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はんぶんこ
 
 
 
 江利子が薔薇の館へやってくると、珍しいパターンの独りぼっちがそこにいた。
「珍しいわね、貴方が一人なんて」
「ごきげんよう、お姉さま」
 どんな問いかけをされても、必ず最初の挨拶を令は忘れない。
 こういうところが江利子は気に入っているのだけれど、本人にはそれは内緒だ。
 だからつい、
「相変わらず堅いわね。二人っきりなんだから、挨拶はすっ飛ばしてくれてもいいのに」
 こんな風に、反対のことを言ってしまう。
「それとも、まだ私相手に緊張しているの?」
 令の返事を待たずに、トントン拍子に江利子は言葉を続けている。
「それはそれで寂しいわよね。令ったら、いつまでも他人行儀なんだから」
「あ、あの、お姉さま?」
「なに?」
「あの、私は別に、そんなつもりじゃなくて……きちんと、お姉さまに挨拶をしたくて」
「きちんと?」
 江利子は少し考えた。その目が怪しく光る。
「だったら、ハグしてくれない?」
「ハグ!?」
「そう、ハグ。親愛の情を示して、抱きしめて欲しいわね」
「お、お姉さまを……抱きしめる……」
 令はおろおろとしながら、それでも両手を少し持ち上げる。そしてすぐに下げる。さらにそれを繰り返す。
 江利子が見ていると、令は両手を上げ下げしながらなにやら考え込んでいる様子。自問自答と言うよりも、苦悶といった方が正しいかも知れない。
「あの、えーと……ハグ……で、でも、それは日本の習慣としてはその……刺激的すぎるというか……その……」
「あら、日本の習慣でないという意味なら、スール制度だってロザリオだって、そもそもマリアさま自体が日本古来のものではないわよ?」
 江利子はにっこり笑って、言葉で蜘蛛の巣を張っている。
「そうよね、よくよく考えてみれば、ロザリオを持ってマリアさまに見守られていて、それを由としているのにハグだけは駄目だなんて、おかしくないかしら?」
「それは、そうかもしれませんけど」
「じゃあ、いいわね。ハグしなさい」
「ええっ!?」
 令の驚きを、江利子は必死に笑いを噛み殺しながら眺めている。
「別に、無理矢理にしろとは言わないわ。嫌なら、別にいいのよ」
 江利子はわざとらしく、令に背を向ける。わざとらしくやっているのだけど、これをわざとらしいと指摘するのは令には無理な話だ。
「令には、由乃ちゃんがいるものね」
「お姉さま、そういうわけでは……」
「いいのよ、由乃ちゃんに怒られちゃうものね」
「違いますよ」
「じゃあ、ハグしてくれる?」
 さっさと近づいて、俯き加減で上目遣いに令を見る。
 令が頬を染めるのを見ながら、江利子は確信した。
 ――墜ちた!
 近づいてくる令を微笑んで待ち受ける。
 おずおずとぎこちなく手を伸ばしてくる腕に身を預けながら、江利子は令の肩に手をかける。
 その時、まるでそのタイミングを待っていたかのように扉が開く。
「おや」
「あら」
「……令!」
 聖、そして蓉子と祥子だった。
「あー、ごめんごめん、江利子。もしかして邪魔だった?」
 何か大きな包みをぶら下げた聖が笑う。
「んー、大丈夫よ、ね、令?」
 ショックで固まっていた令は江利子に突然振られて、またもしどろもどろで頷いている。
「何を慌てているの、令。そんなに慌てていると、まるで本当に疚しいことがあるみたいじゃないの」
 何となく不機嫌な調子の祥子に、令は慌てて今度は首を振る。
「まあ、おおかた、江利子が口から出任せでも言って令を騙したんじゃないの? 挨拶代わりのハグとか何とか言って」
 見事に的中させる蓉子。令は一生懸命頷いている。
「あ、なるほどねぇ。江利子、その遣り口、あとで教えてよ。今度祐巳ちゃんに試してみるから」
「白薔薇さまっ!」
 今度は聖に向かって声を上げる祥子に、蓉子は苦笑しながらその肩を抑える。
「祥子。聖は貴方がそう言うから面白がっているのよ。聖もわかってて挑発するのやめなさいな」
「へーい」
 それぞれが椅子に座り、気を取り直した令が祥子と分担してお茶を煎れる。今日は一年生達は学年全体の行事で遅くなるのがわかっているので、久しぶりに二年生がお茶を煎れているのだ。
「そうだ、これ、忘れるところだった」
 聖は持参していた包みをテーブルに乗せる。
「調理実習で作ったからって、一年生の子にもらったんだよね」
「あら、聖がもらったものではないの?」
「そうだけど、これは私一人じゃ無理だよ」
 包みの中から出てきたのは小振りのアップルパイが五つ。
「五つも?」
 確かに、一つの大きさはそれほどでもないけれど、五つ全部を一人で食べるのは無理そうだ。
「あー、正確には、五人から一つずつで合計五個。一人から受け取ると、他が断れなくて。あ、でも、ちゃんと、薔薇の館で皆で食べるって断っておいたからね」
「それなら、遠慮なくいただくわ。どこかにフォークがあったはずよね」
 一つ一つが紙箱に入っていたので、皿は必要ない。
「人数がぴったりでちょうど良かったね」
 ふと、令は祥子を見た。祥子はパイを綺麗に二つにわけようとしているところだった。
 ――やっぱり。
 何となくおかしくて、令はクスクスと笑ってしまった。
「どうかして? 令」
「ううん、なんでもない」
 そして令も、パイを等分に二つに分ける。
「祥子。それ、祐巳ちゃんに?」
「あ、はい。祐巳も遅れてくるはずですから」
「それじゃあ、三等分しなさい」
「はあ?」
「私も三等分するから、その一欠片ずつを祐巳ちゃんの分にしましょう」
「はい、お姉さま」
 江利子はうーん、と唸ると令に向き直る。
「令、その二つにわけた片方、私に頂戴?」
「え?」
 あまりにも予想外の言葉に、令は戸惑う。
「私は半分で充分だから、この一つを丸々由乃ちゃんにあげるのよ。由乃ちゃんは、アップルパイが好きじゃなかったかしら?」
 そんな話に覚えはないけれど、令は江利子の思いやりが嬉しくてつい頷いてしまった。
「はい、お姉さま」
 そんな二組のやりとりをじっと見ていた聖。
「……あー、えーと……志摩子は……」
 考え込んでいると、
「ごきげんよう、お姉さま」
「行事が思ったより早く終わりましたので」
「ごきげんよう」
 一年生トリオだった。
「あ、アップルパイ」
 最初に目敏く見つけたのは祐巳だった。
「はしたないわよ、祐巳。もぉ、食べ物くらいでそんなにはしゃがないの」
 そう言いながらも、祥子は微笑んでいる。
 蓉子は、憚ることもなくクスクスと笑っている。
「はい、祐巳ちゃんの分もちゃんとあるから。祥子と私のからわけておいたわよ」
「ありがとうございます」
 そのやりとりを見ていた由乃の目が泳いでるのを令は見逃さない。
「由乃の分はここにあるから」
「さっすが、お姉さま」
 ニコニコとやってくる由乃は、一つ丸ごとの状態に目を丸くする。
「え? これ、いいの?」
「ん? ああ、大丈夫。私とお姉さまの分はきちんとあるから」
 由乃は、祐巳の前のパイと自分の前のパイを見比べている。
「えーと」
「由乃さんは沢山食べなきゃ」
「そうかな?」
「そうだよ」
 黄薔薇姉妹と紅薔薇姉妹が固まっている横から、聖はちょいちょいと志摩子を手招く。
「志摩子、志摩子」
「はい、お姉さま」
「志摩子の分のパイなんだけど」
「あ、お姉さま、気を使われなくても……」
「いや、ちゃんとあるの。あるんだけど……」
 聖はテーブルの上のパイを示した。そこには手の付けられていないパイが一つ丸ごと。
「まだ、切り分けてないのよ」
「では、そのまま戴きましょうか?」
「分けなくて、いいの?」
「はい、お姉さまと一緒でしたら構いません」
「そう。それじゃあ、座って。一緒に食べようか」
「はい」
 
 
「なんだか、私だけ沢山食べたみたいで」
「気にしなくていいのよ」
 江利子がニッコリと笑いながら言った。
 その瞬間、何を感じたのか聖と蓉子がそれぞれ妹たちを連れて下がっていく。
「私は、令とはんぶんこしたから」
「え?」
「だからね、一つを令と仲良く分けたの」
「令ちゃんと……仲良く?」
「そう。仲良く」
 江利子はますますニッコリと。令は江利子と由乃のやりとりに気付いて青ざめている。
「いいじゃない。由乃ちゃんは丸々一つ食べたんだから。一人で」
「な……」
「パイ、美味しかったわよ。令と仲良く分けたパイ」
 ワナワナと震え出す由乃。
「どうして……」
「どうしたの? 由乃ちゃん?」
「どうして、令ちゃんは江利子さまと半分個なんてしたのよーっ!」
「ま、一番沢山食べたのに文句を言うなんて」
 ピタリ、と由乃の動きが止まる。確かに、江利子の言うとおりなのだ。
「さー。パイも美味しかったし、今日は帰ろうかな。それじゃあ、ごきげんよう」
 出て行く江利子。火を噴きかねない様子でそれを見送る由乃。
 
 
 次の日からしばらくの間、由乃は令の作ったお菓子を江利子の前ではんぶんこして食べ続けた。
 
 ちなみに一番喜んだのは、余録に預かって毎日お菓子を食べられるようになった祐巳だという。
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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