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山百合流護身術
 
 
 痴漢が多い。悲しいけどこれ現実なのよね。
 令さまのその一言がきっかけとなって、リリアンで護身術の先生を招いてはどうかという議題が飛び出した。
「確かに、最近物騒な話も良く聞くわね」
 由乃さんが怖いことを言い出す。
「そうですわ。瞳子も聞きましたわ。ストーカーとかストーカーとかストーカーとか」
「そうですね。頭にドリルをぶら下げて歩いている変質者もいるようですし」
 いつものように闘い始めた二人はおいといて、祐巳は考えた。
 護身術というのは悪くない。
 確かに、自分の身を自分で守ることができれば一番いいのだから。
「確かに、嫌な話ではあるけれど、自らの身を守ることを学ぶのは悪くない話だと思うわ」
 祥子さまの言葉に、祐巳は大きく頷いた。
「はい。お姉さまの言うとおりだと思います」
「でも、どなたに教えていただくのですか?」
 由乃さんの問いに、祥子さまはあっさりと、
「ウチで教えている先生に来ていただいてもいいけれど」
 初耳。お姉さまの家には、護身術の家庭教師がいるみたい。
「祥子さま、それはいけませんわ」
 何故か慌てる瞳子ちゃん。
「小笠原本家秘伝の護身術は修羅より伝わる門外不出の闇武道。例え祥子さまといえども、軽々しく外部に伝えて良い物ではありませんわ。瞳子と優お兄さまですら、唯二の例外として一部の技を伝授されたに過ぎませんもの」
「あら、祐巳ならば卒業すれば小笠原家の人間になるから大丈夫よ」
 ああ、なるほど…って、お姉さま、何か妙なことをさらりと仰いませんでした?
「あ、あの、お姉さま?」
「どうしたの? ああ、ごめんなさい。祐巳の家の都合を聞くべきだったわね。だけど…福沢家には祐麒さんがいらっしゃるから、私が福沢家に嫁ぐ必要はないと思うのよ」
「祥子さま!」
 祐巳が何か言う前に、瞳子ちゃんが声を挙げる。
 うん、瞳子ちゃん、お姉さまの暴走を止め…
「祐麒さまは、柏木の家に婿入りさせると、優お兄様が言ってらしたのですよ?」
 待て。
 ちょっと待て。
 福沢家の姉弟の行く末は決定済みですか?
 祐麒はさておいて、祐巳が小笠原家にお嫁入りするのは別に構わないのだけれど…。
 
 キンコーンカーンコーン
 教会の鐘の音。
 ウェディングドレスに身を包んだ祐巳、それをお嬢様抱っこで持ち上げるタキシード姿の祥子さま。
 周囲には祝福する友人達。
「次は私たちだね」
「うん」
 二人で頷きあっているのは令さまと由乃さん。
 志摩子さんと乃梨子ちゃんは人生の先輩としての余裕でこちらを見つめていた。その指には数年前に交換した結婚指輪が輝いている。
「貴方、どうするつもりよ」
「いい加減、決めて欲しいんですけど」
「私はこのままでも、構わないのよ」
「私をこんな風にしたのは誰かしら?」
 聖さまが、蓉子さまと静さまと栞さまと加東さんに囲まれて困っている。顔は笑っているけれど。
 あ、「本命は志摩子だから」と言った瞬間、乃梨子ちゃんに殴られてる。
 江利子さまが三人ほどの子供の手を引いて、山辺先生とニコニコしてこっちを見ている。なんだかお腹が大きいようだ。とても幸せそう。
 あと、披露宴で酔っぱらって暴れたドリルとノッポがいたような気がするけれど気にしない。
 
 そこで祐巳の肩をつつく由乃さん。
「話、進めていいかしら?」
 見るとそれぞれ、祥子さまには令さま、瞳子ちゃんには乃梨子ちゃんが肩をつついている。
 どうやら三人で別世界に旅立っていたらしい。
「あ、ごめんなさい」
「ん。よろしい」
 いつの間にか司会進行をつとめている由乃さんが、話を進めていった。
「護身術を学ぶことには、反対意見は無し。そうすると、問題は先生を誰にするか。今のところ紅薔薇さまの仰った先生は無理のようだけど、それ以外で私たちが知っている先生と言えば」
「…お父さんになるのかな」
 令さまのお父様は道場主。専門は勿論剣道だけれども、聞いた話だと護身術も教えられるらしい。
「頼めばやってくれるとは思うけれど、学校全体は無理だよ。そこまでの時間はないと思う」
「それは、希望者のみでいいわ。授業に組み込むかどうかまでは私たちでは決められないし、行うにしても放課後のクラブ活動の時間になるでしょうから」
「私が言いたいのはおじさんの事じゃないのよ」
 由乃さんがニッコリと笑う。
「え? でも由乃、他に誰か知っているの?」
「おじさんの一番弟子がいるじゃないの、お姉さま」
「一番弟子って…」
「剣道の一番弟子じゃなくて、護身術のほうね」
「あ…」
 令さまは、驚いたように自分を指さした。
「私か…」
 なるほど。確かに令さまなら、護身術が使えそうな気がする。それに、やっぱり男の人が来るとなるとみんな緊張してしまうだろう。
 その点、令さまなら…別の意味で緊張する人がいるかも知れないけれど。
 祐巳は頷いた。
「令さまなら、剣道部で指導にも慣れていらっしゃるんじゃありませんか?」
「それはそうだけど…剣道と護身はやっぱり…」
「では、試しに私たちが黄薔薇さまから習ってみては?」
 やっぱり乃梨子ちゃんは冷静だった。
「私と瞳子には必要なくてよ。護身術なら幼少の頃から叩き込まれましたから」
「では、由乃さまと祐巳さま、お姉さまと私、それから可南子さんも参加するわね?」
 いつの間にか司会が交替している。
「私と瞳子ちゃんは令のほうを手伝うわ。令一人だけだと大変でしょうから」
「あ、そうだね。そうしてもらえると助かるよ、祥子。よろしくね、瞳子ちゃん」
「はい、黄薔薇さま」
 
 
 翌日の放課後
 トレーニングウェアに身を包んだ令さまが皆を待っていた。
 場所は柔道場。今日は部活はお休みなのでちょうどいい。
 令さまの横には同じくトレーニングウェア姿の祥子さまと瞳子ちゃん。
 そして祐巳達は制服姿。この姿で痴漢を撃退しなければ意味はないのだから。
「じゃあまず、最初に質問するよ」
 瞳子ちゃんの背後から祥子さまが覆い被さる真似。
「こういう風に襲われたらどうする?」
 志摩子さんが手を挙げる。
「スタンガンを使います」
 え? 志摩子さん?
「父に、持たされているんです。念のためと言われて」
「うーん。今日はそういうのとは違うんだけど…、まあ、準備はいいね。ところで威力はどれくらいなの?」
 苦笑しながら問う令さまに首を傾げる志摩子さん。乃梨子ちゃんのほうに物問いた気な視線を向けている。
 視線に気付いた乃梨子ちゃんは、やや頬を染めて答えた。
「そうですね。数十秒…いえ、数分は身動きができませんでした…じゃなくて、できないと思います。予想です。あくまで予想です。予想ですから!」
「なんで乃梨子ちゃんが知ってるの?」
「調べたんです。ネットで。決して、電撃を受けたわけじゃなくて…。違います、本当に違いますから」
「乃梨子さん…」
 瞳子ちゃんが哀れむように呟く。
「我慢できなかったんですね……?」
「う……瞳子、それ以上言わないで…」
「あ、えっと…続けていいかな?」
 困っている令さま。祥子さまがそのまま続ける。
「こういう風に後から襲われたときは、暴漢の腕を振り解こうとしても無駄なの。男と女の生まれつきの筋力の差の上に、暴漢のほうが確実に有利な体勢だから。男同士でも、背後から抱きつかれては振り解くのは難しいのよ」
「判りました」
 可南子ちゃんが手をあげた。
「暴漢の腕をナイフで刺すんですね」
「…可南子ちゃん、貴方普段ナイフを持ち歩いているの?」
「はい。護身用に」
「それじゃあ貴方が警察に捕まってしまうわよ」
「ほんの小さなナイフですよ」
 令さまが手を出した。
「それじゃあ見せてみて。あまり小さいと本当に役に立たないよ」
「はい」
 可南子ちゃんが出したのは…
「可南子ちゃん…なんでこんな物を」
「あ、映画で見て、役に立ちそうだなと思って」
「…可南子ちゃん、それは普通ナイフとは言わない…」
 祐巳が見てもそう思う。誰が見てもこれは鉈だ。
「なんの映画を見たの…?」
「13日の金曜日」
 ホラーかよ!!
「ジェイソンの鉈の使いッぷりに惚れ惚れしてしまって…」
 可南子ちゃんちょっと怖い。
「でもちょっと小さすぎて、殺傷能力に乏しいと思うんです」
「殺傷しなくていいのよ、可南子ちゃん。あくまで護身よ、護身」
「殺られる前に殺れ、と言う言葉もあります」
「あら、可南子ちゃんは誰かに狙われる覚えでもあって?」
「そうですね、ドリルとかヒステリーとか」
「まあ、面白い。おほほほほほほ」
「そうですね、紅薔薇さま。おほほほほほほほ」
 このプレッシャーから一刻も早く逃げ出したくなってきた、早くも涙目の祐巳。
「あ、あの、令さま。本筋に戻しましょう。護身術の話に…」
「そうだね」
 涙目の祐巳に片目をつぶって進行を続ける令さま。
「それじゃあ話を戻すよ。祥子、瞳子ちゃん、さっきの体勢に戻って」
 再び瞳子ちゃんの背後からのしかかる祥子さま。
「いいかい。こういうときは慌てずに、暴漢の指を掴む。それも小指が一番だよ」
 祥子の指を掴む瞳子ちゃん。
「小指一本の力なら、女の子の力でも十分に勝てる。そして、この指を外側に曲げてやる。曲げると言うより、折ってやる、引き抜いてやるって気持ちで思いっきりやるんだ」
「でも、そんなことしたら骨が…」
「相手は痴漢だよ。容赦したらこっちが酷い目に遭うからね」
「は、はい。そうですね」
 令は説明を続ける。
「そこで相手がひるんだら、腕から脱出できるはずです。脱出したら、そのまま走って逃げてください。このときのために。自分の帰宅路の近くの交番、無ければコンビニ、人がいて明るくて、できるだけ公共の場に近い所を確認しておくこと」
 由乃さん、乃梨子ちゃんと一緒にメモを取る祐巳。
「志摩子さんと可南子ちゃんもきちんと聞いていたほうがいいよ?」
「大丈夫よ。私にはこれがあるから」
「大丈夫です、これがありますから」
 スタンガンと鉈のコンビに引きつった笑いを返して祐巳は首を振る。
「そ、そうだね…」
「…おほん。それじゃあ、指を掴む所まで、練習してみようか、祐巳ちゃん」
「はい?」
「今から私が襲うからね」
「なんですって!!!」
「令、貴方なんのつもり!!」
 由乃さんと祥子さまのほとんど同時の叫び。
 それどころか、瞳子ちゃんと可南子ちゃんは祐巳と令さまの間に立ちはだかって令さまを威嚇している。
 祐巳は驚いて二人をいさめようとする。というか、可南子ちゃん、お願いだから鉈は片づけて。
「あ、あのね、練習だから。練習だからね。二人とも…、それから可南子ちゃんと瞳子ちゃんも落ち着いて…」
「それなら、私が令の代わりに襲います」
「そう、令ちゃんは襲いたいのなら私を襲いなさい!」
 祥子さまの言いたいことは判るけれど、由乃さんはどさくさになんだかとんでもないことを言っている。
「わ、わかった」
 令さま、顔が赤い。
「私は由乃を襲うことにするから、祥子は祐巳ちゃんを襲えばいいよ」
「それでいいのよ、令ちゃん」
「ありがとう、令」
「お、お姉さま?」
 様子を伺っていた志摩子さん。
「…それじゃあ私は乃梨子を襲うことにするわ」
「し、志摩子さん!?」
「…ちょっと待ってください。それじゃあ、瞳子には可南子さんしか残ってないじゃありませんの!」
「ふん。来るなら来なさい。返り討ちよ」
「……。よくも言ってくださいましたわね…」
 
「じゃ、じゃあ、は、始めるわよ」
 あの、令さま、なんだか顔が赤くて息が荒いんですけれど。
「う、うん…令ちゃん…」
 由乃さん、なんか期待してる表情…。って、痴漢を期待してどうするの?
「え、ええ。心の準備はよろしくて、祐巳?」
 お、お姉さま。ものすごい形相なんですけれど…。
 少し怯える祐巳を尻目に、志摩子さんは徐々に乃梨子ちゃんを追いつめている。
「うふふふふ。それじゃあ行くわよ、乃梨子」
「志摩子さん! どうしてスタンガン構えてるの!!」
「防犯グッズを悪用する暴漢もいるのよ? 乃梨子」
「志摩子さん、なんでそんな無駄にリアル志向…」
 そして部屋の反対側。
「…可南子さん、ついに決着を付ける時が来ましたわね」
「うふふふ。痴漢相手ですから、多少の反撃は正当防衛で認められそうですね…」
「護身術といえど武道の端くれ。練習中の事故は珍しいことではありませんわよ」
「そっくり同じ台詞を返しますわ、瞳子さん」
 
 祐巳を羽交い締めにする祥子さま。
 祐巳は言われたとおりに祥子さまの指を…。
 ない。
 指を巧みに隠して、祥子さまは祐巳に抱きついている。
「えええええ。お手本と違います、お姉さま!」
「まあ、祐巳ったら、現実がお手本通りとは限らないのよ。お気を付けなさい」
 お姉さまの言葉は正論です。正論だけど…。
「ほおら、祐巳。こうされたらどうするの」
 あ、お姉さま…そんな所まで…。あの、お姉さま、それはちょっと…、あの…
 祐巳がパニックになっていくのとは反比例して、祥子さまの手管は確実に冷静にゆっくりと進められていく。
 そして令さまはというと…
「……」
「……」
「由乃、抵抗しなきゃダメだよ…」
「だって、こんな痴漢だったら私、毎日出会ってもいいもの」
「…えーと、それは私に毎日こういう事をして欲しいって言うことかな?」
 由乃さんが真っ赤になって、令さまの胸元に顔を埋める。
「……令ちゃんのバカ…」
 完全に最初の目的を忘れている。
 ちなみに志摩子さんは痺れて動けない乃梨子ちゃんを引きずってどこかに消えた。
 どこに行ったんだろう……。
 そんな二組には全く関わりなく、祐巳は必死にもがいていた。
 ようやく祥子さまの手が外れる。祥子さまもどうやら、習い覚えた護身術をすっかり失念して夢中になっているらしい。
「あ、祐巳!」
 逃げ出す祐巳に本気で悔しがっている祥子さま。
「えっと、これで、近くの交番かコンビニまで走る…」
 あくまで祐巳は真面目に練習を続けていた。
 そこへに別の影。祐巳はあっさり捕まってしまう。
「え? か、可南子ちゃん?」
「祐巳さま。現実では痴漢が一人とは限りませんよ」
「…可南子ちゃんの言う通りよ。相手が二人になることも想定しておかないといけないわ、祐巳」
 再びにじり寄る祥子さま。
「さあ、二人がかりの痴漢から逃げ出す練習よ!」
「え、ええ!? お姉さま、可南子ちゃん! あ、あの…二人がかりは…あの…!!!」 
「お待ちなさい!」
「と、瞳子ちゃん、助けて!」
「二人がかりなんて生ぬるいことを言わずに、痴漢が三人いたときの練習をするべきですわ!」
「と、瞳子ちゃんまで!!!」
 
 
 
 その後、リリアン学園前を通る路線バス内に、その筋では伝説となる痴漢キラーの女子高生〜通称「地獄送りの子狸」が誕生することになるのだが、それはまた後日の物語である。
 
 
 
あとがき
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