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大人達を責めないで
2「先生の述懐」
 
 
 回りの様子がおかしいと感じたのは、教室に入って少ししてから。
「ごきげんよう、乃梨子さん」
 いつもなら自分より早く来ているはずの瞳子が遅れてやってくる。
「ごきげんよう、瞳子」
 それからは休み時間ごとに、瞳子は何かと理由を付けては乃梨子にまといつく。
「…どうしたの、瞳子? 今日はなんだかおかしいよ?」
「何がですの? 瞳子はいつも通りですわ」
「そうは見えないけれど…」
「いつも通りに決まっているじゃありませんか。おかしな事を言う乃梨子さんですこと」
 
「おかしな人が朝から押しかけてきていました」
 瞳子に無理矢理つきあわされたトイレ。トイレの前で瞳子が出てくるのを待っていると、横から小さな声。
「…可南子さん?」
 いつの間にか、可南子が隣に立っていた。
「瞳子さんは、ギリギリまで乃梨子さんには伝えないつもりみたいですけれど、私は知っていた方がいいと思います」
 瞳子がまだ出てこないのを確かめると、可南子は早口で話し始めた。
「いろんな噂が飛んでいますよ。私も瞳子さんも噂を否定できるほど詳しいことは知りませんが、噂の内容が真実だとは思えません」
「私の…噂なの?」
 可南子は頷いた。
「事情をある程度知っているらしい祐巳さまが真美さまに、といった具合に新聞部は抑えているようですが、ただの噂話を止めることはできません」
「どうして祐巳さまが? それに、私の噂って」
 混乱する乃梨子。
 志摩子さんなら話はわかる。けれど、どうして祐巳さまが?
 それともも真美さまと親しい祐巳さまに志摩子さんが頼んだと言うことなのだろうか? それならわかる。
「さあ、そこまでは。ああ、噂の内容は…」
「ちょっと、可南子さんっ!」
 二人はトイレから出てきた瞳子を振り返る。
「どうして言ってしまわれるんですか。乃梨子さんに余計な心配をさせまいと、瞳子がこんなに努力していますのに…」
「あまり意味がありません。どうせ、隠しきれるものではありませんから。それなら早めに教えて心の準備をさせた方がいいに決まっているじゃありませんか」
 あっさりと答える可南子に、食ってかかる瞳子だけど、乃梨子は可南子の肩を持った。
「ごめん。瞳子。気持ちはありがたいけれど、やっぱり先に教えてもらった方がいいよ、私は」
「そうなんですか? 乃梨子さん」
「うん」
 そして放課後を待って、乃梨子は薔薇の館へ向かった。
 ゆっくりと二人から話を聞く場所が他にない。どこへ行っても誰か第三者がいるのだ。
 薔薇の館には昼休みだというのに、珍しいことに誰もいない。
「それで、どういうことなの?」
 二人の話を順番に聞きながら、乃梨子の表情が重いものになっていく。
 タクヤ君の娘、貴子が来たのだ。
 朝方、まだ乃梨子が登校する前に。
 最初に出会ったのは、運がいいのか悪いのか、可南子だった。
 貴子はまず、乃梨子の居場所を可南子に尋ねた。
 可南子は、まだ来ていないと答えた。
 それならば教室に連れて行けと言った貴子を可南子は拒否。用があるならまずは事務室へ行ってその旨を伝えてください、と真っ当な答を返す。
 貴子は、その場で乃梨子についての世迷い言を可南子に吹き込み始めた。
 曰く、乃梨子は妻を失った寂しい老人を騙している。
 曰く、お小遣いを巻き上げている。
 曰く、遺産が目当てである。
 曰く、結婚の約束まで取り付けようとしている。
 可南子はもうその時点でまともに取り合うのを諦めていた。けれども、放っておけば他の生徒に標的を代えるだけだろう。
 標的にされた生徒が乃梨子についてどれだけのことを知っているかは疑わしい。
 もっとも、可南子とて、それほど乃梨子の事情に詳しいわけではない。けれど、ただ一つのことだけは自信を持って言えた。
 二条乃梨子は、信頼に値する。
 だから、老人とつきあっている云々はよくわからない話だけれど、それが財産狙いやお小遣い稼ぎなどという姑息な目的でないと言うことだけは断言できる。
 可南子はしばらく、貴子を他の生徒に近づけない目的のためだけに、話を聞いていた。
 調子に乗った貴子は、可南子だけでは飽きたらず、通りがかった他の生徒達にも話を振ろうとする。その度に可南子は、貴子の注意を自分に戻しては話を続けさせるのだった。
 それでも、全くの二人きりで話をしていたわけではない。話の一部は近くにいた野次馬達に伝わり、野次馬から口さがないゴシップ好きの生徒達に伝わるまでには、それほどの時間は必要なかった。
 その生徒の一人から話を聞かされた瞳子が逆上気味に乃梨子に問い質そうとしたのを止めたのも可南子。 
「最悪ね…」
 乃梨子は、志村家での話を二人に聞かせる。
 話を終えた三人は同時に溜息をついた。
「馬鹿馬鹿しい話ですこと」
「本当に。財産目当てなんて、あり得ないにもほどがあります」
「タクヤ君や甲之進さんはわかってくれているんだけれども…」
 もう一度三人が溜息をついたとき、突然扉が開いた。
「あ、やっぱりここにいた」
 祐巳が顔を見せる。
「祐巳さま、ごきげんよう」
 三人に、ごきげんようと挨拶を返すと、祐巳は乃梨子につかつかと歩み寄る。
「乃梨子ちゃん。生徒指導室にすぐ来て欲しいって」
「え? …生徒指導室…ということは…先生が呼んでいるんですよね」
「うん、そうだけど?」
「でしたら、放送で呼べばいいのに」
「あ、そのことか」
 祐巳は苦笑しながら頷く。
「今は根も葉もない噂で持ちきりだから、いま乃梨子ちゃんの名前で呼び出し放送したら、一気に噂が加速しそうだからね。放送しない替わりに私が呼びに行くって事になったの」
「祐巳さま…」
 乃梨子の言葉に、慌てて祐巳は手を振る。
「違う違う。提案したのは志摩子さんだから」
「え、志摩子さんが?」
「うん。あ、そうだ、乃梨子ちゃん。志摩子さんも指導室にいるんだよ」
「どうしてそれを先に言ってくれないんですか!!!」
 珍しく大声を上げる乃梨子に気押される祐巳。
「ご…ごめんなさい」
 思わず謝ってしまう祐巳、さすがに今回ばかりはフォローできない瞳子と可南子。
 乃梨子は注意されない程度に小走りで指導室へ向かう。
 指導室前の廊下には、山百合会が勢揃いしていた。なるほど、薔薇の館に誰もいなかった理由がようやくわかった。
 全員の視線に頷いて、ドアをノックする。
「一年椿組、二条乃梨子ですが」
 ドアが開き、シスターが顔を見せる。
「ああ、乃梨子さん、お入りなさい」
 瞳子と可南子の小声の励ましを耳にしながら、乃梨子は指導室に入っていった。
 
 
 そこには思った通り、貴子が厳しい表情で座っていた。
 そして志摩子、志摩子の担任教師。学園長、乃梨子の担任教師。
 最後に、乃梨子の学年の生活指導主任教師。
「乃梨子…」
「志摩…お姉さま…」
 乃梨子は促されるまま席に座る。
 と、口を開こうとする貴子の機先を制し、
「先生。質問があるのですが?」
 出鼻を挫かれた形になり、貴子は鼻白む。
「なんですか、二条さん」
「私が呼ばれた理由は想像がつくのですが、どうしてお姉さまがこの場に?」
 志摩子さんを巻き込みたくない。乃梨子の思いはあっさり学園長に見抜かれていた。
「藤堂さんには、事情を詳しく尋ねるために来てもらいました。藤堂さん自身がどうだというわけではないわ」
 目に見えて安心した様子の乃梨子に微笑む志摩子。
「大丈夫よ、乃梨子。そんなに緊張しないで」
 志摩子の言葉に、乃梨子は却って落ち着かない。
「う、うん」
「では、志村さん。もう一度先ほどのお話を、ゆっくりとお聞かせ願えますか?」
 学校長が、乃梨子が落ち着くのを見計らって言う。
 退席させないところを見ると、この話はすでに志摩子が知っている内容なのだろう。 
「何度同じ事を言えと仰いますの?」
 貴子は睨みつけるように一同を見渡すと、わざとらしく大きな溜息をついた。
「よろしいでしょう。もう一度、ハッキリと言わせてもらいますわ。…そこの二条乃梨子、その生徒が、ウチの父親、志村タクヤをたぶらかしていると言うことですわ」
 学園長が頷いた。
「たぶらかしていると仰いましたでしょうか?」
「ええ。間違いなくそう言いましたわ」
「二条さん。貴方の言い分はありますか?」
 乃梨子は頷き、口を開いた。
 自分と志村氏は、インターネットの掲示板で知り合った関係であり、他人様に後ろ指を指されるようなことは一切無い。
 年の差こそあれ、友人として親しくお付き合いさせていただいているのは事実だが、誑かしているなどと言うのは事実無根も甚だしい。
 あくまで誑かしていると言いつのるのであれば、その証拠を見せてもらいたい。
「貴方が、父の仏像を欲しがっていることは知っていますよ」
 冷たく笑う貴子に、乃梨子はむかつきを覚える。
「仮に欲しがっているからとしても、手に入れるためなら何でもするというわけではありません」
「そうね。年を取ったおじいさんを騙すくらいならやってもいいというのね」
「騙してなんかいません」
「それじゃあ、本気で好きだとでも言うの」
「違います」
「ふーん。それじゃあ、どういう事かしら?」
 馬鹿にしたような口調の貴子に思わず立ち上がる乃梨子。志摩子や学園長が制止しようとする前に、激しい言葉が口をついて出る。
「私とタクヤ君はそんな関係じゃありませんっ!!」
「人の父親を君付けで呼ぶのは止めてもらえるかしら」
 冷ややかな貴子の言葉に、乃梨子は自分の失策を悟る。
「いくつ年上の男の人を君付けしているのかしら。いくら親しいと言っても、目上への礼儀というものがあるのよ」
 乃梨子は何も言えない。これに限って言えば、貴子に分がある。確かに、タクヤ君というのはネット上での、相手の年齢を知らなかったときからの癖だ。最初から年齢がわかっていれば、絶対に君付けなどしなかっただろう。
「そうやって、普段から君付けで呼んでいたのね。無礼でなければ、とても親しいかのどちらかね」
 何故。
 何故この人はこんなにも自分を忌み嫌うのか。
 自分はこの人に何をしたのか。
 本当に…本当に自分がタクヤ君の財産を狙っていると信じているのだろうか。
 自分は疑われても仕方のないことをしているのだろうか?
 貴子は、タクヤと乃梨子の会話を偶然聞いたと言って語り出す。
 それは、タクヤの結婚云々の冗談と乃梨子のリアクションを、贔屓目に見ても露悪的に、醜悪に戯画化したものだった。
 それだけを聞くならば、確かに乃梨子が老人を誑かす悪魔のような少女に聞こえるだろう。
 でも、もしかしたら自分は本当にそう言う風に見られていたのかも知れない。
 タクヤ君の呼び名と同じように、無意識に、あるいは勘違いしたままタクヤ君とその家族に接していたのかも知れない。
 乃梨子の頭の中で、疑惑とためらいがグルグルと音を立てて回り始めていた。
 自分は、本当に客観的に正しいことをしていたのだろうか?
 先生達にはどう見えているのだろう。
 担任の先生には。
 学園長には。
 生活指導の先生には。
 そして、志摩子さんには。
 部屋の中では全員が聞き役に回り、貴子は水を得た魚のように乃梨子に対する中傷を続けていた。
 志摩子が、目に見えて青ざめた表情になっている。
 そして、黙って聞いていた志摩子がたまらず口を開こうとしたとき、
「失礼ですが志村さん。その辺りでそろそろ口を慎んではいただけませんでしょうか?」
 指導主任がそう言うと、ゆっくりと手元のノートを開いた。
 がっしりとした体格の中年男性である先生は、無言で座っているだけで生徒相手にはかなりの威圧を与えると言われているが、それは外部の人間に対しても同じらしく、貴子は口を閉ざしてしまった。
「君付けというのは、彼女たちの年代では友情に準じた信愛の情に基づくもので、とりたててそれ以上の意味を加味することはないと思いますが?」
 指導主任がゆっくりと言うと、貴子は何を今さら、と言う顔で目を剥く。
「それから、仏像の件ですが、二条が熱心な仏像愛好家であるというのは、有名というわけではないが、知る人ぞ知る事実です。金目のものと言うよりも、純粋に愛好家としての興味で仏像を欲しがったと思われます。第一、その仏像の資産価値はいかほどで? 問題になるほど高価なものなのですかな?」
 貴子は答えない。しかし、威嚇していたような目が徐々にトーンを弱めていく。
「そして、志村タクヤ氏の件ですが、私の聞いた話では、お孫さんも二条とは友人であるとのこと。まさか、祖父と孫を同時に二股にかけていると仰るわけではありますまい? それこそ、ナンセンスな話でしょう」
 貴子に答える間を与えず、指導主任は続けた。
「何よりも、二条本人が違うと主張しています。その主張をまったく無視するのはいかがなものかと」
 ここでようやく、貴子が絞り出すように反論した。
「…その子の言うことを信じるんですか?」
「勿論です。私はこの子達の先生ですから」
 乃梨子は先生の横顔を見た。
 正直に言って、この先生はあまり生徒間では好かれていない。
 というよりもハッキリと評判は悪い。
 けれど、今の言葉はその前評判を全て覆すものだった。
 ふと見ると、志摩子さんも驚いた顔で先生を見ている。
 志摩子さんはこの先生とは無関係の学年のはずなのだけど。
「わかりました。どうやら、その子は先生達をもうまく騙しているようですわね。出直しますわ」
「志村さん、その暴言は聞き捨てなりません。二条さんが誰を騙しているというのですか?」
 学園長が立ち上がる。
 貴子は答えず、うつむくように踵を返すと案内を待たずに部屋を出ていく。
 乃梨子の担任が学園長に目配せすると慌ててその後を追っていった。
「…藤堂さん、二条さん。ごめんなさい。さあ、もうお戻りなさい。今後のことは、落ち着いてからまたお話しするわ」
 これで終わるわけがない。学園長は遠回しにそう言っているのだ。
「はい」
 乃梨子と志摩子は部屋を出た。それについてくるように指導主任の先生。
 指導室から廊下に通じる手前の小部屋。そこで志摩子は立ち止まる。
「…先生…」
 先生はその言葉を待っていたかのようにこれも立ち止まった。
 乃梨子は二人を見比べた。
 一体何があったのだろう?
「佐藤から…聞いているのか?」
 先生の言葉に驚く乃梨子。
 佐藤…佐藤聖さま? どうして、前白薔薇さま、志摩子さんのお姉さまの名前が?
「いいえ。直接は…。学校の噂と…それから蓉子さまと江利子さまに聞かせていただいた話を総合して、私なりに考えました」
「そうか。水野と鳥居か…。そうだったな。三薔薇さまだったな…」
 先生は少し照れくさそうに、そして少し力強く話し始めた。
 
 昔、担任をやっていたとき、一人の生徒を追いつめてしまいそうになったことがある。
 彼女を問い質したことが間違っていたとは今でも思っていない。同じ事が起これば、同じ事をする。
 だが、もう少し信じるべきだったかも知れない。
 事件の全貌が後からわかったとき、俺はそう思った。
 だから、俺は信じることにした。
 信じなくて傷つくこともある。だったら、信じて傷つく方がマシかも知れない。
 裏切られるかも知れない。だけど、裏切るよりはマシだろう。
 
 乃梨子には心当たりがあった。
 由乃さまや祐巳さまから聞いた一つの物語。
「…それって…聖さまとし…」
 乃梨子の言葉を遮り、志摩子は首を振った。
 その様子に、苦笑する先生。
「…藤堂。お前が二条よりも急いでここに来たのは、俺が二条の学年の指導主任だと知っていたからなんだな。だから、志村さんが騒いでいると知ってすぐにここに来たんだな」
「…ご無礼しました。先生」
「いや。いい。俺は…特にお前には…信用されなくても仕方がないことをしてしまったと思っているからな」
 先生は一つ大きな伸びをした。
「しかし、俺はよくよく白薔薇さまに縁があるようだな…」
 先生、それじゃあ聖さまのことだと白状したのと同じですよ。乃梨子はそう言いたいのを堪えて、頭を下げた。
 
 
 帰り道、乃梨子から詳しい顛末を聞いた志摩子が一つの提案をした。
 もし志村さんさえ良ければ、仏像を小寓寺に寄贈、あるいは貸与して安置という形にしてはどうかしら。
 乃梨子も、それが一番波風の立たないやり方だと思った。
 それならば、乃梨子も志摩子も拘わる必要がない。
 志摩子さんのお父様とタクヤ君の間の話になる。
 
 けれど、その判断は間違っていたことを二人は思い知ることになる。
 
 
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