SS目次に戻る
 
 
相合い傘
 
 
 雨が降っている。梅雨の季節であれば、こんな天気は別に珍しくもない。だからこの季節、普段なら折りたたみ傘を鞄に入れている。
 三奈子はクラブハウスの窓から、外の雨模様を眺めていた。
 傘はない。
 かといってこの雨の中、濡れて帰るつもりもない。
 三奈子は、数日前の真美とのやりとりを思い出している。
 
「ごめん、真美。置き傘とか、ないかしら?」
 突然の三奈子の言葉なのに、真美は「またですか?」と言いたげな顔で答えている。
「お姉さま、また傘がないんですか?」
「どうやらそのようなのよ」
「そのようなのよって……梅雨の季節ですよ?」
「傘って、なくしやすいと思わない?」
「また、なくしたんですか」
「まあね」
「折りたたみ傘を、鞄の中に入れておけばいいんです。鞄ごと置き忘れたりすることはないでしょう?」
「次からはそうするわ。で、とりあえず今は、余っている傘はないのかしら?」
「ありませんよ」
「じゃあ仕方ないわね。駅まで真美の傘に入れてね?」
 にっこり笑う三奈子に、真美は複雑な顔で答える。
「お姉さま、そうやっていつもいつも……。わざと忘れているんじゃありませんか?」
「あ、そういう手もあるわね」
「お姉さまッ!」
「じゃ、相合い傘でよろしくね、真美」
 
 相合い傘なんて、リリアンではそんなに珍しい事じゃない。姉妹同士の相合い傘なんてよく見かける風景、梅雨の風物詩と言ってもいいかも知れない。
 ――それなのにうちの妹と来たら……
 三奈子は、真美の様子を思い出して思わずほくそ笑む。
 辺りを気にしてキョロキョロと、まるで悪いことをしているみたいに。そのくせ、しっかりとしがみつくように寄り添って。
 誰かが近づく気配があると身を離して、二人きりになると身を寄せる。
 恥ずかしがっているのがまるわかりだというのに、
「あんまり近づくと歩きにくいですよね」
「雨が横から吹き込んでくるんです」
 遠ざかったり近づいたりするたびにいちいち言い訳をする。そんな真美を見るのが三奈子は大好きで。
 だから真美との相合い傘は、三奈子にはとても楽しみなものの一つなのだ。
 
 今日もまた、真美に相合い傘をせがんでみよう。
 そう考えると自然に表情がニコニコと溶けていくのが自分でもわかる。
 今の自分は、端から見るとかなりみっともなく笑み崩れているのだろうな、と思う。けれど、見たい人は見ればいい、自分は本当に楽しいんだから、と誰彼構わず宣言したくなるほど、気持ちは浮ついているのだ。
 そんな、ハミングの一つも奏でたくなるような気持ちで窓の外を見ていると、
 ――真美?
 真美の姿が見える。
 咄嗟に立ち上がった三奈子は、すぐに座り直した。
 真美の横には人影。
 そして、二人の間に傘は一つ。見覚えのある真美の傘ではないけれど、やっぱりどこか見覚えのあるような傘。
 先客有り。
 相手が誰だろうと、真美との楽しい相合い傘の座を譲り渡すつもりはない。けれど、こればかりは相手が悪い。
 真美の隣にいたのは高知日出実。真美の妹だ。
 座り直したはずの三奈子は、すぐにまた立ち上がる。
「今回ばかりは、譲ってあげるわよ、日出実ちゃん」
 三奈子はロッカーの裏側に手を伸ばすと、隠してあった傘を取り出す。これは本当の非常手段。最後の最後、万が一の時のために隠してあった置き傘だ。
 ちなみに置き傘に限らず、三奈子の非常手段は校内数カ所に分散して隠されている。色々なモノが。
 部室を出ると、真美達に出会わないように回り道しながらクラブハウスを後にする。
 そのまま校舎を迂回して今日の所は帰ろうかと考えていると、どこからか声が聞こえる。
「……ちゃったの」
「……ごめん……」
 片方は小さな子、それも泣き声だ。
 何事かと、三奈子は声の聞こえた方向へ行ってみる。
 探すまでもなく、声の主はすぐに見つかった。そこでは、姉妹だろうか、高等部の一人と初等部の一人が壊れた傘を持って立ちつくしている。
 見たところ、高等部の制服を着ているのは一年生のようだ。
「どうかして?」
 精一杯、三奈子は三年生らしい威厳を持って話しかける。三薔薇さまとまでは行かないけれど、新聞部の築山三奈子といえばリリアンでは知らぬ者のいない有名人だ。それなりに、外見を取り繕ってしまうのは仕方がない。
「あ……」
 高等部の方は、やはり三奈子を見て何かを思い出しそうな表情になる。そして初等部の子の方は、素直に助けてくれる相手だと思ったのか、事情を話しはじめた。
 とは言っても泣きながらの説明で要領を得ないのだけれども、それは高等部の生徒がいちいち補足していった。
 要は、妹が傘を持って姉を迎えに来たら、転んだ拍子に傘が壊れてしまったということらしい。勿論、この場合の姉妹はスールではなく実の姉妹。
 当然泣いているのは妹。慰めているのが姉だ。
「あらら、それは仕方ないわね」
 三奈子は一つため息をついた。
 探せば、傘の一つや二つ、どこかに隠してあったかも知れない。
 もしなかったら……その時はその時。多分なんとかなる。
「良かったらこの傘、使いなさい」
「え?」
「私は別に傘があるから。この傘は明日にでも、新聞部の誰かに渡してもらえばいいから」
「あ、もしかして、築山三奈子さま……?」
「ええ、そうよ。ごきげんよう」
「あ、ありがとうございます」
「貴方一人が困っているだけなら貸さなかったわ。妹さんが可哀想だからね」
「ありがとうございます!」
 放っておくといつまでもお礼を言われ続けそうな気がして、三奈子はその場を離れようとした。
 ふとその時、似たような状況があったことを思い出す。
 あれはいつだったか。
 そうだ、確か高一の時。
 骨の折れた傘をかかえて途方に暮れていた中等部の子に、傘を貸したことがあった。貸すと言うよりも半ば無理矢理に押しつけたのだけれど。あの日も、自分は雨の中を走って帰って親に怒られたのだ。
 その傘は返ってこなかった。自分の名前を名乗っていなかったし、貸した相手の顔すらほとんど覚えていない。
 傘を貸したこと自体は結構ある。けれど、傘を貸してそのまま帰ってこなかったことは、何回あっただろう。おかしな事に、こちらがきちんと築山三奈子だと名乗れば、傘は返ってくるのだ。よっぽど悪名が高いらしい。名乗らなければ返ってくる確率は低い。マナーが悪いと言うよりも、名乗らなければ返す相手がわからないのだから当然か。
 ふと見ると、姉妹の姿は消えている。
 三奈子は意を決して、雨の中へ走り出そうと身構えた。
「お姉さま?」
「三奈子さま」
 構えたところで、二つの声に呼び止められる。
 気まずい顔で見ると、相合い傘の二人が立っている。
「真美?」
「お姉さま、やっぱり傘がなかったんですね」
「あ、う、うん。そうなのよ」
 笑う真美。日出実がその横で同じように笑っていた。
「三奈子さま、嘘はダメですよ。一部始終見てましたから」
 一部始終というと、姉妹に傘を貸すところからだろうか。
 日出実は三奈子の問いに頷いた。
「変わってないんですね、三奈子さまも」
 日出実の言葉に三奈子が首を傾げていると、日出実は差していた傘を畳んで、三奈子の前に差し出す。
「長い間、お借りしてました」
「あ」
「ずっと返そうと思っていたんですけれど、なんだか手放したくなくて、有耶無耶にしていたんです」
 記憶が蘇る。
 そうだ。この子。あの日、高一の三奈子が傘を貸した中等部の子。
 まさか、その子が日出実だったなんて。
 いや、どうして、今まで気付かなかったんだろう。
「中等部の頃とは、髪型を変えましたから。友達からもよく言われます、別人みたいだって」
 無意識に受け取りながら、三奈子は日出実の顔をじっと見ていた。
 ごほん、と真美が咳払いを一つ。
 その咳払いで、少し呆然としていた三奈子が我に返る。
 ――真美が、嫉妬しているの?
 それは、とても楽しい。相合い傘なんかより、もっと。
「そう、ありがとう、日出実ちゃん。ところで日出実ちゃんは自分の傘はあるの?」
 答えようとした日出実より早く、
「そう、ないのね。それじゃあ、駅まで相合い傘で行こうか」
 驚く日出実を押しのけるように、真美が顔を出す。
「お姉さま、私も傘がないんです!」
 必死に笑いを堪えながら、三奈子は傘をさしなおす。
「このぐらいなら、三人とも入れない?」
 有無を言わせず、三奈子は二人を引き連れて歩き出す。
「駅まで、相合い傘ね」
 三奈子の表情は、とても晴れやかになっていた。
 
 
 
 
あとがき
 
SS目次に戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送