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これから半年
 
 
 一人をスピードで抜き去ると、目の前に現れた二人目に背を向け、そのまま半回転するようにドリブル。
 前を向くタイムロスを許さずに、横を向いたままドリブルを続け、三人目を引きつけながら、抜いたはずの二人目を追い越して現れた味方にパスを出す。
 虚を突かれた三人が動けない間にボールを受け取った味方はロングシュート。
 カバーに飛んだ四人目の前で、味方のシュートだったはずのボールをカットする可南子。
 ロングシュートがフェイクだと気付いたときには遅く、可南子は四人目が沈んでいく姿の真横に滞空しながら、今度こそ本当のシュートを放つ。
 五人目、最後の一人が辛うじてシュートを防いだ所でホイッスル。
「はい、それまで」
 バスケット部主将は、頭を振りながら一年生に向かう。
「一年生同士だと、さすがに抜群ね」
「いえ。点が取れなければ何人抜いても意味がありません」
「二人で相手五人まで引きずり出したのよ。これでもう一人、貴方に対応できるパスを出せる子がいたら、決まっていたんじゃない?」
「そうかも知れません。けれども、私一人じゃバスケはできません」
「うーん。こりゃ、二年生、危ないかな」
 えー、とざわめく二年生達だが、不思議と妬みの感情はない。
 高校で出遅れたとはいえ、可南子の出身中学は地元では折り紙付きの強豪校。しかも父親は元全日本の選手だ。
 そのうえこれだけの実力を見せられれば、認めざるを得ない。
「次の代こそ、剣道部を見返すのよ。リリアン運動部ナンバーワンの座を剣道部から奪回するのよ」
「奪回って部長、バスケット部に栄光の回ってきたことがあるんですか?」
 二年生のレギュラーが尋ねた。
「ウチは永遠のチャレンジャーなのよ!」
「つまり、ないんですね」
 じゃあ奪回じゃないですよ、と言いかけた二年生が他の三年生にうりゃあ、と囲まれる。きゃあきゃあ言いながら、笑いながら、二年生は糾弾されている。
 なんのことはない、いい意味で上下の垣根のない、和気藹々としたクラブなのだ。
「とにかく来年は剣道部から、あの黄薔薇さま、支倉令さまがいなくなるの。支倉令さま無き剣道部の弱体化は必至! その隙に、リリアン運動部ナンバーワンの座を我がバスケット部が手中に収めるのよ。いいわね、可南子ちゃん。美弥」
 美弥と呼ばれたのは、三年生に囲まれ遊ばれている二年生。バスケット部部長の妹で、次期部長と目されている。
「はい。お姉さま」
「部活中は部長と呼びなさい!」
「はい、おね…部長」
「可南子ちゃんもね」
「はい。部長」
 黄薔薇さまがいなくなると今度は有馬菜々という人が入ってきて、おそらく剣道部に入部して、そして黄薔薇のつぼみになると思いますよ。しかもかなり強そうで、黄薔薇さまの穴をすぐに埋めてしまいかねませんよ。
 可南子はそう言いたかったが、今のところ瞳子さんや乃梨子さん、あげくには祐巳さまから直接口止めされているので何も言えない。
 それに、半分冗談とはいえ、目をキラキラさせて野望を語っている二人に水を差すことはできそうになかった。
「特に可南子ちゃんには期待しているわ。時期エースの座を譲ってもいいくらいよ」
「いや、エースは私じゃなかったっけ。勝手に譲らないで」
 そう言って近寄ってくる別の三年生を押しのけながら、部長は可南子に指先を突きつける。
「いいわね、リリアンバスケット部の将来は貴方次第なのよ! 貴方の存在こそが、我が部の強化に繋がるのよ!」
 ふと、可南子はあることに気付いて言った。
「…あの…父は故郷の新潟に帰りましたので、コーチに来るのは無理だと思います」
 ピタリと止まる部長の動き。美弥が恭しく尋ねる。
「…部長、可南子ちゃんの選手としての力が欲しいんですか、それとも元全日本としてのお父さまのコーチが欲しかったんですか?」
「両方」
 あっさりはっきりと答える部長に、可南子は苦笑を漏らすしかなかった。
 
「でもね、お父さんと夕子さんのなれそめを知っていたら、コーチに呼ぶ気にはならないと思うの」
 そういう言い方が出来るということは、可南子は自分の家族に対してそれなりに折り合いを付けたのだろう。
 それはいいことだけれども、こんな話を振られた方としては返答に困る。
「夕子さんも嫌がると思うの。お父さん、ああ見えてモテるから」
 そう来たか!
 瞳子は可南子の話の方向性に呆れながら、それでも相づちを打つ所を見つけられないでいた。
 確かに、年不相応に若く見えるのは、スポーツをしていたためだろう。中年男性によく見られる体型の崩れは(少なくとも、外見からすぐわかる程度のモノは)、ないようだ。
 それでも、特に女性にモテるようにはみえない。好感度は持たれるだろうが、それ以上のものはあまり持たないと思う。
 ちなみに、瞳子が男性を見るときの基準は柏木である。ハッキリ言って、平均点が高すぎる。
 柏木を超える何かを持たない限り、瞳子にとっては恋愛対象以前の問題なのだ。余談だが、今のところそのカテゴリーに(一応ながらも)入っているのは福沢祐麒ただ一人だったりする。
「だけど、私は頑張るつもり。剣道部を抜くとか、そんなことに興味はないけれど、折角入ったんだから、しっかりと頑張るつもりよ」
「そうですわね。第一、剣道部に何かあったら由乃さまが黙ってはいませんわ」
 ようやく守備範囲に入ってきた話題に、瞳子は慌てて囓りつく。
「ええ。まあ、いくら由乃さまでも直接実力行使に出るとは思わないから、有馬菜々が実力を上げるまでは問題ないでしょうけどね」
「少なくとも、菜々さんのお姉さま方は強かったですわね」
「ええ。それに、考えてみれば有馬菜々が本当に由乃さまのロザリオを受け取るかどうかも、決まっているわけではないわ」
「言われてみれば、そうですわね」
「ところでロザリオと言えば…」
 餌に囓りついた瞳子を、可南子は一気呵成に釣り上げた。
「瞳子さんはいつ、祐巳さまからロザリオを受け取るのかしら」
 無言でじろりと可南子を睨む瞳子。
「今の可南子さんには関係のないことですわ」
「だといいんだけど」
 思わず、瞳子は立ち止まってしまった。
「…どういう事ですの? まさか、可南子さん…」
 可南子も同じく立ち止まると、瞳子に向き直る。
「勘違いしないで、瞳子さん。私が今さら祐巳さまの妹になりたいと言っているわけではないの。ただ、回りがそう見ているかどうかは別よ」
 可南子の言葉の意味は、瞳子には痛いほどわかっていた。
 そもそも最初から、可南子は周囲に向かって自分が紅薔薇のつぼみの妹になりたいとアピールしたことはない。ただ、福沢祐巳という存在に心酔していただけなのだ。その想いは、スール制度とはなんの関連もない。
 その流れからして当然、今の可南子が祐巳さまの妹になる気がなく、それを瞳子も祐巳さまも知っていると言うことは、周囲の一年生達は知らない。知っているのは山百合会のメンバーと、祐巳とごく親しい一部の二年生〜蔦子、真美、桂など〜だけだ。
 そう。回りには、未だに可南子が祐巳の妹候補であると思っている生徒もいるのだ。そして、彼女たちはその反面、瞳子を快く思ってはいない。
 いや、正確には瞳子自身ではない。「あれだけのこと(「レイニーブルー」)をしたにも拘わらず、祐巳さまの妹にちゃっかり収まろうとしている瞳子」を快く思ってはいない。
「だけど、私が祐巳さまに何をしたか(「涼風さつさつ」)を、あの人達が知ったらどうする気かしら」
 可南子はクスクスと笑っていた。
 …可南子さん、強くなった…。
 瞳子は心からこの友人を羨んでいた。どうして、これほど強くなれたのだろう。
 自分にとって、祐巳さまとのあの亀裂は未だに棘のように心のどこかに突き刺さっている。
 それでも、どこに突き刺さっているかがわかればそれを抜くこともできるだろう。けれども、今の自分にはそれもわからない。
 突き刺さった棘は、心のどこにあるんだろう?
 それとも、もう抜くことのできない所にあるんだろうか?
「…瞳子さんも、双子の片割れは火星に行けばいいのよ…」
 可南子の呟きは、瞳子の耳には入らなかった。
 
 
 数日後の放課後。
 練習の準備をしていると、美弥が声をかけてきた。
 どうしたのかと体育館から出てみると、開口一番、
「今の一年生で一番うまいのは可南子ちゃんだと思うけれど、異論はある?」
「え、でも、私は中途入部で…」
「でも、ということは認めたって事ね。正直でよろしい。スポーツは実力の世界。自他の実力も認められないようでは所詮三流止まりよ」
「ありがとうございます」
 訳がわからないけれど、褒められたことに違いはないのでとりあえずお礼を言っておく。
「このままだと、私の次のキャプテンをお願いするかも知れないわね」
「かなり、先のお話ですね。誰がどれだけ伸びるかなんて、想像はできませんよ」
「それはそうだけれど、少なくとも今の段階ではトップは確定ね」
 話が見えない。
 もしかして、二年生と同じ練習に参加させるつもりだろうか?
 今の部の様子からしても、それで他の部員とおかしな空気になることはないようなのだけれども、可南子は今の境遇にそれなりに満足していた。急いで上を狙うつもりは今のところない。それに急がなくとも、今の一年のメンバーでレギュラーを組むのなら自分は必ず選ばれる。その程度の自負はあった。
「お姉さまはね、私が一年生の時、言ったのよ。『一番うまい子にロザリオをあげたい』って」
「え、美弥さま?」
「ところが、その一番うまい子は、もう他の人にロザリオをもらっていたのね。とっても悔しがってたわ」
 可南子は美弥の首元に目をやった。
 いつもそこにあるはずの鎖がない。ロザリオを外している。
「そうしたらお姉さまが私に言うのよ。『仕方ないから、一番私が気に入った子にあげる』って」
 ふう、と大きく息をつく美弥。
「そんな言い方されたら、受け取るしかないじゃない?」
 やや警戒するように、可南子は首を傾げる。その様子に苦笑する美弥。
「あら、警戒しちゃった? でもね、私は別に貴方を今日この場で説得してロザリオを渡そうとかなんて思ってないから、安心して」
 安心、と言われても。
「ただ、今のところ、渡す相手が貴方くらいしか思いつかないのよね」
 やっぱり安心できない。
「私は、お姉さまを持つ気はありません」
「うん。それは何となくそんな気がしてた」
 美弥が微笑むと、思わず可南子は微笑みを返しそうになって慌てて気を引き締める。
「これで私が貴方を妹にしたら、色々言われそう」
「え?」
「気付いていないかも知れないけれど、実は結構狙われているのよ?」
 可南子は素直に驚いた。そんなことは考えたこともなかったのだ。
「そりゃあね、紅薔薇のつぼみの妹候補とまで言われた貴方ですもの。妹にできれば、姉は鼻が高いわよ」
「そんなの嫌です」
「私も嫌。だから困ってるのよ」
 きょとんとした可南子に美弥は思わず笑ってしまう。
「貴方が平凡な、単なるバスケ部員だったら、もう速攻でロザリオくくりつけてお姉さまって呼ばせてるわよ」
「でも、私は…」
「ストップ。貴方の考えは当然尊重する。今のは言葉の綾よ。でも私が貴方を妹にしたいと思っているのは本当のことだし、とりあえず、あと半年ほどはこの気持ちは変わらないと思う」
「…半年?」
 可南子は、この美弥という先輩への印象を根本から変えようとしていた。
 快活で、普通に楽しくバスケをやっている人、と言うイメージだったのだが今では…
 …変わり者?
「そう。半年」
 ニコニコと笑っていた顔が、突然真面目なものになる。
「可南子ちゃん。貴方まさか…半年以上、この私から逃げられると思ってるの?」
 答えに詰まった可南子を救ったのは、練習開始の合図だった。
 
 
 練習が終わると、可南子は真っ先に薔薇の館へ向かう。
 乃梨子を通じて、山百合会には話を通している。
 久しぶりの古い扉を開けて中に入ると、山百合会の全員と、今日だけ祥子が助っ人として呼んだ瞳子が揃っている。
「ごきげんよう」
 瞳子と祐巳以外は全員、これから起こることを知っている。
 ふと可南子は、どことなく不機嫌な表情の乃梨子に目を止めて心の中で微笑んだ。
 もう一度手順を脳裏に浮かべると、ゆっくりと一歩を踏み出す。
「祐巳さま。実は、折り入ってお話が」
「なーに? 可南子ちゃん?」
 可南子は大きく息を吸うと、言った。
「私にロザリオを下さい」
 がたん
 全員の目が可南子と祐巳に。そして音の主…瞳子へと向けられる。
 瞳子は無意識のうちに立ち上がっていた。椅子を引くのも忘れ、椅子を蹴倒すようにして。
「…可南子さん?」
「そうね。祐巳は可南子ちゃんのことが嫌いではないのでしょう?」
 祥子が、茫然自失の瞳子が見えないように言を重ねる。
「だったら、可南子ちゃんにロザリオをあげてもいいんじゃなくて?」
「え…で、でもお姉さま…」
 祐巳は可南子を、そして瞳子を交互に見やる。
「申し出を断り続けている子にこだわることはないのよ、祐巳」
 瞳子の肩が、目に見えて震え出す。
「そんな…可南子さん……妹にならないって…」
 可南子は、何故か残忍な気持ちを自分の中に見つけていた。
 …?
 …ああ、自分は嫉妬しているんだ。
 当たり前のようにそれが腑に落ちる。自分が瞳子と祐巳の関係を嫉妬していることが、何故かとても自然に感じられた。
「祐巳さま。私は、祐巳さまの妹になりたいんです」
「可南子ちゃん…」
 祐巳が断るのなら、誰を妹にするかを問い質す。
 瞳子が可南子を否定するなら、誰が妹になればいいかを問い質す。
 それでいい。
 山百合会全員の見ている前で、瞳子と祐巳の気持ちを確認する。それで、誰にも文句は言わせない。
 いや、山百合会全員の一致した言葉の前に、異議を唱える者などいない。
 祐巳は動かない。
 瞳子も、俯いたまま微動だにしない。
 予想よりも長い、そして気まずい沈黙。
 焦れた祥子が声を挙げようとしたとき、
「お待ちなさい!!」
 突然、可南子の背後で扉が開いた。
「…美弥さま?」
 何故、美弥さまがここに?
 可南子は混乱していた。何故自分がここにいるとわかったのか。いや、そもそもなんの用事があってここに来たのか。そのうえ、「お待ちなさい」とは自分に言っているのか?
「祐巳さん、瞳子ちゃん。貴方達、お願いだから姉妹になってくれない?」
 そして爆弾発言。
 はあ、と呆気にとられる一同。
 祥子は唖然とした顔で美弥を見つめていた。
 令と由乃は訳がわからなくなってキョロキョロしている。
「可南子をフリーにしてあげて! そうしないと、私が可南子にロザリオを渡すことができないのよ!」
 はい? 
「お願いよ。祐巳さん、瞳子ちゃん」
 さすがに可南子が美弥に向かおうとしたとき、
「…しかたありませんわね」
 瞳子の一言で再度可南子は振り向き、由乃と令のキョロキョロに祥子も加わる。
「瞳子は、人助けだと思うことにいたしますわ。…祐巳さまは、どうですの?」
「私は…」
 祐巳の視線に、可南子はにっこり笑って頷く。
 これでいい。
 その頷きに、祐巳は全てを悟ったように微笑んだ。
「うん。私は、瞳子ちゃんが受け取ってくれるなら嬉しいよ」
 ロザリオが二人の間を繋ぐ。
「…本当に、世話の焼ける子だね、志摩子さん」
 美弥が笑っていた。
 今度こそ、今度こそ可南子は美弥という人がわからなくなった。
「良かった。一時はどうなることかと…」
 乃梨子が固まっていた表情をほぐすように大きく伸びをした。
「瞳子ちゃんと祐巳さんのことだから、これくらいではどうにもならないと思って…美弥さんにお願いしておいたのよ」
 ニコニコと志摩子が告げると、令と祥子がお互いに顔を見合わせる。
 可南子をダシに、瞳子と祐巳の間の決着を付ける。
 可南子の申し出に、令と祥子、そして由乃が乗って組み上げた作戦だった。
 けれど、その成功を危ぶんだ乃梨子と志摩子が、美弥に頼んでさらに一押しさせたというわけになる。
「それならそうと、最初から言ってくれれば…」
「敵を欺くにはまず味方から、と言いますわ、紅薔薇さま」
「…乃梨子ちゃん、これってマリア祭の宗教裁判の仕返し?」
「それは穿ちすぎですよ、祐巳さま」
 涼しい顔で答える乃梨子。
 疲れた顔で、可南子は美弥を恨めしく睨んだ。
 そう言えば、この人は二年藤組。志摩子さまと同じクラス。
「練習前から、仕込んでいたんですね?」
「んー」
 乃梨子の煎れた紅茶を美味しそうにずずっと飲みながら、美弥は笑って答える。
「あ、あれはね、マジと書いて本気」
「逆です」
「ん、じゃあ、瓢箪から駒。嘘から出た誠。当たればでかい。一か八か」
 無茶苦茶だけど、言いたいことはわかる。
「…私は、半年逃げますよ」
「逃がさないわよ?」
 騙しましたわねと甲高い声をあげ、それでも微笑と頬の赤みが隠せない瞳子を眺めながら、可南子はこれから先のことを少しだけ、考えていた。
 
 
 
あとがき
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