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DON'T HOLD ME
 
 
 
「何やってんだ?」
 というのが祐麒の第一声。
 先輩、しかもそれなりに世話になっている先輩に対しての言葉ではない、とはわかっているが、この程度のやりとりは許される間柄だということもわかっている。
 それに言葉はぞんざいでも、心底嫌っているわけじゃない。多分、それは伝わっていると思っている。
 ところが、向こうは祐麒の言葉が聞こえないかのようにじっとしている。
「おーい」
 返事はない。声が聞こえるどころか、手を伸ばせば届く位置だというのに。
「柏木先輩?」
「聞こえているよ」
 つまり、聞こえているのに返事もせずに無視していた訳か。
 祐麒はムッとして、足音も荒く一歩近づいた。
「何やってんだよ、こんなところで」
「こんなところ?」
「こんなところだよ。花寺生徒会室だよ」
「ああ、それはわかっている」
「だから何やってんだってば」
「別に、何かしたいわけじゃない」
 そう言ってようやく、柏木は持たれていた窓枠から身を起こす。気付いているのかいないのか、その位置では生徒会室のある校舎に面した中側から丸見えなのだ。
 そして一人の生徒が柏木に気付き、その生徒→小林→アリス→祐麒、とたらい回しされてきたわけだった。
「僕は……」
 柏木の言葉が止まる。
「そうだな、僕はどうしてここに来たんだろうか?」
 そこで祐麒は気付いた。これはいつもの柏木先輩ではない。いつもの、適当に回りをあしらっている様子ではないのだ。
「何かあったのか?」
「いや、別に」
 柏木は、手持ちぶさたを演じるようにふらふらと生徒会室の中を歩く。
「ユキチ達の様子を見に来ただけだよ」
「それで誰もいない生徒会室で待ってたのか?」
 祐麒が呆れたように言うと、驚いたことに柏木が素直に頷いた。
「そういうことらしい」
「先輩、ちょっとおかしいよ?」
 いや、おかしいのは毎度のことかも知れないけれど。口の中でもごもごとそう呟きながら、祐麒は柏木に歩み寄った。
「ああ。今日の僕は自分でもどうかしていると思うよ」
 それはわかっている。だから、どうすればいいのか。
 こうしているだけでは、祐麒にそれがわかるはずもない。
「あんたも、そんな風になることがあるんだな」
「自分でも意外だよ」
 自分の予想が当たったことよりも、柏木がそれを否定しなかったことに、より祐麒は驚いていた。
 どんなときでも余裕。俗に言う「肥だめに落とされても三分後にはタキシードに薔薇の香りをさせながら登場する男」、それが祐麒の知る限りの柏木優であったはずなのに。
 こんな姿を見せられるのは、あまり面白くない。
 そんな想いが祐麒の表情に出ていたのだろうか。柏木はふと顔を上げると、祐麒の顔に気付いて苦笑した。
「そんな顔をしないでくれよ。僕だって、落ち込むことくらいはあるさ」
「それはそうだろうけどな……」
 だからといって見たい訳じゃない、と言いかけた台詞を祐麒は飲み込む。
 柏木優という男にこれだけ影響を与えるというのは、並大抵の出来事ではないだろう。そのうえ、この場所に来たということは、この場所ともまるっきり無縁な出来事ではないのだろう。いや、もしかするとこの場所ではなく、ここにいる人間、つまり祐麒に関係があるのかも知れない。
 そう考えると、思い当たる節はあるのだ。
 柏木にこれだけの影響を与えて、そして自分ともまったくの無関係ではない人。
「祥子さんがどうかしたのか?」
 柏木が目に見えて動揺した。
「言いたくないなら、無理に聞く気はないけれど、やっぱり祥子さんのことなんだな」
 祐麒の言葉に、柏木は無言で窓の外に視線を向ける。
「無理に聞く気はないよ」
 踵を返して、祐麒はその場を立ち去ろうとした。
「いや、聞いて欲しい。それとも、聞いて欲しくないのかな」
「煮え切らないな。珍しい」
 それでも、祐麒は足を止めていた。これが柏木の目的ならたいした物だ、と考えながら。
「本当にどうかしている。まいったな……どうやら、自分で思っているより以上に、僕はさっちゃんに依存していたのかも知れない」
「あれからなにかあったのか?」
 遊園地で人混みに当たって気分を悪くしたことは知っている。現地にいたし、祐巳にも話を聞いている。
 しかし、そう聞きながらも祐麒は祥子に何かあれば祐巳が普通でいるわけがないと言うこともわかっている。祐麒の知る限り、祐巳には何の変化もない。だから、こうやって聞いていながらも、実際に祥子に何かあったとは考えづらい。
「僕とさっちゃんには大したことだよ」
 それだけじゃあわからない、と言いかけた祐麒に柏木は手をあげてみせる。
「さっちゃんに、正式に振られたよ」
「正式に?」
「婚約を解消したいと言われた。僕は快諾したよ。彼女を僕に縛り付けたいわけではないからね」
「それって……」
「ああ、祐巳ちゃんは知らない。勿論、他の誰も知らないよ。さっちゃんの家の人だってまだ知らないんじゃないかな。これは僕とさっちゃんの間で勝手に決めたことだからね。家の者たちが何というか」
 祐麒が何も言えないでいる内に、柏木は戯けるように肩をすくめながら、祐麒の前に立つ。
「自分でも気付かなかった」
 祐麒の肩に手を置き、頭をがくんと落とす。そのまま、柏木は祐麒の胸元を頭で押すような姿勢になる。
「やっぱり僕は、さっちゃんの事が好きだったようだ」
 他人事のような言葉。祐麒は、それが柏木の目一杯の虚勢だと気付いていた。
 祥子を失ったことがどれほどの衝撃なのか。失うことで初めて気付いたその大きさに対応することすら出来ず、言葉をかけてもらう相手すら見つからず、そうして、迷ったあげくにここに現れた。
 祐麒に顔を見せず、頭だけを見せたまま、柏木の肩が微かに震える。
「愚か者だな、僕は」
「俺は、そんな姿見たくなかった」
 祐麒の言葉で、柏木の震えが止まる。
「そうだな、済まなかった、ユキチ」
 しかし、頭を上げようとする柏木を祐麒は押さえた。
「ユキチ?」
「先輩のそんな弱気な姿、俺は見たくなかった」
 二人は、固まったようにその姿勢を変えない。落ちかけた陽の光が、祐麒の影を柏木の背に落としている。
「だけど、そんな姿を俺以外のヤツに見せないで欲しい。あんたの弱い姿を見るのは、俺だけでいい」
 それ以上、祐麒は何も言わない。柏木も、何も答えなかった。
 ただ、柏木がひざまずくような姿勢になっただけ。そしてそれを支える祐麒。そのままの姿勢で二人は、落ちていく陽に照らされていた。
 一時間、それとも数秒。
 意味のない、経過のわからない時間が過ぎた後、柏木が祐麒の胸元から頭を離して立ち上がる。
「サービスが悪いな、ユキチ。こういうときは、黙って抱きしめてくれればいいものを」
「なっ!」
 思わず叫びかけた祐麒は、いつも通りの柏木の悪戯っぽい笑顔を見た。
「あ、アンタなぁ!」
「ありがとう、ユキチ」
 さらりと出た言葉に機先を奪われ、行き場を失った祐麒は思わず地団駄を踏んでしまう。
「やっぱり、最悪だよ、あんたは」
「褒め言葉だね、それは」
 
 
 
あとがき
 
 
 
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