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リリアンの先生
 
 
 私立リリアン女学園。
 都内でも有数のお嬢様学園にして、通っている少女達は何故か揃いも揃って美少女だらけという、夢か幻か妄想かと、首根っこひっ捕まえて小一時間問いつめたくなるような空間だ。
 俺はそこで教師やってる。
 ごきげんよう。
 う、癖になってる。
 ここで働き始めて数ヶ月。当初は「仕事だしなぁ」と思っていた挨拶が完全に身に付いてしまっている。
 最近では慣れたもので、学内と学外で挨拶を使い分けるくらいはできるようになったが。
 しかし、こういう学校で教師なんぞやっていると、連れ連中は「生徒紹介しろ」だの「生徒に手を出したか」だの、五月蠅いことこの上ない。
 バカ言ってんじゃない。生徒に手を出すことを是と感じた瞬間、俺は潔く退職するよ。
 聖職、なんて柄じゃないが、それでも多少の矜持はあるさ。舐めるなよ。
 と言っても、連れ連中が羨ましがる気持ちはわからない訳じゃない。
 確かに、不思議なことだがこの学校は粒ぞろいの美少女だらけ。
 そしてよく言えばお嬢様、悪く言えば世間知らずばかりで居心地の良さは抜群だ。
 が、しかし、この学園には外部からは窺い知れないものがあるのだ。それは……。
 
  「その1」
 一年椿組、細川可南子。
 問題児ではない。問題児ではないが、何かがおかしい。
 俺に対する態度、というか教師に対する態度がなにやら妙なのだ。
 最初は個人的に嫌われているのかと思った。思春期の女の子には珍しいことじゃない。ちょっとしたきっかけで何かや誰かを大嫌いになることは良くある。
 しかし、どうも違うッぽい。
「ああ。可南子さんは男嫌いですから」
「ほー。何か訳ありなんですか? 気を付けることがあるなら留意しますけれど?」
 担任教師は首を傾げた。
「うーん。特に思い当たりませんね。でも大丈夫ですよ」
「心配するほどのことじゃないってことですか?」
「いえいえ。可南子さんは、紅薔薇のつぼみに夢中みたいですから」
 紅薔薇のつぼみ。この学園のよくわからない制度筆頭候補山百合会のメンバーだったな。
「あの。それと細川の大丈夫にはどういう関係が?」
「祐巳さんなら、可南子さんをいい方向に導いてくれますよ」
 つまり、生徒任せ?
 いいんですか、それって。教師としてどうなの?
「…まだここに来て間もない先生にはわからないかも知れませんが、リリアンの生徒自治のレベルの高さは折り紙付きですから」
「はあ…」
 そこへ通りかかった年配のベテランが、俺に一つの話を教えてくれる。
 リリアン教師心得その一【山百合会は不可触地域】
「不可触って…」
「君は知らないだろうが、二年前……」
 佐藤聖という生徒がいた。
 当時二年生の彼女は、下級生の一人とちょっとした問題を起こした。そしてそれによる成績悪化などを、鬼の首でも取ったように言い立てた当時の担任教師がいた。
 翌年正月、その担任は謎の病にかかって長期病欠。
 最後に「す、すんませんでしたぁあああ!!!!」と言い残して退職。現在では北海道で実家の牧場を手伝っているらしい。
 ちなみに、当時の佐藤聖は白薔薇のつぼみ。
「なるほど、それ以来【山百合会は不可触地域】だと…」
「いや。今のは一番近い時期の話を出しただけだ。この心得は…うん。確か、図書室の『枕草子』入れ替わり事件の頃だったかな…」
「いつですか、それは」
「20年以上前だよ」
「……山百合会って一体…」
「気にしすぎることはない。基本的に山百合会はリリアンを愛する存在だからね。リリアンあってこその山百合会。山百合会あってこそのリリアン」
「はあ…」
「我々教師はノータッチでいいんだよ。それが自律の精神を養うことにも繋がるからね」
「はあ…」
 とにかく、細川可南子のことには触れない方がいいと言うことだけはわかった。
 
「まあ気にするな」
 飲み会で、先輩教師が言う。
「私なんかな、雨の中、生徒が半泣きで傘も差さずに走っていく所を目撃しても、山百合会とOBたちに任せておけって言われたぞ。実際、何とかなったけどな」
 大丈夫か、この学校。
「あっはっは。それがどうしました? 私なんか、クラスメートのカバンから物を盗んだ生徒がいても『悪気はないんだし、なにより山百合会が絡んでいる』でお咎め無しですよ? 実際、それで一人の生徒が救われたんですけれどね」
 いいのか、この学校。
 
 
  「その2」
 教科書片手に一年椿組へ。
 言い忘れたが、俺は数学の教師。そして今から椿組では数Aの授業。
 因みに単元は「命題と証明」。今日は「命題・逆・裏・対偶」の話をすることになっている。
 教室に入っていくと、全員がきちんと席について準備をしている。
 前任校ではこれこそまさに夢の状態だったのだが、リリアンではこれが日常茶飯事。すばらしい。
「はい。それじゃあ教科書開いて」
 全員が即座に教科書を開く。
 優等生の二条が、こちらを睨みつけるようにしているが、これは授業に身を入れている証拠。
 松平がなにやらキョロキョロしているがこれは仕方ない。
 松平の前に座っているのが細川なので、黒板が見えないのだろう。
「前回やった命題は覚えているかな? 今日はその続きをやる」
 お行儀がいいと言っても、授業の理解度とはまた別の問題。特に数学なんて科目は日常生活に密着した例題というのが非常に出しにくい。小学校ならお買い物とかで充分なのだが、高校数学ははっきり言って日常生活との関わりが薄い。
「前回も言ったように、数学の授業だからと言って数字や図形が必ずしも必要とは限らない、とくにここは計算や幾何じゃなくて論理の話だからね」
 リリアン生徒全員が興味を持っていると言えば、やっぱりこれだ。
「例えばこれ」
 用意しておいたプレートを黒板に貼る。
【山百合会幹部】【は】【リリアンの生徒】【である】
「これは正しいね。だから真の命題だ」
 頷く生徒達。うん、思った通り全員が興味を持ったようだ。
 プレートを入れ替える。
【リリアンの生徒】【は】【山百合会幹部】【である】
「これは必ずしも正しいとは限らない。これが当てはまるのは三人しかいないからね」
「紅薔薇さまと黄薔薇さまと白薔薇さまですわ!」
 一気にざわつき始める教室。ゲッ、興味を持つのはいいが、これは持ちすぎでは?
 わかった。俺が悪かった。頼む。静まってくれ。
「紅薔薇さまの気品には圧倒されますわ」
「黄薔薇さまの凛々しさ、憧れますわ〜」
 駄目だ。この話題を選択した俺が甘かった。
「貴方達、いい加減にしなさいよ!」
 立ち上がる二条。
 おお、二条。先生は嬉しいぞ!!
「紅薔薇さまも黄薔薇さまも、白薔薇さま、いいえ、お姉さま、志摩子さんの魅力の前では無に等しいと言うことを忘れないで!!!!」
 ちょっと待て、そこのおかっぱ。
「馬鹿馬鹿しい」
「本当に」
 お? 細川、松平。普段仲の悪いお前達がそんな風に…
「現薔薇さまなど、紅薔薇のつぼみたる祐巳さまに比べれば、所詮二流です」
「可南子さんと同意というのは納得いきませんが、真実は変えられませんわ」
 あの…そこのノッポさんとゴンタ…もとい、ドリルさん?
「な、何言ってんのよ、可南子、瞳子!」
「で、でも、私も可南子さんと瞳子さんの言うとおりだと思うわ!」
 何人かが賛同して、二条に向き直っている。
 恐るべし、福沢祐巳。
「まあ、いいけど。どちらにしろ、志摩子さんに邪悪な眼差しを向ける人間は少なければ少ないほど平和だもの」
「聞き捨てなりませんわ。それでは瞳子の眼差しは邪悪だと仰りたいの? そこのストーカーならまだしも」
「黙れ、怪奇ドリル女」
「なんですって、縦方向にだけ成長期を迎えた娘!」
「前から聞きたかったんですけれど、瞳子さんはどうして毎朝頭からエキスパンダーを垂らして登校してくるのですか?」
 怖い。怖いです、この二人。今二人を止めに入ったら、確実に俺の身体は原子レベルまで分解される。
 生徒達の視線は…同情。
 (可哀想だけど、先生、分解されるのね)
 決定かよ!? 俺、分解決定か!?
 明日の朝刊一面には「生徒の口論を止めに入った教師、原子分解」とか書かれるのか!
「重力に逆らって自由奔放に伸びている人には言われたくありませんわ」
「そちらこそ、その髪の毛にはコリオリの力でも働いていますの?」
「ええ、ですからオーストラリアに旅行に行きますと巻く方向が逆に……なるかーーーー!!」
 おお、松平、お前いつの間にノリツッコミを…。
 
 結局授業にならなかった。
 まあ、進学に関してはそれほど厳しい学校ではないので別にいいのだが…それにしては去年も結構な難関校に合格者が出ている。たしか小笠原の先代の紅薔薇さまのはずだが、山百合会というのはスーパーガールか何かの集まりなのか。
 
 
  「その3」 
 割合の話をしていた。
 同じ二十の差でも、八十と六十、そして三十五と十五はかなり違う。前者は約1.3倍、後者は約2.3倍。
 そこまで話して…
「例えば、六十歳と八十歳のカップルって何となく微笑ましいけど、三十五歳と十五歳のカップルはなんかおかしいよな」
 これが拙かったらしい。
 いや、知らなかったんだ。本当に。
 細川の家の事情なんて…。いや、本当。
 担任でもなかったら、よほどのことがない限り個々の家の事情なんて知らない。
 だが、今回ばかりは地雷を引き当ててしまったようで…、いや、知らなかったとは言え俺が悪いのだが。
「先生、酷いですわ!」
 いや、松平、お前がそう言わなきゃ、多分細川も聞かなかったことにしてくれたと思うんだが。
「可南子さんのご家庭のこと、ご存じないんですの!」
 お前が言ってる。お前が言ってる。
 さすがに二条が慌てて松平を引き留める。
「瞳子、アンタのせいで余計可南子目立っちゃうから」
「あ」
 あ、じゃなくて。細川すっごい顔で睨んでるから、ほら。その視線の先に……俺かよっ!? いや、俺が悪いんだけどね。
 視線が痛くて、その日の授業にはとても気まずい空気が広がってしまった。
 
 とりあえず謝った方がいい。うん、知らなかったとはいえ悪いのは俺。それは揺るがない。大人として教師として、ここはきちんと謝るべき。
「細川はどうした?」
 松平、二条と一緒に薔薇の館とやらに行ったらしい。
 薔薇の館…山百合会の巣窟。教師も滅多に出入りしない。
 って、普通の学校でそんな所作ったらやばいどころの騒ぎじゃないだろうに。さすがリリアン。
 行ってみると、三人にくわえて福沢がいた。授業は受け持っていないのでよく知らないが、リリアンの有名人なので、俺も顔は覚えている。
 聞いた話によると、非常によい子らしい。いわゆる優等生ではないが、極めて良い子。うん、何となく見た目からもわかる。
 人畜無害、純真無垢を絵に描いて立体化したような雰囲気だ。
「あー。さっきは悪かった、細川。知らなかったとは言え俺も無神経だった」
「いえ、気にしていませんから」
 なんだか細川の視線が物語っている。
(何こんなとこまで来てんだよ、空気読めよ、タコぉ!)
 …気のせいだと思いたい。
「いや、あの、だからな。別に年齢差なんて重要な問題じゃないんだよ。愛があれば年齢差なんて関係ないんだ! 女子高生に惚れた大人がいてもいいんだよ!」
 …退かれた。
 心の底から悟った。
 今、細川、二条、松平は心の底から退いている。
 原因は俺の妙な発言。
 …なんでこうなった?
 と、そんなことよりも今はこの微妙な空気を何とかしないと。
「いや、勘違いするなよ。今のは物の例えで別に俺が実際にお前ら、いや、お前らみたいな…」
 ドツボです。
 どんどん深みにハマっているような気がする。いや、気がするじゃない。確実にハマってる。今はもう胸を通り越して、喉の辺りまで底なし沼にずっぽりハマっているね。確実に。
 もうあとは溺れるしかない、今助けが来ても間に合わない、そんな状態。
「いや、あの、だからな…」
 あ、なんか三人ともじりじりと俺から遠ざかってますか? そうですか。
 なんだか警戒してますか? してますね。
 完全に誤解されてますか? 間違いないですね。
 くぅぅうう。泣けるぜ、おい。
「三人とも、どうしたの?」
 天使の声か。
「先生が悪かったって言ってくれてるのに」
 福沢祐巳!
「それに、別に変なことは言ってないと思うよ。可南子ちゃんのお父さんと夕子さんのこと、そのままじゃない。私もそう思うもの。可南子ちゃんのお父さんと夕子さんは、年齢なんか関係無しに好きになったんだもの」
 そ、そうだ、福沢! 俺が言いたかったことはそれなんだよっ!
「…そうですね、祐巳さまの言うとおりです」
「…祐巳さま、ごめんなさい。私は勘違いしていたようです」
「瞳子も反省します。せっかく先生が仰ってくださったのに…」
 わかってくれればいいんだよ、二条、細川、松平!
「うん、三人ともちゃんとわかったんだね」
 ニッコリと笑う福沢。
「良かったですね、先生」
「ありがとう、福沢! お前だけだよ、素直に俺の言うことをわかってくれたのは!」
 思わず肩を叩いて手を握る。
「ありがとうな」
 
 
 …つまり、その現場を見ていたのがいるわけで。
 常識外れなまでに有力な学校関係者の孫だったわけで。
 まあ、密かに伝え聞いた噂からすると、
「私の祐巳の手をあんな風に握るなんて、教師とはいえやっぱり男、危険ですわ!」
 とハンカチ引きちぎりながらヒステリックに叫んだらしい。
 
 あ…ども、現在再就職活動中です。
 とほほ………。
 
 
 
 
あとがき
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