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黄薔薇始末
 
 
 
 どうしてこんなことになってしまったんだろう。
 田沼ちさとは出来るだけ誰にも顔を見られないようにそっと空き教室の隅に移動する。
「じっとしてなさいな」
 黄薔薇さまのゆったりとした、この場の緊張感とはまるでそぐわないような声に、ちさとは反射的に足を止めた。
(でも、黄薔薇さま、私は……)
 口からそう言葉を出す前に、ちさとは思い出した。
 そうだ。この場は、自分と黄薔薇さまは無関係でなければならない。黄薔薇さまはわざと自分に対して注意したのだ。
 特別扱いはしない。いや、もしかしたら他の人より厳しく扱われるかも知れない。その代わり、この場の裏切り者が自分であることは知られずに済む。
「人が話している最中にうろうろしないの。私はまだ話しているところよ」
「申し訳ありません。黄薔薇さま」
 ちさとは一言謝ると、手近の椅子に腰掛けた。ついでに辺りを見回すと、動いたのはちさと一人だけらしい。残りの人たちはそれぞれのいた場所にじっとしている。ただし、その表情はそれぞれだ。
 自分の行いを恥じているのか、頬を赤らめて俯いている者。
 恥じているのは同じようだけど、顔を上げて黄薔薇さまのほうをじっと見ている者。
 何が起こったかわからない、というようにきょとんとした顔で回りの様子を伺っている者。
 ただ、黄薔薇さまに見とれている者。
 そして、反感の目で黄薔薇さまを見ている者。
「首謀者は……」
 最後の者、反感の目で黄薔薇さまを見ていた二年生、小早川操が立ち上がろうとする。そこに黄薔薇さまの言葉がづけられた。
「名乗り出る必要はないわ」
 だけどその言葉より早く、操は立ち上がっていた。そして、あまりに予想外の言葉につい言を荒げてしまう。
「どうしてっ……!」
「あら、貴方が首謀者なの?」
 黄薔薇さまはつまらなそうに言う。
「座っていなさい。貴方達のやったことに多少の興味あるけれど、誰が始めたかと言うことには全然興味がないの。ハッキリ言ってしまえば、どうでもいいのよ、そんなこと」
「……そんな……こと?」
「ええ。そうよ。そもそもこれは、令と由乃ちゃんの問題なのでしょう?」
 黄薔薇さまの言うとおり、この事件に黄薔薇さまはまったく関係ない。たまたま、この集団が相手にしようとしていたのが黄薔薇のつぼみとその妹であっただけなのだ。令さまが黄薔薇のつぼみであろうがあるまいが、この事件は起きていたのだ。
 令さまの妹が、由乃さんである限りは。
「だから私は別に貴方達の活動自体に干渉する気はないわ。まあ感想を言わせてもらえるなら、無駄以外の何者でもないと思うけどね」
 黄薔薇さまはそう言うと、そこにいた一人一人を値踏みするかのようにゆっくりと一同を見渡す。
「だから、貴方達は貴方達のお姉さまを見つける事ね」
「違いますよ。黄薔薇さま」
 その言葉に全員の視線が集まる。
 口調はあくまで優雅に、けれど恫喝とも見まがってしまうような強い意志を持った黄薔薇さまの言葉に、真っ向から異を唱える者がいようとは。
「黄薔薇さまは一つ誤解しておられると思います」
「令の妹になる気はない、なんて殊勝な台詞を吐くつもりかしら?」
 明らかに毒を含んだ黄薔薇さまの台詞に、異を唱えた者は震えるように座り込んでしまう。
 それでも言葉は続いていた。
「だって、だって、私たちは……」
「由乃ちゃんが令の妹に相応しくないと言うつもりなら、貴方達は由乃ちゃん以上に相応しい人材を知っていると言うことではないの?」
 黄薔薇さまは言葉の圧力を減らすつもりはないようだった。
「蓉子……そう、紅薔薇さまがよく言っているわ。『代案のない反対は無意味どころか、愚かであり、邪魔でもある』ってね」
 黄薔薇さまは視線を周囲に向ける。その言葉は一人にではなく全員に向けられているのだと言うことがわかるように。
「白薔薇さまなら、貴方達の意見など一笑に付されるでしょうね」
 ちさとは震えそうになる身体をしっかりと抱きしめた。
 恐い。
 これが薔薇さまなのだ。
 口調はあくまでも優雅に。そして汚い言葉など一切使わずに。それでも寸鉄人を刺す台詞をすらすらと出すことが出来る。
 これが黄薔薇さま、鳥居江利子さま。
 
 
 
 
 話は二週間ほど前になる。
「田沼…ちさとさん?」
 ちさとが声をかけられたのは、忘れもしない令さまとのご褒美デートのぴったり三日後だった。
「そうですけれど……」
「ごきげんよう。私は二年椿組の小早川操。お話、いいかしら?」
 初めて見る上級生の姿を訝しんだものの、その物腰の柔らかさはちさとの警戒をあっさりと外してしまった。
「なんでしょうか?」
「支倉令さんのことなのだけど」
 ああ、とちさとは理解した。令ファンがデートの顛末を聞きたがっているのだ。取材はきちんと受けているからリリアンかわら版を見て欲しいと言っても、ちさと本人からどうしても聞きたいという令さまファンの数は決して少なくはなかったのだ。
「申し訳ありませんけれど、デートのお話は令さまと新聞部の三奈子さまから口止めされていますので」
 困ったことになるようなら自分の名前を出してそう答えればいい、とそれぞれがまったく別に教えてくれたのだ。令さまがそう仰ってくれたのはさすがの気配りだと思ったけれど、三奈子さまがそう仰ったのにはちさとは驚いた。デリカシーとかそういったものに欠けるタイプではないかと、リリアンかわら版の読者のほとんどが勝手にそう想像しているのだから。
「ああ、違うわよ、デートの内容を聞き出そうとか、そういう用事じゃないの?」
「それじゃあ、なんなんですか?」
「単刀直入で聞くけれど、貴方、島津由乃さんのことをどう思っている?」
「令さまの妹、つまり、黄薔薇のつぼみの妹ですね」
「それだけ?」
「と、言いますと?」
 聞き返しながら、ちさとは考えていた。
 この人は、一体自分を何に引きずりこもうとしているのだろう。
 そして、自分はどう答えればいいのだろう。
「島津由乃は、支倉令さんの妹として相応しいのかしら?」
 予想できる範囲の質問だった。自分も同じ疑問を抱いたことがあるのだから。
 由乃さんは心臓が悪いから、令さまが守らなければならない。その由乃さんと自分を置き換えて、令さまに守られる自分を想像しなかった令ファンはいないだろう。
 そして、黄薔薇革命が起こったときに、驚かなかった者はいないだろう。
 ちさとには、それが全て由乃の我が侭に見えていた。
 あのデートの日までは。
 デートの日に思い知らされた。由乃さんが令さまに寄りかかっているだけではない、令さまも由乃さんに寄りかかっているのだと。
 由乃が我が侭だと義憤に駆られたのはちさとだけではないだろう。だけど、それが義憤ではなくただの嫉妬だと気付いた者がどれくらいいるか。そして、令さまの由乃さんへの想いを身近で感じた者はどれだけいるか。
 ちさとは、今では由乃さんを以前からの友達のように感じることの出来る自分に気付いていた。それは、言葉で聞いただけでは理解できないことかも知れない。
 あの日、デートの日、由乃さんの前で泣いた自分だからわかること。
 だから、今では胸を張って言える。「支倉令の妹は島津由乃である」と。
「さあ? そもそも私には、そんな差し出がましい口出しをする権利なんてありません」
 ここは中立で行こう。相手に言いたいことを言わせた方がいい。そう判断したものの、ちさとの言葉は微妙に相手を攻撃していた。
「確かに、差し出がましいといえばその通りよね」
 操はちさとの言葉の刺を気にした風もなく言葉を続ける。
「だけど、これは個人的なこととは言えないと思うのよ。なにしろ、令さんは次代の黄薔薇さまなのだから」
 ちさとは、操のいわんとしていることを容易に想像できた。
 由乃さんが令さまの妹として相応しくない。だから、由乃さんを令さまから遠ざけた方がいいのでないか。
 リリアンのスールの伝統から考えるとかなり乱暴で過激な主張だけど、冗談半分でそう言い張る同級生も居ないわけではない。問題は、同級生達にはそれを実行に移す気など毛頭無いということ。
 けれど、操さまは違うようだった。
「島津由乃さんは支倉令さんの妹として、いいえ、将来の黄薔薇さまの妹として、相応しくはないと思うの」
 操はゆっくりとちさとに語りかける。
 その内容はまとめてしまえば簡単だった。
 由乃さんは相応しくない。ただそれだけ。ただそれだけのことを美味麗句に散りばめた言葉で語っている。優しく簡易な言葉で。
「令さんは優しいから何も言わないのかも知れない。もしかしたら当人は気付いていないのかも知れない。だけど、端から見ていれば由乃さんが自分のお姉さまに過剰に依存していることはよくわかるわ。そして、我が侭であることも。正直に言って、第三者から見ていても由乃さんの態度には腹立たしいときがあるわ」
 由乃さんをよく知る前の自分なら、この言葉に絡め取られていただろうな、とちさとは思った。
「でも、第三者が由乃さんの態度を改めさせるというのは、出来るわけがないと思うのですが」
「ええ。勿論そうよ」
 操はあっさりと認めた。
「だけど、黄薔薇さまとして相応しいかどうかとなれば、話が別なの。令さんがあくまで今のままの由乃さんを妹とするならば、黄薔薇さまとしては相応しくないと思わない?」
 つまり、令さまを追い落とすと言うことなのだろうか。
 それとも、そうやって由乃さんを追いつめるのか。
 どちらにしろ、ちさとは操に協力する気にはならないでいた。
 その場は誤魔化し、授業が始まる前に教室に戻る。
 授業が始まってからも、ちさとはこれをどうするべきか考えていた。
 単純に考えれば、こんな動きがあることを令さまか由乃さんに教えればいいのかも知れない。だけど、本当にそれでいいのか、そもそも、操が何をどこまでどうやって行うつもりなのか。
 ただ不平不満を言葉にするだけならば、放っておけばいい。わざわざ当人に伝えて嫌な気分にさせることはない。けれど、操が何か具体的に事を為すというのなら話は別だ。
 
 それでも気がつくと、ちさとは操の仲間に入れられていたようだった。
 確かに、自分が令さまのファンだと言うことは隠しようがない。そして、由乃さんのことが憎くなかったと言えば嘘になる。
 その意味では、操の見立ては正しい。だけど、操は由乃さんを知らない。ちさとは由乃さんを知っている。この差が大きい。
 由乃さんのことを知ったちさとは、令さまと由乃さんの関係をわかっている。二人の間がそう簡単な物ではないということも。
 ちさとは決心した。操にしていることはおかしい。そう思い切ったのだ。
 令さまに伝えよう。
 そう決意したちさとの前に、江利子さまが姿を見せたのだ。
「あら、貴方……確か、令とデートした子じゃない?」
 令さまを待ち伏せるために薔薇の館の傍にいたとき、そうやって声をかけられた。
「そこで待っていても令は来ないわよ。伝言ぐらいなら伝えてあげるけど?」
 あとで聞いた話だと、ちさとの存在で由乃さんをからかうことが出来るのではないかと、江利子さまはワクワクしていたらしい。
 けれど、その時ちさとは思ったのだ。黄薔薇さまに伝えてしまおう、と。
 黄薔薇さまなら何とかしてくれるに違いない。ちさとにとって三薔薇さまというのは、まさに殿上人の様な存在なのだから。
 ちさとから話を聞いた黄薔薇さまはただ一言聞いた。
「次に集まるのはいつ?」
 
 
 
 
 そして、この顛末。
 黄薔薇さまの言葉は続いていた。
「それともまさか貴方達、由乃ちゃんの態度を変えることができると思っていたのかしら?」
 大きな、わざとらしいため息。
「理由がなんであれ、一つの姉妹の在り方を指図する。それも、妹も姉も問題とは思っていないと言うのに。先生方や、シスターですらそんなことはしないわ。貴方達、傲慢ではないの?」
 黄薔薇さまは笑っている。
「それとも、そんな指図が出来るくらい、貴方達は自分が由乃ちゃん以上の人間だと思っているのかしら? それはそれで素晴らしい自信ね、根拠の有無を別にするならば」
 座は完全に黄薔薇さまのペースになっていた。操さますら、何も言おうとしない。
「ま、いいんじゃない? あ、一つだけ言っておくわ。令の妹は由乃ちゃんただ一人。それは貴方達にももうわかっていると思う。だけどね、忘れないで欲しいのは……」
 黄薔薇さまがつかつかと教室前に立つ。そして、全員を見渡す位置に立ちながら大きく息を吸った。
「この鳥居江利子の孫も、島津由乃ただ一人なの。私は今の由乃ちゃん以外を妹にした令なんて見たくないし、貴方達の言うところの『妹に相応しい』由乃ちゃんも見たくはないの」
 声も出ない。
 ちさとには、その黄薔薇さまの言葉が自分に向けられたものでないということはわかっている。それなのに、圧迫感が胸を圧していた。
 操さまも何も言えずに座っている。その顔を見るまでもなく、黄薔薇さまに気押されているのがわかった。
「由乃ちゃんなら、ここで一言言うのよ。きっとね『江利子さまにばかり言わせてないで、令ちゃんも何か言いなさいよ』とか、ふふっ、もしかしたら『江利子さまの馬鹿ー』ぐらいは言いかねないかも」
 黄薔薇さまの言葉で何人かがショックを受けていた。その様子に、黄薔薇さまはさらに言葉を添える。
「貴方達、私や聖や蓉子に、面と向かって馬鹿って言える? 言えないわよね」
 肩をすくめる黄薔薇さま。
「それが由乃ちゃんなの。悪いけど、貴方達とは器が違うわ」
 それに、と黄薔薇さまは続ける。
「令に面と向かって馬鹿なんて言うこと。由乃ちゃん以外には絶対に許さないわよ、この私が」
 鋭い視線があたりを睥睨していた。
「私の妹を馬鹿呼ばわりしていいのは、由乃ちゃんだけよ」
 その宣言が最後であり、全てだった。
 一人、また一人とその場を立ち去っていく。
 最後に残ったのが操、ちさと、そして黄薔薇さまだった。
「どうして……あんな人を」
「まだわからないんですか?」
 ちさとは思わず口を出していた。
「由乃さんが貴方が言う様な、ただの嫌な人だったら、令さまが妹にするわけないでしょう? 操さまは、令さまの判断も信じられないんですか?」
「それは……」
 黄薔薇さまはゆっくりと操に近づいた。
「そうだね。令のことが好きなら、令の選んだ由乃ちゃんを嫌いになるなんて、哀しくない?」
 すすり泣く様な声が聞こえると、ちさとは静かに教室を出た。
 そして、黄薔薇さまと操だけの残った教室を後にする。
 
 
 
「令ちゃんの馬鹿ーーーー!」
「由乃ぉ〜」
 二人のやりとりを見ながら、江利子は軽く肩をすくめた。
「……ちょっと、褒めすぎたかしら?」
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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