SS置き場トップに戻る
 
 
「こんな『未来の白地図』は嫌だ!」
瞳子の事情
 
 
 瞳子ちゃんが家出をしている。
 柏木さんから聞いた話で、祐巳は少し混乱していた。
 一体瞳子ちゃんに何があったと言うんだろう。
『昼間家族の中でちょっとけんかっていうか、軽い意見の衝突みたいなことがあったらしくて、瞳子は家を飛び出したようなんだ』
 柏木さんの言葉を思い出しながら、祐巳は考えていた。
 家族と喧嘩なんて。
 祐巳には想像できない。そりゃあ、言い争いの一つや二つはあるけれど、そんな、家を飛び出してしまいたくなるほどのような衝突なんて。
 でも、考えてみれば瞳子ちゃんの家にだって色々な事情があるのかも知れない。それは、祐巳には窺い知れないことなのだ。
 
 
 それにしても、まさか柏木さんの電話の直後に、当人の瞳子ちゃんが我が家に来るなんて。
 
 そして、結局瞳子ちゃんを泊めることになった。
 その前に、柏木さんに電話する。
 柏木さんはただ、「…わかった。祐巳ちゃんなら大丈夫だと思う」と意味深なことを言うと、瞳子ちゃんの両親には自分が伝えると言って電話を切ってしまった。
 夜、祐巳はベッドの中。瞳子ちゃんはお客様用の布団の中で祐巳の貸した新しいパジャマを着ている。
「瞳子ちゃん。聞いてもいいかな?」
 電気を茶色にしてから、祐巳は静かに尋ねた。
「なんですか? 祐巳さま?」
「嫌なら無理に聞く気はないんだけれど…」
 瞳子ちゃんが何も言わないので、祐巳は意を決してそのまま続ける。
「どうして、家出なんてしたの?」
 答はない。
 しばらく待っても、沈黙だけが辺りを覆っている。
「ごめ…」
 祐巳が謝りかけたとき、
「私には、譲れないものがあるんです」
 静かに瞳子ちゃんが言った。
「両親には迷惑をかけているのかも知れない。そんな自覚はあるんです。でも、私にはどうしても譲れないものがあるんです。どうしても、捨てたくないものが。手放したくないものが」
 捨てたくないもの。
 手放したくないもの。
 瞳子ちゃんの口調は真剣そのものだった。
「瞳子ちゃんには、大事なものがあるんだね」
 祐巳は思った。自分には何があるだろうか。
 両親と争っても守りたいもの。
 あるとすれば、それはお姉さまとの絆。何があっても守りたい。
 たとえ、それが両親と争うことでも?
 今の祐巳なら力一杯頷くことができる。けれど、祐巳には別の確信もある。
 お姉さまとの絆を奪うような両親ではないと。
 でも、それならば瞳子ちゃんの両親は?
 娘がそれほど大事にしているものを奪うような人なの?
 逆に考えると、瞳子ちゃんが両親と争ってでも守りたいものってなんなのだろうか?
 それを聞きたい、と祐巳は思った。けれど、さすがに憚られる。気軽に聞いていいようなことだとは、どうしても思えなかった。
「私には何もできないかも知れないけれど、瞳子ちゃんさえよければいつでも話は聞くよ?」
「大丈夫です。私なら」
 瞳子ちゃんは聞こえようによっては冷たいとも聞こえる様な言い方で拒絶する。けれど、祐巳にはそれが瞳子ちゃん流の気の使い方だと判っていた。
「うん。わかってる。でも、瞳子ちゃんがもし、話をしたくなったりしたら、私はいつでも待ってるからね」
 返事はなく、再び沈黙が支配した。
 ややあって、
「…はい」
 小さく瞳子ちゃんの声が聞こえて、祐巳は思わず微笑んだ。
 いつか聞けたらいい。けれど聞けなくてもそれはそれで構わない。
 瞳子ちゃんとは、今はそんな距離。
 それでいい。
 今は、それがいい。
 祐巳は微笑みを残したまま、ゆっくりと目を閉じる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 チュイーーーーーーーーーーーーーン
 何かが激しく回転している音で祐巳は目を覚ます。
「!?」
 何事かと辺りを見回しても、何もない。
 いや。
 あった。
 瞳子ちゃんの頭の当たり。
 何かが二つ、激しく回転している。
 縦ロール?
 チュイイイイイーーーーーーーーーーーーーン
 ハッキリ言って、うるさい。
 音の大きさではなくて、この金属音がとても耳障り。
 もしかして。
「瞳子ちゃん? 瞳子ちゃん?」
 声をかけても起きる気配はない。
 耳元の回転音に気付かないのだから、祐巳の声に気付くわけもない。
「瞳子ちゃん?」
 ゆっさゆっさと揺さぶっても起きる気配はない。
 耳元の高速回転に気付か(以下略)
 
 翌朝。瞳子ちゃんは自分で起きてさっさと着替える。
 ほとんど眠れなかった祐巳は、瞳子ちゃんに起こされてしまった。
「祐巳さまはお寝坊さんですのね」
 誰のせいだと思ってんだ、ドリル。
 そう言いたいのを必死で堪えて、祐巳はひきつった笑いを返す。
「瞳子ちゃん……その縦ロール、やめる気はないのかな?」
 瞳子ちゃんの表情がピクリと動いた。
「…祐巳さままで、お父さまやお母さまと同じ事を?」
 ピクリ。これは祐巳のこめかみの血管。
「もしかして、瞳子ちゃんの家出の原因って……」
 瞳子ちゃんは黙ってしまう。
「…瞳子ちゃん、お願いがあるの」
「嫌です」
 祐巳は諦めなかった。
 この縦ロール、いや、ドリルはおかしい。
 夜中になると回転するなんて、ましてや金属音なんて。
 学校でも事ある事に言い続けて、ついに放課後、瞳子ちゃんは怒ってしまった。
「しつこいですわ、祐巳さま!」
 銀杏並木の間を走り去っていく瞳子ちゃん。
「瞳子ちゃん!」
 追いかけようとして、ためらう祐巳。
 両親ですら縦ロールをやめさせることができなかったというのに、自分にできるわけがない。
「祐巳…」
「お姉さま」
 いつの間にか、お姉さまがそこにいた。
「優さんに話は聞いたわ。祐巳も瞳子ちゃんのことを知ってしまったのね」
「はい。でも、私には縦ロールをやめさせることは……」
 頷くお姉さま。
「忠告したけれど、受け入れられなかったのね?」
「私…」
「いいのよ、祐巳。瞳子ちゃんなら、最初は断るでしょうね」
 でも、とお姉さまは続ける。
「一度断られたくらい、たいしたことではないわ」
「はい」
「胸を張って。断られたことは、恥ずかしいことではないわ」
「はい」
「でも、切ないわよね」
 いえ、どっちかというと馬鹿馬鹿しいです。祥子さま。
 
 
 
あとがき
SS置き場トップに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送