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「泣いてもいいところ」
 
 
「まさか、留学ですか?」
 ドイツに行く、と切り出した蓉子さまに、お姉さまは真顔で尋ねている。
「そんな大袈裟なものじゃないわ。ほんの一週間ほどの話だもの」
 だけど、ドイツだなんて凄い。ドイツと言えばヨーロッパ。
 祐巳は素直に蓉子さまを尊敬の眼差しで眺めている。
「懸賞旅行だもの。運が良かったのね」
 どこかのラジオ局の開局記念プレゼント、ヨーロッパ七泊八日の旅に、蓉子さまは当選したのだ。
 当たったのがラジオの開局記念だというのが、なんとなく蓉子さまらしいなぁと祐巳は思った。
「でも、いいなぁ、ドイツって」
「お姉さま、ドイツと言えば…」
 いくつかの観光地に名前をあげるお姉さま。名前だけは聞いた事あるのが二つほどあるけれど、それ以外は祐巳にはちんぷんかんぷんだった。
「祥子、自前の旅行じゃないんだから。あまり自由行動はできないかもしれないわ。ま、現地に着けば何とかなるでしょうけれどね」
 お姉さまは当然のようにドイツ、ひいてはヨーロッパには何度も行っている。さすがは小笠原のお嬢様なのだ。
 そして、始めていく地、それも外国のはずなのに、着けば何とかなると断言してしまう蓉子さまもやっぱり凄い。
 この姉妹はやっぱり無敵だなぁ、と祐巳はつくづく思っていた。
 
 そして、蓉子さまが無事出発して、帰国する頃……
 その知らせは由乃さんによってもたらされた。
 
 ハイジャック。
 最近ではほとんど見ることの少なくなっていた事件だが、決してなくなったわけではない、過激な思想団体によるハイジャック。
 ニュースで発表された乗客名簿の中には「水野蓉子」と、蓉子さまの名前が。
 まずは、倒れてしまったお姉さまの介抱。
 令さまが椅子に座らせてくれたので、祐巳はコップと洗面器に水を入れてテーブルに戻る。
「お姉さま、お姉さま!」
 ややあって、ようやくお姉さまは息を吹き返してくれた。
「お姉さま、大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ。それより、ニュースはどうなっているの?」
「今のところ、何も起こってないみたい。多分、どこか途中の空港に緊急着陸するだろうって…犯人との交渉はそれからになるって…」
 令さまの言葉に、祐巳を初めとする全員は黙りこくってしまう。
 何もできることはない。いくらなんでも、今皆ができることがあるわけもなかった。
「今日はこれで解散しましょう」
 令さまが毅然と言うと、志摩子さんも頷く。
「ええ。幸い、急がなければならない議題やお仕事は何もないもの」
 乃梨子ちゃんが何か言いかけて、口を閉じた。
「ねえ、乃梨子」
「う、うん。そう…そうでした。何もありません」
 令さまが祐巳に向き直った。
「そういうわけで祐巳ちゃん、祥子を家まで送ってあげて。あ、一応家には連絡を入れておくわ。もしかしたらおばさまのことだから車を出してくれるかも知れないけれど、それでも祐巳ちゃん、着いていくわよね?」
 祐巳は力強く頷いた。当たり前のことだ。この状態のお姉さまを放っておく訳にはいかない。お姉さまがこう見えて打たれ弱いことは、今までのことから祐巳にはよくわかっているのだから。
 
 お姉さまの早退許可は場合が場合だからすぐに下りたのだけれど、祐巳の早退許可に少し手間取った。
 祐巳自身は健康そのものでなんの問題もないのだから仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。
 それでも、お姉さまの家から来るという迎えが到着する時間までには、何とか準備万端整えて、祐巳はお姉さまと一緒に校門前に立っていた。
 するとやっぱり、というか思った通り、松井さんが車で迎えに来てくれた。
 お姉さまを車に乗せて、さて、自分も乗せて下さい、と松井さんにお願いしようとしたら…
「どうぞ、福沢さま」
 先に言われてしまった。
「え?」
「おそらくは福沢さまがお嬢様を送られるだろうから、その時はご一緒にお連れするようにと、奥様から言いつけられております」
「あれ?」
 清子さまには祐巳の行動がお見通しのようで。
「お嬢様もその方がよろしいのでしょうし」
「…そうね。祐巳、早く乗りなさい」
 薔薇の館を出てから祐巳が早退許可を取るまで、ずっとお姉さまは大丈夫大丈夫と言い続けてきたのだけれど、祐巳は頑固に着いていく、一緒に早退すると言い続けていたのだ。
 最後には令さままで説得に乗り出して、ようやくお姉さまは祐巳が一緒に早退することに許可を与えた。そこで納得ではなく、許可だというのがとってもお姉さまらしいと祐巳は思った。
 けれど、祐巳が一緒に帰ることになって一番喜んでいるのがお姉さまだと言うことは、みんなわかっている。
 お姉さまが「仕方ないわ。そうまで言うなら祐巳、一緒に早退してもいいわよ」とようやく言った後、令さまはお姉さまに聞こえないように物陰でこう言ったのだ。
「まったく、祥子ってばこんな時でも素直じゃないんだから。祐巳ちゃんも大変だ。だけど、祐巳ちゃんと一緒に帰ることになって一番安心しているのは祥子だからね? まあ、今さらこんなこと言ったって、祐巳ちゃんにはとっくにわかっていることなんだろうけれど」
 令さまの言うとおりだった。
 素直じゃないお姉さまは、(こんな失礼なこと、本人の前どころか他の人の前でも絶対に言えないけれど)とっても可愛らしい。そう、祐巳は思っている。
 だから祐巳は、素直に車に乗り込んだ。
 
 お姉さまの家に着くと、清子さまがお医者さまと一緒に待っていた。
「お母さま、別に病気になったわけではないのだから、そんな大袈裟な」
「まあ、祥子さん。倒れたことは事実なのだから、きちんと診てもらわなければいけませんよ。…でも、祥子さんの一番の薬は祐巳ちゃんのようね」
「お母さま」
 お姉さまが何事か反論しようとしたみたいだけれと、清子さまは笑って取り合わない。
「だって、いつだってそうじゃない」
 クスクスと笑う清子さまに、お姉さまも拳の下ろしどころを失ってしまった。
「もう、よろしいですわ…。さあ、祐巳、行きましょう」
 お姉さまが向かったのは自分の部屋ではなく、テレビの置いてある居間だった。ちなみにお姉さまの部屋には、ラジオはあるけれどテレビは置いていない。
 早速テレビをつけるお姉さま。チャンネルをカチャカチャと変えて、ニュースを探している。
「どうして、こんな重大ニュースを放送していないのかしら。変な番組ばっかり…」
 中途半端な時間に帰ってきたから、ほとんどのチャンネルは昔のドラマの再放送の時間枠だった。そうでないところは奥様向けのワイドショー。
 どちらにしろニュース番組の時間帯ではないし、臨時ニュースを延々と流し続けるほどの事件でもない。
 祐巳は思いついて、ケーブルテレビのチャンネルにしてみた。
 思った通り、海外ニュースチャンネルではハイジャックニュースをやっている。
「ああ、これよ。凄いわ、祐巳。よくわかったわね」
 言いながら、お姉さまの目はテレビ画面に釘付け。祐巳も同じように食い入るように画面を見つめていた。
 とにかく蓉子さまの安否が気にかかるのは、祐巳も同じなのだ。
 けれど、ニュースには由乃さんから聞いた以上の進展はなかった。
 ただ、緊急着陸した空港がわかっただけ。
 今は、犯人との交渉中らしい。
「お姉さま、あの中にいるのね…」
 画面左上に別画像で映っている旅客機に、蓉子さまが乗っている。テロップやキャスターの言葉を聞く限り、乗客に死傷者はまだ出ていないようだ。けれど、人質の中に蓉子さまがいるのは確実なのだ。
 祐巳は何も言えず、画面を見つめていた。
「貴方達、お昼もまだなのでしょう?」
 清子さまの言葉に振り向くと、お手伝いさんがお盆に載せた食事を運んでくるところだった。
「お姉さま。お昼ご飯が来ましたよ」
「私はいいわ。祐巳、お腹が減っているなら貴方が食べて」
 そう言われて、はいそうですかと食べられるわけもなく。
 どうしようかと迷っていると清子さまがつかつかと歩み寄る。
「祥子さん。貴方がここで食事を抜いて心配することを、蓉子さんが喜ぶと思うの?」
「…お母さま」
「祐巳ちゃんの立場では言えないかも知れないけれど、蓉子さんと祐巳ちゃんがもし逆だったら、蓉子さんは貴方にきちんと食事をとるように言うと思うのよ?」
「それは…」
 ちらり、とお姉さまが祐巳を見る。
「私も、蓉子さまなら、そんなこと喜ばないと思います。いいえ、私だって、そんなの嫌です。蓉子さまだけじゃなくて、お姉さまのことまで心配になるなんて、私は嫌ですよ。お姉さま」
「そうね…」
 お姉さまは微笑んだ。
「強くならなければね」
 そう言うと、今のテーブルに盆を置くようにお手伝いさんに告げて、お姉さまはソファに座った。
「祐巳、貴方も座りなさい。立ったままでいただくつもりなの?」
「はい、お姉さま」
 清子さまはニッコリと笑って頷くと、密かに祐巳に目配せして、お手伝いさんと一緒に部屋を出て行った。
 祐巳はお姉さまと一緒に、しっかりとお昼を食べて、もう一度テレビに注意を向けた。
 
 夕方になってもなんの進展もない。
 夕食も居間に持ってきて欲しい、とお姉さまがお手伝いさんに伝えるのを見て、祐巳はようやく時計に目をやった。
 もう遅い。
 さすがに、泊まる準備など何もしていない。お姉さまを一人にするのは何となく不安だけれども、今のお姉さまを見ていると、そう簡単には凹まないだろうなとも思える。
 どちらにしても、黙って帰るわけには行かないので、お姉さまにその旨を伝えよう。そう決心した時…
「福沢さまにお客様です」
「へ?」
 どうして? どうして、ここに自分へのお客様?
 もしかして、由乃さん達だろうか? 心配して学校が終わってから駆けつけてくれたんだろうか。
 首を捻りながら、別の居間に案内されると、
「やあ、祐巳ちゃん」
「柏木さん?」
 さらに、どうして?
 柏木さんなら、お姉さまの家に来るのはそれほど不思議ではない。だけど、お姉さまの家にいる祐巳を訪ねてくるのは一体どういう事なのか。
「今日は、祐巳ちゃんのためにちょっとした荷物運びをね」
「荷物って…」
「祐巳、これ」
「え? 祐麒? どうして」
 柏木さんの後ろには、紙袋を抱えた祐麒の姿が。
 柏木さんのインパクトが強すぎて今まで気付かなかったらしい。
「何よ、それ」
「着替えとパジャマだよ。今日、泊まるんだろう?」
「え? どうして?」
 きょとんとなる祐巳に、柏木さんが答える。
「僕がユキチにそう言ったんだよ。祐巳ちゃんがさっちゃんの所に急に泊まることになったから、着替えを準備してくれないかって」
 そこで初めて祐麒は気付いたらしい。
「え? ちょっと、それどういう事だよ? 祐巳がそう言ったんじゃないのか?」
「祐巳ちゃんは何も言ってないけれどね、僕の想像だよ。だけど、祐巳ちゃんはそのつもりなんだろう?」
 なんだか見透かされているようで悔しかったけれど、柏木さんの行動で助かったと思ってしまったことは事実なわけで。
「そうですけど…どうしてわかったんですか?」
 肩をすくめる柏木さん。
「僕だってニュースは見る。水野さんのことは前にさっちゃんに聞いて知っていたから、ニュースを見てもしやと思って連絡したのさ。案の定、さっちゃんが早退したと聞いたから、お見舞いに来ようとしたら祐巳ちゃんが既に一緒だと聞いてね。急のことだからなんの準備もしていないだろうと思ってユキチに連絡したのさ。そうしたら、ユキチは祐巳ちゃんの下着やパジャマを準備してくれた」
「ち、違う。これを準備したのは母さんだからな! 俺じゃないぞ!! 違うからな、祐巳!」
 なんだか見当違いのことを祐麒は必死で抗弁している。
「悔しいけれど、今のさっちゃんに必要なのは、僕ではなくて祐巳ちゃんだから」
 言うと、柏木さんは、祐麒の肩を叩いて部屋を出て行く。
「さあ、ユキチ。帰ろうか。なんなら、二人でこのままドライブでもいいよ?」
「嫌だ!」
 慌てて祐麒は否定する。そして祐巳に紙袋を渡し、
「あのな。母さんが、くれぐれも祥子さんや家の方に失礼のないように、だって。それから…」
 少し苦笑して、
「急にお泊まりするのは心臓に悪いから勘弁して欲しいって」
「わかってるよ。それより、祐麒、大丈夫?」
 祐巳はチラリと柏木さんを見た。柏木さんは、あろう事か両手を広げて微笑みながら祐麒を待っている。
「…多分、大丈夫だと思う。すぐ帰るって家には言ってあるから」
「変なところに寄っちゃ駄目だよ。危ないよ」
「…どう返せばいいんだよ、それ」
「じゃあ、気をつけてね」
「うん。あ、それから祐巳、明日の学校はどうするの?」
「…わからないけど、無闇に休むつもりはないよ」
「ん、なら、それでいいや。由乃から電話があったけれど、まだここにいるって言っておいたから」
「わかった」
 今、祐麒が由乃さんを呼び捨てていたような気がするけれど、追求するのは次の機会に取っておこうと祐巳は決めた。
 柏木さんは帰っていったけれども、その前に清子さまには事情を説明していたようで、いつのまにか祐巳が泊まることは既成事実になっていた。
 
 夕食をいただいて、それでも今のテレビの前からお姉さまは動かなかった。
 相変わらずニュースに進展はない。
 夜が更けて、さすがに心配になった祐巳はお姉さまを寝室へ連れて行こうとした。
「大丈夫よ。心配いらないから。眠いのなら祐巳は先に寝てしまってもいいのよ」
 大丈夫。それが今のお姉さまの口癖になってしまったようだった。
 でも、どう見ても大丈夫じゃない。
 あの時〜お婆さまが亡くなった時〜ほどではないけれど、今のお姉さまも憔悴しているのは見ていてよくわかる。
 もし自分がいなければ、昼食も夕食も摂っていなかったに違いない。
 祐巳は清子さまの所に行き、テレビのある部屋に布団を敷きたいとお願いした。そしてその足でお姉さまの所へ行くと、テレビのある部屋で一緒に寝たいと誘う。
「一人だと、不安なんです。蓉子さまのことが気になって…だから、清子さまに無理を言ってテレビのある部屋にお布団を敷くことにしたんです」
「祐巳も不安なのね…」
 そう言うと、お姉さまはあっさりと祐巳の提案に従った。
 そして、深夜にはなんとかテレビを消させることに成功した。
 
「ごめんなさい。ちょっと気分が優れなくて」
 朝一番の、お姉さまの言葉だった。
 気分が優れないことは嘘ではないと思う。けれど、その理由は蓉子さまのことだろう。
 現に、お姉さまが起きて一番最初にやったことは、テレビのスイッチを入れることだった。
 事件は少し進んでいた。
 一部の人質〜病人〜が開放されたのだ。勿論、それは蓉子さまではない。
 結局、お姉さまは学校を休むと言い始める。
 どちらにしろ、今の状態では学校に行ったとしても授業どころではないだろう。また午前中で早退してしまいそうだ。
「祐巳、貴方は気にせず学校に行ってちょうだい。車を出させるから」
「でも…」
 祐巳は迷っていた。確かにお姉さまは心配だけれども、病気でもなんでもないのに学校を休むというのは、祐巳にとっては想像の外の話だから。
「いいのよ。祐巳。私は大丈夫だから」
 大丈夫。また、大丈夫。
 結局、押し切られたように祐巳は学校へ向かった。
 後ろ髪を引かれる思いだったけれども、お姉さまは「行きなさい」と命令のように告げていた。
 
 学校では、山百合会の皆はお姉さまの欠席を知っても誰一人驚かなかった。
 当たり前のように皆受け入れている。
 由乃さんも、詳しい話は聞こうとしなかった。
 前日の内に言い含められたのか、それとも卒業生にはさほど関心がないのか、真美さんも取材には来ない。蔦子さんも、蓉子さまに関することは一切話題に出そうとなかった。
 そして昼休みに、令さまが祐巳を訪ねてきたのだ。
「黄薔薇さまよ」
「まあ、黄薔薇さまが?」
 誰もが令さまは由乃さんに用事があるのだと思っていたけれど、令さまが連れ出したのは祐巳だった。
「祥子の様子はどう?」
 単刀直入な問いに、祐巳は素直に昨夜の様子を伝えた。
「…うーん、祥子にしては、マシな方かな」
「そうなんですか?」
 苦笑気味に頷く令さまに、祐巳は驚いて尋ねた。
「うん。だって、今の祥子は明らかに祐巳ちゃんのことを意識しているからね。昔の祥子なら、今頃自分と蓉子さま以外のものは全然見えなくなっているよ」
「…うーん。何となくだけど、想像はつきます」
「そうでしょう? だけど、あくまでもそれは、前よりもマシって言うだけで、それだけのことなの」
「それだけって…」
「祐巳ちゃんは確かに祥子にとって大事な存在で、祐巳ちゃんがいるから祥子は多分今までの自分以上に頑張ってしまうと思う。だけど、それが祥子にとっていいことなのかどうかは、わからない」
「えっと…」
 不安な祐巳の表情を見て取ったのか、令さまはにっこり笑う。
「ごめん。私だってどうすればいいかなんてわからない。だけど、今の祐巳ちゃんが祥子に必要だって言うことだけは間違いないんだからね」
 そう言いながら、令さまは祐巳の頭を撫でた。
「…祥子には、泣き言を言える相手が必要かもね…だけど、それは私じゃないし、祐巳ちゃんでもない」
 撫でられるままじっとしていた祐巳は、令さまの言葉に顔を上げる。
「ん?」
 けれども令さまは、何事もなかったように微笑むだけ。
「祐巳ちゃん、今日は授業が終わったらすぐに帰っていいよ。薔薇の館には寄らなくてもいいから。すぐに祥子の所に行ってあげて」
 
 校門の前では、当たり前のように松井さんが待っていた。
「お屋敷へ行かれるのなら、送るように言われておりますので」
「お願いします」
 素直に、祐巳は車に乗り込んだ。考えてみれば、車以外の手段でお姉さまの家にお邪魔したことはない。
 清子さまが玄関で待っていた。
「ごめんね、祐巳ちゃん。今の祥子には、祐巳ちゃんが必要なの。我が侭な子だけど、嫌でなければ相手をしてあげて欲しいの」
「嫌だなんて」
 清子さまは照れたように笑った。
「あら、なんだか、前にもこんなことを話したかしら」
「お姉さまは我が侭なんかじゃありませんよ、清子さま」
「祐巳ちゃんはそう思ってくれるのね」
 祐巳は首を振った。
「お姉さまは自分の好きなものは好きと、嫌いなものは嫌いとハッキリ言います。だから我が侭に見えるけれど、嫌いなものだからって無闇に突き放したりはしません。それは我が侭とは違うんです」
 清子さまが、ゆっくりと祐巳の肩に手を置いた。
「…私より、祐巳ちゃんの方が祥子さんのことをよくわかってくれているのね。本当に、祥子さんはいい妹を持ったわ」
 何となく面映ゆい思いで、祐巳は居間へと急いだ。
「祐巳!」
 祥子さまの顔色が悪い。
「お姉さま?」
 祥子の指さす画面に祐巳は目をやった。
 緊迫した画面の中では、【銃声】というテロップが。
「嘘…」
「祐巳…」
「大丈夫ですよ。大丈夫に決まってます!」
 今度は祐巳がその言葉を使っていた。
 
 結果として怪我人はない、と犯人から声明があったらしい。
 けれどもそれはあくまでも犯人達からの言葉。正しいという証拠はない。
 お姉さまが目に見えて憔悴していた。
「お姉さま…」
 時々呟く言葉が痛々しい。
「大丈夫ですよ、蓉子さまは無事に決まってます。私、そう言うことには勘が働くんですから」
 自分でも無茶苦茶だと思えるような理屈だけれども、今の祐巳には他に言えることはなかった。
「…祐巳、大丈夫よ。貴方も蓉子さまのことが心配なのね」
 お姉さまの微笑みには無理がある。けれど、それが今のお姉さまの精一杯だということが祐巳には痛いほどよくわかった。
 痛々しいとも言える微笑みに、祐巳は令さまの言葉を思い出していた。
『…祥子には、泣き言を言える相手が必要かもね…だけど、それは私じゃないし、祐巳ちゃんでもない』
 泣き言を言える相手。お姉さまにとって、それはきっと蓉子さま。けれど、蓉子さまは今……。
 けれど……
 けれど…
「お姉さま…私、そんなに頼りないですか?」
「祐巳?」
「私、お姉さまにとってそんなに頼りない存在ですか?」
「そんなことは…」
 祐巳は、自分でも気付かないうちに涙を流していた。
 そして、ソファに座ったままのお姉さまを立ち上がって抱きしめる。頭はちょうど祐巳の胸元に。
「泣いて下さい」
「祐巳…?」
「泣いて下さい。蓉子さまのことが心配なんでしょう?」
 お姉さまの頭をしっかりと抱きしめる。
「いいんですよ。無理なんてしないで下さい。そんなお姉さま、私だって見たくありません」
 祐巳は、お姉さまの頭が微かに揺れるのを感じた。
 そして、しゃくり上げるような声。
 祐巳は、もう一度しっかりとお姉さまを抱きしめた。
 
 その日のうちに、特殊部隊が突入して人質は無事解放された。
 人質に死傷者は0。勿論、蓉子さまは無事だった。
 
 
 
 翌日、空港まで出迎えた祥子は蓉子に泣きながら駆け寄った。
 車のところで待っている祐巳の目にも、涙が少し浮かんでいる。
「祥子にも祐巳ちゃんにも心配かけたわね」
「そんなこと…お姉さまが無事なら、それでいいんです」
 祐巳は抱き合っていた二人に近づいた。
「さあ、蓉子さま、行きましょう」
 祐巳を見る蓉子の目が、少しおや?というものになる。
 そして、二人を見比べながら、蓉子は祥子に囁いていた。
「祥子。貴方、泣いてもいい場所が増えたみたいね?」
 祥子は驚いた目で蓉子を見つめ、ついで頷く。
「…本当に、妬けるわね、祐巳ちゃんには…」
 言葉とは裏腹に、蓉子の眼差しは優しく祐巳を見つめていた。
 
 
 
あとがき
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