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突撃! ひよこ部隊
 
 
 風邪をひいてしまった。
 これは心臓とは関係のない純粋な風邪なのだけれど、それでもベッドに入ってじっとしているのは幾度も経験していることだ。
 由乃はじっと天井を見つめている。
 お気に入りのひよこタオルではない、別のタオルが由乃の額に置かれている。だからというわけではないけれど、熱がなかなか下がらないような気がして仕方がない。
 ひよこタオルは、折悪しく洗濯中だったのだ。
 実に、運が悪い。由乃は心の中で嘆息した。
 熱で少しぼうっとした頭で、天井を見つめていると、なんだかグルグル回り出しそうな気がして由乃は慌てて目を閉じる。
 ……令ちゃんはどこ行ったのかなぁ。
 由乃がこんな状態だというのに、令ちゃんは一向に姿を現さない。お母さんに聞いてみると、お父さん――由乃から見れば伯父さんと朝早くに出て行ったらしい。つまり由乃の状態は知らないのだろうけど。だからって仕方ないなんて思わない。
 令ちゃんは由乃の騎士なんだから、どんなときでも由乃の状態がわかってないと駄目なんだ。
 由乃は目を閉じたまま、ぷうと膨れて呟く。
「令ちゃんの……馬鹿」
 やっぱりこんな時は、妹よりも姉なのかなぁ。
 それとも、従姉妹の令ちゃんにいて欲しいのかなぁ。
 由乃はとりとめもなく考えていた。
 うん。菜々にこんな所、見せたくないもの。
 
 
「もしもし?」
 誰かの声がする。
「由乃殿?」
 聞いたことがあるような……ないような。
「起きておられますか?」
 ぴよぴよ、なんて鳴き声も聞こえる。
「由乃殿?」
 最初は遠慮がちだった声がだんだん大きくなってくる。
 やっぱり知らない声だ。でも、何故か聞いたことがあるような気がする。
 ぴよぴよ。この鳴き声は何だろう?
「由乃殿?」
 由乃は目を開けた。
「おおっ。お目覚めになりましたか」
 ぴよぴよ。
 なんだこれは。由乃は開けたばかりの目をパチクリとしながら、目の前に広がる不思議な光景を眺めていた。
 胸元にひよこがいる。ひよこが、心配そうに由乃の顔を覗き込んでいる。
 帽子を被ったひよこが、由乃の顔を覗き込んでいる。
「日頃お世話になっております」
 ひよこを? 私が? お世話?
 由乃はゆっくりと上半身を起こした。
 おっとっと、と言いながら、帽子を被ったひよこが胸元からお腹の方へと転がっていく。
 見ると、足下には沢山のひよこが待機していた。そちらのひよこたちは帽子を被っていないし、言葉も喋らない。みな口々にぴよぴよと鳴いている。静かに鳴いているのは、由乃が寝ていたせいだろうか。
 転がりすぎたあげく、ベッドから転げ落ちそうになっている帽子ひよこに手を貸すと、かたじけない、と言いながらもう一度掛け布団の上に昇ってくる。
「で、貴方何者?」
「はい。拙者、このひよこたちの世話役というか、頭を勤めております」
「貴方が?」
「はい。由乃殿にはこれまでも大変お世話になりましたので、最後にお別れを告げにこうして参上した次第であります」
 わからない。ひよこなんて飼ったことはないし、世話をした覚えもない。
 ぴよぴよ、ぴよぴよ。
「この者達も別れを惜しんでおりますが、なにぶんにも我らの意志ではいかんともしがたいこと。哀しいですが、お別れであります」
 これは夢だろうか。いや、ひよこが喋っているという時点で間違いなく夢だ。だけど、夢だとしてもこのひよこたちは一体……。
 由乃は思いだした。
 ひよこ。そうだ、ひよこ。
「貴方達、もしかして?」
 帽子ひよこが嬉しそうに胸を張った。張りすぎてちょっとバランスを崩して転びそうになったけれど。
「はい。由乃殿とは、長いつき合いでありました」
 ぴよぴよの鳴き声が少し大きくなる。とても嬉しそうだ。
「由乃殿は、我々を大事に使ってくださいました。我々も、全力で由乃殿に尽くしてきたつもりであります」
「どうして?」
「由乃殿。物には寿命というものがあるのであります。我々は普通のタオルの何倍もの寿命を大切に使われてきました。非常に誇りに思っております」
「ちょっと待ってよ。それじゃあ、私が今度具合が悪くなったら、誰に熱を下げてもらえばいいのよ」
「もう、由乃殿は大丈夫であります」
 ぴよぴよ。ぴよぴよ。
「駄目、勝手なこと言わないで。貴方達がいないと、私が困るのよ」
「老兵はただ消えゆくのみ、でありますよ」
「駄目!」
 ぴよぴよ。
「長い間、ありがとうございました。由乃殿」
「待ちなさいよっ!」
 手を伸ばそうとしたけれど、身体が動かない。
 ベッドに上半身だけを起こした姿勢のまま、ピクリとも身体が動かない。ああ、これは夢なんだ。
 でも夢だとしても、こんなお別れなんて。
「由乃殿には、また新しく我々のようなものがつくであります。由乃殿なら、誰が来てもきっと心から尽くすでありましょう。拙者が保証するであります」
「貴方達じゃなきゃ駄目なのよ!」
「お達者で。お健やかに。由乃殿」
 ぴよぴよ。ぴよぴよ。ぴよぴよ。
 帽子ひよこが振り向いて、居並ぶひよこたちに号令をかける。
「では、由乃殿に最後のご奉公! 行くぞ!」
 ぴよぴよ。ぴよぴよ。ぴよぴよ。ぴよぴよ。ぴよぴよ。
 何故か霞んできた視界の向こう、ひよこたちの向こうに陽炎のように揺らめく赤黒い物が見えた。
 由乃は何故か確信出来た。あれが、風邪の正体だと。
 
 
 突然跳ね起きた由乃に、菜々は驚く。
「由乃さま?」
 由乃はまず自分の足元を見た。そして、起きあがった拍子に額から落ちたもの――古ぼけたヒヨコ柄のタオル。
 寝る前にはなかったタオルなのに、どうして。
「これ……」
 由乃の言葉に、菜々が頷く。
「先ほどお伺いしたところ、小母さまからお姉さまのことを聞きまして。様子を見に来ようとしたらそれを持っていくように言われまして」
「そう……」
 たまたま菜々が訪れたとき、自分は寝込んでいた。いや、ひよこたちとの別れを惜しんでいたということか。
「お姉さま。さあ、きちんと横になって下さい」
 菜々も立ち上がり、ベッドに近づいた。
「大丈夫ですか?」
「うん。熱は下がったみたい…」
 そうだ。ひよこたちは頑張ったのだ。これで熱が下がらなければ嘘だ。
 じっと、手元のタオルを見つめる由乃。その視界の隅から、菜々の手が伸びる。
「ご苦労様でした」
 菜々はタオルに触れると、優しく呟く。
「菜々?」
 驚いた由乃が菜々の顔を見上げると、菜々自身も驚いている。
「あれ? どうして、私こんなこと?」
 首を傾げる菜々を見ていると、由乃の堪えていたものが急にこみあげてくる。
「お姉さま?」
 菜々は、涙をこぼす由乃に驚いている。
「ううん、なんでもない。なんでもないよ、菜々」
 もしかいつか、結婚するとしたら。
 もしかいつか、子供が出来るとしたら。
 きっと、ヒヨコ柄のタオルをプレゼントしよう。
 由乃は、そう心に決めたのだった。
 
 
 
あとがき
 
 
 
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