなかったのかしら?」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃありませんわーーー!!」
 なんだかよくわからない生物が目の前に鎮座している。
 目の前。
 そう。ここは二階だというのに目の前。
 ゴロンタ(ランチ・メリーさん)は、なんだかよくわからない巨大生物になってしまった。
「猫じゃなかったんだ…」
「なんなんだろ、この子…」
 キシャアーーーー
 凶悪な叫び声。
「と、とりあえず何とかしないと!」
「赤いキャンディ! キャンディを口の中に放り込むのよ!!」
 可南子ちゃんがビンを拾って、投げつける。
 
 
 キャンディは全部無くなったけれど、ゴロンタは元通り中庭で平和に暮らしている。
 志摩子さんは、キャンディが無くなったら野望も失ったようで、あれからは何も言わない。
 とにかく、薔薇の館に再び平和が戻った。
 けれど…
 あれ以来、祐巳はゴロンタの巨大化を警戒している。
 
 
 
 
あとがき
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