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輪唱〜序章〜
 
 
「お待ちください!」
 その声に驚いたのは可南子だけではなかった。
 お聖堂にいたほとんど全員がその声の主に顔を向ける。
「その人は、白薔薇さまからおメダイをいただく資格などありません」
 声の主には見覚えがある。可南子と同じクラスの人間。松平瞳子だ。可南子とはほとんど接点はないに等しいが、リリアンに入学してから瞳子に関して見かけたこと、聞いたことを思い返してみると、あまりいい印象はない。
 
 
 始めて自分の教室に入ったときは、とりあえず名前の五十音順に座っていた。
 担任の先生と受け持ちのシスター〜リリアンには、各クラスに受け持ちのシスターが付く。常に一クラスに一人というわけではないが、可南子のクラス一年椿組には外部入学生が割と多いため、専属がつけられたらしい〜がやってきて簡単に自己紹介をすると、次は生徒達の自己紹介となった。
 中等部から上がってきた子は別として、外部組は当たり前だけれどもほとんどが初対面。ややぎこちない簡潔な自己紹介が続いて、それに影響されたのか、それとも元々そんなタイプの子が多いのか、内部進学組もやはり遠慮がちに自己紹介を続けていた。
「二条乃梨子です。出身中学は…」
 淡々と出身中学を述べている姿にはさすがに見覚えがあった。入学式で新入生代表の挨拶をした子だ。つまり、外部からの新入生では一番の成績を収めたと言うことになる。
 可南子は内心舌を巻いていた。リリアンのレベルは低くない。いや、高い。躾に厳しく優雅なだけではなく、実力もきちんと高めている。それもリリアンの評判を高めている一因だ。
 それでもやはり、一般に進学校と言われている学校には劣る。可南子自身はいわゆる進学校に行くことができる成績だったが、別の理由でリリアンを選んだ。そのため、入試に関してはあまり苦労をしていない。けれども、乃梨子には成績で負けたわけだ。
 考えていると、自分の番が来た。
「細川可南子です」
 その一言だけで座ってしまう。一瞬辺りがざわつくが、可南子は気にしていない。馴れ合うつもりはないのだ。
 どうせ、ここにあの人はいない。自分がここに来たのはただただ、醜い男の姿を見る機会が一瞬でも少なくなればいいと思ったからなのだから。
「リリアン女学園中等部演劇部出身、松平瞳子です」
 背後からの大声に、可南子は驚いて振り向いた。縦ロールを揺らせた子が、嬉しそうに両手を広げている。
 何人かの内部生が手を叩いた。どうやら、中等部時代から人気のある子らしい。
 長い、けれどきちんと中身のある自己紹介が続く。
 瞳子の声の大きさには最初は驚いたけれども、ただ単に大きいというわけではなく、きちんとした張りのある声だ。自分は目の前にいたから驚いただけで、教室の端にいる子達などからすれば、単によく通るきれいな声に聞こえているだろう。
 自己紹介を終え、椅子に座りながら、瞳子は可南子に囁いた。
「可南子さんの短い自己紹介のおかげで、瞳子の紹介が映えましたわ」
 そんなつもりで短くしたわけではない。可南子は何故かその言葉にむかついて、瞳子を無視する。
「可南子さん?」
 無視されたのを聞こえていないと取ったのか、瞳子は再び声をかけてきた。
「聞こえているわ。ほっといて」
 つっけんどんに返すと、瞳子は首を傾げて座り直す。
 それが可南子と瞳子の最初の出会いだった。おかげて、可南子がクラスの中で一番最初に顔と名前を覚えたのが二条乃梨子、そして二番目が松平瞳子になったのだ。
 二番目とは言っても、その後の瞳子のインパクトは大きかった。最初の出会いが良くなかったためか、その後瞳子自身から可南子に対して何か言ってくるということはなかったのだけれども、松平瞳子という人間は、神妙とか、地味とか言う言葉には無縁のようだった。
 特に観察するつもりはなかったのだけれども、瞳子のよく通る声は教室内のどこにいても聞こえてくる。何事かと顔を向けると、乃梨子相手に何か言っている。どうやら、瞳子は乃梨子とお近づきになりたい模様。けれど、乃梨子は相手にしていない。
 内心で可南子は「それはそうだ」と思っていた。端から見ているだけでも、瞳子と友だちになるためにはかなりのエネルギーが必要そうだった。瞳子とよく一緒にいる二人はどことなく瞳子と同じタイプなようなので平気なのかも知れないが、違うタイプの人間は、瞳子とつきあうためにはかなりのエネルギーが必要になるだろう。
 見たところ、乃梨子はどちらかと言えば自分に近いように思える。といっても瞳子と可南子の二者択一ならば、の話だけれども。
 ふと、可南子は自分が二人を観察していることに気付いた。
 どうして?
 少し考えて、瞳子との始めての会話を後悔しているかも知れない自分に気付きかけ、慌ててその思いを打ち消す。
 そんなわけがない。自分は別にあんな人と友達になりたい訳じゃない。ただ、やることもないから見ているだけ。ただの暇つぶしなんだから。
 友達になりたい訳じゃない。その思いは、ひょんなことで明確なものに替わった。
 身体検査の日。
 可南子も当たり前のように白ポンチョを用意していた。最初はなんに使うのか判らなかったけれども。入学式の翌日に二年生や三年生の姿を目撃して今は判っている。
 念のため、市販のものにさらに布を継ぎ足して大きめの物を作ってある。皆と同じものを使ってもまさか裾が足りないと言うことはないだろうけれど、念には念を入れて。それに、自分だけ短めに見えてしまうというのも何となく嫌だ。
 学校で着替えていると、不可思議なものが視界の隅に映った。
「なんだあれ」
 乃梨子の呟きが聞こえる。その呟きを耳にしながら視界の隅に映ったものを追った可南子は絶句した。
 あろうことか、瞳子の白ポンチョにはフリルが付いている。正確には、四隅がきれいなフリルで飾られている。
 何を考えているのか。
 確かに、似合うか似合わないかと聞かれれば似合っているのだろうけれど。それとこれとは話が別だろう。
 時間を知らせいきた先生が、可南子とまったく同じ反応で立ち止まる。
「松平さん」
「はい、先生?」
「そのフリル、とてもきれいね」
「はい。瞳子、頑張りました」
 くるりと回るとフリルもふわりと浮かぶ。
「だけど、身体検査には必要ありませんね」
 瞳子の回転がピタリと止まる。
「次は、もっとシンプルなものを使うように」
「改造は駄目なんですの?」
「使いやすく工夫する。そこまでは問題ありませんけれど、フリルは必要ないでしょう? 余分なものは付けないようにね」
 先生はあくまでも優しく言う。
「でも先生、余分なものをつけてはいけないというのなら…」
 何を言い出すのかと見ていると、キョロキョロと瞳子は何かを探しているようだった。
 その視線が可南子で止まる。
 え?
「可南子さんだって、余分な布を付けていますわ」
 とんでもないところに火の粉が飛んできた。それもよりによって、ポンチョの話だなんて。
 指名されて可南子は慌ててポンチョの端を手で押さえるけれど、当然それで間に合うわけもない。
「…松平さん。細川さんのはサイズの問題よ。貴方のとは理由が違います。いいですね、次はフリルを付けないこと」
 間違いではないけれど、堂々と「サイズの問題」と言われては少し辛い。 可南子は思わず瞳子を睨んでいた。瞳子は涼しい顔で余所を向いている。
 嫌な人だ。可南子はそう思う。
 その日から可南子にとって瞳子は、明確に苦手な相手となった。
 クラスメートとはできるだけ没交渉で居続けようとしていた可南子にとって、瞳子以外は一人の例外を除いて似たようなものだった。
 その一人の例外が乃梨子だった。
 外部生というのもあるのかも知れないけれど、どことなく自分と似ている部分があるような気がする。
 あの人も、ここではアウトサイダーなんだ。ここに来たいから来た訳じゃない。何か別の仕方のない理由でリリアンにやってきたんだ。可南子はそう思った。
 ところが、可南子の当てはすぐに外れてしまった。
 突然、乃梨子の中の何かが変わった。ように可南子には見えた。
 どこか明るくなった。それ自体は悪いことではないのだろうけれども、突然すぎる。
 様子を見ていると、どうも親しい上級生ができたようだった。
 それなら、理解できる。だけど…
 心の中で可南子は祈った。乃梨子のために。
 男という存在は、そんなものを全部駄目にしてしまう。親しい先輩を奪ってしまう。それも最低な方法で。乃梨子がそんな、自分と同じような目に遭う必要はない。
 乃梨子の先輩という人がどんな人かは知らない。白薔薇さまと言われても、リリアン生でなかった可南子にはピンと来ない。それでも乃梨子自身ではなくその周囲の反応から、白薔薇さまというのが少なくとも学内ではたいした人物なのだなと言うことはわかった。
 そしてある日、家庭科の時間のことだった。
 可南子がふと気付くと、乃梨子の周りには人だかりができていた。中の一人が白薔薇さまについて乃梨子に質問をしているようだ。
 聞くとも無しに聞いていると、リリアンの制度が何となく理解できた。けれどその代わりに、身勝手なことを言っているクラスメートに対して腹が立ってくる。
 多分、内部生と外部生の違いかも知れない。乃梨子もリリアンの制度に関する知識は可南子とほとんど変わらないはずだ。
 そして内部生が勝手に判断して暴走している、そんな風に可南子には思えた。それも、多分乃梨子が望まない方向への先走り。
 突然、瞳子が立ち上がる。
「どうして皆さん、そんな無責任なことをおっしゃれるのかしら。乃梨子さんが白薔薇さまの妹に選ばれるなんて、そんなこと……、そんなこと絶対にあるわけございませんことよ!」
 言いたいことだけ言うと、瞳子はバタバタと走り去ってしまう。
 瞳子の態度に、可南子は心中ムッとしていた。
 何を身勝手なことを言っているのだろう。乃梨子が選ばれようが選ばれまいが、少なくとも瞳子にはなんの関係もない。いや、スールとやらになりたいのかもしれないが、それを選ぶのは白薔薇さまの意志ではないのか。
 姉妹制度だかなんだか知らないが、自分はそんなものになりたくない、と可南子は思う。けれど、瞳子は違うようだった。周りの話を総合すると、瞳子は薔薇の妹になることを望んでいるらしい。そしてそれは、リリアンでは特に珍しいことではないらしい。ただ、誰もが自分の器を見てため息で諦めるか、それともきれいに笑い飛ばすかしているだけだ。
 話によると、今妹がいないのは白薔薇さま、黄薔薇のつぼみ、紅薔薇のつぼみらしい。
 つまり、乃梨子がもし白薔薇さまにロザリオをもらえれば、いきなり白薔薇のつぼみとなるわけだ。他の人がどう思っているかは知らないが、可南子にとってはただの厄介事に思える。
 乃梨子が上級生を慕っているという気持ちはよくわかるけれど、それに伴う雑多なことは可南子は好きになれそうになかった。ただ、それも含めたうえで乃梨子が白薔薇さまを慕っているというのなら、それはそれで結構なことだと可南子は思う。
 だからといって、協力などする気はない。それほど親しい関係ではない。逆に瞳子に対しても何かしようという気は全くなかった。
 干渉する気はないのに、可南子は妙なものを目撃してしまった。
 下校途中、忘れ物を思い出した可南子は教室に戻るために昇降口へ向かっていた。
 ふと見ると、昇降口のところで瞳子が何かを地面に置いている。そして、辺りを見回すとタタッと走りだす。しかもこちらに向かって。
 別にそんな理由はなかったのだけれど、人目を憚っているような瞳子の行動に釣られたかのように、可南子は並木の陰に身を隠してしまった。
 そのまま、走り去った瞳子を目で追い、再び昇降口に視線を戻すと、今度は乃梨子が姿を見せた。乃梨子は地面を見つめてなにやら首を傾げている。
 可南子は素知らぬふりで歩き始めた。
 近づいていくと、乃梨子が靴を履き替えているのが見える。
 何故こんなところで? どうして下足箱で履き替えないのだろう。わざわざ昇降口まで靴を持ち出してから履き替えるなんて。
 乃梨子は靴を履き替えると、上靴を拾って下足箱へと戻っていく。
 可南子も心の中で首を傾げた。乃梨子の行動が判らない。その前の瞳子の行動と何か関係があるのだろうか。
 上履きを下足箱に戻して出てきた乃梨子とすれ違い、可南子は自分の下足箱へ向かった。
「?」
 その足が止まる。
(夕子さん?)
 そんなわけがない。こんな所に夕子さんがいるなんて。
 当たり前だけれど、違った。そこにいたのは、見ず知らずの生徒だ。上級生か同級生かは判らない。可南子から見れば、上級生も同級生も皆等しく自分より小さいのだから。
 その生徒は、可南子には目もくれずに乃梨子の出て行った方角を見ている。
 もしかして、この人が白薔薇さまなのだろうか。
 多分違う。話に聞いている白薔薇さまとは髪型が違う。そこまで考えて、可南子はまたもや首を傾げた。
 どうして、夕子さんがいると勘違いしたのだろう。別に顔かたちが似ているというわけではない。強いて言うならば背丈が同じくらいだけれども、それだけならばいくらでもいる。
 気のせいに違いない。可南子はそう、自分に言い聞かせる。
「ごきげんよう」
 その生徒は可南子に気付くと軽く会釈して、その場を離れていく。
 後にして思えば、これが可南子と祐巳の始めての出会いだったのだ。もっとも、祐巳はこの出会いをまったく覚えていなかった。可南子にしても、予想もしなかった場所で祐巳と再会するまでは忘れてしまっていたのだ。
 その時の可南子にとっては祐巳の存在はたいした問題ではなかった。というよりも可南子の頭にはまったく入っていなかった。
 問題になっていたのは、瞳子の行動の不可解さだった。
 それから数日後、可南子は再び瞳子の奇行を目撃した。  
 昼休み、可南子は一人でお弁当を食べている。小さい頃から、母の仕事の都合で一人の食事には慣れている。それどころか、どちらかと言えば食事は一人で食べる物だという習慣が染みついてしまっている。最近では、家での食事のほとんどが一人きりの食事だ。性格なのか、それを寂しいと思ったことはあまりない。孤独はそれほど苦ではないのだ。
 乃梨子はいない。おそらく白薔薇さまの所で一緒に食べているのだろう。
 何の気なしに乃梨子の机を見ると、瞳子が座っている。そして、手にはチョークを持っている。
 またもや、辺りを気にする素振り。
 見てないふりをしていると、瞳子は乃梨子の机になにやら描き始めた。
 メッセージだろうか。いや、机に直接書くなんてあり得ない。第一、同じクラスなのだから直接言えばいい。もしも秘密のメッセージだとすれば、あんな目立つところに堂々とは書かないだろう。
 お弁当を食べ終えて、手を洗うついでに机の近くを通ると、そこには立派な「ドラえもん」が描かれていた。それも結構上手い。
 嫌がらせ? それにしてはあまりにも他愛のない悪戯だ。
 害のない悪戯? そんなことができるほど二人が親しいようには見えないが、もしかしたらそうなのかも知れない。
 けれど、そう思っていたのも少しの間だけだった。
 ある日、黄薔薇さまと紅薔薇さまが乃梨子を見物に来た。
 見物、と言う言葉がピッタリの態度に、可南子は反発心を覚えていた。
(あの人達は何様なんだろうか)
 嫌なところを見てしまった。そう思った可南子は乃梨子の様子をそれ以上見ずに、教室に戻った。
 その時、可南子は見てしまったのだ。乃梨子の鞄に手を伸ばしている瞳子の姿を。
 どうやら、乃梨子が不注意で開けたままにしていたようなのだが、だからといって中を覗いていいということにはならない。ましてや、手を差し入れるなど。
 さすがに声をかけようとしたところに、乃梨子が戻ってきた。瞳子はその寸前にうまく身を反らしている。乃梨子は瞳子の行動に気付いていいないだろう。
 乃梨子は鞄の中を調べている。
 少しずつ、乃梨子の様子が変わっていく。どうやら、何か紛失しているらしい。
 可南子は思わず立ち上がっていた。
 と、その時、別のクラスメートが乃梨子の様子に気付いて声をかける。
「どうかなされたの? 乃梨子さん」
 ここで乃梨子が鞄の中から紛失したものがあると言えば、可南子はすぐにでも瞳子の行動を伝えるつもりだった。
 けれど、乃梨子は首を振る。
「ううん。なんでもない」
 その言葉に可南子は首を傾げた。瞳子はただ好奇心で鞄を覗いただけなのだろうか。だとすれば、ただ単に可南子の瞳子への評価がさらに悪くなるだけのこと。大仰に騒ぎ立てるようなことでもない。
 けれど、もし乃梨子の鞄に何も起きていないなら、あの表情の変化はなんだったのだろうか。何故乃梨子は顔色を変えたのだろうか。
 自分の思い過ごしなのか。
 
 
 その時の疑問が今、お聖堂で解決しようとしていた。
「あなたには、こちらの方がお似合いよ!」
 背が高い可南子には、瞳子やその周囲の様子がハッキリと見えている。
 白薔薇さまと乃梨子の視線が、瞳子の左手に釘付けになっていた。その瞳子の左手に握られているのは、小さな数珠のようなもの。いや、勝ち誇るように挙げたのをよく見ると、それは紛れもない数珠だった。
「これは乃梨子さんの物ね?」
 
 
 その後全てが終わり、新入生歓迎会が再開した。
 茶番だな。と可南子は思った。
 ただし、当人達にとってはそれなりに意味のある茶番劇。当事者達の様子を見ているとそうも思えてくる。
 隠すよりは、赤裸々にしていた方がいいこともある。他人だからそう思えるのかも知れないけれど、白薔薇さまのそれは、可南子にとっては隠し続けるべきことには思えなかった。
 結果としては良かったのかも知れない。秘密を抱えたままで過ごすのは辛いだろうから。
 自分は、この秘密をいつまで抱えているのだろうか?
 いつの間にか自答している自分に気付き、可南子は強く首を振った。
 こんなこと、誰に言える話でもない。秘密は永遠に秘密のままだ。
 自分と母を裏切って、夕子さんからバスケットを奪った男の話なんて。秘密なんかじゃない、ただの恥だ。
 そう、ただの恥なのだから。
 
 
 
あとがき
 
 
 
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