祐巳さんと可南子ちゃん
「なかきよ」中編
もう、今は男の人は平気だよね?
そういわれて、まさか「ハイ、好きになりました」というのもおかしな答え。
かといって、「平気です」と言うのもなんだか妙。
元々、男の人は苦手。背の高さをからかってきたり、物珍しそうにじろじろ見たり。そういうのがとても嫌だから。
だけど、お姉さまが親しくしている人なら、そんなことはないのかと可南子は思う。
現に、お姉さまの弟さんはそんな目で自分を見なかった。
いや、最初の頃は仕方ない。それは自分でも認めている。この背の高さが目立つ、あるいは珍しいことは十分承知している。だから、初対面の人に奇異の目で見られるのは仕方ないと幾分諦めている。けれど、いつまでも奇異の目で見られるのは嫌に決まっている。
文化祭の時に来ていた花寺の面々の内の何人かはそうだったと可南子は記憶している。もっとも、あの頃は可南子も花寺の面々に対して嫌悪の目を隠そうともしていなかったのだから、どっちもどっちだったかも知れない。
結局、最初の問いに対する返事はこうなった。
「平気というか、無闇に嫌ったりはしませんけれど」
「良かった」
お姉さまは胸を撫で下ろしてみせる。
「お姉さまの所の車が迎えに来てくださるから」
つまり、運転手は男の人ということ。
可南子は苦笑した。
「もう、お姉さま。それじゃあ私、どうやって電車やバスに乗っていたと思うんですか?」
男の人が傍にいるだけで耐えられないのなら、公共交通機関は一切使えない。祥子さまならそれでも何とかなるかも知れないが、可南子だと普通の生活にも困ってしまう。
「あ、それもそうか」
その会話を思い出しながら、可南子はコンビニの前に立っていた。
お正月早々、お母さんは出張で九州の方へ行ってしまう。忙しそうで大変だと思うけれど、本人はそういいながらも楽しそうに動いている。仕事の忙しさと言うよりも、必要とされている自分の技量を心から楽しんでいるという感じ。
可南子はそんな風に生き生きしているお母さんが好きだから、それに関しては何も言わない。
結局、元旦の日だけがお母さんのお休みの日だった。
だから、二人きりでゆっくりと過ごした。
テレビを見たり、お喋りをしたり、ソファに寝ころんでぐうたらしながらお菓子を食べたり。
そして今日は一緒に家を出て、駅で別れてきたのだ。
もう一度腕時計で時間を確認する。
お姉さまとの約束の時間まであと十分。可南子はポケットの中に手を入れて、さっきコンビニで買ったものを確認する。
袋入りのフルーツキャンディ。
甘党のお姉さまのために買ったもの。とりあえず、これをお渡しするつもり。
二人で同じ色のキャンディをコロコロと口の中で転がして。それが何となく幸せな感じ。
そんな光景を想像して頬が緩むのを抑えられないでいると、
「可南子♪」
背中を叩く手。
「は、はいっ!」
慌てて振り向くとお姉さま。
「早かったんだね」
可南子は慌てて、ポケットの中のキャンディを差し出してしまう。
「あ、あの、これ」
「へ?」
キョトンとお姉さま。確かに、いきなり挨拶もせずにキャンディを差し出されれば、誰だってキョトンとするだろうとは思う。
「えーと、ごきげんよう?」
「あ、はい、ごきげんよう」
妙な雰囲気の挨拶になってしまい、お姉さまが笑い出す。
「どうしたの、可南子。慌てすぎ」
「だって、お姉さまが……」
「うふふふ」
笑いながら、お姉さまは差し出された物の正体に気付いた。
「キャンディ? 私に?」
「え、ええ。お姉さま、甘いのが好きじゃありませんか」
「ありがとっ」
弾むようにお礼を言って、一つを口に運ぶ。
「可南子もね」
一つはお姉さまの手から直接可南子の口へ。
ぱくり
当たり前だけど、甘い。
だけど、お姉さまの手ずから食べさせてらったのだから、甘さは倍になる。
ふと見ると、お姉さまが妙な顔をして可南子を見ている。
「どうかなされました?」
「……もしかして、可南子、聖さまから何か聞いた?」
「聖さまから? いえ」
少し考えて、可南子は思い当たることがあった。
「ああ、そういえば、去年は聖さまとご一緒に行かれたのですね。何かそのことで?」
「ううん」
お姉さまは笑って首を振った。
「去年、聖さまともここで待ち合わせたんだけれど、その時も聖さまがキャンディを買っていてくれたのよ」
聖さまは、悔しいくらいにお姉さまのことをよく知っている。ひょっとすると、祥子さまよりも詳しいんじゃないかと思うときがある。
「お姉さまの甘党は、有名ですもの」
「別に宣伝している訳じゃないんだけれどなぁ……」
お姉さまは本気で訝しんでいるようで、可南子は思わず呆れたように言ってしまう。
「毎回毎回、砂糖を五杯も六杯も入れていれば、嫌でも気付きますよ」
「うう……」
そう言いながらもお姉さまは新しいキャンディを口の中に放り込む。
その視線が可南子のバッグに。
「可南子、荷物はそれだけ?」
「ええ。一泊と聞きましたから」
しげしげと見られて、なんだか恥ずかしくて可南子はバッグを背中に回した。
「じゃあ、行こうか?」
「行くって、屋台にですか?」
「うん」
可南子の手を取って、お姉さまはさっさと歩き出す。
コンビニの横を通ると、神社の裏手に出た。お正月だから、神社には表から裏手までずっと屋台が連なっている。
お姉さまは嬉しそうに次々と買い物をしていくけれど、可南子は屋台を眺めるだけで精一杯。なぜなら、お姉さまが次から次へと買い物を続けているから。
焼そば。たこ焼き。わたがし。焼きトウモロコシ。
それぞれの屋台で買う数は決して多くはないのだけれど、いろんな屋台によるせいで種類がどんどん増えていく。
「このくらいかな?」
なるほど。と可南子は納得した。量よりも種類。祥子さまや祥子さまのお母さまがいくら屋台で売っているようなものを喜ぶと言っても、食べる量には当然限りがある。だから、一つの物を沢山買うよりも、色々な物が食べられるように少しずつ買っておく方がいいのだ。
そう、いわばこれは味見の品。量が多いよりも種類が多い方が喜ばれる類の品々なのだ。
それに、可南子が持つ量にも限度という物がある。
「可南子、一人で無理して持たなくてもいいよ?」
「いいえ。大丈夫です。というより、持たせてください」
「無理しないでね?」
足下を注意して、お姉さまの後をついて行く。人混みもあるのでさすがに苦労しながらついて行くと、突然お姉さまが立ち止まった。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
お姉さまの視線に合わせて道路を見ると、一台の車が停まっている。
それは、可南子も何度か見たことのある小笠原家の黒塗りの高級車ではなかった。
真っ赤なスポーツカー。何故だか可南子は、その姿に身震いしたくなってきた。邪悪とか、気味が悪いとかじゃなくて、もっと……、そう、虫が好かないというやつだ。
理由は何もないのだけれど、何となくこのスポーツカーは嫌い。そう断言できる。
「なんでこんな所に?」
お姉さまは訝しげに呟くと回りをキョロキョロとしている。赤いスポーツカーのことは知っているけれど、用事があるのは別の車らしい。
「祥子さまのお宅の車を探してらっしゃるんですか?」
お姉さまは頷いて言った。
「うん。この時間にここに来てもらうはずだったんだけれど、可南子も見たことがあるよね、あの黒い車」
可南子も頷く。
「おかしいな。場所間違えたのかな。それとも……」
お姉さまが語尾を途切れさせて、もう一度スポーツカーに目をやる。
「まさか……、やっぱり……」
「祐巳ちゃん、あけましておめでとう」
背後からの声に可南子はお姉さまと振り向く。
そこにいる相手には、可南子にも見覚えがあった。
「やっぱり、柏木さん? どうして?」
「どうしてって、ひどいなぁ、さっちゃんの所に行くんだろう? 僕がいたっていいじゃないか」
そうだ。柏木優。聞いた話では、祥子さまの婚約者。
「どうしてここにいるんですか?」
お姉さまは不審な顔。それはそうだと可南子も思う。
「祐巳ちゃん忘れたのかい? 正月二日と三日は小笠原家ではお手伝いさん達は皆休み。松井さんも例外じゃないよ」
松井さんというのは、小笠原家お抱え運転手の名前らしい。
「あ…」
お姉さまが柏木さんの言葉に何かを思い出したよう。
「だから、聖さまはご自分の車で……でも、お姉さまは何も言われなかったのに。お姉さまは車を迎えに出させるとだけ」
「さっちゃんもうっかりしていたんだろう。現に、気付いたのは昨日だったらしいからね。だから急遽、僕が御用を言いつかったわけさ。僕は、祐巳ちゃんのためなら何でもするって約束しているからね」
なんだか聞き捨てならないことを言う男がいる。
それも、祥子さまの婚約者のはずなのに。なんて破廉恥な。
「貴方は、祥子さまの婚約者ではなかったのですか?」
「ああ、そうだけど」
柏木さんの目が「おやっ?」と言っている。少しして、可南子を見る目に理解の色が。
「君か。安心してくれたまえ。僕が祐巳ちゃんのことを大好きだというのはその通りだけれど、僕がさっちゃんの婚約者であるというも揺るぎない事実だからね」
「君かって、私のこと、知っているんですか?」
考えてみると、可南子は柏木さんの顔を知っているけれど、柏木さんは可南子を知らないはず。それとも、文化祭の時に見ていたのだろうか。
可南子は思い出した。どちらかというと忘れてしまいたいことだけれど、絶対に忘れてはいけないことを。
「…あの……尾行の時?」
「そうだよ。君は祐巳ちゃんに夢中で気付いていなかったのかも知れないけれど、僕はその時に顔を見たからね。こう見えても僕は、一度見た人の顔は絶対に忘れないから」
お姉さまにつきまとう男達を尾行していたときに、見られていたのだ。
可南子は、どうしていいかわからず俯いてしまう。
「終わったことなんだから気にする必要はないよ、可南子」
お姉さまの言葉は力強かった。
「柏木さん。今は可南子は私の妹、紅薔薇のつぼみの妹です。ひいては、お姉さまの孫になるんです。そのことをよく考えてください。今の柏木さんの言葉がそうだったとは思いませんけれど、もし可南子を中傷したりする人がいたら、私は、断固戦いますから」
可南子にとって意外なことに、柏木さんは真面目な顔で姿勢を正した。
「ああ、祐巳ちゃんの言うとおりだ。僕も言葉に気を付けるよ。済まなかった」
可南子の手を取ろうとした柏木さんは、思い直したように手を引っ込めると一礼した。
「それで、柏木さんがお姉さまの家まで乗せてくださるんですか?」
「そういうことになる。さあ、行こうか。ああ、僕のお客も乗っているけれど、気にしないでくれていいから」
お客って。
気にしないでいいと言われても。
何故かお姉さまは複雑な表情で足を速めている。
「やっぱり……」
この日二回目の「やっぱり」が出た。
車の中から決まり悪げに登場したのは、祐麒さんだった。
「小林君の所に行くって言ってなかった?」
「行くよ、これから。先輩と一緒になっただけだよ」
「だって、これから、お姉さまの所に行くんだよ?」
「え、なにそれ、聞いてない」
柏木さんがあっはっはっと笑いながら、車のドアを開けた。
「ユキチは助手席で、祐巳ちゃんと可南子ちゃんは後ろで二人の方がいいだろう?」
「先輩ッ! 今から小林の所に行くんじゃなかったのかよ」
「最初からさっちゃんの所に行くって言ったら、ユキチは断ると思ったからね」
「そりゃそうだよ!」
祐麒さんは騙されて連れてこられたらしい。
「祐麒。あんた、二年連続で何やってるのよ……」
呆れ口調のお姉さま。え? 二年連続っていうことは、去年も?
「そう言うなよ。まさか俺だってこんなことになるなんて」
「まさか、最初から狙ってないでしょうね」
「待て、祐巳、それは誤解だぞ」
「去年は聖さまとお姉さまだものね。美人揃いだもの……あんたまさか……」
「だから誤解だって。第一、今年は聖さんいないんだろう?」
「だからって、可南子もお姉さまもいるもの」
なんだか聖さまと比べられるというのはさすがに可南子も恥ずかしい。自分が別に不細工だとは思っていないけれど、相手があの聖さまでは比べるのもおこがましいような気がする。
「実の姉がいるところでそんなこと考えないよ」
「じゃあいないところでは考えているんだ」
「祐巳〜〜」
泣きそうな声を上げる祐麒さん。
少し可哀想な気がしたけれど、可南子としては男はいないに越したことはない。
「まあまあ、ユキチがそんな男じゃないことは祐巳ちゃんが一番よくわかっているだろう? それに、僕だっているんだし」
「だから、どうして、俺を巻き込むんですか?」
祐麒さんの抗議に、柏木さんは心底驚いた顔をしている。
「……ユキチ? さっちゃんと祐巳ちゃんと可南子ちゃんは姉妹なんだよ? その三人が一つ部屋で泊まるんだよ。そこに僕が一人でいたらどうなると思う?」
「知りませんよ」
「僕は一人で寂しいじゃないか」
ニッコリと笑う柏木さん。
可南子は心から思った。この人を好ましく思うときは絶対に来ない、と。
祐麒さんはといえば、何かを諦めたようにぐったりと深く席に座っている。お姉さまが慰めるように肩をポンポンと叩いていた。
「まあ、いいわ。とにかく、柏木さんのことはお願いね?」
「任せるなよ〜」
車が動き始めた。