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祐巳さんと可南子ちゃん
 
「ライバルは『だう』」
 
 
 可南子の様子がおかしい。
 このところ、放課後になると急いで帰ろうとする。
 薔薇の館の仕事をさぼっているわけではないので目立たないけれど、可南子の連日の早期下校で、祐巳の欲求不満は限界に達しようとしている。
 いないのはなんとか我慢できる。仕方ないことだと理性で自分に言い聞かせて我慢できる。
 けれども、それとこれとは話が別。
 毎日毎日、可南子の膝の上で寛いている祐巳にとって、今や直に椅子に座るのは苦痛以外の何者でもなくなってしまっていた。
「駄目よ、こんなのじゃ」
 座布団を運ぶ一年生。
「紅薔薇さま、これでいかがですか?」
「駄目、堅すぎるじゃないっ!」
 急いで座布団を取り替えるのは別の一年生。
「これならっ!」
「…そうね。これなら多少はマシね」
 新しい座布団を持ってきた一年生の頭を撫でて手を握る祐巳。
「本当にありがとうね。この座布団、とっても気持ちいいよ」
「ああ…はい、紅薔薇さま…光栄です…」
 一年生は、とろけそうな顔でふらふらとその場からフェードアウトしていく。
「あああ…紅薔薇さま…祐巳さま…素敵…」
 ふらふらと去っていく一年生を横目に見ながら、険しい顔つきでやってきたのは由乃さん。
「祐巳さん、無敵だね」
「何が?」
「聖さまのたらし技と祥子さまの傲慢技を合わせちゃったら大概の一年生は落ちるわよ」
「江利子さまの罠知恵を身につけた、生まれついた暴走癖の由乃さんも相当なものだと思うよ」
「ありがとう。薔薇さまになって判ったわよ。色々継承されてるのね、私たち」
「借金とか」
「ないから、そんなの」
「…作ろうか」
「誰に借りるのよ。少しくらいのお金なら祥子さまに借りれば? もっとも、貸してって言った瞬間に1万円札がスーツケース一杯運ばれてきそうだけどね」
「瞳子ちゃんだって同じようなものじゃない」
「瞳子は祥子さまほど世間知らずじゃないもの」
「祥子さまは深窓の令嬢って言うの。世間知らずじゃないもん」
 由乃さんはさらに何か言いかけて、口をつぐんだ。
「…祐巳さん、気が立ってる?」
「立ってないよ」
 口調は明らかな嘘。
「ここのところ、可南子ちゃんの姿見ないものね…」
「関係ないよ。だって、可南子は家の用事で仕方なく帰っていくんだから」
 扉のほうから第三の声。
「そうは見えませんでしたが」
「あら、瞳子」
「ごきげんよう、お姉さま。祐巳さま」
 瞳子ちゃんはカバンを置くと、言いかけた話を続ける。
「可南子さん、うきうきした様子で帰ってましたわよ。早く帰らなくちゃ、とか仰りながら」
「…ふーん。祐巳さんよりも大切なモノを見つけた?」
 そこまで言って由乃さんは、身の危険を感じて退く。
「…由乃さん…その冗談、笑えないよ…」
 …そういえば、狸はあんな顔して実は食肉目だったなぁ。小動物食べちゃうんだよなぁ。最近の祐巳さんも一年生食べそうだもんなぁ……。現に去年可南子ちゃん食べられちゃったし、瞳子も半分囓られてたしなぁ…。まあ、瞳子は私が先に食べちゃったけど……
 思わず逃避する由乃さんと祐巳の間に立ちはだかる瞳子ちゃん。
「祐巳さま、お姉さまを威嚇してどうするんですか。今問題になっているのは可南子さんの態度ではありませんの?」
「そ、そうよ…祐巳さん。可南子ちゃんがどうしてここに来なくなったのか、その理由を考えることが先決よ」
「それは…そうだけど…」
「ごきげんよう」
 志摩子さんと乃梨子ちゃんの登場。
「ああ、祐巳さま、可南子からの伝言なんですけれど」
「可南子から?」
 いきなり全員の注目を集めることになって驚く乃梨子ちゃん。
「帰り際にばったり出くわして、伝言を頼まれました」
「なんて?」
「はあ、あのそれが…」
「どうしたの。はっきり言いなさいよ、乃梨子ちゃんらしくない」
 由乃さんがいつもの調子で言う。
「可南子が…明日、紹介したい女の子がいると」
「へ?」
「明日?」
「紹介したい女の子…」
 呆然とする祐巳、顔を見合わせる瞳子ちゃんと由乃さん。
 ざわめく一同。
「もしかして、もう妹が?」
「可南子さん…いつの間にそんなフライングを…」
「妹なんて、一番作りそうにないと思ってたんですけどね」
「あら…ということは、乃梨子は妹を作りたいの?」
「え、違っ、違うよ。私は志摩子さん一筋だから。妹なんて絶ーーーーーーーー対にいらないからっ!」
「あら、でも駄目よ。卒業までには私を安心させてね」
「ううう…今からそんなこと言わないでよ、志摩子さん。志摩子さんの卒業なんて、私、考えたくないよぉ…」
「泣いちゃ駄目よ、乃梨子。ほら、涙を拭いて」
「ぐすっ…志摩子さん…」
「乃梨子…」
 二人の世界を造り始めた白薔薇姉妹を捨てて、三人は部屋の隅に移動する。
「とにかく、瞳子ちゃん。貴方のやることは判っているわね」
「え? 突然なんですの? 祐巳さま」
「…可南子と繋がりのある一年生を今すぐピックアップするの」
「…無理に決まってるじゃありませんか。別に私はプライベートで可南子さんと親しくお付き合いしているわけではありませんから」
「ちっ、使えねえ奴」
「…今何か言いました?」
 祐巳はにっこり笑って首を振る。
「ううん。何も言ってないよ、瞳子ちゃん」
 福沢祐巳紅薔薇さま奥義、『子狸天使の微笑み』
「あう…」
 真っ赤になって何も言えない瞳子ちゃん。
「卑怯ですわ…祐巳さま……」
「うふふ。まだまだ瞳子ちゃんにも有効なんだね。由乃さんで免疫ができたかと思ってたけど…可愛いね、瞳子ちゃん」
「はう…祐巳さま…」
 由乃さんがスカーンと瞳子ちゃんの後頭部をはたく。
「動じないの、瞳子。貴方も早く慣れなさい。それとも…」
 瞳子の顎を掴む由乃さん。
「口直ししたい?」
「あん…お姉さま…」
 確実に何か間違った方向へ進みつつある昨今の山百合会だった。
 
 朝から祐巳は大忙し。
 まず、バスケット部の部長を捕まえて、部員名簿を閲覧してめぼしい一年生をチェック。
 どうやら違うらしい。
 さらには、一年生の教室並びの廊下で見張りを始めて、志摩子さんと由乃さんに力ずくで引きはがされる。
 
「うふふふふふふふふ」
 テーブルにぺたんと顔をくっつけて、不気味に笑っている祐巳。
「うふふふふふ……」
 由乃さんと志摩子さんは祐巳を無視して不要不急のルーティンワークを仕上げてる。
 乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんは洗い物。
 ちなみに、二人は朝から可南子を問いつめているけれど、はぐらかされてばかり。
 判ったことと言えば、
「ええ、すっごく可愛い子です」
 この一言と、その時の可南子さんのこの世のものとも思えぬとろけきった笑顔だけ。
「うふふふふふふ」
 誰もが祐巳を無視して作業を続けている。
 恐いから。
「ごきげんよう」
 渦中の可南子が姿を見せた。
「ごき…」
 絶句する由乃さんと志摩子さん。
「お姉さま、そんな格好でどうなさったんですか?」
 振り向いた瞳子ちゃんと乃梨子ちゃんは、由乃さんと志摩子さんの絶句の原因を見た。
 可南子の胸元。
「…可南子さん、それ…」
「うふっ、可愛いでしょう?」
「その子なの…祐巳さまに紹介したいって…」
「ええ、そうですよ」
「可南子!」
 顔を上げて振り向く祐巳。
「どうして貴方は黙って……」
 祐巳もやっぱり絶句する。
「可南子…その子って…もしかして」
「はい」
 頷く可南子。
 胸元に抱いていた子供を振り向かせて、全員から見えるようにする。
「はい、次子ちゃん、皆さんに挨拶してね」
 そこにいたのは可南子の(異母)妹、次子ちゃんだった。
「お姉さまとは、何度か会ってますよね」
「あの…可南子ちゃん?」
 志摩子さんがおずおずと切り出す。
「もしかして、最近急いで帰っている理由って…」
「ええ。夕子さんが今、次子と一緒に実家に戻っているんです。それで毎日次子に会いに行ってたんですけれど…」
「…なるほど」
 ゆらり、と立ち上がる祐巳。
 負のオーラを背負ったその姿に、思わず後ずさる由乃さん。
「つまり…とうとう子供をダシに使って可南子を誘惑するようになったというわけね!」
「ええっ!?」
 何を言い出すのかこの人は。と言いたげな顔の一同。
「ほら、これを見せたくて…」
 けれども可南子は聞いていない。
 ゆっくりと丁寧に、割れ物を扱うような調子で次子を下ろす。
「ほら、次子ちゃん頑張って…」
 だうだうと言いながら、よろよろ次子が立ち上がる。
「はい。次子ちゃん、立っちですよぉ〜〜」
 溶けそうなしまりのない笑顔で可南子は手を叩く。
「次子ちゃん、こっちですよぉ〜〜」
 わあ、と上がる歓声。
 なんだかんだ言ってもみんな女の子。赤ん坊は無条件に可愛い。
「立ちましたわ、ほらほらっ」
「ああ。もう、瞳子、大きい声出さないの、次子ちゃんが怖がるよ」
「次子ちゃんおいで〜〜お姉ちゃんの所においで〜〜」
「まあ、なんて可愛らしい」
 五人に囲まれて、何が嬉しいのかにこにこ笑ってよちよち歩く次子ちゃん。
 輪に入ってないのは祐巳だけ。
「おーい、可南子?」
 よろけた次子ちゃんを、可南子は後からさっと抱き留める。
「危ないでちゅよ〜、次子ちゃん〜〜」
 思いっきり無視された。というよりおそらく全く聞こえていない。
「…あの…由乃さん?」
「可愛いねぇ、次子ちゃん。可愛いなぁ、ホンットーに可愛い」
「…あのさ、瞳子ちゃん…」
「可愛いですわ、可南子さんと血が繋がっているとは思えませんわ」
「何か言いましたか? 瞳子さん」
「いえ、別に」
「だう?」
 ほわーん、と二人の顔が緩む。
 二人の間の険悪な空気が、一瞬で浄化されるのは次子ちゃんの力。
「…乃梨子ちゃん、ちょっと…」
「いいなぁ…私もこんな妹欲しいなぁ……」
「……志摩子さん、あのね…」
 志摩子さんはニコニコと、乃梨子ちゃんを見つめている。
「くすくす。そうね乃梨子。貴方の妹なら、きっと可愛らしいわよ」
「そんなことないよ。うちの妹なんて可愛くないもの。それより、志摩子さんこそ、妹がいたら可愛いと思うよ。志摩子さんがそのまま小さくなって、よりお人形さんみたいに……」
「乃梨子だってお人形さんみたいに可愛いもの」
「志摩子さんには負けるよ」
「まあ、乃梨子ったら」
「志摩子さん…」
 また二人の世界を作り上げる白薔薇姉妹。
「…可南子? 由乃さん? 瞳子ちゃん?」
 残った三人は次子ちゃんに夢中。
 いや、黄薔薇姉妹はいい。世界に入りきった白薔薇姉妹はもっといい。
 問題は可南子。
 今、可南子の心は間違いなく次子ちゃんに夢中。
 
「それじゃあ、ごきげんよう」
 可南子が次子ちゃんを抱っこして帰っていく。
「可愛かったね〜〜」
「瞳子も、あんな赤ちゃんが欲しい…」
「うーん。そればかりはどうしようもないなぁ…」
「…お姉さま、本気で悩んでませんこと?」
「うん。半分本気。女同士で可能だとしても……うーん」
「まだ何か悩むことがあるんですの?」
「うん。先約があるのよ、令ちゃんと」
 何をやっているのか、島津由乃。
「そこのお二人さん。ちょっと…」
「…なによ、祐巳さん」
「相談があるの」
「相談…可南子ちゃんの気を引くための計画とか言い出さないでしょうね」
「あたり」
「あのね」
 腰に手を当てて、由乃さんは宣言する。
「いい? 確かに今の祐巳さんは多少ないがしろにされている。それは判るし同情もする。だけど、相手は次子ちゃん、赤ん坊よ? リリアンの紅薔薇さまともあろう祐巳さんが張り合ってどうするのよ」
「う…」
「本気で赤ん坊に張り合ったりしたら、それこそいい笑い者よ? 恥ずかしいからやめなさいよ」
「それは…そうだけど」
「第一、次子ちゃんに罪はない。それは祐巳さんも判っているでしょう?」
「うん…」
「いいじゃない。今の間だけよ。次子ちゃんだってもう少ししたらお母さんと一緒に新潟に帰るんでしょう?」
「うん…そうだね。私がどうかしてたかも」
「そう。それでこそ祐巳さんよ」
「そうだよね、由乃さん。要は私は次子ちゃん以上に魅力的になればいいんだよね!」
「その通りよ、頑張って、祐巳さん!」
 二人のやりとりを横で見ながら、瞳子ちゃんは心の中で呟く。
(何を聞いていたんですか、祐巳さま)
(何を納得されたんですか…そしてなんでそんなにワクワクした顔なんですか…お姉さま、何を期待なさっているんですか?)
 釈然としない顔の瞳子ちゃん、にやにやと何か期待している由乃さん、よしっと決意に燃えた祐巳。
 そして二人の世界に浸りきったまま一向に浮上してこない白薔薇姉妹。
 
 
「ばぶ」
 えーと。これは一体?
 瞳子はビスケット扉を開けたそのままの姿で硬直した。
 祐巳さまの様子がおかしい。
 真っ白なよだれかけを、いそいそと制服の上に付けている。
「何をやってらっしゃるのですか?」
「あ、瞳子、ごきげんよう」
 お姉さまは、どうしてそんな平常心なのですか?
「祐巳ちゃんは赤ん坊になったのよ」
 ならないでください。
 次子ちゃんに対抗ってそういう路線ですか。
 そしてお姉さま、すでに「ちゃん」付けですか。
「ばぶ」
 ばぶ言うな。
「だう」
 だうも言うな。
「あー」
 いいから黙れ。
「今日は祐巳ちゃんの赤ん坊スタイルで、可南子ちゃんの心をゲットするのよ」
 無理だと思います、お姉さま。
 そもそも今日は可南子さんは次子ちゃんを連れてきていませんわ。昨日の夜に帰ったと、さっき本人から直接聞きましたもの。
「あの……祐巳さま…残念ですけれど…」
 背後から聞き覚えのある足音が。
 この足音は…可南子さん……。
「祐巳ちゃん、可愛らしい赤ん坊力で可南子ちゃんのハートを取り戻すのよ!」
「だう」
「赤ん坊らしく甘えて、抱きついて、おっぱいをもらうの!」
「だう」
 あの、お二人様は何処まで行かれるおつもりですか?
 瞳子、帰ってもよろしいですか? 
「ごきげんよう」
 可南子さんの声。
「…どうなさったんですか? お姉さま…」
「ばぶ」
「え?」
「可南子ちゃん、今の祐巳ちゃんはおしゃべり禁止だから私から説明してあげる」
「何かの罰ゲームですか?」
「今の祐巳ちゃんは、赤ん坊なの。可南子ちゃんに可愛がって欲しい赤ん坊なの」
「え?」
「…申し訳ありませんが、瞳子は演劇部に行く用事があるのを思い出しました。取り込み中ですけれどもろ、これで失礼させて頂きますわ。ごきげんよう」
 瞳子はそこまでを一気に言うと、可南子さんを押し込んで外から扉を閉める。
 背後からなにやら悲鳴が聞こえてきたけれど、瞳子はそそくさと階段を下りて薔薇の館を出て行った。
 後は知らない。
 というか、知りたくない。
 
 
 
 
あとがき
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