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甘い甘い
 
 
 
「それにしても、祐巳って、甘い物が好きね」
 お姉さまが呆れたように、けれど微笑みながら言う。
「そうですか?」
 可愛らしく首を傾げながら、祐巳は紅茶に砂糖を入れていた。
 ここは薔薇の館。今の時間は祐巳とお姉さまの二人きりの時間。
 二人きりだから何か特別なことをする、と言うわけでもないけれど、何者にも換えられない特別な、そして貴重な時間。
「祐巳? その紅茶になら、もう砂糖は入っているのよ」
 お姉さまは、祐巳の仕草をとろけるような視線で愛でながら言う。
「はい、でも、私、甘いのが好きなので、追加するんです」
 困ったように照れながら、祐巳は砂糖を入れ続ける。
「本当に、甘い物が好きなのね」
「はい。私、甘い物大好きなんです」
 祐巳は嬉しそうに笑うと、今度はスプーンでかき混ぜ始める。
 
 
 それにしても、大好きなのはいいけれど、これは糖分の取りすぎではないのだろうか、と祥子は思う。
 糖分の摂りすぎが体に良くないと言うのは祥子も知っている。
 仮に、それで祐巳の体調が思わしくないものになったとすれば、即座にかかりつけの医師を呼びつけ、必要なら小笠原の息のかかった病院に入院させる。
 そして緊急入院させ、治療を受けさせ、勿論その間の面倒は……
 
 
「お姉さま、ごめんなさい、私がこんなこと…」
 涙ぐむ祐巳の頬に手を当て、祥子は親指でそっと涙をぬぐう。
「祐巳、そんなことは気にしないで。今は身体を元通りにすることだけを考えるのよ?」
「お姉さま…」
「さあ、入浴介助の時間よ。パジャマを脱ぎなさい」
「でも…恥ずかしい…」
「今さら何を言っているの? 今までもずっと身体を拭いていたじゃないの」
「でも、お姉さまに裸を見られるなんて、私慣れたりできません」
「うふ、祐巳は恥ずかしがり屋さんね」
「お姉さま…」
 意地悪、と言いたげに口を尖らせる祐巳。祥子は、その突き出されたキュートな唇をついばみたいという欲望を必死の理性で封じ込め、話を続けた。
「恥ずかしがり屋さんは止めて、甘えん坊になりなさい、祐巳」
「お、お姉さま…」
 祥子は半ば強引に、祐巳の来ていた病院着を脱がせていく。
「身体を清潔に保っておかないと、治るものも治らないわよ」
 糖分の摂りすぎて入院のはずだけれど、二人の世界はそんな常識を跳ね返している。
「は、はい、お姉さま」
「それじゃあ、おとなしくね。私に任せて」
「はい、お姉さま」
「ほら、右手を挙げて」
「あん…」
 
 
「祥子?」
「……」
「祥子?」
 妄想世界から無事帰還する祥子。
「どうしたの、ぼうっとして」
 いつの間にか、聖さまが目の前に立っている。
「…ごきげんよう、白薔薇さま」
「はい、ごきげんよう。どうしたのよ、そんなところにぼうっと突っ立って」
 そんなところ、といわれても、ついさっきまで祐巳と正面に…
 そこまで考えて祥子は気付いた。
 聖さまは祐巳の頭を抱きかかえている。
「白薔薇さま、祐巳から離れてくださりませんか? 」 
「なにか?」
「その手に抱きかかえているのは祐巳ではありません事?」
「ん?」
 今始めて気付いた、というように見下ろした聖さまは、あはははと笑いながら寄り強く抱きしめる。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
「せ、聖さま、苦しいです」
「祐巳ちゃんの抱き心地、いつもながらサイコーだよ」
「白薔薇さまっ! いい加減にしてくださいっ!」
「いーじゃん、減るものじゃなし」
「…白薔薇さまが相手だと、減らされそうな気がしますわ…」
 苦笑する聖さま。
「減らない減らない」
 そして祐巳の耳の後に唇を近づける。
「こんなことしたって」
 ペロリ
「ひゃうっ!」
「聖さまっ!!」
 目を吊り上げた祥子は、鬼のような形相で聖さまに詰め寄ろうとする。
「あれ?」
 聖さまの予想外の反応に、祥子は思わず立ち止まった。
「白薔薇さま…?」
 祥子の言葉を無視して、顔をしかめる聖さま。
「…祐巳ちゃん、何か付けてる?」
「え? 何かって…」
「甘いよ?」
「へ?」
 祥子は、さらなる予想外に首を傾げる。
「何を仰っているのですか、白薔薇さま」
「…いや、甘いのよ。祐巳ちゃんの耳の裏が」
「は?」
「甘いのよ」
 聖さまは真顔だった。どうやら冗談ではないらしい。いや、冗談だとすればあまりにも突拍子も無さ過ぎて、笑い所がわからない。
 けれど、祥子は妙に納得してしまった。
 祐巳が甘い。
 あり得る。いや、十分にあり得る。
 辛い、塩辛い、苦い、酸っぱい、どの形容詞でも信じられなかっただろうが。甘い。この一言なら信じられそうな気がする。
 祐巳が甘い。言葉にしてみるとなんと自然な響きか。
 そう、祐巳なら甘いと言われても納得できる。
 それも……
「白薔薇さま、それは…」
 ん? と耳を傾ける聖さま。
「練乳のような甘さではありませんか?」
 祥子の言葉に、聖さまは目を見開いて少し考え、そして頷いた。
「うん。それそれ。ピッタリだね。…って祥子、やっぱり知ってたの?」
「いいえ」
 祥子はゆっくりと、やや優越感を含んだ微笑みと共に答える。
「祐巳ならば、きっと練乳の甘さだと確信したんですわ」
 聖は呆気にとられ、そして微笑んだ。
「なるほど、さすが祥子。祐巳ちゃんのお姉さまだね」
 ペロ
「きゃう」
「うーん。確かに練乳みたいな甘さだよ。祐巳ちゃんは甘いんだね」
「白薔薇さまっ!」
 結局元に戻って、祥子はつかつかと近寄る。
「白薔薇さまには志摩子がいるではありませんかっ!」
「そんなこといっても…」
 聖さまは祐巳から手を放そうとしない。
「志摩子は、銀杏や百合根の味なのよ…。ちなみに静はキチン質の味、蓉子はイチゴ牛乳の味だったわ」
 聖さま、物知りです。
「いい加減にしてください!」
「それじゃあ、祥子も味見してみれば?」
 聖さまはこれ見よがしに祐巳の左耳に息を吹きかける。
「く、くすぐったいです、白薔薇さまぁ」
「祐巳が嫌がってますわ!」
 クスクス笑う聖さま。
「祐巳ちゃんはくすぐったいだけだよねぇ」
「祐巳! 貴方もさっさと嫌がりなさいっ!」
「お、お姉さま、助けてぇ」
 ペロッ、ちゅっ
「あん…」
 震えながら、逆上しながら、鬼の形相と剣呑なオーラをまといつつ、ずんずんと聖さまと祐巳に向かって進む祥子。
「聖さまっ!!」
 祐巳の背後に回り、右耳の後にピタリと配置する祥子。
「…お姉さま?」
「白薔薇さまの言うことが本当かどうか、確認するのよ」
 温かい舌が祐巳の右耳に触れる。
「ん…やぁ…」
 くすぐったさに、ピクッと肩をすくめる祐巳。
「あら、祐巳ちゃん、私と祥子だと、ずいぶん反応が違うのね…じゃあこれは?」
 舌を伸ばす聖さま。
 左耳に触れた舌の動きに、祐巳は思わず身を震わせる。
「あン、…あっ…聖さま…」
 負けてなるものか、と祐巳の右耳をくわえる祥子。
 そこで気付いた。
 …本当に甘い…美味しい。
 甘いと言うより美味しい。
 
 
 ペロ
 ペロペロ
 ペロリペロリ
 二人の舌が止まらない。
「ひゃ、ひゃあああ、お姉さま、は…あ、聖…さ…ま…くすぐっ…たいですぅ……」
 二人の間に挟まれて、祐巳は眉を八の字型にたわませながら息を荒くしている。
「くす…くすぐった…いよぉ…」
「甘いよ、祐巳ちゃん」
「本当に甘いわ…どういうことなのかしら…」
 疑問を感じつつも二人の舌は止まらない。
 くすぐったさに悶える祐巳。
 なんだか拷問を受けているような気分にもなってくる。
「ごきげんよう……何やってるの、貴方達」
 助け船が来た。
「ロ、黄薔薇さま…助けて〜」
「聖、祥子。昼間ッから薔薇の館でなんの真似?」
 江利子さまの目がランランと輝いている。これは、「面白いことなら私も混ぜなさい」の合図。
「甘いのよ」
「は?」
「祐巳ちゃんがね、甘い味がするのよ」
 怪訝そうな顔で祐巳を見る江利子さま。
「祐巳ちゃん、貴方アリマキだったの?」
「はい?」
 江利子は一人合点に頷いた。
「そうか、それはないわね。祐巳ちゃんがアリマキだと聖と祥子がアリ。祥子はいいとしても、聖がアリほど働き者だったら、蓉子はあんなに苦労してないものね」
 蓉子さまの二大苦労の一人が、しみじみと頷きながら言っていた。
「そう、祐巳ちゃんが甘いのね…」 
 つかつかと近寄る。
「黄薔薇さま?」
「何事も経験よ、祐巳ちゃん」
 ペロッと鼻の頭を舐める。
「!!!!!!!!」
「あら、本当だ、祐巳ちゃん、甘いのね」
「でしょう、やっぱ甘いものが好きだからなのかな」
「どうかしら。令は、お菓子作りが趣味で甘い物が好きだけれど、甘くないわよ。柑橘系、どちらかというとレモンみたいな味ね。食べる好みと言うよりも体質の問題かしら」
「そうなんでしょうか?」
「ええ。第一食べる物で決まるんだとしたら…」
 江利子さまの意味深な沈黙に、祥子と聖だけでなく祐巳までが注目してしまう。
「令は時々…由乃ちゃん味がするはずなのよね」
 広がる沈黙。
「…甘いわね、祐巳」
 強引に沈黙を破る祥子さま。
「本当、甘い。そこらのお菓子なんか目じゃないわ」
「上品な甘さ、令の作るお菓子以上よ」
 ペロペロペロ
「ひゃ…あん、駄目です」
 3人がかりで押さえつけられているような状態の祐巳。
 ピクピクと震えるように小刻みに動き、涙が溢れる一歩手前まで瞳は潤んでいる。
「や、駄目」
 感極まったのか、赤ん坊がむずかるように祐巳は両手を胸元に引き寄せていた。
 次の瞬間、聖と江利子は祐巳の身体から弾かれるように離れていた。いや、文字通り弾かれたのだ。
 二人を弾いた当人の祐巳は、祥子にしっかりと抱きついている。
「…やっぱり最後はお姉さまがいいのかしら」
 仕方ない、と肩をすくめながら聖さまが頷いた。
「仕方ないね」
 二人は顔を見合わせる。
「…柑橘類って美味しいわよ。レモンの酸味も、慣れれば癖になるわ」
「…実は最近、銀杏もあれはあれで悪くないかなって…」
 二人は、いいながらフラフラと館を後にした。
 
 
 数日後……
「ねえ、江利子、聖」
「なに、蓉子?」
「最近祥子と祐巳ちゃんが私に隠れてこそこそやっているみたいなんだけど、何か知らない?」
 江利子と聖は顔を見合わせて、何も知らないと答えるしかなかった。
 
 
 その後(猫子さまからのGIFTSS)
 
 
あとがき
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