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お金がない?
 
 
 由乃を抱きしめる令。
「足下、気を付けて」
「うん」
 令に身体を預けて、由乃はゆっくりと体重を足にかけた。
 令の漕ぐ自転車の後ろに乗せられて、由乃はここまで連れて来られたのだ。
 体育祭前にサイクリングをしてみたい。
 江利子の気まぐれな一言に令が乗り、二人っきりにさせたくない由乃が強引に着いてきた。勿論、今の由乃が自転車で着いてこれるはずもなく、仕方なく令が後ろに乗せてきたのだ。
 そして、ここは集合場所。江利子の家に近い駅前。
「あらあら。大丈夫? 私も手伝いましょうか?」
 江利子の言葉に由乃はつっけんどんに応じた。
「大丈夫です。令ちゃ…お姉さまの手助けさえあれば」
「あら、そう。令も大変ね」
 そう言うと江利子は、由乃がキッと顔を向けたのを見計らい、
「けれども、こんなに可愛らしい妹なら、世話をかけられるのも楽しいでしょうね」
 出鼻を挫かれ、慌てて言葉を飲み込む由乃。
 ニヤリと笑う江利子。
 令は二人のやりとりに気付かず、江利子の「可愛らしい」という言葉に頷いて照れている。
 ニヤニヤと由乃に向かってわざとらしく笑って見せながら江利子はふと、通りに面したパン屋に目を向けた。
「……蓉子?」
 耳ざとくその呟きを耳に留める由乃。
 江利子の視線を追った由乃は同じものを見た。
「…紅薔薇さま?」
 そこでようやく、令も二人の視線を追う。
「紅薔薇さま? どうして」
 令の疑問に答えるように、江利子は頷いた。
「令、由乃ちゃん。ここで蓉子を見たことは、しばらく誰にも言わないようにしてもらえる?」
 令は即座に、由乃は少し考えてから了承の返事。
 
 
 聖はバスを降りた。
 初めて訪れた志摩子の自宅。話としては聞いていたけれど、やっぱり実物は違う。
 いや、そうというよりも…
 つい、思い出し笑い。
 志摩子の父親は相当なたまものだった。
 あれは人物だ。確かに、志摩子の父親だけはある。あれが平均的な坊主だというなら、自分はシスターよりも坊主の方に親しみを覚える。
 シスターは……あまり好きじゃない。
 ああ、今の自分が嫌なことを思い出そうとしている…。
 気分転換に眺めた町並みの中に、聖は妙なものを見つけた。
 見つけたと言うよりも、なにか違和感を感じた。
 そこにあるべきでないもの。
 …そば屋の岡持を担いでいる女の人。
 あれはどう見ても水野蓉子?
「蓉子…?」
 思わず口に出して、聖は考えた。
 自宅の手伝い……違う。
 アルバイト……確か校則で禁止されているはず。
 
 
 その翌週の月曜日、聖と江利子は互いに、
「ちょっと秘密の相談が…」
 二人はそこではたと止まり、そして少しして再び、
「蓉子には内緒で…」
 またもやハモる。
「何よ、聖。蓉子のことなの?」
「江利子こそ、蓉子に内緒の話って…」
 五分後、山百合会緊急会議(without紅薔薇さま)が黄薔薇さま白薔薇さまの連名で招集された。
「お姉さまはどうされましたの?」
 開口一番、祥子が訪ねる。
「今日の会議は紅薔薇さま無しで進めるわよ」
「何しろ、議題が蓉子自身のことだからね」
「お姉さま自身ですって? どういう事ですの、黄薔薇さま、白薔薇さま!」
 人数分のお茶を用意していた由乃と志摩子が、祥子の剣幕に驚いてカップを落としかけた。
 慌ててフォローに入る令。
「祥子。そんな大声出したら志摩子ちゃんや由乃も驚くから落ち着いて」
「失礼ね、令。私、大声なんて出してなくてよ」
「充分大きな声よ。そんなことより、今日集まってもらったのは他でもないの。まずは、私と聖の見た出来事を聞いて欲しいのよ」
 語る江利子。令と由乃は江利子の話を知っているので頷く。
 そして続きを語る聖。
「そういうわけなのよ」
 当惑げな祥子は、首を傾げながら尋ねる。
「それが…どうかいたしましたの?」
 これには江利子が呆れた。
「どうかって…この状況がわからない?」
「お姉さまが勤勉な働き者だと言うことですか?」
「うん、それは間違いないわ」
 思わず頷く聖。確かに祥子の言葉に間違いはないし、蓉子が勤勉な働き者だというのは聖も江利子も心から認めている。
「これはもしかして…お姉さまを皆で褒める会議なのですか?」
「いや、あのね…祥子。働くって事は理由があるのよね」
「ええ。勿論ですわ」
「それじゃあ、働く理由っていうのを教えてもらえるかな?」
 聖が言うと、祥子は何を今さらとでも言いたげに肩をすくめて口を開く。
「勿論、自分の身に付けた技量を生かして、世の中に役立てるためですわ」
 五人の目が祥子に集中する。
「それだけ?」
「働く理由など、それで十分ではありませんの?」
 真の上流階級は根本的な考え方からして違うなぁ…と令は妙な所で感心する。
 しかし、呆気にとられたとはいえ、そこで止まるような聖ではない。
「あのさ、祥子。働くって言うことは、報酬をもらうって言うことなんだよ? ほとんどの人は、報酬のために働いているの。わかる? つまり、蓉子が働いている理由も、普通に考えればお金なの」
「…はあ」
「ウチは基本的にはアルバイトは禁止されているわ。たしかに隠れてやっている子もいるし、おおっぴらなものでなければ黙認しているのが現状だけれども。あの蓉子がアルバイトを、しかも二つ。これはどう考えてもおかしいのよ。何か事情があるとしか思えないの」
「事情…と仰いますと?」
「真面目な学生がいきなり働かなきゃならない理由なんて、一つしかないでしょ?」
「…心機一転ですか?」
 真面目な顔してどこまでボケるのかこの娘は。聖はそう言いたいのを堪えてとりあえず説明を続ける。
「お金ね。一番わかりやすく、そして一番切実で、しかもありふれた理由よ」
「お金……」
 江利子が聖と祥子の間に入る。
「ところで祥子。貴方、蓉子の家にお邪魔したことある?」
「いえ。まだありませんけれど…」
「なにか、それに訳があるとしたら?」
「あの…お姉さま、私は、まだお姉さまの御自宅にお邪魔した事はありませんが…」
 おずおずと二人の間に入りながら切り出す令に、江利子は渋い顔。
 せっかくのできた妹に、あんなバカ兄貴どもを見せたくないから、とは口が裂けても言えない。
「…そうね。気がつかなかったとはいえ悪かったわ、令。それじゃあ今度、改めて招待するわ」
 思わぬ時に思わぬ返事、思わぬ朗報に令の顔が輝いた。
「は、はい。楽しみにしています」
 由乃の凍てつくような視線を無視して、江利子は話題を戻す。
「話を戻すわよ、祥子。私も聖も、そして貴方も、蓉子の家には行ったことがないし、家族構成も知らないのよ。蓉子の家庭のことは一切が謎なの」
「ええ。私も、立ち入ったお話を聞いたことはありませんわ」
「そこでよ…祥子は、蓉子の家がどんなふうだと想像しているの?」
「どんなもの…と言われても、考えたことなどありませんわ」
「私と聖で考えてみたのよ…もし付け加えることがあったら言ってみてね」
 
 証言その1 鳥居江利子
 水野蓉子は倹約家である。
 一緒に買い物へ行くと、クーポン券や割引券を欠かさず使用、スタンプサービスはどんなに急いでいても必ずもらう。
 今までは単なる倹約家だと思っていたのだけれど、もしかして、純粋に「お金がない」のだとしたら…?
 
 証言その2 佐藤聖
 一度、一緒に海へ行ったことがある。
 その時蓉子が着ていた水着は、学校指定のスクール水着だった。
「あの時は…蓉子なりのサービスだと思っていたのよ…」
 サービスですか、白薔薇さま……。
 志摩子がメモっていることには誰も気付かなかったという…。
 
 証言その3 支倉令
 そういえば…お料理の話をしていたときに、紅薔薇さまは豚よりも牛よりも鶏肉が好きだと言っていた。
 ヘルシーだから好きなのだと言っていたけれど、考えてみれば鶏は一番安いお肉……。
「そうなの?」
 突然異を唱え始める祥子。
「牛や豚と比べても、一羽当たりの取れるお肉はかなり少ないと思うのだけれど…それでも牛や豚より安いのかしら?」
 令は苦笑しながら答えた。
「一羽や一頭で比べるとそうかも知れないけれど、鶏はブロイラーだから…」
「ブロイラー? 聞いたことのない産地ですわ。海外産というわけかしら? 秋田比内や名古屋コーチン、薩摩に比べれば安いのかしら?」 
「祥子…鶏って、どうやって育てているか知っている?」
 令の問いに、祥子は眉をひそめて不思議そうに答えた。
「当然よ。飼育を請け負っている農家の方が、一羽一羽丹誠込めて育てるのでしょう?」
 …こいつ、地鶏しか…しかも生産者指定の超高級地鶏しか食ったことねえのか!!
「あのねえ、祥子。そんなことやっていたらケンタッキーなんて…」
「ケンタッキー州は鶏の産地だったの? 知らなかったわ。さすがに令は食材の産地には詳しいのね」
「ごめん、祥子。私が悪かったわ……」
 
 全員一致で、知る限りの紅薔薇さまのライフスタイルと自分たちを比べ始める。
 まずは着ている服。
「確かに、蓉子がブランド物を身につけている所は見たことがないわね…」
 江利子は自分にその気がなくとも、兄や父親からのプレゼントでブランド品には事欠かない。
 聖、由乃、令、志摩子はそれぞれ平均よりは多くのブランド品を手にできるだけの家庭環境だ。
 祥子は…無論別格。
「言われてみれば蓉子の着ていた服、どれも無印良品やユニクロレベルだったような気がするわ」
 聖のチェックは割と厳しい。
「全部なのですか、お姉さま?」
「ええ。そうよ」
「下着も…」
「ええ、私の見たかぎ…げふんげふん」
 志摩子がメモメモ……。
「ムジルシリョウヒン、ユニクロ…?」
 祥子は考え込んでいる。
「どれも、聞いたことのないブランドですわ」
「祥子がそんなの着たら、お爺さんやお父さんが卒倒するわよ…」
 ちなみにこの令の呟きは、約半年後に(今は単なる志摩子の同級生である)福沢祐巳によって現実の物となるのだが、今はその話ではない。
 お昼ご飯はいつもお弁当。食堂で何か食べている姿を見た者は誰もいない。
 好きな魚は、と聞かれれば「アラ」と答えていた。(このあと首を傾げる祥子に、「アラ」は魚の種類でないと由乃が説明、よせばいいのに令が「地方によってはアラという名前の魚もいる」と言ったものだから由乃逆上)
 祥子がお弁当のオカズを残すととても怒る(それは躾だろう、と祥子以外の全員の意見が一致。祥子のハンカチが二枚、被害に遭う)
 
 もしかすると、本当に蓉子の家は貧乏なのではないだろうか。
 疑惑は深まる一方。
 そもそも、校則で禁止されているアルバイトを紅薔薇さまともあろう御方がしているなんて……。
 よほどの事情…つまり家庭の事情があるのでは…。
「お金のことでしたら、私に言ってくだされば…」
「ストップ。それは駄目だよ、祥子」
 聖さまが厳しい顔で、優しく微笑む。難しい芸当だけれども、白薔薇さまにはこれができる。
「そんなこと、言えるわけがないでしょう」
 江利子さまが続けた。
「小笠原家が超の付くお金持ちだなんて、誰もが知っている。その貴方相手にそんなこと言ってご覧なさい。妹にした理由まで疑われてしまうわ。そんなこと、例え本当に困っていたとしても蓉子は言わないわよ」
「…そうかもしれません。けれども、私はお姉さまの力になりたい。この気持ちは変えられませんわ!」
「気持ちはわかるわ。けれども、こればかりは…」
 令が祥子の肩に手を置くと、毅然と話し始める。
「お話しはわかります。けれども、私たちは紅薔薇さまがそんな方でないことを知っていますし、祥子の気持ちが本物だと言うことも知っているはずではありませんか? 私たちにできることが何かないんでしょうか。もし、こんな事が学校に知れて紅薔薇さまが退学なんて事になったら…」
 聖と江利子が恐れていたのもその一点だった。
 リリアンは自由な校風ではあるが、その反面、一旦定められた規則に関しては厳守が基本とされる。
 規則にアルバイト禁止とある限りは、よほどの事情であっても禁止に違いはないのだ。
「それは私たちも考えたわ…。だけど、個人的なことならまだしも、家庭のこと、しかも経済的な都合をど左右できる力なんて……」
「お金があればいいんですよね?」
 沈黙を保っていた志摩子がそう言った。
「え? ええ、でも、お金を渡してはい解決、なんて訳にはいかないのよ。いくら祥子の家がお金持ちと言っても…」
「いえ。でしたら、お金を渡す理由を作ればいいんです」
「きちんと納得できる理由なんて作れるかしら?」
 志摩子はパチンと手を合わせる。
「奨学金を作ればいいんですわ」
 おお、と頷く一同。
「確か、祥子のおじいさまはリリアンの理事じゃなかったかしら? 理事が在学生のために奨学金を設立してもなんの不思議もないわ」
「その第一号が蓉子ね? ええ、確かに蓉子なら、成績優秀容姿端麗眉目秀麗感度良好。奨学金をトップでもらっても誰も不思議に思わないわ」
 聖さま、この場には不適当な四字熟語が最後に並びましたが?
 奨学金のアイデアに盛り上がる一同。
「早速、今日の夜にはお爺さまに決めて頂くわ」
 祥子の決意に、一同は頷いた。
「受給資格は成績優秀でいいですわね。あとは書類選考にしておけば、お姉さまは申し込みだけなされば合格決定ですわ」
 
 三日後、トントン拍子で決定した奨学金の話を、一同は蓉子の元へ持っていく。
「いらない。必要ないわ」
「蓉子、意地は張らなくていいんだよ。これは蓉子のために…」
「聖、それは内緒のはずよ! …蓉子、私たち、貴方が心配なのよ」
「どうしたの? 二人とも」
 江利子は仕方なく、町で見かけた蓉子の姿を話す。
「ああ、あのそば屋はおじさんのお店よ。人手が足りないときにたまに手伝わされるのよ」
「え…それじゃあパン屋は…」
「母方のおじさんのお店ね。母方も父方も、独立した商売人ばかりなのよね、ウチの親族って。おかげで、なんだか私も小さいときから倹約精神が身についちゃって、お金のかからない性格になっちゃったのよ」
「…お金のかからない…」
「性格?」
 つまり、魚のアラもお弁当も鶏肉も非ブランド商品も、純粋にそれが好きだから好きだと言ってるだけで。
「二人とも、どうしたの?」
「…あの…蓉子…」
「なに?」
「助けると思って、奨学金申し込んでくれない?」
 二人から全てを聞き出した蓉子は、すぐさま山百合会一同を呼び出しお説教。
 人の家庭をなんだと思っているのか。気持ちは嬉しいがもう少し考えてから行動してはどうか。
 特に祥子は、そこまで人の心配をしている場合か、さっさと妹を作りなさい、といらぬ説教まで追加される始末。
 この説教が、数週間後の福沢祐巳事件に影響したのかどうかは、定かではない。
 
 
「と、いう話があったのよ」
 志摩子の話に、乃梨子はしっかりと頷いた。
「…納得しました」
「ええ。瞳子ちゃんは祥子さまの御親戚だから…」
「似たもの同士…というわけですね…」
 乃梨子は視線を手元の書類に落とす。
 そこには…
【奨学生募集中 条件・仏像に造詣の深い方】
 乃梨子は、深く溜息をついた。
 
 
あとがき
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