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COOKIE&CAKE
 
 
 去年は慌ててしまったから、今年はきちんと準備をしよう。
 それに、受験だってあるのだから、さすがに直前で慌てるような真似はしたくない。幸い、今年は父も門下生にお菓子を配るつもりはないと、遠回しに宣言している。といっても、実際は年嵩の門下生が「娘さんは受験生じゃないのか?」「受験生に要らぬ負担をかけるのは申し訳ない」と言い出したのが始まりで、父はそれを受け入れて令に伝えたに過ぎないのだけれど。
 それでも、こういうことがあると、受験生とは便利なものだな、と令は思ってしまう。
 島津支倉両家は共に、偶然とはいえ本格的な受験に縁はない。
 エスカレーター式の内部進学、あるいは指定校推薦、スポーツ特待生、と大学高校を問わず、本格的な受験を経験した者が誰一人いないのだ。
 だから、皆が令の受験には神経を尖らせている。どこから仕入れた知識かは知らないけれど、受験生には一切負担をかけてはならないと言う不文律が、両家ではまかり通ってしまったのだ。
(これはこれで、プレッシャーなんだけど……)
 だけど、好意でやってくれていることはわかっているので、これはこれとして受け入れるしかない。
 勉強は何とか進んでいた。もともと令は成績が悪くはない。
 江利子さまの妹になってすぐの頃、
「貴方もいずれ黄薔薇のつぼみ、そして黄薔薇さまになるんだから、普通の成績じゃ駄目なのよ」
 と言われたときは少し焦ったけれど、武道で培った集中力は勉強の方にも充分生かすことができた。おかげで、暗記系に関してはかなりの点数を取ることができる。あとは数学系の問題けれども、余程の難関を目指すのでなければ、公式と類題の暗記でかなりの所まで対応できるのも事実だった。
 そもそも、リリアンのレベルは決して低くない。受験体制が整っていないことは事実だけれども、だからといって内部のレベルが低いと言うこととはイコールではない。現に高校からの外部受験組、乃梨子ちゃんと可南子ちゃんは揃って成績優秀だ。
 だから校内での成績が平均以上であれば、外部の大学に合格することはそれほど困難ではない。
 ちなみに、お姉さまの言葉の続きはこうだった。
「だから、トップを争うような成績か、落第寸前の成績か、どちらかにしなさい」
 落第寸前? と聞き返した令に、お姉さまはにっこり笑って頷いたものだった。
「そうよ? 普通の成績よりも両極端の方が面白いじゃない」
 そんなものなのか、とお姉さまの笑顔の前に納得しかけたのは、どちらかといえば懐かしい思い出だ。
 
 お姉さまのことを思い出して、うっすらと笑みを浮かべた令は、次の瞬間、お姉さまのことには違いないけれど、嫌なことを思い出して顔をしかめる。
 そうだ。
 今年のバレンタインについて考えていた。
 お姉さまに電話をしてみたのだ。渡せる日を確認しておこうと、そしてついでにリクエストがあれば聞こうと。
 卒業はしているのだけれど、それでも渡したい気持ちとそれは別の話なのだから。
 するとまずお姉さまは、令、貴方受験は大丈夫なの? と聞いてくれた。
 そんなふうに心配してくれているお姉さまに感謝しながら令は、そんなに時間を取られるわけでもなく、いい気分転換にもなりますし、なにより送らないほうが気になって勉強が手に付きません、と答えた。
 じゃあ遠慮せずにリクエストした方がいいのかしら、と言うお姉さまに、令は勿論ですと応える。
「クッキーなんてどうかしら?」
「クッキーですか?」
「ええ。チョコチップクッキー。それも、とっても甘いやつ」
「わかりました。腕によりをかけて作りますね」
 そして、渡せる日がいつになるかを確認すると、電話を切った。
 そのやりとりを思い出して、令はあることに気付いたのだ。
 もしかしてお姉さま、クッキーを一人で食べるつもりではないのでは。
 何故かと言われると答えられないけれど、何故かそんな予感がする。
 とっても甘いやつ。
 そうだ。
 令は自分の引っかかっていた言葉に思い当たった。
 お姉さまの好みは甘さ控えめではなかっただろうか。それがとうして、甘いクッキーなんてものを……。
 女の子、それも幼稚園に通うような女の子なら甘いクッキーは大歓迎だろう。
 ……山辺氏の娘。
 令は自分の想像に頭を抱えた。
 まさか、まさか。
 お姉さまが自分の作ったクッキーをそのまま山辺家へ持っていく。
 一人で食べきって欲しいなんて我が侭は言わないけれど、たとえば、親兄弟にお裾分けくらいならわかるのだけれど。いや、山辺さんはお姉さまの親兄弟どころか旦那様になるかも知れない人だけど……。
 でも、でも……
 令はベッドの上に座り込むと、大きなぬいぐるみを抱えて呻吟する。
 確かに、お姉さまがどんな男の人とつきあおうと令に止める権利はないのだけれど。
 でも、でも……
 面白くないのだ。
 お姉さまがあのヒゲ熊教師と一緒にいると思うだけで、何となく面白くない。別に悪い人だとは思わないのだけれど。
 やっぱり、これは嫉妬なのだろうか。
 嫉妬なんて、いい感情じゃないのはわかっている。
 でも、でも……
 いくら考えても結論は出ない。それはそうだろう。これは全部、令の想像の中の話なのだから。お姉さまがクッキーをどうするかなんて、本当のところはわかるわけがない。
 この時点で、令は肝心なことを一つ忘れていた。
 令のお姉さま、鳥居江利子さまの性格の重要な一面を。
 それは、「きまぐれ」。
 単なる気まぐれで、今の時期にとても甘い物が欲しくなったとしても、それはそれで珍しくもないことだったりするのだけれど。
 
 別にいい。そんなことで悩むのはやめよう。
 ようやく結論が出たのは翌日だった。
 
 そしてバレンタインデー前日、お姉さまにクッキーを渡しに出かける。
 久しぶりに見たけれど、お姉さまは相変わらずのお姿だった。 クッキーの箱を渡して、そのお返しに、ともらったチョコレートに令は驚いた。それは、お姉さまの手作りだったのだ。
「ついでなんて言うと申し訳ないけれど、今年は作ってみようとかと思って」
 あ、これが山辺さんへの。と思ったけれど、令は口にしなかった。つまり、山辺さんのためにチョコレートを作ったと言うことは、このクッキーは純粋にお姉さまが欲しかったものだと言うことだから。
 それで令は気分が良くなった。
「いいえ。お姉さまの手作りと言うだけで、嬉しいです」
「実を言うとね」
 お姉さまは声を潜める。
 令のためだとカモフラージュしていないと、父と兄が妨害しかねないのだと。
 やりかねない。日頃からお姉さまの兄ズの溺愛加減を聞かされている令には、それが冗談には聞こえなかった。ちなみに、きちんと父と兄の分も作ったと言うことで。その辺りはさすがにお姉さまだなと令も素直に感心したのだけれど。
 お姉さまのもらったチョコレートを持って帰って、いい気分のまま、由乃に渡すケーキを焼き始める。
 気分が乗っているせいか、自分でも会心の出来だと思えるケーキが出来上がったのだ。
 ケーキの仕上がりを見て、何か忘れているような気がしてきた。
 なんだろう。
 お姉さまにクッキーは渡した。
 由乃のケーキは焼き上げた。
 父へのクッキーもある。門下生の人たちには今年は作らないことになっている。
 何となくもやもやするので、気合いを入れるために竹刀でも素振りしようかと思って、道場へ向かう。その途中で思い出した。
 そういえば、由乃には妹候補がいた。
 有馬菜々。あの子は由乃にバレンタインデーのプレゼントを渡すのだろうか。
 自分とは直接関係ないのだけれど、少し気になる。
 少し考えて、令は頷いた。
 別に菜々ちゃんに由乃がチョコをもらったとしても、それはそれ。別に構わない。
 それを言うならば、自分だって由乃以外からチョコを沢山もらっていたではないか。それでも由乃はそれをきちんとわかってくれている。だったら、由乃が誰からチョコをもらおうと自分がとやかく言うべきではない。
 とは言っても……。
 令は初めて、去年の由乃の気持ちがわかった。確かにこれは、あまり気分のいいものではない。今さら謝る事なんてできないだろうけれど、今後は気を付けようと思った。もっとも、気を付けるような機会があるとは思えないのだけれど。
 
 そしてバレンタイン当日。
 令は今日は自宅学習ということにしている。この時期は学校にいるクラスメートの方が少ないくらいだ。祥子だって、祐巳ちゃんと瞳子ちゃんのことがなければ登校していないだろう。
 学習計画はきちんと立てている。
 とりあえず、図書館へ。図書館に行くのなら別に学校で自習をしてもいいんじゃないの、とお母さんに言われてけれど、やっぱり緊張の度合いが違う。学校と違って図書館では誰も話しかけてくることはないから、集中するとかなりの密度で勉強することができるのだ。
 予定通りに勉強を終えると、ちょうど由乃が戻って来るであろう時間帯。
 少し早足で家に帰り、由乃がまだ帰ってないことを確認するとケーキを準備する。そして、島津家へ。叔母さんに頼んで台所で待ち受ける。
 由乃が帰ってきて、玄関を開けると同時に差し出したら驚くだろうか? 由乃だって、今日もらえることはわかっているはずだろうけど、まさか玄関先でいきなり渡されるとは思っていないだろう。たまにはこんなサプライズも、由乃には喜んでもらえるに違いない。
 ドアの開く音がした。
「ただい……」
「お帰り、由乃」
 ケーキを入れた箱を捧げ持ちながら玄関へ向かうと、
「あ、ごきげんよう、令さま」
「れ……令ちゃん?」
 何故? どうして?
 あまりのことに固まってしまった令と由乃を余所に、冷静に、あくまで冷静に挨拶をする有馬菜々。
「お久しぶりです。今日は、由乃さまに誘われまして」
「あ、あ、そ、そうなの」
「……ただいま」
 ようやく言い終えた由乃が、令の持っていた箱に気が付く。
「令ちゃん、それって」
 おかしなことになってしまったけれど、ここで引っ込めるのももっとおかしな話だ。
 令は、そのまま箱を由乃に差し出した。
「由乃、これ、毎年恒例の」
 毎年恒例、に何故か大きくアクセントを付ける。
「バレンタインのプレゼントだから」
「うん。いつも嬉しい。あ、ちょっと待っててくれる? ごめん、菜々、すぐ戻るから」
「はい」
 由乃がたんたんと階段を駆け上がっていくと、玄関には令と菜々だけが残される。
「ここにいても仕方ないから、上がって。別に玄関まで付いてきただけというワケじゃないんでしょう?」
 菜々は、悪びれる様子もなく靴を脱いだ。
「はい。由乃さまにはお世話になった、というか滅多にできない体験をさせていただいたので、そのお礼と言ってはなんですが、バレンタインのプレゼントをお渡ししたんです。そうしたら、渡したいものがあるから来て欲しいと言われて」
 バレンタインのプレゼント!?
 渡したいもの!?
 いちいち反応したくなった令は、それをぐっと堪えて菜々を居間に通す。この家の住人でない者同士で居間にいるというのもなんだかおかしいけれど、令にとってはここは我が家も同然なのだ。
「そうか、プレゼント、渡したんだ」
「はい。お父さんとお爺さんに渡したついで、というと失礼かも知れませんけれど」
 少なくとも、菜々は正直そうだった。
「由乃は喜んだだろうね。あの子、自分の分をもらうことなんて余り無いから」
「え? 由乃さまは、今年は沢山もらえたと仰ってましたよ。さすが、黄薔薇のつぼみですね」
 そうだった。
 令は迂闊な自分を呪った。由乃は黄薔薇のつぼみなのだ、何を今さらと言われるかも知れないけれど、自分にとっては従妹で幼馴染みの存在であると言うことが先に立ってしまっている。由乃が押しも押されもしない黄薔薇のつぼみであると言うことは、少なくとも自宅ではあまり考えたことがないのだ。
 二の句を告げずにいると、由乃が姿を見せた。どうやら一旦玄関に行って、姿が見えないので探したらしい。
「はい、これ。令ちゃんに」
 手製の袋だろうか、綺麗な千代紙で作られた袋を令は受け取る。
「それから、菜々にもね」
 同じようなものが菜々にも。
 令は心の中で顔をしかめた。由乃が前もって準備していたということは、プレゼントは前々から約束していたということではないのだろうか。なんとなく令は不愉快になる。
「菜々ちゃん、これを受け取りに?」
「それもあるけれど」
 由乃が答えた。
「少しお話しがあるのよ」
 これだけつき合いが長いとわかる。由乃は菜々と二人きりの話をしたいと言っているのだ。
 ちょっと待ってよ。なんて言えるわけがない。ましてや、一体何を話すのかと尋ねるなんて。
「そう。じゃあ私は、プレゼントも渡せたし、家に戻って勉強でも続けようかな」
 なんとか自然に言えた。と思う。
 
 
 勉強を続けていたはずなのだけれど、ノートを見返しても何をしていたかがわからない。
(まだまだだな……)
 いずれはこうなると、ある程度は覚悟していたはずなのに。
 自分だって、いつまでも由乃べったりでは行けないと決意したからこそ、他大学を受けるはずなのに。
 もう、この体たらくだ。
 机の上に置いたままの、由乃からのプレゼントに目が行く。
 千代紙の中には由乃の手作りと思しきチョコレート。これ自体はとても嬉しいのだけれど。
 ノックの音。
 誰何すると、
「令ちゃん? いい?」
 由乃だった。
 返事をするとドアが開き、何か包みを持った由乃が姿を見せる。
 そして、ベッドの端にちょこんと腰掛けた。
「菜々ちゃんは帰ったの?」
「うん」
 そのまま無言でうつむく由乃。
 どうしたのかと様子を見ている令に、由乃は何かを言いづらそうにしながら部屋を見回す。その視線が一瞬、机の上の千代紙包みに止まった。
「……菜々に怒られちゃった」
 え? 令には話が見えない。
「私、緊張してたんだ。成り行きとはいえ、菜々を家に呼ぶのは初めてだったし、プレゼントだって、明日か明後日くらいに渡すつもりだったのに」
 成り行き? ということは、菜々が今日家に来たのは偶然だったのか。
 由乃の話では、たまたま出会ったところで、菜々が「こんなこともあろうかと」鞄に入れていたチョコをくれたのだという。
 それで、慌てて家に呼んだのだ。ハプニングが好きな菜々は、一も二もなく同意してついてきたという。
「怒られたってどういうこと?」
 令が尋ねると、由乃はシュンとした顔で頭を下げる。
「ごめんなさい、令ちゃん。令ちゃんのくれたケーキ、私、菜々と一緒に食べたんだ。食べ終わってから、今のが令ちゃんのくれたケーキだって言うと、菜々が怒り出して……」
 ベッドから立ち上がった由乃は、そのまま令の手を握るように近づくと再び頭を下げる。
「別に、令ちゃんの気持ちを軽んじたとか、そう言うのじゃなくて、私も緊張しちゃってて、それで、美味しそうだったからつい、菜々にも分けてあげるつもりで、令ちゃんが私のために作ってくれたものなのに……ごめん」
「いいよ。そんなことは謝らなくても」
 菜々に指摘されたというのは少し残念だけれど、そう言ってくれる由乃の気持ちが令は嬉しかった。
「美味しく食べてくれたのなら、それで充分だから」
「それでね、これ」
 由乃は持っていた包みを開ける。
 そこには、B5のノートほどの大きさの板チョコが。
「菜々がくれた物だけれど」
 令が何を言う間もなく、由乃はそれをパキッと割ってしまう。
「令ちゃんにお裾分け」
「由乃、それじゃあ……」
 相手が違うだけで同じ事をしている、と言いかけた令。
「ううん、これは菜々のアイデアよ」
 由乃が首を振った。何となく恥ずかしげに見える。
「菜々ちゃんの?」
「令ちゃんが私に渡したケーキを半分自分が食べてしまったから、自分が私に渡したチョコレートは半分令ちゃんの物だって」
 筋が通っているような通っていないような。
 けれど、令は快くその提案を受け入れた。
(半分個ですよ)
 なにか、菜々からメッセージを渡されたような気分。
 ……半分個。
 由乃を送り出してから、令はチョコを割って一欠片、口の中に放り込んだ。
 甘いはずなのに、何故かほろ苦いチョコレート。
(お婆ちゃんか……)
 何故か、妙に楽しい気分が令を包んでいた。
 
 
 
 
あとがき
 
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