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江利子さま改造計画
 
 
 江利子は何度目かの同じ台詞。
「もう、ここまででいいから」
「いやいや、きちんと最後まで見届けるよ」
「最後までって、駅に行くだけよ?」
 心底呆れて、けれど少し諦めて江利子は言った。
「たかが、駅前駐車場から改札口までの間、それを見届けるって言うのもおかしくない?」
「だって、江利ちゃんの身に何かあったら」
「たったの三分もないって言うのに一体何が起こるって言うのよ」
 江利子は、我が兄のシスコンぶりにいつものように困っていた。
「たった三分でも心配なんだ、こんな可愛い江利ちゃんを一人にしておくなんて…ああ、本当ならずっと家にいて欲しい。家でおとなしく家事をしていて欲しい! 買い物だって、仕事だって、全部お兄ちゃんがやってあげるから!」
「ちょっと、私に一日中家にいろって言うの?」
「勿論、毎週休みの日にはお出かけするさ。どこがいい? 遊園地? それともドライブ? たまには山登りなんかも…」
「もう、いいから。帰って」
「江利ちゃん…」
 本気で泣き出しそうな兄の目に、江利子はまた溜息をついた。
「いい加減、そのシスコン治してよ…」
「兄が妹を心配して何が悪いのさ」
「何事にも限度って言う物があるでしょ!」
「酷いよ、江利ちゃん」
「酷くない。これが世の中の正常な兄妹なの」
「そんなの知らない。ウチはウチのやり方があるんだーー!」
「…これ以上しつこくすると…」
 江利子は最後の切り札を投入した。
「嫌うわよ」
「ええ!」
「ウチには兄貴が三人いるんだから、中兄貴を無視しても、大兄貴と小兄貴がいるもの」
「…く…わかった…。江利ちゃん…だから、嫌わないでおくれ」
「わかったならさっさと帰る」
「…う…」
 悔しさを満面に現して、それでも毅然と振り向き歩いていく。
(…確かに格好いいのよ。だから普通に探せば彼女くらいすぐ見つかるでしょうに…)
 江利子は小さく溜息をつくと、駅の雑踏に紛れていった。
 
 ちなみに、これはたまにある情景ではない。基本的に毎日のように起きている出来事だった。
 江利子がどこかへ出かけようとする(最近行き先は固定されている。にっくき花寺講師の所)。
 兄貴が送ろうとする。
 その日がオフの一人が車を出す。(三人とも普通の会社員ではないので、学生である江利子が出かける時間には家にいることが少なくない)
 送られることには異存はないが、どこまでもついてくるので怒る江利子。
 しょげて帰る兄貴。
 
 
「というわけで、皆さんのお力をお借りしたいのです!」
 何を言っているのだろう、この人達は。
 蓉子さまは冷ややかな目で男性三人組を凝視していた。
「お力って、私らに江利子がどうこうできるわけないでしょうに」
 聖さまも呆れたように言う。
「黄薔薇さまに私たちが何をできるって言うんですか…」
 令さまが困ったように言いながら由乃に相づちを求める。
「…黄薔薇さまに一泡吹かせたい気持ちはあるけれど、そう簡単にいくとは思いません」
 由乃さんの言葉に慌てる小兄貴。
「いや、一泡吹かせるとかそう言うのじゃなくて…」
「でも、私たちの力と言っても、何をすればいいのか」
 志摩子さんが首を傾げると、祥子さまが祐巳の後ろから続ける。
「私たちに何かできるとは思えませんわ。そもそも、黄薔薇さまを陥れるなんて私にはできません」
 祥子さまの男性恐怖症はまだ完治していない。
 こんな男男した三人が同時に並んでいては、さすがに前面には出てこない。
 結果として「祐巳を支えているのよ」と訳のわからないことを言いつつ、祐巳の後に避難している。
「そうですよね…」
 ポリポリ。
 祐巳はつい、目の前のオヤツをつまみながら答えていた。
 アーモンドをくるんだチョコレート。それも安物ではなくて、きちんとローストされた上質のアーモンドを、これも上質のカカオをふんだんに使ったチョコレートでコーティングした物。
 甘い物に目がない祐巳としては、これを目の前に出されて黙っていられるわけがない。
 ポリポリ
「皆さんの言うとおりだと私も思います」
 ポリポリ
「だけどねぇ…」
 祐巳は甘かった。目の前にいるのは、あの鳥居江利子の兄である。シスコンとはいえ、妹に激甘だとはいえ、あの鳥居江利子と同じ血を引く三人である。
 ただで済むわけはないのだ。
「君、もうお礼をもらっているわけだし」
「は?」
 ポリポ……
 まさか…
 そう言えばこのチョコレートはどこから?
 ポリポリ…
「祐巳さん、それ」
 由乃さんがジト目で尋ねる。
「え?」
「祐巳さん。そのチョコレートはどこから?」
 志摩子さんが不思議そうに尋ねた。
「どこって、この箱の中から…」
 祐巳が指さした先には、赤い箱が一つ。
「祐巳ちゃん、それって、こちらが持ってきてくださったのだけれど…」
 聖さまが面白そうに言う。
「え?」
「頼みを聞いてくれたらお礼とした渡そうと思っていたのだけれど」
「先に食べられてしまった訳か」
「そもそも、勝手に箱を開けて食べるなんて」
 男三人が計ったように台詞を揃えるのはちょっと不気味。
 それでも、祐巳はたじたじと…。そこへ颯爽と三人の助っ人。
「あら、江利子のお兄さま方。それはおかしいと思いますが」
「こういうの、引っかけたって言うんですよね」
「チョコレートの一箱くらい、百倍にして返して差し上げますわ!」
 紅薔薇さま、白薔薇さま、そして祥子さま。特に祥子さまはなんだか眉をつり上げて怒っているようでとっても怖い。
「そうだ! 僕たちはそこのお嬢さんをまんまと引っかけたよ!」
 あっさり開き直るどころか、積極的に認める三人。
 紅薔薇さまと白薔薇さまは顔を見合わせ、祥子さまは怒りのやり場を失って心なしかつんのめっている。
「無様だ。確かに無様だ。でも、無様な真似をしてでも何とかして欲しいものがある!」
「僕たちの江利ちゃんへの想いは、それほどのものなんだ!」
 握り拳を固め、天に突き上げるように語る三人。状況さえ別のものだったら、それなりに人の心を打つ熱意はある。
 だけど、だけど……
 要は妹に構って欲しがっている困ったお兄さん達の訴えな訳で。
「…わかったわ」
「蓉子?」
「お姉さま!?」
 紅薔薇さまは、驚く白薔薇さまと祥子さまを手で制する。
「と言っても、頼みを聞くというわけではありません。一応話は聞くと言うだけです。私たちに手伝える様な内容なら手伝いますが、お話しにならないようならお断りします。あくまでも、選択権はこちらのもの。それでよろしいのならお話だけは聞きます」
「話だけ…」
「まさか、なんのアイデアもなくここに来たわけではないでしょう?」
 
 
 計画は至極単純な物だった。
 とにかく、江利ちゃんに兄の重要性、大切さ、有難味を再認識して欲しい。そしてあわよくば、あのヒゲ熊なんかさっさと見限って家に帰ってきて欲しい。
 とりあえず、後者の訴えは黙殺して、前者に話は絞られた。
「家族の有難味を知る、というコンセプトは悪くないわ。江利子がなんだかんだ言ってお兄さまお父様を利用しているのは間違いないわけだから」
「利用…と仰るとなんだか言葉が大仰な気が…」
「令、貴方は黙ってなさい。この件に関しては発言権はないわよ」
「どうしてですか。私のお姉さまのことじゃありませんか」
「貴方は妹にも姉にも甘いから」
 紅薔薇さまにあっさりと核心を突かれて、反論できない令さま。
「あの…」
 おずおずと切り出す由乃さんに、白薔薇さまがにっこりと頷く。
「ああ、由乃ちゃんはいいのよ。意見があるなら言ってちょうだい」
「どうして!」
「…令。貴方、由乃ちゃんが江利子に甘いように見える?」
「…見えません」
 またも反論を封じられる令さま。
「家庭の事情に口を出すのは私は賛成できませんわ」
 祥子さまの言うことももっとも。祐巳は頷いた。
「はい。私も、祥子さまの意見に賛成です」
 先に志摩子さんが口を開いた。
「私は反対します」
 二人に真っ向から異論を唱えたのは由乃さんだ。
「黄薔薇さまと言えば、リリアンのお手本ともなるべき存在。その御方が家庭に問題を抱えて…しかも家庭不和だなんて…。出しゃばらない程度に、協力できる所はするべきです。しかも今回の場合はご家庭の方が協力を依頼しているんですから、口を出すというのは当たらないかと」
「ふむ。由乃ちゃんはとにかく江利子を困らせたいと」
「それもあります!」
 きっぱりと答えて、一瞬首を傾げる由乃さん。祐巳はあーあと心の中で溜息をつく。
「あ、いえ…」
 時、既に遅し。白薔薇さまの見事なタイミングで、由乃さんの本音は引き出されてしまった後。
「安心しなさい、由乃ちゃん。それに関しては私も由乃ちゃんに大賛成よ」
「お姉さま!?」
 志摩子さんが驚いて、紅薔薇さまは仕方ないなぁと言いたげに苦笑している。
「聖、貴方ねぇ…」
「え? いいじゃない。一度、江利子の困った所も見てみたいのよ。蓉子、そんなの見たことある?」
「ないけれど…」
「じゃあ、やってみない?」
「聖…?」
「私もね、他人様の個人的な問題に口を出したり顔を突っ込んだりするのは好きじゃないの。でも、その子のために出さなきゃならないときは、出してあげたいと思う。それが本当にその子のためになるなら。その子が心のどこかでそれを望んでいるならね」
 あれ? と祐巳は首を傾げた。
 今の白薔薇さまの言葉、紅薔薇さまに向けていったんじゃないような気がする。特に最後の言葉、黄薔薇さまに向けたものにしてはなんだかおかしい。
 どうしてかと尋ねられると答えられないけれど、志摩子さんに向かって言ったような気がする。
「……あの、ロサギ…」
 祥子さまが、ふと、祐巳の前に手を伸ばした。
「祐巳、貴方の意見は?」
「へ?」
 そんなこと、急に言われても。
 黄薔薇さまに関しては誰よりも詳しい白薔薇さまと紅薔薇さまの意見に口を挟めるわけがないし、かといって由乃さんのように黄薔薇一族でも無し、志摩子さんのようにつぼみでも無し。
「そもそも、貴方が意地汚いからこうなった、と言うことを肝に銘じておきなさい」
 言い返す言葉もなく、祐巳はうなだれた。
「まったく、オヤツが欲しいときは私に言いなさい」
 私、祥子さまに餌付けされてる? 祐巳は何となくおかしくなった。
 
 
 結局、鳥居三兄弟に協力するのに…
 賛成票…3(紅薔薇さま、白薔薇さま、由乃さん)
 反対票…2(祥子さま、志摩子さん)
 無効票…2(令さま、祐巳)
 多数決で決定してしまったのだ。
「決まったからには従う事ね、志摩子、祥子」
「そう言うことだから、よろしくね、令、祐巳ちゃん」
 形の上では多数決だけれども、薔薇さま二人が賛成に回った段階で、誰に反対できるわけもなく。
 
 
 作戦は簡単明瞭。
 三兄弟が示し合わせて、江利子への便宜を一旦停止する。
 今まで便利に三兄を使っていた江利子にとってみれば、これはかなりの不便。そこで兄の有難味がわかるはず。
「確かに、不便になると思うわ」
「まあ、やってみる事ね」
 さらに、聖と蓉子は駄目押し。何かと用を見つけては江利子を呼び出すことにした。
 学校、それぞれの自宅、果ては祥子の自宅。
 祥子の自宅に車無しで来るのは結構つらい。
 数回続けた所で、江利子が兄に助けを求めればそこで作戦の第一段階は終了。そこで蓉子達は手を引く。それ以上は知らない。
 そして、作戦は決行されたが……
 
 
「…………」
 何かがおかしい。
 江利子はよくよく考えてみた。
 一つ一つを考えるとそれほどおかしなことはない。
 小兄、中兄、大兄がそれぞれ用事で車を出せない、送迎できない。それはいい。
 けれども三人同時というのは初めてだし、そもそも多少の都合は無視して自分を送迎していたのが、この兄たちのはずだった。
 それでも今日は三人とも都合が悪いという。いや、今日だけではなくて、これで四回目だ。
 そして、やたらと蓉子や聖が呼び出しをかけてくる。卒業前だから薔薇さまとしての最後の仕事だというのだが、行ってみると大したことのない、不要不急の作業ばかり。
「あのさ、どういうこと?」
 ある日、とうとう溜まりかねて江利子は聞いた。
 令の肩がギクッと揺れる。
「令、貴方なら、説明してくれるわよね」
 聖が咄嗟に言う。
「令、悪いけど、事務室まで用事を…」
 冷ややかにその言葉を遮る江利子。
「聖? 令は私と話をしているの」
 理由がどうあれ、お姉さまをいじめるのは忍びない、と言う理由で江利子が呼び出されるときは必ず顔を出して何かを手伝っていた令だが、それが裏目に出たようだった。
「さあ、令。貴方、何か知っているんでしょう?」
「あ、あの、私は…」
「さあ、令!」
「あ、あの、あの…」
 令は江利子の言葉と聖の視線の間に挟まれて、まるで潰されかけた蛙のようになっている。
「ごきげんよう」
 今日集まっているのは薔薇の館。だから誰が来てもおかしくはない。
 けれど…
 突然現れたその姿に、さすがに江利子は驚いていた。
「ああ、令さん。剣道部でお呼びよ」
 いくら江利子でも彼女を静止することはできない。
「それでは、私は伝言を頼まれただけですから。ごきげんよう」
 それだけ言うと、令と共に姿を消す蟹名静。
 聖は心の中で呟く。
(さすが志摩子ね。切り札静の投入はベストだったわ)
 仕方なく江利子は聖に向かうが、当然聖が江利子の言葉に反応するわけもなく。
「まあいいわ。令には後で問い質せばいいもの」
「ふふふ、江利子。令は貴方が思っているほど強くないわよ」
「は?」
 それは逆じゃないの? と江利子は言いかけて、もう一人の存在に気付いた。
「聖…まさか、由乃ちゃんをけしかけたんじゃないでしょうね」
 ぶわっはっはっはっと、溜まりかねたように爆笑する聖。
「何言ってんの? 由乃ちゃんをけしかける必要があるかないか、江利子が一番よくわかってる癖に」
 答はイエス。けしかける必要はない。なぜなら、そんなことをするまでもなく由乃は勝手に突貫するだろうから。
 いつもなら江利子が思いっきり甘受して楽しんでいる二人の特性を、今回は逆に利用されているのだ。
「貴方と由乃ちゃんの間に挟まれる令って可哀想よね…」
 ニヤリ、と笑う聖。
 なんだかんだ言っても、当然江利子は令が可愛い。本当に令が困ってしまうのなら、それ以上押せるわけがないのだ。この場合、由乃の圧力から令を守るためには、江利子が退くしかない。
「考えたわね…聖」
「そりゃあ、考えるわよ。黄薔薇さま相手だからね」
 
 
 聖、蓉子の連合軍と江利子の闘いは続くかに見えた。が……
 
 
 やつれきった三兄弟が再び蓉子達を訪ねてきたのはその二日後だった。
 あまりのやつれっぷりに訳を聞いた蓉子は、馬鹿馬鹿しさに席を立って帰ってしまう。
 代わりに訳を聞いた聖は、三人とは別室に入って笑い転げている。三人から姿の見えない部屋に移ったのはせめてもの思いやりか。
 仕方なく祥子と志摩子が話を聞くのだが…。
「はあ?」
 祥子は思わずそう聞き返していた。
「えーと、つまり、これ以上江利子さまと離れているのは、お兄さん達が耐えられない?」
 こっくりと頷く三人。
「江利ちゃんに会えない、それだけで身体の調子が…」
 いや、会っているじゃないですか? 一つ屋根の下で暮らしているんでしょ?
「タックルが決まらない。試合に勝てない」
 それは大変ですね。勝てないスポーツ選手はシャレになりませんよ。
「ドリルを持つ手が震えるんだ…。虫歯がうまく削れない」
 それは怖すぎます。
「カメラ目線が揺れるんだ。それどころか、共演の女優さんがみんな江利ちゃんに見えてくる!!」
 お兄さん、危なすぎます。
 そういうわけで、計画は急遽中止になった。
「ご迷惑かけました。これ、ほんのお詫びの印ですけど」
 三人が出したのは、またもやお菓子の詰め合わせ。
 受け取らないわけにも行かず、志摩子が受け取って戸棚へ仕舞う。
 
「結局なんだったのかしら」
 三兄弟が帰ってから、呟く祥子。
 結局残ったのは…
 この数日姉と妹に挟まれて心身共にすり減らした令と…
 そこで嬉しそうにお菓子の包み紙を開けている妹…
 って…
「祐巳、貴方、また勝手にお菓子を…」
「え、でもこれは食べていいって志摩子さんが…」
「だからっていきなり開け始める人がありますか!」
 
 ある意味、普段通りの風景だった。
 
 
あとがき
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