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KISS YOU
 
 
 
 
「令、貴方、経験があって?」
 二人しかいない薔薇の館。
 祥子の唐突な問いに、令は首を傾げる。
「経験って? 何の?」
「そ、その……キス…」
「え? 何? 良く聞こえないよ?」
「だから、その……キス……よ」
「え……?」
 聞き直してもやはり唐突な問いであることには変わりなく、令は呆気にとられ、次いで赤面してしまう。
「…突然、何を言い出すのよ、祥子」
 焦ったのか、やや嶮のある物言いに祥子は俯いてしまう。
「ごめんなさい、令。だけど、令なら…」
 言いづらそうにところどころつっかえるが、その割にはとんでもないことを祥子は口走っていた。
「…その…由乃ちゃんと、キスくらいしているんじゃないかしらと思って」
「祥子?」
 ムッとした口調で令は切り返すが、やや口調が弱い。
 確かに…祥子の言うことは満更外れているわけでもない。…厄介なことに。
 経験はある。由乃との。
「キスくらいなんて、そんな軽く言って欲しくないよ」
 それは、大切にしているものだから。
 一度一度を思い返すことができるくらいに。
「私と由乃にとっては、どれも大切な思い出なんだから」
「そうよね。私の思慮が足りなかったわ。訂正するわ。令は、由乃ちゃんとキスの経験があるのね?」
 いや、だからといってそう訂正されると、なんだか恥ずかしい。
 けれど、こうなってはもう引き返せない。
「うん、あるよ。由乃とならね」
「その…」
 またも言い淀む祥子。でも、どこかで吹っ切ったようで、突然ごく普通のいつも通りの祥子の詰問口調になる。
「それで、どうやってやっているの?」
「へ?」
 言ってから、令は今の自分の間の抜けた言葉が祐巳ちゃんそっくりだと思った。
「だから、私はキスの仕方を聞いているのよ」
 キスの仕方と言われても……。
「令は、由乃ちゃんにどんなキスをするの?」
 祥子は、今まで自分の欲しいものは自分の力で得てきた。だから、欲しいものを見つけると容赦がない。
 ものに限らず、情報も同じ。
 つまり、今の祥子は令からキスの話を聞くまでは引き下がらないだろう。つき合いの長い令にはそこまでわかる。
「どんなって言われても…」
 下手に誤魔化すわけにはいかない。令の脳はフル回転していた。
「…祥子、どうしてそんなこと聞きたがるの?」
 令は形勢逆転の糸口を見つけた。
「私と由乃のことなんていう、プライベートの話を聞きたがるなんて、祥子らしくないわよ」
 一瞬、たじろぐ祥子。令はその隙を見逃さずにたたみかける。
「何があったの? 言ってみなさいよ。場合によっては、協力してもいいよ」
 祥子が無言で視線を逸らした。
 基本的に退くことを知らない祥子が自分から視線を逸らすというのは、余程のことである。
 そして今、令の親友をここまで弱らせるようなことと言えば……、一つしかない。いや、一人しかいない。
「ねえ。祐巳ちゃんがどうかしたの?」
 ピクッ、と反応する祥子。
「祥子。祐巳ちゃんと何かあったの?」
 ピクッピクッ。
「祥子…。祐巳ちゃんとキスしたの?」
 ピクッピクッピクッ。
「…まさか、キスしようとしてできなかったとか…」
「令! それはちょっと失礼でなくてっ!」
 ビンゴ。大当たり。大正解。金的。特等。
「…祥子、話してみてよ。一体何があったの……?」
 
 
 二人きりの薔薇の館。
 盛り上がる雰囲気。
 繋がれる手と手。
 交わされる視線。
 近づく吐息。
 うなじに添えた指。
「祐巳…」
「お姉さま」
 二人の唇が近づいた。
 ゆっくりと、触れあう二人。
 温かく、心地よい湿りが互いを潤すように唇に広がっていく。
 貪るほど不作法ではなく、さりとてすぐに離れられるほど淡泊でもない。
 二人は、息が続かなくなるまで唇を合わせていた。
 やがて、荒い息と共に離れる二人。
「祐巳…」
「お姉さま…」
「うふふ…これが祐巳のファーストキスなのね?」
「え…。は、はい」
「祐巳…今、どもらなかった?」
「あ……」
 祐巳の視線が逸れた。
 気まずい雰囲気。
「祐巳?」
「あ…、あの…」
「どうしたの、祐巳」
「あの、あの、私…」
「ハッキリ言いなさい、祐巳!」
「私……ファーストキスじゃないんです…」
 祐巳の言葉は、祥子に物理的な、いや、物理的以上のダメージを与える。
「ゆ、祐巳…」
 
 
 語り終えた祥子の両肩に、目に見えるような暗雲が立ちこめている。
「そういうことなのよ…」
「そう、同情するよ、祥子」
「…令はいいわね。貴方の知らない由乃ちゃんなんて、いないのでしょう? 私は、私と出会う前の祐巳を知らないもの…」
「それは…そうだけど…」
「令は、由乃ちゃんの全てを知っているのよね…」
「まあね…由乃のことなら、由乃の両親より詳しいよ、私は」
「…初めてのお使いも…おねしょが治った時期も…初めて小等部や中等部の制服に袖を通したときも…私は祐巳のことを何も知らないのよ」
 知ってどうする。とは令にはつっこめない。
 なぜなら、令は知っているから。由乃のそれらの節目を全部知っているから。言えと言われれば今すぐ日付付きで言える。
 さらには後者二つは写真まである。机の奥深くに大事に額入りでしまってある。時々取り出して見耽っては悦にいるのだが、一度それを由乃に見つかって危うく捨てられそうになったのもいい思い出だ。
 ちなみに捨てられそうになった由乃の激高の理由は、「そんなの大事に持っていて気持ち悪い」ではなく、「私は令ちゃんの記念写真を持っていないのに不公平だ!」だったりする。
「…仕方ないよ。私と由乃は、産まれたときから一緒だったんだから」
「…例え生まれが違っても、死ぬときは一緒よ」
 祥子さま、貴方は劉備関羽張飛の義兄弟ですか? 桃園の誓いですか?
「紅薔薇さま! でしたら、三人目は是非この瞳子に…」
 どこからか乱入してきた瞳子に痛烈なカウンターパンチを見舞う祥子。
「十年、いや、十世紀早くてよ!!」
 ぶぅん、と薔薇の館には不似合いな擬音と共に吹き飛ばれされていく瞳子。ちなみに窓ガラスが割れると危ないので、咄嗟に乃梨子が窓を開けている。
 さよなら張飛、もとい、瞳子。
 どうやら、祥子が熱く語っている内に白薔薇姉妹と瞳子が来ていたらしい。
 瞳子は今消えたので、残りは二人。
 
「キス……ですか?」
 話の流れ上、令と祥子は志摩子にもアンケートを試みようとする。
「そうよ、貴方のキスの経験よ」
 頬を染め、俯く志摩子。
「それは…あの……」
「志摩子さん、答えることなんて無いよ」
 むっつりとした表情で二人の先輩を睨みつける乃梨子。
「理由がなんであろうと、こんなプライベートな質問に答える義務なんて無いもの」
 乃梨子は薔薇さま二人にも臆さない。
「どうせ、祐巳さまとの間に何かあった紅薔薇さまが黄薔薇さまに相談したのだけれど、黄薔薇さまのところは幼馴染みで年中イチャイチャしているから相談の意味がない、そんなところよ」
 大当たり。
「…乃梨子ちゃん、貴方、勘違いをしているわ」
 けれども、祥子は退かない。否、退けるわけがない。
 祐巳とのキスのため、もとい、紅薔薇の誇りのため、ここで一年生に負けるわけにはいかないのだ。
「そう。祥子の言うとおり」
 ずいっ、と一歩進む令。
「私たちは、乃梨子ちゃんと志摩子のキスの話を聞きたい訳じゃないわ」
「え? そ、そうなんですか?」
「第一…」
 にこり、と笑う祥子。
「…私たちが聞きたいのは、どちらかと言えばキスのうまい人の話、うまい人にされた人の話」
「え?」
 乃梨子の頭に浮かぶクエスチョン。
 それって……
「つまり…」
 令のトドメ。
「志摩子に聞きたいのは、聖さまとのお話なの」
「ええええええええ!!!!!」
「…貴方、まさか、志摩子のファーストキスが自分だと思っていたとか?」
「…乃梨子ちゃん、貴方…」
 祥子が「わかる」と言いたげに頷く。けれど容赦はしない。
「…聖さまが志摩子に何もしなかったわけ無いでしょう。“あの”佐藤聖さまの妹が“この”藤堂志摩子だったのよ!」
「たとえば、二階の窓からボールを外に投げたとき、そのボールが地面に落ちたかどうかを確認する必要はないわ。なぜなら、落ちて当たり前だから。確認する必要なんて無いの。それと同じ。聖さまが何かしたかどうかなんて、確認する方がおかしいの。それは既成事実なのよっ!」
 がくん、と膝をつく乃梨子。
「う……、そ、そんな…志摩子さん…」
 呟いて志摩子を見る。
「……お姉さま…」
 白薔薇さまはなんだか甘美な想い出を反芻してっるぽい。
「志摩子さんーーーー!!!??」
「………お姉さま…」
 
 
「ごきげんよう」
 祐巳と由乃が薔薇の館へ入ると、乃梨子が部屋の片隅で泣いていた。
 志摩子は忘我の境地でなにか妄想に耽っている様子。
 令と祥子は熱い議論を戦わせている。
「…そこで一気に!」
「…だけど、強すぎるのは考え物よ」
「…あらかじめ唇を湿らせておいて」
 詳しく聞かない方がいいような気がする。
「…瞳子ちゃんいないね」
 由乃の言葉にもう一度室内を見回す。
 瞳子がいない。
 ということは、さっき温室の近くで何かが地面に刺さっているように見えたのは、やっぱり見間違いではなく瞳子だったらしい。
 後で掘り返しに行こう。
「ねえ、祐巳さん。早くちゃんと話した方がいいんじゃない?」
「う、うん」
 キスの後、突然走り去っていったお姉さまに驚いて、祐巳は由乃に相談した。
 そして出た結論を持って、祐巳は祥子に会いに来たのだ。
「幼稚園のころ、祐麒とキスしました」
 祐巳の言葉に固まる祥子。
「幼稚園…? 祐麒さん……?」
「は、はい。あの、まだ小さいからなんのことかよくわからなかったんだけど、なんかキスしちゃったなぁってことだけは覚えてて…」
「まあ、そうだったの……。でも祐巳、それはファーストキスには当てはまらなくてよ…」
「そ、そうですよね」
「ええ、そうよ、祐巳。本当におっちょこちょいなんだから……」
「あ、あのお姉さま…」
「なにかしら、祐巳?」
「お互いに、子供の頃のことなので、祐麒を怒らないで下さいね」
「……あ、当たり前じゃないの。何を言うの、祐巳ったら」
「そ、そうですよね……」
「そうよ」
「…偶然通り魔にあったとか、嫌ですよ」
「……………」
「お姉さま!?」
「え? ええ、勿論よ。そんなこと、起こるわけないじゃないの。そんな偶然、起こるわけないわ」
「そ、そうですよね」
 笑う二人。
 それを見ていた由乃は心から思っていた。
 ……良かった。本当に良かった。
 ……バレたら間違いなく殺されてしまうわ。
 ……私が祐巳さんの最初だなんて……
 そして祐巳は…
 ……由乃さんに相談して良かった…
「最初が由乃さんだなんてバレたら大変だよ」
 その言葉が聞いて、由乃が必死で考えたのがこの案。
 題して「祐麒なら多分許してもらえるような気がしないでもないので可能性にかけてみよう。まあ万が一とばっちりがいっても祐巳が頭を下げれば祐麒は許してくれるだろう」
 略してYM大作戦。
 ……ありがとう由乃さん…
 
 本当の最初が可南子だということは、堅く隠しておこうと心に誓った祐巳だった。
 
 
 
あとがき
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