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朝御飯
 
 
 カレンダーを見て、日付を確認。
 ケーブルテレビの地元お天気チャンネルを見て、天気を確認。
 そうしていると、トースターからはパンの焼けたいい匂い。
 沸かしたお湯でカップスープを作ると、後はちょうどコーヒー一杯分が残っている。
 パンとサラダ、ベーコンエッグかハムエッグ。カップスープとコーヒー。
 一人暮らしを始めてからも、朝の定番メニューは変わらない。
 実家にいるときも基本的に朝は一人だったから、朝ご飯の支度だけは一人暮らしを始めてからもまったく困らなかったのだ。
 もっとも、それ以外のことだって、今までほとんど一人でやってきたのだからそれほど戸惑ったという覚えはない。
 女だから、ということではなく、父一人子一人の家で子供がそれなりに年をとれば、家事はどうしても覚えるものだ。
 実家にいた頃も含めるとこれで十年近く同じメニューの朝ご飯だ。替えようと思ったことすらない。
 だからというわけでもないだろうけれど、誰かを自宅に泊めたときも朝ご飯は絶対にこれだ。
 向こうは泊まっているという弱みがあるので、例え普段はご飯党だとしても出されたメニューはおとなしく食べる。もっとも、泊めてもらった先で食事に文句をつけるような失礼な相手とは、友達の縁を切ってしまうだろうけれど。
 これまでの所、食事に文句をつけてきた者はいない。
 たった一人を除いては――
 
「ご飯がいいな」
 これが漫画の吹き出しだったら絶対、語尾にハートマークが付いている。そう言いたくなるような口調と表情でおねだりするのは佐藤聖。
「贅沢言わない」
 あっさり切り返すのは加東景。
「お景さんの意地悪」
「何言ってるの。夕べ突然押しかけてきて、こっちの都合も聞かずに泊まったのはどこの誰かしら?」
 パンを二枚、トースターに入れながら景は続けた。
「ちゃっかり泊まったあげくに毎度毎度朝ご飯まで食べていくんだから、少しは遠慮しなさい」
「それは感謝しておりまする」
 ふざけて手を合わせる聖。
 聖がこうやって泊まっていくのは初めてではない。景の言葉通りこれまでも何度かあったことなのだ。
 聖は夜中の実家は非常に帰りにくいと言う。別に親子の仲が悪いというわけではなく、ただ単に夜中に出入りするのを嫌っていると言うことらしい。
「あと、結構遠いから面倒くさい」
 こっちが佐藤さんの本音だろう、と景は思っている。
 それでも、不思議なことに本当に景の都合が悪いときには聖は現れない。この辺りの呼吸は持って生まれた物なのだろうか。
「またパンか……。景さん、いつもパンなの?」
「ウチはいつもパン。実家にいるときからずっとパンよ」
「なるほど、わかった」
 聖は突然何かに納得すると、てきぱきと皿を取り出し始める。
「それじゃあ、私はせめてサラダなりと作りましょう」
 勝手知ったる何とやら、の要領で冷蔵庫から野菜を取り出してまな板に載せていく。
「胡瓜とレタス、それからトマト。後はどうする?」
「任せるわ。冷蔵庫の中の物ならどれを使ってもいいわよ」
「じゃあリンゴとシソの葉使うよ」
「佐藤さん、タマゴはいくつ?」
「二つ。両面焼きで」
 聖はリンゴと胡瓜、トマトを切ると、あらかじめドレッシングを作っておいた大きなボウルに、ちぎったレタスと一緒に放り込んで混ぜ始める。
 その間にハムエッグを完成させる景。
 パンとサラダ、そしてハムエッグ。
 インスタントのカップスープにお湯を注いで、それからコーヒーを二つ。
「佐藤さんはブラックだったわよね?」
「んだんだ。ブラックだ」
「ふざけない」
 そう、ふざけた調子で言いながら景はコーヒーを少し乱暴に置いてみせる。
「うーん。景さんは生真面目すぎる」
「あのね、佐藤さんがお気楽すぎるの」
 なーんだ、と言いながら聖は破顔する。
 景は、聖のこんな仕草に時々ドキリとしてしまうことがある。
 そしてそれには、多分聖は気づいていない。と景は思っている。
 このときも、聖は何かに気づいた気配も見せずに言葉を続けた。
「だったら、ちょうどいいじゃない。私と景さん」
「お笑いコンビなんて、やめてよね」
「えー」
 心底残念そうに聖はうなだれている。
「学園祭に出られるよ」
「生粋のリリアンが泣くわよ」
「いいよ、そんなのどうでも」
「佐藤さんのことじゃなくて、高校時代白薔薇さまに憧れていた子がみんな泣くわよ」
「あー。それは可哀想だ。そうだね、女の子を泣かせちゃあいけないよね」
 こういうことをシラッというところが憎たらしい。
「だったら、元白薔薇さまらしくしなさい」
「それは面倒くさい」
「リリアン出身者の運命ね」
 景には完全には理解できないのだけれども、大学内での聖の信奉者は確かにいた。ほとんどが元リリアンでの白薔薇さま信奉者だ。驚いたのは一年上の者にも決して少なくない数がいるということ。この分だと、聖の後輩が入ってくる来年は信奉者がさらに増えるのではないだろうか。
 同年代よりも先輩相手のほうが憧れの対象になり易いというのは、景にも容易に想像できる。
「しまった。こんなことなら他の大学に行けば良かった」
 だから、聖の呟きに景は意地悪く応えるのだ。
「今からそれじゃあ、来年は大変ね」
「あ、それは多分大丈夫」
「どうしてよ」
「来年は祥子がいるもの。祥子のファンも多いからね、私一人がターゲットの現在とはおさらばよ」
「祥子って、祐巳ちゃんのお姉さまの? 例の人?」
「そうそう」
 景にとっての祥子とは、「梅雨の時期に祐巳ちゃんと仲違いした先輩」に過ぎない。
「人気があるのね」
 マイナスの印象しか持っていない景にとっては、俄には信じられない話だった。もっとも、よく知らない相手に対して性急に判断を下す愚を犯すつもりはない。ただ単に、今のところはよくわからないというだけのことだ。
「あるよ」
 だから、聖にこう言われては納得するしかない。
 確かに考えてみれば、あの祐巳ちゃんがお姉さまと慕う相手なのだ。それだけの人物なのだろう、と景は思う。
 せっかくの御飯が冷めるよ、と聖が言い、二人は朝食に取りかかる。
 フォークを取り上げ、聖がしつこく言った。
「やっぱり私は御飯がいいな」
「まだ言う気?」
「独り言独り言」
 景は囓ろうとしたパンを置くと、ポツリと呟く。
「一泊朝食付き三千円」
「景さん?」
「独り言独り言」
 景は笑った。
 
 
 ふと、景の足が止まる。
 大学の帰り、聖と別れてから寄ったスーパーマーケット。視線の先にはパックの御飯。
 …佐藤さんと同じ名前の御飯
 朝食がパンというのは手軽さもある。御飯だと、お米を研いで水に漬けて、それから炊いて。確実に一時間近くいる。一人暮らしなので、ジャーの中に御飯が残っていることもあまりない。
 その点、パンは買い置きさえあればすぐに準備できる。
 だから、御飯がすぐに炊けるのなら別に御飯でもいいのだ。朝食なのだから凝ったおかずはいらない。海苔と卵焼きとお漬があれば充分。いや、別にハムエッグでも悪くない。
 あとは、カップスープの代わりにインスタント味噌汁。コーヒーの代わりにお茶。サラダの代わりにお漬物と海苔。
 インスタント御飯の横には狙ったようにインスタント味噌汁が置かれている。勿論、スーパーの棚なのだから狙っているのは当たり前なのだけれど。
「朝から米飯は、あんまり趣味じゃないのよ…」
 言い訳のような呟きだと、自分で気付いて苦笑い。
 何やってんだろ。
「ま、いいか。たまには佐藤さんにも合わせてあげるわよ」
 やっぱり言い訳のように自分に言い聞かせて、買い物かごにインスタントの御飯とおみそ汁を入れる。
 
 
 カレンダーを見て、日付を確認。
 ケーブルテレビの地元お天気チャンネルを見て、天気を確認。
 パンをトースターに入れようとして、棚に置かれている御飯に目が止まる。
 この御飯、いったい何日置いてあるんだろう。
 半年は常温で保つらしいから、保存の心配はないのだけれど。
 あれから佐藤さんは泊まりに来ない。
 何のために御飯を買い置きしてあるのかわからない。
 別に、自分で食べてしまえばいいのだろうけれど。炊飯器もあるのにわざわざ普通の食事にインスタントを食べることはない。
 それに、いざ食べようかと思うと、どうしてだか気が乗らない。もしかしたら、買うときに「これは佐藤さんのもの」と思ってしまったのが良くなかったのか。
 大学では普通に佐藤さんと会う。話もする。けれど、佐藤さんは泊まりに来ない。
 家には今まで通り遊びに来てお茶を飲んだりしているのだけど、何故か泊まらなくなった。特に意味はなく、只の偶然なのだろうけれど。なんてタイミングなんだろうか、と景は思う。
 まさか、お茶を飲んでいるときにいきなり御飯を出すわけにも行かない。
 インスタント御飯は、ずっと戸棚の中で出番を待っている。
 
「泊まりに来ない?」というのもなんだかおかしな感じ。
 一言そう言えば済む話なのかも知れないけれど。
 そしてある日、大学の帰り道で景は思わず言ってしまった。
「最近、泊まらないね」
「うん。あんまり続いても悪いし」
 あっさりと、逆にその質問を待っていたかのように聖は即答する。
 景も、つい憎まれ口で返してしまう。
「そう。まあ、若い女がフラフラと夜に出歩くは感心しないから、それはそれでいいんじゃない? 家の人も安心でしょう?」
「景さん、それ、おばさん臭いよ」
「世間一般の良識と言って」
「まあ、実はお泊まりは減ってないんだけどね」
「どういう意味?」
 自分以外で、大学に親しい人間がいるとは聞いたことがない。聖に憧れている元リリアンは多いが、聖との直接の知り合いではないのだ。
「蓉子の所に泊まったりしてるから。あと、たまーに江利子の所」
「あ、そう」
「蓉子は朝も和食派なんだ」
 そういうことですか、と言いたいのを堪える景。
「でも、時々景さんの朝パンが食べたくなる」
 こういうことを平気で言う。佐藤聖とはそういう人だと、景は深く再認識した。
「だから、朝パンが食べたくなったらまたお泊まりさせてね」
「はいはい。パンはいつも多めに買ってるわよ」
「景さんに感謝」
 ちょうど分かれ道にたどり着くと、ふざけて手を合わせながら聖は離れていく。
 充分に離れると、景は小さな声で呟く。
「…佐藤さんの馬鹿」
 今夜はインスタント御飯を食べよう。そう決めると、景は下宿に向かって歩き始めた。
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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