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月の運命
 
 
 昔々、神様が男と女に尋ねました。
 お前達は、月と太陽、どちらの生き方を望む?
 
 男は答えました。
「私は太陽のように熱く輝く生き方を望みます。月のように満ちたり欠けたりするのはごめんです」
 神は困りました。
「だけど、お前達は選ばなければならないのだよ」
 すると、女は答えました。
「私は月の生き方を望みます。その代わり…」
 
 神様は男に太陽の生き方を、女に月の生き方を与えました。
 女は月に支配されるようになりました。
 月が満ちて欠けるように、女は満ちたり欠けたりするようになりました。
 その代わり女は、子を作り育てる生き方を選んだのです。
 満ちて欠けて、次の命を育む生き方を。
 
 
 だから「月のモノ」と言うし、月に一度の周期に支配されるんだよ。
 ……
 蓉子は、心からそのご先祖さまを怒鳴りつけてやりたい気分だった。
 月に一度のお客様なんていらない。いらないから。
 その代わりに子供を産むと言われても、今のところはピンと来ない。結婚どころか、好きな男の一人もいない状況では無理もないのかも知れないけれど。
 …どうして、月の生き方なんて選ぶのよ。ご先祖さまの馬鹿。
 もっとも、この話はアフリカのどこかに伝えられていた話だと言うから、蓉子の先祖ではないかも知れない。
「少なくとも、蓉子のご先祖さまはアフリカから来たりしてないわよね?」
 聖の言葉に、蓉子は唸り声で応える。
 触らぬ神に祟りなし。本当ならこの状態の蓉子と二人きりになるのは聖の望むところではない。けれど、今日の所は不可抗力。
 たまたまバスに乗ったら、たまたま蓉子がいた。
 見るからに不機嫌そうな蓉子の様子に、理由に思い当たるところのある聖が、隣に座ったのだ。
「全然知らない人がいるより楽でしょう?」
 そういうと聖は、最近聞いたという月と太陽の物語を蓉子に語り聞かせたのだ。
 本人は、少しでも気が紛れれば、と言う思いやりのつもりだったようなのだけれど、今まさに真っ最中の側からすればたまったものではない。
「そもそもその話おかしいわよ」
 蓉子の矛先は物語に向かう。
「月は判るとして、太陽の生き方って何よ。男の方にデメリット無しってことじゃない。そんなの選べって、神様おかしいんじゃない?」
 神様おかしいときた。リリアン出身とは思えぬ暴言である。
「えーとね…」
 聖は必死で記憶をほじくり返していた。
「そうだ。太陽の生き方って言うのは不死のイメージなんだよ。ほら、古代エジプトでも太陽は不死のイメージじゃない。ピラミッドとか、太陽の装飾があるでしょう?」
「だったら、余計よ。太陽選ぶでしょう」
「えーと…太陽は、不死だから子供を作れないの。子供を作るのは月の方だけのオプションなんだよ。きっと」
「きっと?」
 蓉子の視線に聖は思わず目を反らす。
「……ごめん、うろ覚え」
「あのね」
「月が欠けていくのは、子供に囓られるから。子供はお母さんを食べて大きくなるの。母乳の隠喩かしら。あるいは、満ちていく姿を妊婦のお腹に重ねている。と言う説もあるけれど」
 見かねた景が口を挟んだ。
 そう。聖と景が一緒にバスに乗ったところ、そこに蓉子が乗っていたのだ。
「あ、そうそう。さすが景」
 やんやと手を叩く聖。
「ちょっと、聖。バスの中よ、はしゃがないの」
「あ……」
 景の言葉で慌てて聖は手を下ろす。
「…相変わらずね、聖」
 蓉子は俯き加減のまま、もう一度聖を見上げる。
 ……判ってるのかしら?
 そう思いつつも、実は自分でもよくわかっていないこの状況。
 嫌なお客様で機嫌が悪いのか、それとも、この二人のせいで機嫌が悪いのか。
 
 
 ようやく家に着くと、蓉子は上着を脱いでベッドに横になる。
 動きたくない。
 それでもなんとか手探りで毛布を見つけて、お腹の上にかけるだけはしておく。冷やすとさらに悲惨なことになるのは経験上よくわかっているから。
 じっとしていると、自然とバスの中のことが思い出された。
 かなり不機嫌だったろう。加東さんは驚いたに違いない。そして今頃、聖が加東さんに自分の不機嫌の理由を説明しているに違いない。
 考えてみれば、みっともない話。
 そこでバス内の会話を思い出して、思わず蓉子は赤面した。
……蓉子、今回もひどいの? 大丈夫?
……外から見て判るほど?
……うん。辛そうな顔してるよ。
……そうじゃなくて、理由の方よ。どうして理由まですぐにわかるの?
……覚えてるから。
……え?
……蓉子が拒む日、ちゃんと覚えてるもの。
……ば、ばか、こんなところで!
……聞こえてないよ。大丈夫。
 加東さんもいたというのに。
 確かに、最初は妙に遠慮した様子で近寄っても来なかったけれど……。
 加東さん、二人の関係を知っているんだろうか?
 突然、蓉子はあることに気付いて身を固くした。
「景」
「聖」
 あの二人、以前は「加東さん」「佐藤さん」じゃなかった?
 いつの間にそんな呼び方。
 蓉子は落ち込んでいきそうな想像を振り払った。
 いけない。
 今は体調に引きずられて考え方まで暗く沈んでいる。そもそも、聖もリリアン出身なのだ。それどころか今はリリアンの大学。友達を下の名前で呼ぶ習慣は当たり前の話。加東さんがそれに影響されるというのもおかしい話ではない。
 やめよう。
 少なくとも今は。
 それに、判っていることだから。そんなことは。
 ただ、相手がちょっと変更するだけのこと。
「嫌だな」
 蓉子は呟いた。
 無意識に毛布を抑えていた手を、瞼を覆うように顔に載せる。
 誰がいるわけでもないけれど。
 こんな顔は見せたくない。
 誰に? 
 きっと、自分に。
 
 聖はいずれ消える。そんな予感が自分の中にはあった。
 あのクリスマスの日からずっと。
 引き留めたいと思った。
 友達として、引き留めなければならないと思った。聖はまるで、崖に向かって走っていくレミングの群のようにその時は思えた。
 聖をリリアンに引き留めたい。破滅と判っている世界へ送りたくない。
 もっと明るい世界に。色のついた世界に戻してあげたい。
 けれど、自分には無理だった。
 聖をこの世界に引き留めたのは自分と聖のお姉さまだったかも知れない。けれど、引き戻したのは自分ではない。聖のお姉さまでもない。
 引き戻したのは二人だった。
 藤堂志摩子。福沢祐巳。
 二人が聖をこの世界に引き戻した。そして聖は自らこの世界に戻ってきた。
 それは喜ばしいことだった。けれど、悔しくないと言えば嘘になる。
 自分が無力だと思った。
 志摩子とは違うのだと思った。
 けれど、志摩子とは聖が妹に選んだ子だった。違っていても当たり前なのかも知れない。
 自分は決して妹にはなれない。そしてなりたいとも思わない。自分は聖の妹になりたいわけではなかった。
 蓉子がなりたいのは……。
 悔しさで言うのなら、志摩子を遥かに超える存在がいた。
 聖を引き留め、祥子を変えた子。
 福沢祐巳。
 聖にとっても、祥子にとっても無二の存在となった子。
 悔しい。けれど、憎めない。それが腹立たしいと思いながらも憎めない。
 だからこそ、聖と祥子にとっての大事な存在になり得たのだと言うことはわかっている。理屈では判っているけれど。
 だから蓉子は、一歩踏み出した。それが正しいことなのか間違ったことなのか、その時は、いや、今でもどうでもいいことだった。
 自分がそれを望んだ。聖も望んだ。それならそれで構わない。二人が望んだのなら、それで構わない。
 けれど、蓉子は気付いていた。
 自分の行為によって、失われてしまったものの大きさにも。
 より以上に聖と繋がったと感じた夜、蓉子はもう一つの予感を感じていた。
 いずれ去っていく聖の姿が、その脳裏には浮かんでいる。
「蓉子が後押ししてくれたんだよ」
 聖は笑って言うだろう。
 違う。そんなつもりじゃなかった。蓉子の繰り言はもう届かない。
「私は、これで思い切ることができる」
 違う。違うの、聖。
 けれどそれを口に出せば何もかも終わる。
「そう」
 誰か知らない人の声。自分の声だけれども、知らない人の声。
「私は聖とこうなってしまったことを後悔しないわ。だけど、私は一生このままではいられないから」
「うん。わかっているよ」
 聖は笑う。傷ついて欲しかったのに。どうして、そこで傷ついてくれないの? 一言「このままでいてよ、蓉子」と言ってくれないの?
 何度過ちを重ねてもビジョンは変わらない。
 去っていく聖。残される自分。
 自ら残ることを選んで、それ故崩れていく自分。
 いずれ聖は去っていく。戻ってくることはないのかも知れない。
 相手は誰なの?
 蓉子の問いに答える者はなく。
 栞さん?
 蓉子の問いに答える者もなく。
 加東さん?
 蓉子の問いを聞く者もなく。
 志摩子?
 蓉子の問いを意に留める者もなく。
 私?
 否。
 ただ一つ明確な答は自分が発する。
「嫌だな」
 二度目に呟くと、手の平にじわりと熱いものが触れた。
 失いたくない。けれど引き留めたくない。
 引き留めれば、駄目になる。多分、二人とも。
 だったら……
 答は最初から決まっていた。
 
 子供が囓って、月は欠けるという。子供を育むために、月は欠けるのだ。
 だったら、自分は月でいい。
 いくらでも囓ってくれればいい。それで貴方が育つというのなら。喜んで囓られてあげる。
 私は月で、聖が太陽なら……。
 それはそれでいい。
 なんとなく痛みが治まってきたような気がして、蓉子は軽く笑った。
 
 
あとがき
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