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カエルぴょこぴょこ
 
 
 註・この世界では、夜店に出ているひよこや金魚などの小動物達は、もらわれていった先で幸せに暮らして天寿を全うします。捨てられたり、身体が弱って死んだりすることはありません。
 
 
「ごきげんよう」
 薔薇の館には誰もいない。
 テーブルの上に水槽が一つ。
 確かこれは、オタマジャクシの水槽。
 祐巳は、冷蔵庫を開けると、冷凍庫からオタマジャクシの餌をとりだして手のひらに置いた。
 グリーンピースをうらごししたものと、煮干しを砕いたものを混ぜて、水に溶かしてから凍らせたもの。
 体熱でゆっくりと溶けるそれを、溶けた端から水槽に落としていく。
「たくさん食べてね」
 オタマジャクシに声をかけると、蓋を閉める。オタマジャクシが逃げる心配は勿論ないけれど、カエルになってしまうと蓋なしでは逃げられてしまう。
 何故、こんなところでオタマジャクシを飼っているのか。
 話は数週間前にさかのぼる。
 
「金魚すくいはオーソドックスに過ぎると思うのよ」
「いいじゃない、定番。結構な事よ」
「お姉さまは、伝統に囚われすぎているのよ。若者は常に新しいことにチャレンジしなきゃいけないのっ!」
 あんまり若者自身は自分のことを若者とは言わないと思う。
 けれども、イケイケ状態の由乃さんを止めることが祐巳にできるはずもない。
「だからって、金魚がオタマジャクシに替わったくらいで、何がどうなるって言うの?」
「小さな事からこつこつと始めるのよ」
 由乃さんの中ではもはや決定事項なのか、退く気配すらない。
「…祥子はどう思う?」
 令さまの問いに、祥子さまは首を傾げる。
「金魚すくいって、救ってどうするの?」
「どうするって…掬うこと自体が目的だからね」
「お店から救うって言うことなの?」
 祐巳は首を傾げる。天下の小笠原家のお嬢様ともなると、金魚すくいは経験がないようだ。それでも、なにかお姉さまは誤解しているような気がする。
 そこで祐巳は、密かにノートの隅に「救う」と書いてバッテンをつけてみる。
「金魚をうまく掬えたら、お持ち帰りができるんですよ、お姉さま」
 祥子さまの視線が一瞬ノートに降りて、やや動揺するのが祐巳にはわかった。
「ああ、そういうことね。掬うと、金魚がもらえるのね? つかみ取りのようなものね」
 何故かつかみ取りは知っているお姉さま。
「そうです。ちなみに、モナカや薄く破れやすい紙で掬います」
「祐巳、それでは掬いにくいのではなくて?」
「そこが工夫のしどころで、ゲームになっているんです」
 少し間が空いて、祥子さまは考えているようだった。
「…つまり、金魚を捕獲することではなくて、掬うという行為自体を楽しむものなのね」
「そうです、お姉さま!」
 令さまが苦笑している。
「まあ、間違いじゃないね」
「それじゃあ、意志がまとまったところで、決定していいかしら?」
 由乃さんの言葉に手をあげる志摩子さん。
「由乃さん。まだ何も決まっていないし、話がよくわからないわ。金魚すくいがどうしてオタマジャクシすくいにならなければならないの? 目先の変化だけだとすれば、あまり意味がないように思えるのだけれど…」
 乃梨子ちゃんも手をあげる。
「まとめるとつまり……例年恒例の駅前チャリティイベントに協力すると。そしてそこでは例年リリアンからの出典はヨーヨー釣りや金魚すくいである、と。しかし、由乃さまは今年は例年の枠に囚われないものをやってみたい、それがオタマジャクシすくいだということですね?」
 由乃さんは頷く。
「そういうこと。さすが乃梨子ちゃん。簡潔かつ当を得た説明ね」
 ヨーヨー釣りや金魚すくいになるのは、前日までの準備がほとんど業者任せで、生徒の実働は当日のみになるから、と言うのが理由だ。基本的に生徒会、つまりは山百合会だけが動くことになるので、あまり負担はかけられない。
 実際問題として、当日に店番をするだけでよいのだ。
「そういうわけで、私はオタマジャクシすくいを提案します」
「いや、わからないよ、由乃」
 令さまの言葉に頷く一同。ただし、祥子さまは別。祥子さまにとっては金魚すくいもオタマジャクシすくいも別に違いはないようだった。
「別に金魚で構わないと思うんですが」
「例年の業者の方にそのまま発注できるので、そのままでいいのではないかしら?」
 白薔薇姉妹の言葉に、由乃さんは首を振る。
「駄目よ、例年通りで由とするなんて。物事には変化が必要なの。そんなことでは貴方達もすぐに倦怠期を迎えてしまうわよ。私たちや祐巳さん達みたいに波乱を起こしなさい、たまには」
 別に祐巳は好きこのんで波乱を起こしているわけではない。そのあたり、黄薔薇さんちとは微妙に違う。
 由乃さんの言葉で顔を見合わせる乃梨子ちゃんと志摩子さん。
「乃梨子…なにか…ヤってみる?」
 首を傾げてみせる志摩子さんに、乃梨子ちゃんは真っ赤になってうつむいてしまった。
「……乃梨子ちゃん、今、何考えた?」
「な、何でもありませんよ、由乃さま。ああ、オタマジャクシもいいですね。そうですね、オタマジャクシですよ、オタマジャクシ。時代はオタマジャクシなんですよ、きっと」
 わけわかんない。
「じゃあ、白薔薇さんちは賛成ね。祐巳さんはどうなの?」
 祐巳も少し考えた。
「別にオタマジャクシが嫌な訳じゃないけれど、どうして金魚から変えるのかなって…」
「そう、祐巳さんも保守穏健派なわけね」
「そういうわけでは…」
「いいわ、時代の革新者は常に迫害を受ける者なのよ」
 由乃さん、自分の世界に入っていってしまった。
 そこへ、突然の来訪者。
「ごきげんよう。由乃さん、お話はどうなったのかしら?」
 生物部の二年生だった。
 
 つまり、生物部で大量発生したオタマジャクシの処分に困り、見かねた由乃さんがオタマジャクシすくいを提案したと。
 二年生の話から判断すると、そういうことらしい。
「それならそうと言えばいいのに」
「うーん。なんだか、オタマジャクシっていう結論ありきの議論じゃなくて、ちゃんと話し合った結論としてオタマジャクシすくいを決めたかったというか…」
 あれはちゃんとした話し合いだったんですか、由乃さん。
 
 生物部の話を聞いたことによって、後の話し合いはスムーズに進んだ。
 問題はこのあとに起こる。
 あろうことか、チャリティイベントが延期になったのだ。中止ではない。延期である。
 つまり、オタマジャクシをその間何とかしなければならない。
 山百合会全員が祈っていた。
 カエルにならないで。
 まだ子供でいて。
 もっとも、世話にはたいした手間はかからない。週に一度水を換えて、餌を与えていれば、それでいい。
 犬や猫と違って、トイレの始末や散歩、吠え声の心配はいらない。
 静かなものだった。
 薔薇の館に最初に来たものがオタマジャクシに餌を与えるのが、いつの間にか日課となった。
 
「祐巳さん」
「なに?」
「ちょっと見て、これ」
 由乃さんが手招いたので、祐巳は水槽に近寄る。
「ほら、これ」
「あ…」
 オタマジャクシに足が生え始めている。
「カエルになりかけだよ、由乃さん」
「…この足、引っ込まないかしら」
「それは無理だと思う」
「カエルになっちゃうね」
「一匹や二匹は仕方がないわ。こうなったら、あとは成長のスピードか少しでも遅くなることを祈りましょう」
 
 三日後、祐巳は祈りが通じなかったことを痛感した。
 ぴょこぴょこ ぴょこぴょこ ぴょこぴょこ
 カエルが辺り一帯を跳ねている。
「祐巳さん、見てないで手伝って!」
 由乃さんが懸命にカエルを追っては捕まえている。
 仕方なく、祐巳も参加。少しすると、志摩子さんと乃梨子ちゃんもやってきた。
 四人でカエル相手に大騒ぎ。
「あー、逃げた!」
「キャー! スカートの中に入った!!」
「嘘、背中に!?」
「ギャアアアアア!」
「志摩子さん、頭に乗ってるよ!」
「駄目、由乃さん、その椅子に座ったら潰しちゃうっ!」
 そこへやってきた令さまと祥子さまは、阿鼻叫喚の図を呆然と見つめるだけだった。
 すると…
「ンギャァアアアアアあああああっっっ!!!!!」
 魂消えるような叫び声に全員の動きが止まる。
「お姉さまッ!」
 祥子さまのスカートの中で何かが跳ねている。スカートの布地がもこっもこっと膨らんだり収まったり。
「何やってんのよスケベカエル!!」
 逆上した祐巳はすぐさま駆け寄ると、力一杯カエルに手を伸ばした。
 ところで、カエルはどこにいるでしょう?
 そうです。祥子さまのスカートの中に。
 では問題。
 祐巳はどうやって、カエルに手を伸ばしたのでしょうか?
 そうです。
 カエルを掴んだ祐巳の右手。
 左手は思いっきり、祥子さまのスカートをめくり上げている。
「ゆ…祐巳ッ…」
「祐巳ちゃん!?」
「祐巳さんったら…」
「祐巳さん!?」
「祐巳さま!?」
「え? あ……あああああああっ!!」
 そこでようやく自分の取った行動に気付いた祐巳。
「あ、あ、あ、ど、ど、どどどどど…」
 あまりのことに硬直した祐巳の左手は掲げられたまま。
「祐巳! とにかく、とにかくスカートを放してぇ!」
「ご、ご、ご、ご、ごめんなさいっ!!!」
 
 
 数日後、無事イベントは行われ、リリアンが出展したのはオタマジャクシすくいではなくカエル釣りだった。
 出店は好評で、山百合会は面目を施すことができたという。
 
 さらに数日後。
「あの、祐巳さま。ちょっとご相談が」
「どうしたの、瞳子ちゃん?」
「祥子さまが最近変わったことを…」
「変わった事って?」
「カエルに芸を仕込んでいるようですの…」 
「……」
「うまくできたら祐巳さまをご招待すると仰っているんですけれど、一体何を……。祐巳さま、何かご存じありませんか?」
 
 
 
 
あとがき
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