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カイロ
 
 
 最初に投げ始めたのは由乃さん。
 ぱふっと頭に当たった感触に振り向くと、由乃さんがガッツポーズをしていた。
 怒ったわけではないけれど、思わず拾って投げ返してみる。
 見事に命中した。
 あっはっはっ、と笑っていると、後頭部にぱふっ。
 驚いて振り返ると、志摩子さんがくすくす笑っている。その横では、呆気にとられて呆け顔の乃梨子ちゃん。
 確かに、いつもは真面目なお姉さまがいきなりこんな悪ふざけに参加している姿を見せられては、唖然とするのもうなずける。
「やったわね、祐巳さん」
「由乃さんが先にやったんだよ?」
「問答無用。逆襲よ!」
 由乃さんがどこから持ってきたのか、それを三つも掴んで振りかぶる。
 それを見た乃梨子ちゃんが「お姉さま、これを」といいながら懐からそれを二つ取り出していた。
 みんなやっぱり複数持っているらしい。うん、この季節、必需品だからね。
 
 
 こうして、第一回山百合会二年生杯争奪使い捨てカイロ投げ大会の幕が切って落とされたのだった。
 
「ごきげんよう」
「……何をやっているの、貴方達?」
 
 第一回山百合会二年生杯争奪使い捨てカイロ大会は、やってきた紅薔薇さまのお怒りのため、中止になりました。
 
 三人はそれぞれの使い捨てカイロを引き取って、席に着く。
 それを見届けた紅薔薇さまは、ようやくカバンを置いて席に着く。
「何だか知らないけれど、こんなところで変なものを投げ合いしないの」
「はい」
「まったく、由乃ちゃんと祐巳だけならまだしも、志摩子まで一緒になっているなんて。二年生同士仲がいいのはいいけれど、貴方は白薔薇さまなのよ。もう少し自重しなさい」 
「はい。紅薔薇さま、以後気を付けます」
「まあまあ、祥子。そんなに言わなくても」
 一緒に姿を見せた令さまが取りなしている。
「志摩子は白薔薇さまだけど、祐巳ちゃんや由乃の二年生仲間なんだから、たまには一緒に遊びたくもなるよ」
「だからって、薔薇の館で雑巾投げなんて」
「雑巾…」
「投げ?」
 由乃と祐巳は目を見合わせた。
 雑巾?
 さっきのはどう見ても使い捨てカイロ。
 見ると、令さまも首を傾げている。乃梨子ちゃんも、志摩子さんも。
 祐巳は考えた。もしかして、お姉さまは使い捨てカイロを知らない?
 あり得るかも知れない。なにしろ、ジーンズショップやハンバーガーショップを知らなかった人なのだから
「お姉さま、これはご存じですか?」
 懐から使い捨てカイロを出す祐巳の動作に、祥子さまは顔をしかめる。
「祐巳。貴方どうしてそんなところにそんなものを?」
 やっぱり。使い捨てカイロを雑巾だと思っている。
「例え新品だとしても、そんなところに雑巾をしまい込むものではないわ。何か袋はないの?」
 祐巳は回りに目をやった。当たり前だけど、誰も助け船を出そうとはしない。呆れているとか見捨てているとかではなくて、祥子さまに話をするのは誰が一番適任か、みんなよくわかっているのだ。
「あの、お姉さま。これは雑巾ではありません」
「え?」
 祥子さまはキョトンとした顔になって、ついで真っ赤な顔になる。
 どうも、二重に何か勘違いしたような気がする。
「あ、あ、もしかして、ハンカチか何かなの? で、でも、そんな風に見えてしまうハンカチを皆が持っているなんて……」
「いや、ハンカチでもないんですよ」
 由乃さんが令さまの肩に掴まって必死に何かを堪えている。あれはどう見ても笑いを堪えている風だ。さすがの令さまも制止しかねているのは、祥子さまの言うことも素っ頓狂すぎるからだろう。
「由乃さん、志摩子さん、乃梨子ちゃん、みんなのも出してくれる?」
 皆が懐から出す動作に、祥子さまが目を丸くする。
「やっぱり、皆同じ物を持っているのね。もしかして流行っているの?」
 流行りものに疎い。それは祥子さまも自覚していることだ。
「お姉さま、これは雑巾でもハンカチでもないし、流行りものでもないんです」
「それじゃあなんなの?」
「これは……」
 いいながら祐巳は祥子さまの手を取って、カイロを載せる。
「使い捨てカイロというものです」
「懐炉? これが?」
 そう言うと、祥子さまはカイロの載った手をゆっくりと閉じる。
「本当だ、温かいわ」
 そこで由乃さんが、まだ封を切っていない新しいものをカバンの中から出してくる。
「紅薔薇さま、これが使い捨てカイロですよ」
 祐巳は礼を言って由乃さんから受け取ると、封を切って新しいものを出す。
「これで五時間くらいは暖かいままなんですよ」
「ふーん。知らなかったわ。こんな便利なものもあったのね」
「祥子は、カイロを使ったことがないの?」
 令さまが尋ねると、祥子さまは少し考えて頷いた。
「ええ。ないわね。家では誰も使っていないと思うわ。、もしかしたら私が目にしていないだけかも知れないけれど」
「でも、寒いときにはどうしていたんですか?」
 乃梨子ちゃんが当然の疑問を尋ねる。
「寒いと言っても、ずっと外に出ているわけではないから」
 何か言いかけて、乃梨子ちゃんは口を閉じる。
 祐巳も乃梨子ちゃんの言いたいことはわかったけれど、何も言わないことにした。
 例えば雪の降る日に、バス停でじっとバスを待っている。そういう経験が祥子さまにあるとはとても思えない。勿論、寒さを経験してはいるのだろうけれど、使い捨てカイロで凌ぐ、という経験はきっと無いだろう。
 祥子さまは、握っていたカイロを祐巳に差し出す。祐巳は、無意識にそのカイロを受け取っていた。
 すると、祥子さまが祐巳の手を取り、包むように握る。
「お姉さま?」
「第一、そんなものよりも、私にはこちらの方が温かいわ」
「お姉さま」
 あーあ、と言ったように顔を見合わせる由乃さんと志摩子さん。令さまはあからさまに苦笑しているし、乃梨子ちゃんなど赤面してあっちの方向に顔を向けている。
「だったら、私はこれ」
 令さまが突然由乃さんを背後から抱きしめた。
「令ちゃん!?」
 驚いた由乃さんは、校内での呼び方をすっかり忘れてしまっている。
「それじゃあ、私は……ね、乃梨子」
 志摩子さんが言うと、乃梨子さんはもっと赤くなって手を差し出す。
「はい、志摩子さん」
 どちらからともなく握り合う二人の手。
 
 
 手と手を繋いだ三組が去った薔薇の館では、忘れられた使い捨てカイロが寂しそうに佇んでいた。
 
 
 
あとがき
 
 
 
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