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祐巳さんと可南子ちゃん
「なかきよ」前編
 
 
 
 お正月のお泊まり、可南子も来る?
 来る? と聞かれてもどう考えても否定されることを考えていないような聞き方だったし、当然可南子も否定する訳なんてなくて。
「勿論です」
「良かった。それじゃあ私から伝えておくね」
「はい」
 祐巳の視線が時計に向き、可南子は時間に気付いた。もう教室に戻らないと授業に間に合わない。
「では、お姉さま、また放課後に」
「うん」
 慌てて教室に戻ってから、可南子はふと気付いた。
 そういえば、どこに泊まりに行くんだろう?
 お姉さまは「伝えておく」と言ったのだ。「親に」なのだろうか、それとも「泊まり先に」なのか?
 それに、よく考えると細かい時期も聞かれていないような気がする。
 「お正月」と言われても、元日、三が日、松の内、期間は結構長い。一体どの日の予定なのか。
 会話の内容を思い出そうとしたところで、先生に当てられる。
「細川さん、読んでください」
 あわてて国語の教科書の指定されたところを音読し始める。
「では、今のところ、細川さんは先ほどの質問と比べてどう思いますか?」
 先ほどの質問ってなんだろう?
 答えに窮していると、前の席の瞳子の背中になにやらメモが。
 メモには先ほどの質問とやらが記されている。
 
「さっきは助かったわ」
 休み時間になったところで瞳子に礼を言う。
「礼には及びませんわ。それより、可南子さんにしては珍しいこともあるものですわね。いつもなら小憎らしいくらい冷静なのに」
「ちょっとね」
「祐巳さまのことですのね」
「どうしてわかるの?」
 はあ、と瞳子はため息をつく。
「可南子さんが取り乱すことなんて、この世に二つしかありませんわ」
「二つって…」
「一つは祐巳さま。一つは次子ちゃん」
 可南子は二の句が継げない。だって、確かに言われたとおりなのだから。
「…否定できないわね。ええ、確かにお姉さまのことよ」
「何かあったんですの?」
「実は」
 可南子は休み時間にあったことを告げる。
「ああ。それなら、紅薔薇さまのお宅にお泊まりすることだと思いますわ」
「どうして判るの?」
 あまりにもあっさりと答えられて、可南子は少しプライドを傷つけられたような気がする。
 どうして、瞳子さんがすぐに判ってしまうのだろうか。
「だって、今年のお正月も祐巳さまは紅薔薇さまのお宅にお泊まりしたのですから」
「そうだったの?」
「ええ。もっとも、祐巳さまや祥子さまが計画したと言うよりも、聖さま…当時の白薔薇さまが上手く立ち回ったようなのですけれど」
「どういうこと?」
 可南子の疑問に、瞳子は頷いた。
「……あまり他人に話すようなことではないので、理由は祐巳さまか祥子さまに直接聞いてください。とにかく、正月二日と三日の日は、小笠原家は火が消えたように寂しくなるのです。ですから、お客様は歓迎ですわ。特にそれが祐巳さまならば尚更のこと」
 そこまで言うと、瞳子は軽くため息をついて続けた。
「今年のお正月は、私もお邪魔しようと思っていたのですけれど、優お兄さまがお邪魔すると聞いていたので、私が行ってはお二人の邪魔になるかと思ったのですが……。あんなことになると知っていれば無理にも優お兄さまについて行くべきでしたわ」
「あんなことって…」
「当時の白薔薇さまに、優お兄さま、そして祐巳さまと祐麒さまがお泊まりしていたのですもの」
「祐麒さまって……お姉さまの弟の?」
「ええ。優お兄さまが無理矢理連れて行ったらしいですわ」
「どうしてお姉さまの弟が…」
「祐麒さまは、優お兄さまのお気に入りですから」
 
 放課後に薔薇の館で確認すると、お姉さまは慌てて頭を下げた。
「ごめんね、可南子。私、説明したつもりになってたみたい」
「そんな、謝らないでください、お姉さま。私だって確認しなかったんですから」
「うん。それじゃあ、可南子、ちゃんと言い直すけれど、お正月の二日と三日は空いてる?」
「はい」
「それじゃあ、お姉さまの所にお泊まりしてもいいかな? お姉さまは、可南子なら歓迎だって仰るから」
「はい。勿論です。楽しみですわ」
 そこでお姉さまは、良かった、というように胸を撫で下ろす。
「そういえば、可南子はお姉さまの家は初めてなんだよね」
「ええ。まだお伺いしたことはありません」
「あ、行く前にお土産を買いに行くからつきあってね」
「はい。どこへ行かれるんですか?」
 デパートか何かの初売りだろうか。そう考えた可南子の予想をお姉さまはあっさりと裏切って。
「お祭りの屋台よ」
「え?」
「お祭りの屋台、だから集合場所は神社の横のコンビニね」
 祐巳は可南子も知っている神社のすぐ近くにあるコンビニの名前を挙げる。
「屋台、ですか?」
「そう。屋台」
「屋台……」
 屋台という言葉に聞き間違いはないと思う。
「あの、焼きそばやたこ焼きやわたがしを売っている屋台ですか?」
「うん。大判焼きやイカ焼き、焼きトウモロコシもある屋台だよ」
 どうしてまたそんなチープなものを。
「祐巳さん、もしかして、それがお土産なの?」
 可南子が首を傾げていると、横で聞いていた由乃さまが、たまりかねたように口を出してきた。
 さっきまで黄薔薇さまや瞳子さんとなにやら話し合っていたけれど、解決したと言うよりも話し合いに退屈したみたい。その証拠に、瞳子さんがじろりとこちらを見ている。
「ちょっと、適当すぎない?」
「ああ、そうか。さすが祐巳ちゃん」
 由乃さんの言葉をうち消すように、今度は黄薔薇さまが口を挟んだ。
「何がさすがなの?」
 可南子も聞きたかったことを、由乃さまが代弁するように言ってくれる。
「それじゃあ、由乃なら何を持っていく? なにか目新しい、物珍しいものを持っていくとしたら」
「そりゃあ、デパートでお菓子とか…」
 そこまで言いかけて、
「あ…」
 頷く令さま。
「そうなの。そんなの、祥子にとっては珍しく何ともないのよ。それどころか、どっちかっていうと飽き飽きしているものなの」
 指をチッチと振りながら、令さまは由乃さまに言う。
「だから、さすが祐巳ちゃん、なの」
「ふーん」
 由乃さまがうってかわった目でお姉さまを見ている。
「やっぱり、紅薔薇さまを一番よく知ってるのは祐巳さんってことなのね」
 お姉さまが恥ずかしそうに手を振った。
「いや、あの…正直に言うと、聖さまの真似をしているだけなんだけどね」
「あらら」
 かくん、と由乃さまが苦笑している。
「聖さまかー。でも、聖さまなら仕方ないかも。なんだかんだ言っても、私たち皆のことよく見てくださっていたもの」
「うん。今年のお正月にお姉さまのところでお泊まりできたのだって、聖さまのおかげだもの」
「祐巳さん、あんまり祥子さまのことばっかり言ってると、頭の上でヤキモチが膨れて破裂するわよ」
 由乃さまはこちらを見ながらにっこり笑ってひどいことを言う。
 ヤキモチなんて……妬いてるけれど。
 可南子は慌てて首を振る。
「そ、そんなことありません。お姉さまが紅薔薇さまと仲がいいのは当たり前ですから。由乃さま、変なこと言わないで下さい」
「まあ、良くできた妹さん。それに引き替え……」
 由乃さまはさっきからこちらをじっと睨みつけている瞳子さんに視線を戻した。
「瞳子。だから、仕方ないの。お正月の予定はもう決まっているんだから」
「だって、ひどいですわ、お姉さま。瞳子はお姉さまをご招待しようと思って準備していましたのに」
「だってねぇ……」
 由乃さまは天を仰ぐ。
「瞳子の家では駅伝はしないでしょう?」
 駅伝? 可南子が首を傾げると、横からお姉さまが助け船を出してくれる。      
 今年のお正月、由乃さまと黄薔薇さまの家族は揃って箱根の温泉へ出かけたらしい。由乃さまのお目当ては駅伝観戦。
 それが思ったよりもさらに面白くて、今年も同じ日程で見学に行くと。
 どうやら、両家は由乃さまの都合で動いているらしいのだ。
「でも……駅伝なら、テレビ放送もやってますし…」
「生で見たいの」
「お姉さま…」
 泣き出しそうな声の瞳子さん。知らない人ならフラフラと同情して望みを叶えてあげたくなるような口調だけれども、ここにいるメンバーはみんな瞳子さんの演技力を知っている。由乃さまなら尚更だ。
「だったら、瞳子も一緒に来れば? ホテルのベッドじゃなくて旅館のお布団だから、一人ぐらい増えても大丈夫よ」
「ちょっと由乃?」
 令さまが慌てている。
「足りなかったら一緒の布団で寝ればいいのよ」
「由乃?」
 令さまが悲鳴をあげた。瞳子は、真っ赤になっている。
「お姉さまと一緒に?」
「何か不服でも?」
「いえ、そんな不服なんて……」
 わたわたと慌てる令さまと、真っ赤になった瞳子さんの間で、由乃さまはきょとんとしている。
「じゃあ、今日家でお父さん達に聞いてみるわ。多分構わないと思うけれど」
「あ、でもウチの両親がなんというか…」
 瞳子さんは呟いて、
「いえ、反対するようなら家出でも何でもして認めさせて見せますわ」
「あまり心配かけちゃ駄目よ?」
「はい、お姉さま」
 少なくとも由乃さまと瞳子さんの間では無事に話題が終了したようで。
「黄薔薇さまも大変…」
 呟いて流しへ向かう乃梨子さんの後をついて、可南子は流しに向かった。
「乃梨子さんは、お正月どうするの?」
 乃梨子さんは白薔薇さまの、可南子はお姉さまのお茶を用意しながら話し始める。
「私は、お姉さまのお家が忙しいから、お手伝いしようかと思って」
「帰省はしなくていいの?」
「うん。年末に帰って、お正月には戻ってくるつもり。帰省たって、日帰りできる距離なんだし。そんなに大袈裟なものじゃないもの。可南子こそ、新潟には行かなくていいの?」
「冬休みの間に顔は出すつもりだけど……雪国の冬は辛いのよ」
「無責任なこと言えば、雪がいっぱいあって面白そうだけど」
「一度来てみる? 乃梨子さんなら歓迎されると思うわ」
「そう?」
「仏像が語れる女子高生なんてそうはいないわ。お爺ちゃん達大喜びよ」
「……なんか複雑」
 お茶を運ぶのを見て、瞳子さんが慌てて流しに向かってくる。
「お姉さまと黄薔薇さまのお茶は瞳子が煎れますから」
「わかってる」
「そう言うと思って用意してません」
 瞳子さんとすれ違い、可南子はお茶を置く。
「はい、お姉さま」
「ありがと、可南子」
 と、そこへ紅薔薇さまがやってくる。
「ごきげんよう、祐巳、可南子ちゃん」
「ごきげんよう、お姉さま。今、お茶を煎れます」
 流しに戻りかけた可南子はお姉さまに止められる。
「可南子、お姉さまの分は私が煎れるから」
「いいわ。祐巳。私もたまには可南子ちゃんのが飲みたいもの」
「はい」
 可南子がそのまま流しへ向かうと、お姉さまが紅薔薇さまにお正月のことを話し始めるのが聞こえてくる。
「まあ、可南子ちゃんも? ええ、勿論歓迎よ。お母さまも喜ぶわ。祐巳の選んだ妹が見たいと、いつも言ってらしたもの」
 可南子はそれを聞きながらお茶を運んだ。
「はい、紅薔薇さま」
「ありがとう、可南子ちゃん。お正月は楽しみにしておくわ」
「はい。私も楽しみです。紅薔薇さまのお宅に伺うのも、ご家族の方に会うのも初めてですもの」
「そうね。私の方は先に、可南子ちゃんのお父さまに会ってしまったものね」
「ですから、その日を楽しみにしておきますわ」 
 
 次の日曜日、可南子は早速お母さんに話した。
 先輩の家に泊まりに行きたいというと、可南子が拍子抜けするくらいあっさりと承諾してくれる。
 当然、誰の家かと聞かれる。
「福沢さんの所なの?」
「違うわ。お姉さまのお姉さまの所」
 お母さんはまだリリアンの呼び方には慣れていないようで、可南子が「お姉さま」と言うと少し妙な顔をする。それでも、最近ではようやく可南子にとっての「お姉さま」が「福沢祐巳」であると認識しているようだった。
「福沢さんのお姉さま……どなたかしら?」
「紅薔薇さまよ」
「可南子。リリアンの言い方で言われてもわからないわよ」
 お母さんにとってリリアンは、ただのレベルの高いきちんとした学校に過ぎない。お姉さまや紅薔薇さま、黄薔薇さま、由乃さま、瞳子さん達のように、母親の代からリリアンを知っているわけではないのだ。この辺り、可南子は乃梨子さんと同じ立場になる。
 とりあえず、お母さんの言うことはもっともだった。
「ごめん。小笠原祥子さまよ、お母さん」
「え」
 お母さんの喉から妙な音が出た。
 食事の途中だったら、喉に何か詰まらせたのかと思ったに違いない。そんな音。
「小笠原って、小笠原?」
 変なことを聞かれた。
「何を言ってるの?」
「だから、小笠原って、あの小笠原なの?」
「どの?」
「小笠原グループの小笠原かって言うことよ!」
 ようやくお母さんの言いたいことがわかった。
「ああ。うん。そうだと思うけれど」
 あっさり答えると、お母さんは頭を抱えるようにして考え事を始めてしまった。
 こんなお母さんの姿は初めて見る。ハッキリ言うと、お父さんと別れるときもこんなに悩んでいなかったような気がする。
「どうかしたの?」
「どうかって…」
 呆れた娘ね、という顔を露骨にしながら、お母さんはテーブルの上のお茶を飲んだ。
「驚きもするわ。貴方が小笠原家の令嬢とそんなに親しい関係になるなんて」
 言われて可南子は考えた。
 理屈はわかる。確かにお姉さまのお姉さまは泣く子も黙る小笠原グループの令嬢、しかも一人娘。社会的立場を考えれば自分とは雲泥の差だ。これほど驚くところを見ると、お母さんの勤め先だって実は小笠原グループ傘下なのかも知れない。
 ふと、可南子はイタズラを思いついたように心の中でほくそ笑んだ。
 つい数ヶ月前、尾行した相手が柏木の御曹司で、よく争っていた相手が松平の令嬢だと知ったら、お母さんは気絶してしまうかも知れない。
 絶対に秘密にしておこう、と可南子は心に固く誓った。
 考えてみれば、そもそもリリアン、それも薔薇の館に集まっているメンバーは世間一般から見ればお金持ちが多いのだ。紅薔薇さまと瞳子さんがすっかり別次元だから普段は気にならないけれど。
 下宿の乃梨子さんは別として、賃貸住宅に住んでいるのは自分だけだ。
 ……そう考えると、なんだか自分がひどく場違いなところにいるような気がしてくる。
「まあ、とにかく失礼のないようにしてね」
「当然じゃない」
「……あのさ」
「なに?」
「母親の仕事なんて気にしなくていいからね」
 ああ、やっぱりお母さんの会社って…。
「紅薔薇さまは、そんな人じゃないわよ」
「そうか……そうだね。可南子の選んだお姉さまのお姉さまだったね。変なこと言ったわね…ごめん」
 お母さんが夕食の支度に立ち上がり、可南子も一緒に立ち上がった。
「今日は何?」
「メインは私が作るから、可南子はサラダを作ってよ。グリーンサラダね」
「わかった」
 並んで台所に立つと、可南子のほうが高い。
「可南子?」
「なに、お母さん」
「貴方、また、背が伸びたんじゃない?」
「……嫌なこと言わないでよ」
 
−中編に続く−
 
 
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