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とうこのおねえちゃん
 
 
 
 演劇部の衣装倉庫は、別棟に建っている。
 知らない人が聞くと、演劇部だけ何故そんなに恵まれているのだろうかと疑問に思うかも知れない。けれど、種を明かせばそれは簡単なこと。
 衣装倉庫は演劇部だけのものではないのだ。勿論演劇部の衣装や小道具が片づけてあるのだけれど、それ以外にも各部の備品が置かれている。
 名前こそ演劇部衣装倉庫だけれども、実際は各部の物置となっているのだ。もっとも、一番良く活用するのは衣装の出し入れをする演劇部なのだけれど。
 可南子はその衣装倉庫の中にいた。別に自分の用事は何もないのだけれど、近くを通りかかったところを呼び止められたのだ。
「ごめんなさい、可南子さん。ちょっと、手伝ってもらえませんこと?」
 瞳子に呼び止められた時に、何となくそんな予感がしていたのだけれど。
 やっぱり、高いところの小道具に手が届かない瞳子のお願いだった。
「私をハシゴ代わりにしないでくれます?」
「ハシゴに乗っても、瞳子の背では届かないんですっ」
 大きな、二階部分まで吹き抜けの部屋に入っていく。
 二階部分は床が半分ほどしかなく、後は吹き抜けで長い物を置くスペースになっている。
 瞳子が示したのは、吹き抜け部分の端だった。確かに、ハシゴが立てかけられている。
「入ったのは初めてだけど、外から見るよりずいぶん広いのね」
「ええ。ここはリリアンの各文化部共用の物置ですから」
「演劇部の衣装倉庫だと思っていたわ」
「演劇部の衣装がほとんどですし、頻繁に出入りしたり荷物を出し入れするのも演劇部ですから、実質演劇部の管理下にあるようなものですわね」
 可南子はハシゴを登り始める。ふと見ると、古ぼけた壁の一角に、長方形の形にそこだけきれいな部分がある。
「そこ、何かあったの?」
 瞳子は可南子の示した先を見る。
「ああ、そこには、五年ほど前まで大きな姿見があったのですわ。衣装を選ぶのに、わざわざ部室に戻って鏡を見ていては手間ですから、こちらで大雑把に合わせられるようにあったんですの」
「今は、ないのね?」
「ええ、誰かが不注意で割ってしまって、撤去されたんですわ」
「瞳子さんは姿見を見たことがあるの?」
「ええ、よく全身を映して遊んで……」
 そこで言葉を切る瞳子。可南子をチラリと睨む。
「可南子さん、誘導尋問ですわね?」
「何の事かしら?」
 可南子は涼しい顔でハシゴを登っていく。
「私は、高等部の敷地内であるここに、当時小学生だったはずの瞳子さんが何故か入り込んでいたことなんて、何も聞いていませんよ」
 瞳子が叫んだ。
「良くあることだったんです! ここは、瞳子達には素敵な秘密の場所だったんですわ。きれいな服や色々な小道具。それに、演劇部に入ると決めていたんですから、瞳子はこの場所とは完全に無関係だったというわけではありませんでしたの」
 可南子は笑いを噛み殺していた。
「別にいいわよ。小学生にとって、中等部や高等部が冒険場所だったなんて、簡単に想像できるわ」
「だったら、そんな言い方しないで下さいまし!」
 可南子は、さらにクスクス笑いたくなるのを抑える。
 最近、つっかかってくる瞳子がどうにも可愛くて仕方がない。
 同級生相手にこの表現はおかしいのかも知れないけれど、それでも何故か可愛いのだ。
「はいはい。あ、これね?」
 カツラ、と書かれた箱に手がかかる。出し入れしやすいようにつけられた取っ手に手をかけると、スッと引っ張る。
「気をつけて下さいね、可南子さん」
「ええ、大丈夫よ」
 その時、何かが落ちそうになって可南子は無意識にそれを掴んだ。
 縦ロールのヘアピースだ。
「あら、瞳子さんの頭がこんな所に」
「私の頭は縦ロールだけじゃありませんっ!」
「そう言えば前から聞きたかったのだけれど」
「突然なんですか」
「どうしてそんな髪型なんです? 朝の支度も大変でしょう?」
「そんなの瞳子の勝手ですわ。それより、早く下ろして下さい」
「わかったわよ」
 ヘアピースをポケットにねじ込んで両手を自由にする。
 けれど、カツラの入った箱は可南子の予想以上の重さだった。
 バランスを崩して慌てて重心を変えたところで、箱の蓋が開いてしまう。
「あ!?」
 たくさんのカツラがバサバサと頭上から降り注ぎ、視界を閉ざされた可南子は完全にバランスを崩してしまった。
「可南子さんっ!」
 瞳子の声が聞こえた瞬間、可南子の意識は途絶えた。
 
 
 しくしく
 しくしく
 しくしく
 ぐすん……
 
 泣き声が聞こえる。
 可南子は目を開いた。
 最初に目に映ったのはきらびやかな衣装のどアップ。近づきすぎていて何がなんだかわからない。
 どうやら、積まれていた衣装の中に頭から突っ込んでしまったらしい。
 と、すると、しくしく泣いているのは瞳子かも知れない。
 まさか死んだと勘違いしているのでは…
 苦笑しながら可南子は身を起こした。衣装の山から顔を出すと、自分の姿が最初に目に入った。
 大きな姿見に可南子の姿が映っている。
 立ち上がって映った姿を確認してみたけれど、どこにも怪我はないし、制服が破れたりほつれたりしたわけでもない。
 うん、大丈夫。
 可南子は確認を終えると、泣き声の方へ目を向け…ようとして動きを止める。
(どうして姿見があるの?)
 ハシゴを昇っている時には確かになかった。痕を目にしているのだ。それどころか、瞳子によると五年前になくなっているはずのものなのに。
 姿見には可南子の全身が映っている。
(どういう事?)
 五年前の話が事実であれどうであれ、少なくともハシゴを昇っている時になかったことは確かなのだ。
 ふと見ると、姿見の前に小さな姿があった。
 小さな女の子が座り込んで、膝に顔を埋めている。どうやら泣いていたのはこの子のようだ。
「どうしたの?」
 瞳子の姿もない。周りの様子がおかしい。
 泣いている子が何か知っているかも知れない。可南子はそう考えて声をかけていた。
「ん……」
 女の子は、今始めて可南子に気付いたように顔を上げた。
 とても可愛らしい、けれどどこか見覚えのあるような顔。
「ごめんなさいっ!」
 突然頭を下げて謝る女の子。
「あの、ここは面白くて、楽しくて、きれいで、だから、あの…」
 可南子は、瞳子の言葉を思いだしていた。
 …ここは素敵な秘密の場所。
 どうやら、今でもそれは変わらないらしい。
「別に怒ったりしないから」
 その言葉に、女の子は顔を上げた。
「本当に?」
「勿論。私もそっちに行っていい?」
「うん」
 可南子は女の子の座っていた大きな箱の隣に座る。
「ここ、面白い?」
「うん」
「楽しい?」
「うん」
「きれい?」
「うんっ!」
「そう。そうよね、私もそう思う」
「お姉ちゃんも?」
「ええ。そう思うわ…えーと」
 可南子は、女の子の胸につけている名札に気付いた。やはり、リリアン初等部のものだ。
「お名前はなんて言うの?」
 言いながら名札を見た可南子が絶句する。
【まつだいらとうこ】
 そこには、学年とクラス名も書かれている。
 可南子はまじまじと女の子の顔を見た。
 そうだ。特徴的な縦ロールはまだ無いけれど、確かにここにいるのは紛れもない松平瞳子だった。
「まつだいら、とうこ?」
「うん。瞳子だよ」
 言ってから瞳子は何かに気付いたように改まる。
「お姉ちゃん、ごきげんよう」
「あ…はい、ごきげんよう」
 挨拶を返しながら、可南子は自分の頭の中の疑問を整理していた。
(無くなったはずの姿見)
(小さな瞳子さん)
(嘘でしょう?)
「瞳子ちゃん」
「なに?」
「今日は何日か言えるかな?」
「うん」
 嬉しそうに瞳子が口にした日付は、十年近く前のものだった。
「どうしたのお姉ちゃん?」
 可南子の表情は、瞳子に不審を抱かせるには充分なものだったらしい。
「お腹痛いの?」
 可南子の不安な表情に、瞳子の顔には脅えに似たものが浮かぶ。
「なんでもない、なんでもないわよ」
 無理に微笑む可南子は、やや強引に話題を変えた。
「ところで、さっきまで泣いていたのは瞳子ちゃん?」
「瞳子、泣いていないもんっ!」
 抗議するように手をあげて、瞳子は立ち上がっていた。
「瞳子、泣いたりしてないもんっ!」
「でも泣き声が聞こえていたけどなぁ」
「泣いてないもん」
「本当に?」
 力一杯頷く瞳子。
「瞳子は、祥子お姉さまとお遊びできなくても平気だもん!」
 可南子には思い当たることがあった。
 可南子や瞳子、さらには祐巳さまがまだ高等部にいなかった頃の逸話だ。
 当時の紅薔薇のつぼみだった蓉子さまが、妹に選んだ祥子の稽古事を全て辞めさせた話。
 つまり、裏を返せばその時点までは祥子は習い事だらけだったと言うことなのだ。
 瞳子より二歳上の祥子は、今は習い事に流されている時期なのだろう。
 可南子は、瞳子の頭を思わず撫でていた。
「瞳子ちゃんは、祥子お姉さまのことが好きなの?」
「大好き」
 可南子には羨ましいくらいの率直さで、瞳子は答えた。
「でも、お稽古事ばかりで遊んでくれなくなっちゃったんだ」
「お姉ちゃん、祥子お姉さま知っているの?」
 目を丸くして驚く瞳子に、可南子は苦笑した。
「うん。お姉ちゃんは知っているけれど、内緒よ?」
「わかった。瞳子とお姉ちゃんの内緒ね」
「祥子お姉さまのお話、もっと聞かせてくれるかな?」
「うん」
 可南子は、瞳子の話す祥子の話に聞き耽った。
 瞳子の語る話に出てくる祥子は、まさに非の打ち所のない人間だった。
 瞳子が祥子にいかに心酔しているか、大好きなのか、それが可南子にはよくわかった。
 いつの間にか膝の上に座った瞳子の頭を撫でながら、可南子は話を聞きづけている。
「だけど、お姉さまは大きくなったら、瞳子のお姉さまじゃなくなるの」
「あら、どうして?」
「お姉さまは、ぷちすーりゅになって、ろしゃぎがんてらになるの」
 プティスールに、ロサギガンティア。
 小さいけれど、そこはリリアンの子。多少間違っていても、スールのことはわかっている。
 現実は紅薔薇さまなのだけれど、さすがにそこまでは予想できるわけもなく。
「そうしたら、瞳子のお姉さまじゃなくて、ぷちすうりゅのお姉さまになってしまうの」
「瞳子ちゃんは、祥子お姉さまにずっとお姉さまでいて欲しいの?」
 頷く瞳子。
 可南子は瞳子の顔を見下ろして胸を突かれる思いがした。
 瞳子の目が潤んでいる。
「瞳子、お姉さまのこと大好きだけど、瞳子はぷちすうりゅになれないって、優お兄さまが言うの。瞳子とお姉さまは年が離れているからって…」
 頬に涙が流れる。
「瞳子、お姉さまのこと大好き…」
 可南子は瞳子を抱きしめていた。
「大丈夫だよ、瞳子ちゃん」
 口が、思うよりも先に言葉を発しようとしていた。
 心のどこかが悲鳴を上げる。
 駄目。それを言っては駄目。
 それを言わなければ、もしかしたら変わるかも知れない。夢にまで見たもう一つの現実が訪れるかも知れない。
 だけど、この子の涙を見てしまった。
 見てしまった涙は忘れることができない。それでいいのか。
 だけど、自分は?
 だけど、この子は?
 選択権は今、自分の中にある。
 酷く残酷な、そして決定的な選択権が。
 どうすればいいの?
 今、その言葉を封じてしまえば…、別の言葉を発してしまえば…
 でも、そうすれば、もう二度とあの人の笑顔を見ることはできないだろう。あの人が気付かなくても、もう一度もとの時間に戻ったとしても、自分はもうあの人の顔をまともに見ることができなくなるだろう。
「大丈夫だよ、瞳子ちゃん」
 壊れたテープレコーダーのように、同じ言葉をもう一度。
 姑息な時間稼ぎ。誰を出し抜こうとしているのか、それは自分。
 瞳子ではなく、自分。
 自分を許せない自分と、自分を後押しする自分。
 答は出ている。
 自分が好きなのはどちらの自分?
「瞳子ちゃんには…」
 自分の目も潤んでいる。可南子は声を絞り出した。
「瞳子ちゃんには……きっと素敵なお姉さまができるから…」
 涙が止まらない。
「きっと、きっと……とても、とても素敵なお姉さまができるから」
「お姉ちゃん…」
 瞳子は不思議そうに可南子を見上げていた。
「お姉ちゃん、泣いているの?」
「うん。泣いてるね」
 涙をそのままに、可南子は微笑もうとした。けれど、うまくいかない。
「瞳子ちゃんには、一番素敵なお姉さまができるから。泣かなくてもいいのよ」
「お姉ちゃん、どうして泣いてるの?」
「どうしてだろうね……」
 可南子は、ハンカチを取り出そうとして、ポケットに入ったままのヘアピースに気付いた。
 縦ロールのつけ毛。まるで、将来の瞳子のように。
「お姉ちゃん。本当に素敵なお姉さまができるの?」
 瞳子の問いに、可南子は頷いた。
「瞳子ちゃん、これ…」
 可南子は、瞳子にヘアピースをつけた。
 少し大きいけれど、髪型自体はやっぱりよく似合っている。
「おまじないよ。こんな髪型にしていれば、必ず素敵なお姉さまができるの」
「本当、お姉ちゃん?」
「ええ。間違いないわ」
「うん。わかった」
 可南子の膝から飛び降りる瞳子。それに合わせて可南子も立ち上がると…
 立ちくらみ。
 
 
「…さん!」
「可南子さん!」
 呼びかけに目を開けると、瞳子がこちらを見下ろしている。
「瞳子さん?」
 慌てて起きあがる可南子。辺りを見回しても姿見はない。
「大丈夫ですか? 衣装の山の上に落ちたから、怪我はないと思いますけれど」
「え、ええ…」
 ポケットに手を伸ばす。
 縦ロールの付け毛は無くなっていた。
「変な夢を見たみたい…」
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ」
 瞳子は可南子を始めて見る相手のようにまじまじと見つめている。
「さあ、用事は終わったのだから行きましょう、可南子さん」
 瞳子はいくつかのカツラを紙袋に移して持っていた。
「ええ」
 歩き始めた可南子だけれども、何故か瞳子の足が止まっている。
「どうしたの? 瞳子さん」
「…どうして今まで気付かなかったんだろ」
「瞳子さん?」
 瞳子は首を振って笑った。
「ううん、なんでもないよ、お姉ちゃん」
 
 
 
 
あとがき
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